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 File.55  赤の恐怖


「見せたい物がある」
 何の連絡もなしにやってきた友人は、そう言って私の部屋に上がり込んだ。時刻は23:30を回っている。普通、他人の家を訪ねるような時刻ではない。
「こんな時間に訪ねてきて、いったい何を見ろというのだ?」
 私は訊いたが、答えはなかった。答えの代わりに、「酒はないのか?」という言葉が返ってきた。そう言いながら、友人は勝手に室内を物色し始めた。
 私もたいがい図々しい人間であるが、この友人以上に図々しい人間を他に見たことがない。人の部屋に上がり込むなり酒を要求し、私の秘蔵品であるブランデーを見つけ出して、
「グラスと氷」
 などと、当然のように注文するのである。私はいつからバーテンになったのであろうか。――と言いながら、要求どおりにグラスと氷を出してしまう私も私なのだが。
 無論、通常であればそう簡単に彼の要求を受け入れるような私ではない。確かに私と彼とは友人ではあるが、それと同等かあるいはそれ以上に「敵」であるとの認識が強かった。殊に、半年ほど前に彼が特定の女性と付き合うようになってから、その敵対度は大きく上昇したと思う。彼の方が私に酒をおごることはあっても、私が彼に酒をおごるなど有り得ないことだった。
 が、今夜は少しばかり事情が違った。やってきた友人の手には、立派な手土産が提げられていたのである。見たことのないそのビニール袋の中からは、実に香ばしい芳香が漂っていた。その香りだけで、ビニール袋の中身が知れた。

「タコ焼きだな?」
 畳の上に置いたグラスにブランデーを注ぎながら、私は確認した。
 キン、キン、と金属音にも似た音を立てながら、氷が弾けて溶ける。
 ブランデーが半分ほど注がれたグラスを口に運んで、友人は言った。
「うむ、いかにもタコ焼きだ。千葉の某店で買い求めてきた物だ。まだ温かいはず。食ってみるがいい」
 カラン、と氷とグラスの触れ合う音が響いた。
「見せたい物というのは、このタコ焼きのことか?」
「そうだ。まずは食ってみるが良い」
 食えと言われれば、拒む道理はない。私はビニール袋を開けた。
 ビニール袋の中には3個の箱が入っていた。直方型に整えられた紙製の箱で、外観からその内容物を窺い知ることは不可能な作りとなっている。全ての箱を袋から取り出して畳の上に並べると、
「まず、これを食え」
 と、友人は一つの箱を指し示した。
 箱を開けると、中には何の変哲もないタコ焼きが8個。ソースと青海苔が小袋に分けられ、爪楊枝が3本ほど添えられている。

 さて、これはタコ焼きだけでなく焼きそばやお好み焼きについても言えることなのだが、これらの物体にソースと青海苔をかける際には順序というものがある。わざわざこうして言うまでもないことだが、それはソースと青海苔とではソースの方を先にかける、というものだ。その理由は説明不要であろう。考えれば、おのずとわかるはずだ。
 にも関わらず、世の中にはこの順序を守ることの出来ない人間のいかに多いことか。まったくもって嘆かわしい限りである。文部省には、学校給食にタコ焼きを導入した上でソースと青海苔の因果関係について教育するよう方針を改めてもらいたいものだ。

 話がそれたが、そのような次第で私は目の前のタコ焼きにソースと青海苔を投入した。熱せられたソースの匂いは食欲を煽る。私はブランデーを一口飲んで、爪楊枝を手に取った。友人の口元がニヤリと歪んだが、気にせずタコ焼きの一つを爪楊枝で突き刺した。いずれ、彼が何か企んでいるのは先刻承知なのだ。

