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 File.25  変調交遊録


「類は友を呼ぶ」という言葉がある。
 この言葉の信憑性は置いておくとして、私の友人には変な人間が多い。
 どう変かというと、たとえば1ヶ月もの間カレーだけを食い続ける男がいたり(別にカレー屋の店員だとかいうワケではない)、部屋の床を隅から隅まで雑誌で埋め尽くして(部屋全体が20cmほど底上げされている)その上で生活している男がいたり、麻雀をやっている最中にいきなり意味不明な絶叫をあげる男がいたりするのである。
 彼らの奇行に共通しているのは実害がないということで、もっともそうでなければとても友人付き合いなどできないのだが、中には実害を伴う者もいるのである。

 彼の名を、マサミという。女のような名前だが、男だ。確認したワケではないが、まず間違いない。マサミは、いつもこちらの都合などお構いなしに電話をかけてくる。大体は何らかの用件があってかけてくるのだが、その用件というのが実にくだらないのだ。
「昨日借りた漫画、いつ返せばいい?」
 とか、
「最近、面白いゲームない?」
 とか、
「ビールのタダ券があるんだけど買わない?」
 とかである。
 いや、最後のは割と(値段によっては)歓迎だが。

 そして、先日もマサミから電話があったのである。
 私が電話に出るやいなや、マサミはこう言った。
「あ、俺だけど。頭切らせて」
 いや、それは困る。まだ死にたくはない。死ぬにしても、そんな死に方はイヤだ。

 察しの良い読者諸兄はお分かりかもしれないが、一応そうでない方のために説明すると、マサミは床屋の見習いなのである。つまりは、私に調髪の実験台になってくれというワケだ。
 しかし、いくらポピュラーな言い間違いとはいえ、調髪を本職にしようという人間が「頭切らせて」というのは、どうしたものだろうか。こんな男に免状を持たせて良いのか、床屋組合よ。
 それとも、私の知らぬ間にマサミは脳外科医にでもなったのだろうか。私の脳には故障などないと思っていたのだが、プロの目にはわかるということか。そういえば最近偏頭痛がするのは、このせいかもしれぬ。

「いいじゃん。タダでやってやるからさ」
 マサミは、電話の向こうでそう言った。
 脳外科手術を無料でやってくれるとは、豪気なことだ。
「明日、店が終わってからやるからさ。7時ごろ来てくれよ」
 最近では、病院を「店」と呼ぶのか。
「どうせヒマなんだろ? じゃあ頼むよ。よろしく」
 おい、勝手に決めるな。「どうせヒマ」ってのは、どういう意味だ。――と思ったら、もう電話は切れている。私に拒否権は与えられていなかったようだ。

 万事この調子のマサミなのであるが、どうも私は彼に自分の頭を任せるのが不安でならない。なにしろ、「頭を切らせる」のである。こんな人間に頭をゆだねる自分が情けなくなってくる。誰か、彼に正しい日本語を教えてやってくれ。
 ――もっとも、この程度の間違いは、マサミにとって大したことではないのだが。

 いつのことだったか、私とマサミは人通りの少ない夜道を歩いていた。マサミの職場から私の自宅へ向かう途上であった。
 ご存知ない方のために説明しておくと、私の自宅は千葉市内にある。マサミの職場は、歩いて行ける距離であった。更に説明を加えると、マサミはこの道を歩くのは初めてのことだったようだ。例によってというか何というか、私達はゲームの話などをしながら歩いていたのだが――、
「清涼寺」という名の寺にさしかかった時のことである。
 不意に、マサミが驚いたように言った。
「へぇ、キヨミズデラってこんな所にあったんだ」
 清水寺、である。あの、「清水の舞台から飛び降りたつもりで」などと使われるアレだ。
 私は絶句した。凄まじいまでの間違い方である。
 マサミの間違っている点は二つある。まず一つは、「せいりょうじ」を「きよみずでら」と読み間違えていること。これぐらいは、まぁ笑って許せる範囲である。マサミのこの手の間違いは日常茶飯事だ。
 問題は、二つ目の間違いである。
 清水寺が京都にあると知らないこと。これが凄い。大体、20年以上も日本人をやってきて、清水寺の所在地を知らぬ者がいるだろうか。情報が隔絶された離島などに住んでいるわけではない。TVもラジオもあり、そして少なくとも義務教育は受けているのだ。 実に信じがたい事実である。
 マサミのこうした間違いには慣れているはずの私でさえ、さすがにこの時ばかりは、どこかの病院に連絡しようかと真剣に考えた。なにしろキヨミズデラである。「清水寺in千葉」なのである。私は、歩くことも開いた口をふさぐことも忘れていた。笑うどころではなく、本気でマサミの頭を心配した。
 私があっけにとられていると、マサミは不思議そうに言った。
「ん? お前も知らなかったの? 清水寺がここにあるって」
 ……そんなヤツは、お前だけだ。

 間違いを指摘するだけの気力もなかった私は、マサミのその言葉を黙認した。従って、恐らくマサミは今なお清水寺が千葉にあると信じているハズである。しかし、どう見ても清涼寺に「舞台」なんかないよなぁ。

 理髪師としての腕前と日本語の言語能力との間に関連性はないとは思うが、できることならあまり彼の実験台にはなりたくないものである。それでも彼に頭を切らせてしまうのは、「無料」という、ただその一事に尽きるのだが。
 それにしても、5年間修行していまだに調髪の免状を取得していないというのは、専門家から見てどういうものなのだろうか。私は相場を知らないのだが、これぐらいの修行年数は普通なのか。
 理髪師としての腕前と日本語の言語能力との間には、関連性があるのかもしれない。最近、私はそう思い始めている。



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