File.101 竿竹屋に関する考察
「たけや〜、さおだけ〜」
そういう声で目がさめた。
日本全国どこででも見かけるものかどうか知らないのだが、私の住む千葉市花見川区では、この竿竹売りが頻繁にやってくる。その頻度といったらほぼ毎日と言って良いぐらいのもので、雨が降ろうが雪が降ろうが、三日とあけずに現れる。
ここで疑問に思うのだが、はたして竿竹のようなものを毎日買う人がいるのだろうか。いや、いるはずがない。そもそも竿竹の寿命がどれぐらいのものか詳しくは知らないが、一年や二年ということはないだろう。my母に訊ねたところによると、我が家の竿竹は十年以上使っているという。つまり、それぐらいの耐用年数はあるということだ。
十年たっても壊れないような商品を毎日毎日売り歩いていて、それが商売になるのか。しかも、「二本で千円」なのである。あなたに訊きたいのだが、たとえばあなたの家には竿竹が何本あるだろうか。十本や二十本も置いてあるという家庭は、そうそうあるまい。ふつう、二本か三本ぐらいのはずだ。
いや、それ以上に私はこう訊きたい。あなたは竿竹屋で商品を買ったことがあるか、と。人生経験豊富な私でさえ、竿竹を買ったことはない。石焼きイモ、焼きトウモロコシ、古紙回収、移動アイスクリーム・ショップ、その他もろもろの車を呼び止めたことのある私でも、竿竹屋ばかりは呼び止めた経験がない。そして、絶対の自信を持って言えることだが、これからの人生で私が竿竹屋を呼び止めることは決してないであろう。竿竹とは、つまりそれぐらいに必要性のない商品なのである。そんなものを、どうしてわざわざこのクソ暑い炎天下に売り歩くのか。理解しがたい。つーか、うるせえからどっか行ってくれ。
ところで、「たけや〜、さおだけ〜」というフレーズを耳にするたび、私はちょっとした疑問に捕らわれる。ふつうに考えれば、これは「竹や竿竹」ととらえるべきだろう。つまり、「竹and竿竹」である。疑問というのは、竹と竿竹の違いだ。この両者には、一体いかなる違いがあるのか。
竹というのはアレである。七夕の日に願い事や呪いの言葉を短冊に書き記して吊り下げるための樹木だ。あるいは、忍者が修行のために飛び越える木と言ったほうがわかりやすいかもしれない。そういうものを売っているのである。
竿竹のほうは、手持ちの国語辞典で引いてみた。すると、「竿にして使う竹。たけざお」とある。次に、竿を引いてみた。結果は以下のとおりである。
(1)枝葉を取り去って作った竹の細長い棒。「物干し―」「旗―」
(2)舟をこぐ道具。岸辺や水底につっぱって舟を進ませるための長い棒。《棹》「―を差す」
(3)釣り竿。「―を磨く」「のべ―」
(4)三味線の胴から上の、糸を張る長い柄。また、三味線。《棹》→三味線
(5)雁(がん)が一列になって飛ぶさま。
(6)陰茎を俗にいう語。
言うまでもなく、1が私の求める解である。6じゃなくて。
以上から、「竿竹=竹」という解が得られることになる。要するに、竿竹屋が売っているものは竹オンリーなのであった。「竹や竿竹」などと言っているが、何のことはない。竹しか売っていなかったのである。一種の誇大広告だ。JAROに訴えたほうが良いかもしれない。竿竹屋は今後いっさい「たけや〜、さおだけ〜」というフレーズを排して「たけ〜」とやるべきであろう。
たまに「さおや〜、さおだけ〜」という宣伝文句の竿竹屋も見かけるが、これなど実に男らしいフレーズと言えよう。なにしろ、「竿や、竿だけ!」と、自分の扱っている商品が竿オンリーであることをこれでもかとばかりに宣伝しているのだ。これを漢と言わずして何と言おう。なぜ関西弁なのかは謎だ。とにかく竿だけなのである。玉はないのだ。
ところが、である。くだんの竿竹屋は言うのだ。
「錆びにくいアルミ製の竹竿、軽いプラスチック竿など、色々と取りそろえてございます」と。
ちょっと待てと言いたい。それは竹ではないのではないか、と。お前が扱っているのは竹オンリーなのではなかったのか、と。そもそも「アルミ製の竹竿」という言葉自体、何かおかしいと思わないのだろうか。アルミ製なのに竹なのである。ふざけているのか。
だが、ここでもうひとつの可能性がある。「たけやさおだけ」を私は「竹and竿竹」と解釈したが、これを「竹屋の竿竹」と解釈してみたらどうだろうか。竹屋というのは、つまり竿竹専門のブランドである。おそらく、全国的に展開している一流ブランドに違いあるまい。当然、ライバル企業は竿屋だ。
こう考えれば、すべての辻褄が合う。竹屋と竿屋は、お互いにしのぎを削りながらの宣伝競争をやっていたのだ。選挙の宣伝カーと同じである。彼らが言いたいのは、「竹屋の竿竹、竹屋の竿竹をよろしくお願いいたします」とか「竿屋の竿竹、竿屋の竿竹をよろしく御贔屓くださいませ」ということだったのだ。宣伝カーの荷台に積まれた竿竹は、販促用のサンプルだったのである。あの竿竹を誰一人として買わない理由は、そこにあったのだ。
まったく、27年間も生きてきてそんなことに気付かないのだから、私の愚かさも相当なものだ。それにしても、あれほど頻繁に宣伝している割に、竹屋の店舗を見かけたことがないのが不思議ではある。
ところで最近、「たけや〜、さおだけ〜」とまったく同じ声の人が「ぎょうざ〜、ぎょうざ〜」と言っているのを聞いた。なるほど、たしかに竿竹しか扱っていないのなら、わざわざ「さおだけ〜」などと言う必要はない。しかも竹屋の看板娘を引き抜くぐらいだから、かなりの経営手腕である。
いま、新興ブランドの餃子屋が竿竹業界に新風を巻き起こしている。餃子屋の竿竹がこの業界を席巻する日は近い。
