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 File.61  二者択一


 ある女性と会話していたときのことである。
「ネコとイヌ、どっちが好き?」
 不意にそう訊かれて、私はとまどった。ついに来たかと、そう思った。
 およそ人間たるもの、猫か犬のどちらかを好きでなければならない。そのいずれを好むかで全ての人間は二分され、性格から深層心理、果ては生き方についてまで決定されてしまうのだ。

 たとえば、「犬が好きだ」と答えたとする。
 彼女は、その答えを待っていたとばかりに言うのだ。
「あっ、やっぱりねぇー。そういうところあるもん」
 どういうところなのか、と訊きたくなる。
『やっぱり』という部分も非常に引っかかる。そんなに私は犬好きに見えるのだろうか。それとも彼女は霊能者で、私の前世が犬だったことを知っているとか、そういうことなのか。
 しかし、「猫が好きだ」と答えてみても、やはり彼女は言うのだ。
「あっ、やっぱりねぇー。そういうところあるもん」
 だから、それはどういうところなのだ!

 どうやら、私の調べた結果によると、犬好きの人間の特徴としては――、
 頑固、社会性(協調性)が高い、権力志向が強い、忠義に篤い、肝腎なところで抜けている、
 などが挙げられる。
 反対に猫好きの人間の特徴はというと――、
 優雅、気まぐれ、自分勝手、野放図、自尊心が高い、恩知らず、
 などといったところであろう。

 だが、それらは全て犬や猫自身の特徴であって、それを好きな人間までもが同じ特徴を持っているとは言えないのではなかろうか。私はそう思うのだが、世間一般では私のような考え方は普通ではないらしい。実際のところ、政治家たちは好んで犬を飼い、水商売のお姉さん方は猫を飼うものだ。
「あたしワガママだよ。ネコ好きだし」
 そのような発言を当然のものとして省みない婦女子も多い。
 ワガママなのはお前だけだろ、ネコのせいにするな。そう言いたくなるではないか。
 しかし、「ネコ好き=ワガママ」の公式は既に一般常識のレベルにまで浸透しており、今さらそれを覆すことは不可能に近い。ネコ好きだからといってその人間がワガママであることの理由には成り得ないのではないか、という反論は実にもっともな意見であるが、そうした反論は「イヌ好きの人間は頑固だからイヤだよね」などといった一言の下に却下される。
「私は犬好きではない!」
 そう言ってみたところで無駄だ。猫を批判した時点で自動的に犬派に組み込まれてしまうのが、この世界の掟なのである。その逆もしかり。

 これを防ぐには、「犬も猫も嫌いだ」と答えるしかない。
 だが、この答えを聞いた彼女は当然のように問うのである。
「じゃあ何が好きなの?」
 ここでウケを狙って「牛丼」などと答えてはいけない。いくら牛好きでも牛丼はマズい。彼女との間の空気は瞬間的に凍りつくであろう。「カレー」とか「タコ焼き」なども論外である。

「僕が好きなのはキミだけさ」
 そういう答え方もあるかもしれない。私にその答えを選択する勇気はないが。

「ネコの方が好きだな。犬は、まだ食べたことがないんだ」
 悪くない冗談である。
「そうだよねぇ。ネコっておいしいよねー」
 彼女がそういう答えを返さないことを祈るのみだ。

「動物は嫌いなんだ」
 最悪の答えである。動物を愛せない冷血人間、とのレッテルを貼られるのは避けるべきであろう。

「私が好きなのは……。そう、ゾウリムシ」
 かなりの勝負球だ。インハイぎりぎりといったところか。ボークという説もあるが。
「ゾ、ゾウリムシ?」
 彼女は驚くに違いない。驚かなかったら、こちらが驚く。というか、逃げる。
 さて、そうして彼女を驚かせたここからが腕の見せどころだ。
「そのとおり、ゾウリムシさ。……あれは小学校6年生の理科の授業のときだった。当時、私はクラスのイジメられっ子でね。登校拒否寸前の状態だったんだが、理科の授業がある日だけは出席していたんだ。私の担任教師は理科が専門だったのか、やたらと生物に詳しくてね。顕微鏡で見える様々な微生物たちを私に教えてくれたんだ。……彼は、微生物たちがいかに素晴らしい生き物かという説明をしてくれた。僕はミジンコやアメーバから人生の何たるかを教わったのさ。それからというもの、僕は毎日のように顕微鏡を覗いては微生物を観察するようになった。そんな僕についたアダナが、『ゾウリムシ』だった」
 間違えた。これでは駄目ではないか。

「……しばらく考えさせてくれ」
 苦渋の表情を浮かべて、私はそう言った。
 猫か、犬か。大変な命題だった。カレーか牛丼か、という命題にも匹敵する、それは全ての人間に課せられた運命の選択だった。カレー牛丼という異端の存在は、この際無視する。

 やがて、深い思索の果てに私は一つの結論に至った。
 すなわち、こう切り返したのである。
「君は、どっちが好きなの?」
 これで、彼女の答えと同じ方を選べば良い。……いや別に彼女に好印象を与えようとか、そういうことではなく。
 すると、彼女は迷う様子もなくこう答えたのである。
「あたしはネコが好きかな。でも、イヌも好きだけどね」

 要するにどっちでもいいんじゃねぇか!

 世の中とは、かくも不合理にできている。
 ちなみに私は牛丼派だ。



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