File.53 偏食人生
飲食店における人々の行動というのは、実に興味深い。たとえば何人かで居酒屋に入ったとき、たいていの人々はビールを注文する。無論、中にはサワー・ドリンクや烏龍茶などを注文する人もいることだろう。飲み物だけでなく、食べ物も同時に注文する人もいるかもしれない。
こういう時には決まり文句がある。
「とりあえず生中。あと枝豆」
このような感じだ。「とりあえず」という部分が重要である。真剣に悩んだ末の結果でも「とりあえず」と付けるのが基本だ。
「あたし、オサケ飲めないから烏龍茶ねー。あっ、あと大根サラダー」
こういうのもアリだ。
「俺はポンシュ(日本酒)とヤッコ(冷や奴)を」
などと渋く決めてみるのも良い。
それにしても婦女子は必ずといって良いほど大根サラダを注文する傾向にあるが、あんな物のどこがうまいのか疑問に思う。刺身のツマではないか、あんなもの。
まぁ、それはさておき。おおむね居酒屋での注文は上記のように行われるのが普通である。
だが、彼は違った。
「ワインをボトルで。それと、かた焼きそば二つ」
メニューも見ずに、そう言ったのである。
「おいおい、二皿も食うのかよ」
「ボトルって、それ一人で飲むのぉ?」
にわかに周囲は騒然となった。
「いけないのか?」
彼は憮然とした表情で言った。
「いや、別にいいけど。普通、同じもの二つは注文しないだろ」
「ビールを二つ注文するのと何が違う?」
「そりゃそうだけどさぁ」
いつものことだった。彼の飲食店における奇行ぶりを承知している者にとっては、見飽きたやりとり。この程度が彼の本性のほんの一部に過ぎないことは周知の事実だ。
あれは、牛丼屋でのことだった。
カウンターに座った彼は、尋常とは言いかねる注文をした。
「ライスを二つと、玉子」
この時の店員の表情は忘れられない。おかしな注文しやがって、という批判が言外に含まれているのが明白に読み取れた。彼は、しかしそうした店員の反応をまったく気に留めていなかった。
やがて二つのライスと生玉子が出てきて、彼は掻き混ぜた玉子を一方のライスにかけた。もう一つのライスはどうするのかと思ったが、答えは簡単だった。カウンターに置いてある無料の紅生姜を大量に載せ、その上からお茶をかけたのである。さしずめ、紅生姜茶漬けといったところか。だが、見るとお茶が足りないようだった。彼は当然のようにお茶をお代わりし、それも茶漬けに注ぎ足した。そうして、完成した紅生姜茶漬けを腹に流し込んだのである。
この一件で、彼と一緒に牛丼屋へ行こうという者はいなくなった。
こんなこともあった。
串カツ屋でのことだ。注文に応じて店主が客の目の前で具材を揚げる、屋台のように狭い店だった。カウンターには、ガラスのケースに覆われて無数の具材が用意されていた。
肉、魚介、野菜、とそろっている中から彼が選び出したのは、チーズだった。選択の余地などなかったかもしれない。席に座るや否や、「チーズを二つ」と注文した。
ビールを飲みながらチーズ揚げを食い、続けて彼は「チーズ四つ」と言った。この時点で、店主の表情が曇ったように見えた。
彼の友人たちが牛肉やレンコン、エビなどを注文するなか、彼はひたすらにチーズばかりを注文し、食い続けた。誰かが注文したレンコン揚げを間違えて口に入れ、「チーズじゃないじゃん、これ」などと憤慨していた。
最終的に、品切れになるまで彼はチーズを食い続けた。間違えて食べたレンコンだけが、チーズ以外で彼が口にした唯一の物だった。
他にも、回転寿司の店でアジばかりを三十皿も注文して品切れにさせたり、焼き肉食い放題の店でバニラアイスを品切れにして他の客から白い目で見られたりと、彼の奇行は枚挙に暇がない。チーズ入りの今川焼きを十個ほども買い占め、嬉々として貪り食っている姿を見掛けたこともある。
その日の居酒屋においても、彼は期待に応えてくれた。ワインのボトルを空にし、二皿のかた焼きそばをたいらげた後で、「かた焼きそばとボトル・ワイン」と追加したのである。何を考えているのか、この男は。
――だって、好きなんだもん。かた焼きそば。
