2003/02/05(水)


 以前、ヘルブレスが日常生活に及ぼす障害について話したことがあった。古い話なので既に忘れてしまった人が少なくないだろうから説明しておくが、一例をあげると道端に落ちている十円玉をレアの(脳内予想ではMP回復70ぐらいの)ウッドシールドと見間違えてダッシュしてしまうとか、そういった障害のことである。

 最近では、また新たな障害が現れ始めた。生活の中でラグを感じるようになったのだ。たとえば、吉野家へ行ったとする。真冬の寒風吹きすさぶ中、オレンジ色の看板の前にたどりつき、おもむろに自動ドアの前に立つ。すでに心の中はナミツユダクのことでいっぱいだ。ところが自動ドアはなかなか開かない。これがラグだ。立つ位置が悪いとか、そういうことではない。よく勘違いしてその場で足踏みしたりむやみに体を左右に振ってみたりする人を見かけるが、原因はそんなところにはない。これはラグなのだ。
 だが、この程度のラグは大した問題にならない。問題は、店内に入りナミツユダクを注文したあとのことだ。通常、吉野家では席についた2分後には牛丼が出てくることになっている。ところが、最近私の利用している吉野家では3分経っても4分経っても牛丼が出てこないことが多いのだ。場合によっては5分以上待たされることさえ少なくない。これはかなりのラグ、糞ラグであると言えよう。外人の作法で言うと、「FuCKin' mASs lag strike!!!!」である。
 もちろん、実際にそんなセリフを吉野家のカウンターで叫びだしたりしようものならたちまちnoobまたはキチガイ扱いされてしまうので、上級プレイヤーである私はじっと黙っていることにするほかない。それに、注文した牛丼がなかなか運ばれてこないという現象について言えば、ラグっているのは私ではなく店員の方である可能性だってあるのだ。いま私の目の前でぼんやり突っ立っている役立たずっぽい店員も、もしかしたらラグのせいで動けずにいるのかもしれない。あるいは、やはりラグっているのは私の方で実際の彼はテキパキと仕事をこなしているのかもしれないし、最悪の場合には──というより多くの場合には──牛丼までも含めたすべての事物がラグっているという現実さえ存在するのだ。私の目には洗ったばかりのドンブリに見えるそれが、実はすでに一個のナミツユダクとなって私の前に提供されている可能性さえ否定できないのである。これは恐ろしい事実だ。

 私の知人に、車の運転中どうしても車線変更できないという男がいる。ラグが怖いというのだ。それは無理もないだろう。時速100kmを超える速度で車線変更をしようとしたとき、もしもラグが発生したら──。そう、200m後方に見える隣車線の車が、実はすでに自分の真横に存在しているのだとしたら──。結果は考えてみるまでもない。自分の認識としては無事に車線変更を終えて鼻歌まじりに車を運転していたつもりが、突如として500m以上もの距離を巻き戻され無残な死体をさらしている可能性も簡単に想像できるのだ。そして、それはたった数秒間のラグで生じ得る現象なのである。

 この恐ろしいラグの前に、我々はただ無力に立ち尽くすしかないのだろうか。──否、答えはNOである。私たちには経験上からラグの発生を予想し、より危険の少ない行動を選ぶ能力がある。自分の「目に見えている事象」をもとに「実際の事象」を予想して構築し、それに応じた対処をすることができるのだ。
 たとえば車線変更のときだ。これはまず車の速度を時速4km程度(人が歩くぐらいの速度)まで落とすことで、ラグそのものを回避することができる。安全を第一に優先すると、これが最善の方法だ。しかし何らかの(腹が減っているとかの)理由からどうしても時速100km以上で車線変更しなければならないケースもあるだろう。このときには、常にラグの発生を想定し即座に対応できる心構えをしておく必要がある。あいにく私達の視界には「ネットワークが混雑しています」などの情報が流されないため、私達は私達自身の感覚器官でラグの予兆を感じ取らなければいけない。そして、ラグが実感できた場合にはそのとき目に見えているものすべての動きを予想し、それらが現在本当に存在する空間をイメージするのだ。これは決して簡単なことではないが困難というほどでもない。本来私達はこれを無意識のうちに実践しているし、その多くはうまくいっている。──もっとも、中にはそういう力に乏しい人もいるわけで、車による事故は毎日発生し死傷者はあとを絶たないという現実があるのだが。私に言わせれば、それらの人々はヘルブレスやあるいは他のオンラインゲームをやった経験がなかったか少なかったのに違いない。

 吉野家でのラグも同様だ。注文したナミツユダクがなかなか出てこないとき、どうすればいいか。答えは簡単だ。店員の動きを予想し、牛丼が置かれるべき位置を計算し、目に見えないそのドンブリを手に取ればいいのだ。ヘルブレスプレイヤーである我々は見えない敵を殴ることができるし、敵国人の逃走ルートを予想して誰もいない地点にEnergy Strikeを撃ち込むこともできる。目に見えない牛丼を食べるなど、容易なことだ。
 この考えを進めていけば、吉野屋に入る寸前に意図的なラグを発生させ、脳内イメージで店の中に入り、脳内イメージでナミツユダクを注文し、脳内イメージでそれをたいらげ、脳内イメージで満腹になって店を出てくるという行動さえ可能になってくる。出費を抑え、かつ地球にも優しいこの行動を、私はすべてのヘルブレスプレイヤーに、ひいては全オンラインゲーマーに伝えたい。

 いま、私はいかにしてラグを制御し脳内吉野家で本当の満腹感を得るべきか、鋭意研究中である。だから、吉野家の前でぼんやりしている私を見かけても決して声をかけないでほしい。そのときの私はきっとラグっているため、返事はできないだろう。決して、並にするか大盛りにするかとか、玉子をつけるかつけないかとか、そういうことで悩んでいるわけではないのだ。そう、決して。




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