File.96 氷上の掃除夫たち
私はスポーツ全般がきらいである。
その理由は特にないのだが、小学生のころ体育の成績で1をもらったのが原因かもしれない。ほかに1をもらった教科としては図工や音楽がある。このことで、私にスポーツと芸術の才能がないことがよくわかるだろう。では何の才能があるのかと問われると、答えに窮したあげく「牛丼を3分で食べる才能」とか「生卵を鼻の穴から飲み込む才能」などと答えるしかないのだが。
とにかくそういう次第で小学生のころからスポーツのきらいな私は、野球シーズンが大嫌いだ。いや、正確に言うならTVの野球中継がきらいなのだ。もっと正確に言うなら、野球中継の延長放送がきらいなのである。
どうして野球中継は時間延長されるのか。どうして延長放送によってそれ以降の番組が時間を繰り下げて放送されなければならないのか。どうして私の録画予約した『ザ・シークレット・サービス』が途中で切れているのか。――だれか、これらの問いに答えてほしい。
そもそも、なぜ野球の試合はあれほどまでに長いのか。一試合に2時間も3時間もかかるスポーツが、ほかにあるだろうか。私はスポーツに興味がない人間なのでほかのスポーツといってもあまり正確な例をあげられないのだが、たとえば相撲を見てほしい。あの試合(取り組み)に2時間も3時間もかかっていたら、決してだれも観戦しようとはしないだろう。おまけに、相撲中継には延長放送もない。かならず、放送時間枠内で収まる。この点を野球には見習ってもらいたい。
私が野球について理解できない原因の一つに、どうしてあんな細い棒きれでボールを打たなければならないのかという疑問がある。世間ではあの棒きれをバットと呼ぶようだが、なぜバットというものはあのように細いのか。あれをもっと太く――たとえば直径1メートルぐらいにすれば、今よりずっと簡単にボールを打てるのではないかと思う。
だいたい野球というのはふしぎな競技で、「投げられたボールをバットで打つ」という基本的なルールがあり、しかもすべての野球ファンがそれを期待して観戦しているというのに、どういうわけかピッチャーたちはボールを打たれないように投球するのである。これは、どう考えても変だ。野球ファンたちは野球を観戦したいのであって、ピッチャーの投球シーンだけを見たいわけではない。それが証拠に、ピッチャーとキャッチャーが延々2時間にわたってキャッチボールをくりかえす野球中継など放送されたためしがない。しかも、その延長放送などにいたっては論外である。本来、打たれるために投げているはずのボールが、7割以上もの確率で打たれない。この現状は、すこしおかしいのではないか。
私などが言う筋合いのことではないかもしれないが、野球のバッターたちはもっとまじめに仕事をするべきである。彼らの仕事とは、言うまでもなく投げられたボールを打つことだ。それも、ただ打つだけではいけない。ヒットかホームランを打たなければ彼らの仕事は達成されたと言えないのだ。にもかかわらず、彼らの仕事達成率は2割から3割程度である。選手によっては1割などという数字にもなったりする。
これはすこし――いやかなり、異常な事態であると言えよう。考えてもみてほしい。一般的な会社員が与えられた仕事の3割しか達成できなかったら確実に解雇されるだろうし、小説家や漫画家が締め切りまでに3割の原稿しか仕上げていなかったら、ただではすまない。達成率3割とは、つまりどうしようもなく駄目な状態なのだ。野球の世界では打率が3割を超えるバッターは一流の選手であるように言われるが、これはとんでもない話である。10回のうち7回も仕事に失敗していて、どこが一流なのか。10回の手術のうち7回失敗する医者が一流と呼ばれるだろうか。10回の狙撃依頼のうち3つしか達成できないゴルゴ13がいるだろうか。そんなことはありえない。野球選手たちは、せめて平均打率8割ぐらいを保ってほしいものである。
また、私の観察したところによると、ヒットを打ったバッターは一塁へ走らなければならないらしいが、これもまたナンセンスである。なぜ、いきなり三塁に走ってはいけないのか。三塁と本塁を往復しただけで一点獲得というルールにしたほうがわかりやすいのではないか。いっそ、打球の飛距離に応じて点数を獲得するシステムにしてしまっても良いかもしれない。10メートルあたり1点ぐらいで良いだろうか。この場合はピッチャーも不要なので、バッターたちはゴルフのティにボールを置いて打つと良いだろう。これならば、野球に興味のない私でも(一分間ぐらいは)たのしんで観戦できそうだ。
野球以上に理解できないのがサッカーである。私は野球同様サッカーにもまるで関心がないのだが、たまにTV中継などを見ていると、どうして彼らは手を使わないのかと疑問に思う。彼ら選手たちは五体満足の体を持っているのに、けっして両腕を使おうとしないのだ。これはふしぎだ。
もちろん私もサッカーのルールはある程度知っているので、キーパー以外の選手は手でボールに触れてはいけないということぐらい理解している。私が疑問に思うのは、どうして皆わざわざそのような馬鹿げたルールに身をゆだねるのかという点である。腕を使いたければ使えば良いではないか。皆で使えば平等である。なにも問題はない。どうして、そのことに皆気付かないのか。理解しがたい。
