File.60 HN
WEBの世界においては、誰でもHN(ハンドル・ネーム)を名乗るのが普通である。無論、HNは本名でもかまわない。友人などから呼ばれているニック・ネームがあれば、それを名乗るのも悪くないだろう。しかし、多くの人はWEB上で名乗るためのHNを作るものである。
たとえば、私はアイスと名乗っている。ときどき「カッコいいハンドルですね」などと言われる。が、何のことはない。単にアイス・クリームが好きだからアイスと名乗っているだけのことなのである。別に、氷のようにクールだというアピールをしたいワケではない。
私などは5秒でHNを決めた人間だが、中には非常に凝ったHNを自らにつける人もいる。
以前、龍宮蛟姫と名乗る人を見かけたことがある。「凝ったHNですね」と言ってみると、彼(!)は得々として自らのHNについて解説を始めた。耽美系の小説家にでもなりたいのかと思ったが、そうではないようだった。「今までに3回、HNを変えた」と言っていたが、以前のHNも推して知るべしである。
緋川・F・蒼司というHNを見かけた時には、藤子・F・不二雄のファンなのかと思った。そう訊いてみると、「F」は「フォン」のFだと言う。勝手に貴族を名乗ることができるのも、WEBの世界ならではである。「F」ではなく「V」ではないのか、という指摘ができるほど私は残酷な人間ではなかった。
こうしたHNをつけたがるのは、どうも文学系というか偏向したミステリ小説やSF小説のファンに多いようで、そうしたサイトでは簡単にお目にかかることができる。
反対に、全く凝っていない(というより何も考えてない)ようなHNを多く見かけるのが、テクノ系のサイトである。彼らは音の響きや字面からHNをつけるのが好きなのか、「J」とか「RUKE」などというHNを3秒ぐらいでつけたりする。アルファベットやカタカナのHNが多いのも、特徴の一つだ。「/」というHNを見かけた時には、どう読めば良いのかと頭を悩ませた。そのまま「スラッシュ」と読めば良い、ということだったが、もはやこれはHNと思えない。確かにカッコいいかもしれないが、不便ではないのだろうか。他にも、「LSD」「嘔吐」といった具合にアナーキーなHNが多い点も特筆すべきであろう。「首吊り」というHNを見たときには、さすがに少し心配になったものだ。
凝っているのか凝っていないのかわからないHNが多いのは、ゲーム系のサイトだ。彼らにはファンタジーの世界から触発されたHNをつける人が多く、明らかに他ジャンルのものとは一線を画す。私が見かけたものの中では、
聖騎士AK。
水晶竜。
死人使い。
破壊神。
……などというHNがあった。
破壊神、である。私がこれまで見てきた中で、これほど強そうなHNは他にない。対抗して「魔王」とでも名乗りたくなるが、これはどうも安っぽいイメージだ。「冥帝」あたりが、どうにか対抗し得る線だろうか。HNで張り合っても仕方ないが。
さて、そのようにWEB上には様々なHNが氾濫しているワケだが、基本的にWEBでのやり取りが文字に依存されている以上、どのようなHNを名乗ったところで大した問題はない。要は識別ができれば良いだけのことで、「r氣・”ゥ 5」と名乗ってもかまわないのだ。文字化けしていると思われるのが普通だろうが、毎回そう名乗っている分には何の問題もない。
ただ、これがWEBの外にまで及ぶとなると話は別だ。
WEBの世界には、「オフミ」だとか「OFF会」などと呼ばれるものがある。説明するまでもないだろうが、これはWEB上(ON LINE)で知り合った人同士が直接に(OFF LINEで)顔を合わせる会合のことである。当然、この席では参加者たちはそれぞれWEB上で名乗っているHNで呼ばれることになる。
本名をHNとしている人にとって、この会合はごく普通の集まりと変わりない。しかし、変哲なHNを名乗っている人々の会合となると、これは凄まじいことになる。
「はじめまして、龍宮蛟姫です」
「あ、どうも。死人使いです。こちらは、聖騎士AKさん」
「聖騎士AKです。よろしく」
「こちらこそ、よろしく。……もしかして、あの人は首吊りさんですか?」
「そうです」
「破壊神さんは?」
「ええと……、あの人です」
「えっ、女の子じゃありませんか」
「いやぁ、オレも驚きました」
そのような挨拶が交わされるのである。どう見ても異様な集団だ。そして、そこに「r氣・”ゥ 5」と名乗る男が現れるのだ。混乱は避けられまい。だいたい、どう呼ぶのだ。
私はというと、アイスというHNで呼ばれることには何の抵抗もない。呼ぶ方には抵抗があるかもしれないが。
ただ、以前こんなことがあった。
OFF会の席上、居酒屋でのことである。かなりアルコールも入り、そろそろお開きにしようかという頃合いだった。一人の女性が、とろんとした表情をこちらに向けて言ったのである。
「あー、アイス食べたいなぁ」
と。
いやもう。ぜひ食べてください。
