File.44 霊障
4は四であり、四は死である。
今回は、死にまつわる話をしよう。
人間は、死ぬとどうなるのか。
たいていの日本人は、棺桶に詰め込まれたうえ火葬場にて焼却、骨壷に密封されたのち墓石の下に押し込まれることになるのだが、それは肉体の方の話であって、魂の方は少しばかり事情が違う。死後、肉体を離れた魂は、しかるべき世界に行くのである。一般的には「死後の世界」とか「霊界」とか呼ばれている場所である。
私はまるで信じてはいないのだが、なにしろ「あるんだから、しょうがない(丹波哲郎)」そうなので、多分あるのだろう。
まぁ、あろうとなかろうと、どっちでもかまわないのだが、この「死後の世界」に行くことができなかった魂はどうなるのかというと、これは霊となってこの地上をさまようことになる。
「死後の世界」の体験談をする人は臨死状態に陥った経験のあるごく少数の人ばかりだが、「霊」の存在を体験談として語る人は多い。「霊感が強い」などとよく言うが、そうした人々は日常事のように心霊的な体験をし、霊とコミュニケートしたりする。
私の友人にも一人、そういう人がいる。
彼はいわゆる心霊体質で、しかもあまり歓迎できないタイプの体質の持ち主だった。具体的にどのような体質なのかというと、たとえば知らない道を歩いていて急に身体の具合が悪くなり、ちょっと周囲を調べてみると道端に花が供えてあったりとか、いわく付きで有名な場所の付近に行くと足がすくんで動けなくなったりとか、そういう現象が起こる。一緒に行動していると、「ここから先は行きたくない」と言われることが年に二、三度あり、そういう時の彼の顔色は蒼白に近い状態で、その言葉が冗談でないことが容易に知れるのである。
彼にとって災難なのは、その霊感が何の役にも立たないことだ。普通の人ならば何も感じず何の支障もなく歩くことができる場所を、彼はその霊感ゆえにまともに歩くことができない。そのようにして彼が避けた場所はたしかに霊的に穢れた空間ではあるのだが、だからといってそこを歩いた人が実害(霊障)に見舞われることは滅多にない。
彼は、霊体質で良かったと思ったことなど一度もない、と言う。苦痛のタネでしかない、と。だれかに言ったところで白眼視されるのが普通だから自分一人で抱えるしかないのも辛い、とも言う。
数年前、こんなことがあった。
大学を出て、ある建設会社に勤めることになった彼は、入社してすぐに研修旅行に参加させられた。知らない土地に長期間にわたって身を置くのは彼にとって歓迎できることではなかったが、こればかりは仕方ないことだった。
が、彼はその研修旅行の宿泊先となっているホテルを見た瞬間、後悔したのである。いつも通りの頭痛と悪感が襲ってきて、そのホテルが尋常でないほどに穢れているのが分かった。普通なら、近寄りたくもない――ましてや中に入ることなど考えたくもない場所だった。
この時点で、彼は本気で退社覚悟のうえ研修を放棄しようかと考えた。が、とにかく一晩ぐらいは、と思い、踏み止まった。逃げるのはいつでもできる、と自分に言い聞かせながら、彼はホテルに入った。
明るいうちは、まだ良かった。が、日が沈むと案の定だった。叩音(ラップ音)が壁といわず窓ガラスといわず響き渡り、何度閉めてもドアが勝手に開いた。ベッドに入ると予期した通り金縛りに遭い、声を出すことも出来なくなった。視界の端に映るドアがいつの間にか開いており、そこから虚ろな目をした子供が入ってきた。そうして、子供はずっと彼を見下ろしていた。
何時間もの間、彼は子供に見つめられながら身動きひとつできなかった。そのうち、外から女性の甲高い声が聞こえて、その瞬間だけ彼は首をわずかに動かすことができた。――動かせたのは、海岸に面した窓の方向だけだったが。
女性の声は、その窓の向こうの高い所から聞こえた。かと思うと、その声は急速に近付いてきて――、窓ガラスの向こうを若い女性が真っ逆さまに落ちていった。投身自殺をしたもののようだった。数瞬後、グシャッという音がして、声は聞こえなくなった。
少し遅れて、彼の耳元で子供が泣きだした。そのまま、明るくなるまで子供の泣き声は止むことがなかった。彼は指一本動かせないまま、一睡もできずにそれを聞いていた。
翌日、彼は二日目以降の研修を放棄し、帰宅したという。
数日後に彼は解雇処分となり、以後半年以上の間、女性の悲鳴と衝突音が耳に残って離れなかったそうだ。
こうした経験を持つ彼が先日、神奈川へ行くことになった。なんでも古い友人が事故で入院したとかで、かなり急な話だった。そして私に、車を貸してくれ、と言うのである。
彼の運転技術を信用していないわけではなかったが、あまり車の貸し借りなどするべきではない。私は渋ったのだが、結局、食事をおごらせるということで交渉の決着はついた。貸したのである。
彼はすぐさま目的地の神奈川へ向かい、その日のうちに帰途についた。
その時の話である。
彼が訪れたのは、神奈川県の逗子であった。
そこからの帰り道、彼は往路と違う道を選んだ。見舞った友人が教えた経路で、それの方が近道だということだった。
彼は知らなかった。その道が、あるトンネルに通じていることを。トンネルは、小坪トンネルという名だった。あの、小坪トンネルである。日本でも有数の心霊スポットとして知られる場所だ。曰く、通り抜ける車の窓ガラス一面に掌の跡が貼り付く、曰く、壁の中から真っ白な服を着た女が現れる、曰く、天井から死体がぶら下がる……等々、エピソードには事欠かない場所である。そのトンネルが貫通する山の上には火葬場があり、それ故に体験談も真実味を帯びる。
彼も、そのトンネルの名は知っていたし、それがどこにあるかも知っていた。しかし、自分が車を走らせているその道がそこに通じているとは夢にも思わなかった。
トンネルが近付くにつれ、彼はまたしても霊体質特有の悪寒と頭痛に悩まされた。が、彼のような体質を持つ者が長距離のドライブをすると、こうした体験はよく起こる。そのため、彼はそれを無視することにした。
彼が自らの蛮勇を悔やんだのは、トンネルに入った直後だった。目の前の路上に、子供が横たわっていたのである。一瞬前まで、そんな物はそこにはなかった。だが、その正体が何であろうと、彼にできるのはブレーキ・ペダルを踏むことだけだった。
それほど高速で走っていたわけではない。それでも、車は急なブレーキをかけられてスピンした。夕方まで降っていた雨のせいで路面が濡れていたのも原因だったかもしれない。スピンした車はそのまま路上の子供を轢きつぶし、かなり減速した末に後側部を壁面にこすりつけるようにして停止した。
轢いた瞬間の感触は、はっきり彼の手に伝わっていた。肉の砕け散る、その音も。それでも、彼は自分が何を轢いたのか理解していた。断じて人ではない。そう確信していた。――とはいえ、一応は確認しないわけにはいかない。彼は車を降り、子供がいたとおぼしき地点を見回した。
そして、そこには彼の確信の通り、何の痕跡もなかったのである。
そうした経緯で、私の車の左後部には今なお小さい傷が残っている。
その傷を見た時の私は、決して彼を責めるようなことはなかった。ただ、二度と彼のような体質を持つ人間に車を貸すような愚は犯さないと誓い、そのうえで決して自腹では行けないような寿司屋にて食事をおごらせたが。
そして、もう時効だと思うので彼に訊きたい。
本当にそんな事があったのか?
と。