 口の中にそれを入れた瞬間、即座に違和感を覚えた。そのタコ焼きの中に入っているのは、確かにタコに似た食感の物質だった。が、明らかにタコとは違う。
「……イカか、これは」
 訊いた。訊くまでもなかったが。
 友人はしかし、つまらなさそうな表情で、
「イカか。一番まともなところを引いたな」
 と言っただけだった。
 その言葉に、私は慄然とした。
「ということは、他のタコ焼きも……」
「便宜上、その食物を『タコ焼き』と呼ぶことにするが、それらの『タコ焼き』の中にいわゆるタコは一片たりとも含まれていない。さぁ、次を食べてみろ」
 ずい、と友人の手が『タコ焼き』の入った紙箱を押した。
 つい数秒前までタコ焼きだと信じて疑わなかったそれが、一瞬のうちに得体の知れぬ物体と化して私の右脳を刺激した。一体、これらタコ焼きの皮をかぶった未知の物質には、いかなる食材が内包されているのか。
 私は覚悟を決めた。こう見えてもタコ焼きには一家言持つ人間だ。たやすく屈するわけには行かぬ。
「取るに足る相手だ」
 自らを鼓舞し、二つ目の『タコ焼き』を口に放り込んだ。
 鬼が出るか蛇が出るか、と決死の覚悟で望んだ勝負だったが、その『タコ焼き』の中身はいささか凡庸な代物だった。といって、無論タコが入っていたのではない。二つ目の『タコ焼き』に含まれていたのは、ホタテ貝だった。これはこれで確かに違和感はある。が、驚くほどの物ではなかった。しかも、不思議とタコ焼きの生地に合ってもいる。私の味覚にも十分に耐え得る味だった。
「ホタテはタコの代替物としては悪くないな」
 そう評しておいて、私は三つ目の『タコ焼き』を食べた。
 わずかな辛味と、プチッとした弾力。これはエビだ。それも、チリソース味に仕立ててある。なかなか悪くない。
「エビもなかなかだな」
 ブランデーで口直しをして、四つ目にとりかかる。

 その四つ目が地雷だった。
 イカ、ホタテ、エビと来たために、無意識下で海産物以外の食材は含まれていまい、と速断していたのだ。が、それが油断というものだった。油断大敵怪我一生、という言葉もあるとおり。
 四つ目の『タコ焼き』の中身は餡子だった。それも中華風のゴマあんだ。一つもうれしくない不意討ちである。幼い子供が食べたら、トラウマになって一生タコ焼きが食べられなくなるのではなかろうか。そんな味だった。
 いや、あるいはソースと青海苔さえなければどうにか食べられるものだったかもしれない。だが、ソースと青海苔の洗礼を浴びた『ゴマあんタコ焼き』は、とてもではないが正気の人間が食べる代物ではなかった。人類の味覚に挑戦しているのではないだろうかとさえ思えるような、それはどうしようもない物質だった。私の頭の中で、「未知との遭遇」とか「遊星からの物体X」といった言葉が激しく渦を巻いていた。
「どうやら、罠にかかったようだな」
 友人は、これ以上ないというほどに愉悦の表情を浮かべていた。
 ごまかそうと思っても、できなかった。ブランデーで口を漱ぎつつ、私は呪いの視線で彼を睨みつけた。睨み付けながら、訊いた。
「……君は、これを食べたことがあるのか?」
「ない。そんな不気味な物が食えるか」
「……」
「さぁ、あと四つ。残さず食べてもらおう」
 うまそうにブランデーを飲み干して、友人は言うのであった。