バスケットボールもまた、私の理解を拒むスポーツの一つであろう。どうして、あのボールを持って歩いてはいけないのか。なぜ、床でバウンドさせながら歩かなくてはいけないのか。バウンドさせることに、なにか意味があるのか。それに、どうしてボールを蹴ってはいけないのか。サッカーでは足しか使ってはいけないと言っておきながら、バスケットボールでは足を使ってはいけないと言う。なんと自分勝手なルールであろうか。こんな自分勝手なヤツは見たことがない。あきれたルールである。
おまけに、あの地上高く設置されたゴールリングだ。あれこそ、バスケットボールの馬鹿馬鹿しさを象徴した代物であろう。あんなもの、床に置いておけば良いではないかと思う。ボールをかかえて走り、床に設置したゴールにたたきつければ得点。それで良いではないか。まるでラグビーだが、そもそもラグビーは屋内スポーツではないという違いがある。ついでに言うなら、ボールの形もちがう。プレイ人数もちがうような気がするが、自信が持てない。ラグビーのほうが1チームあたりの人数は多かったと思う。たぶん。
考えてみれば、ラグビーというスポーツは非常に自由度が高い。なにしろボールを投げても蹴ってもOKだし、そればかりか、何とボールをかかえこんだまま走っても良いのだ。これはサッカーやバスケットボールなどからは考えられないことである。おまけに、敵からボールを奪うときにはタックルをかけても良い。これはすごいことだ。ひとことで言えば、バーリ・トゥード(何でもアリ)である。もし、サッカーでボールをかかえて走ったら反則をとられる以前に正気をうたがわれそうだし、バレーボールで相手チームの選手にタックルしたら試合にならないような気がする。――気がする、どころではないかもしれないが。
このようにスポーツに対して理解のない私だが、それでもこれらのスポーツはカーリングにくらべればマシである。
カーリング。あのスポーツを初めて見たとき、私はデヴィッド・カッパーフィールドのイリュージョン・マジックを目の前で見たときのような衝撃を受けた。なにしろ彼らがやっているカーリングなるスポーツは氷の上をデッキブラシでこするというだけの、まさに人知を超えた競技だったのである。
最初、あの氷をこすっている人々を見たとき、私はスケートリンクを掃除しているものだと思ってうたがわなかった。それはそうだろう。いったいだれが、あの動きを見てスポーツだと思うだろうか。彼らの掃除した軌跡をなぞってすべる漬物石のような謎の物体も、私の目には氷の状態を確認するための掃除用具にしか見えなかった。あの物体にストーンという名称がつけられていることを知ったときは、ちょっとした驚きだった。それと同時に、なにがストーンだよと思ったものだ。あれほどカッコ悪いスポーツ用品は他にないだろう。
いや、ストーンよりカッコ悪いスポーツ用品があった。それは、ほかならぬカーリング用のデッキブラシである。これに匹敵するほどカッコ悪いスポーツ用品はシンクロナイズド・スイミングの鼻栓ぐらいだと思うが、見た目のインパクトという点でデッキブラシには負ける。そもそも、あのブラシは本当にスポーツ用品店で買ったものなのだろうか。ホームセンターのバーゲンで300円ぐらいで買ってきたデッキブラシなのではないかと思う。
ちなみにあのデッキブラシはカーリング用語でもブラシと呼ぶ。ついさきほど、カーリング・クラブのサイトにアクセスして、あぜんとしたところである。私が言うのもなんだが、せめてもうすこしカッコいい名前をつけたらどうか。たとえばアイスシェイパーとか。まぁ、どう呼んでみてもデッキブラシはデッキブラシだが。
いったい、あのカーリングをやっている選手たちはどういう心理が働いてあのような得体の知れぬスポーツに手を染めることとなったのだろう。あれほどカッコ悪いスポーツに手を出すには、相当な勇気と決断力が必要なはずだ。私なら、金をもらってもやりたくない。カーリングは「氷上のビリヤード」とか「氷上のチェス」などと呼ばれているらしいが、それらの試合中にデッキブラシで床を掃き始める人はいない。
それとも彼らは氷をデッキブラシでみがく自分たちの姿に何らかの”美”を感じているのだろうか。それならそれでかまわないのだが、いちど洗脳の可能性をうたがってみたほうが良いとは思う。なにしろ一心不乱にデッキブラシで氷をこする彼らの姿は、怪しい新興宗教の修行のようにしか見えないのだ。
私からの提案だが、あのストーンをかかえて走り、サークル内に置いたらポイントというルールにしたらどうか。さしずめ「氷上のラグビー」といったところである。なかなか画期的だと思うのだが、いかがだろうか。いやそれとも、バットで打ってその飛距離に応じて得点を……。
しかしこのカーリング、このところ人気が急上昇中らしい。まったく、世の中は理解できない。いつか、カーリングの延長放送に泣かされる日が来るのかもしれない。その日の映画放送が『ザ・シークレット・サービス』でないことを祈る。