 残りの四つの『タコ焼き』の中身。それはコーン、ウインナー、クリーム、チーズ、というものだった。その創造力と開拓精神には敬意を表する。――味の方には敵意を表するが。
 特にクリーム。これはゴマあん以上に殺人的な代物だった。甘いクリームと青海苔とソース。その三者が組み合わせられればどのような味が現出するか、想像してみてほしい。「殺人的」という言葉も決して誇張ではないということが理解できるはずだ。いったい何を考えてこんな物を作ったのか。イヤガラセとしか思えぬ。
 しかし、友人は恐ろしいことを言ってのけるのだった。
「そのクリームタコ焼きは人気商品だということだ」
「……誇大広告ではないのか、それは」
「そうかもしれんが。しかし、餡子にせよクリームにせよ、ソースさえかけなければ美味であるのかもしれぬ」
「そういうことは、ソースをかける前に言ってほしかったものだ」
「勘違いするな。俺はお前にうまい物を食わせてやろうと思ってそれを持ってきたわけではない。……さぁ、次だ」
 言いながら、彼は二つ目の紙箱を私の前に突き出した。
「これも、私が食うのか」
「遠慮は無用だ。それに、安心しろ。その箱には甘い『タコ焼き』は一つも入っていない」
「いずれにせよ、ゲテモノには違いあるまいが」
 毒づきながら開けた紙箱の中を見て、私は愕然とした。

 色が――。
 赤いのである。
 食紅で染めたのか何なのか、とにかくその箱の『タコ焼き』は鮮やかな真紅の輝きを見せているのであった。
「なんだ、この真っ赤なタコ焼きは。シャア専用か」
「うむ。シャア専用タコ焼きだ。さぁ食え」
「……ツノがないようだが」
 私が難癖をつけると、友人は爪楊枝の一本を突き刺して、
「これで文句はあるまい」
 と言った。
「食わずとも、味の予想はつく」
 古今東西、赤い食べ物といったら辛いと決まっている。
「では、その予想が正しいか確かめてみろ」
「私は辛い物は好きなのだがな。これでイヤガラセのつもりか?」
 だが、私は3秒後にはその言葉を後悔することになった。

「何じゃあ、こりゃあ!」
 真っ赤なタコ焼きを口に入れた瞬間、反射的に飛び出したのがその一言だった。
「どうした?」
 友人は、にやにやと不敵な笑みを浮かべている。
「……これを食べたことは、あるのか?」
「いや、ない。俺は辛い物が苦手でな」
「唐辛子が……ッ」
 千切りにされた唐辛子がギッシリと詰め込まれているのであった。その辛さは、私の予想した数値の数十倍にも達するものだった。ほとんど噛まずに、ブランデーで押し流すようにして私は口の中のそれを片付けた。
「どうやら、かなりの代物であるようだな。さすがは『地獄タコ焼き』と銘打たれているだけある」
 他人事のように言う友人。
 私はキレた。
「これのどこが『タコ焼き』だというのだっ! タコなど微塵も入っていないではないかっ! これだけではない。餡子だのクリームだのと……、タコ焼きを舐めているのかっ! 立ち上がれ、世のタコ焼き愛好家たちよ。これ以上、ゲテモノどものタコ領への侵略は看過するわけにいかぬ! 今こそ、タコの失地回復のために我々が動かねばならぬのだっ!」
「あんまり辛くて、頭がおかしくなったか?」
「黙れっ、この国賊め!」
「で、残りのタコ焼きはどうするのだ? 食わないのか? いや、食えないのか?」
「く……っ」
 引き下がることはできなかった。ここで引いたら、私の負けだ。呼吸を整えて、私は残り七機のシャア専用タコ焼きと対峙した。

 強敵だった。さすがに量産型とは違う。しかし、一機、また一機、と私は着実にそれらをつぶしてゆく。最後の一機を撃破したときには、全身汗まみれだった。
「ふぅ……」
 全ての敵機を片付け、私は深く吐息をついた。わずかに勝利の実感があった。が、そんな勝利の余韻に浸る間もなかった。
「全て片付けたか。では、これが最後だ」
 友人は、三つ目の紙箱を開封して私の前に置いた。
 箱の中に収められているのは、三個のタイ焼きだった。それも、不気味なほどに真っ黒なタイ焼きだ。
「今度は、黒い三連星か……」

 それは、シャア専用以上の強敵であった。
 その味については語りたくない。ただ、一言だけ言っておきたいことがある。
「タイ焼きに黒胡椒とは、どういう了見なのか」
 と。



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