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 File.102  日本語の乱れ


『冷やし中華はじめます』

 ふと入った中華料理店に、そういう貼り紙が出ていた。
 なんだか変だと思うのは、私だけではないだろう。「冷やし中華はじめました」と、本来ならばそう書くべきである。それが世界の決まりだ。「冷やし中華」は「はじめました」にかかる枕詞であると言っても過言ではない。両者は切っても切れない関係にあるのである。
 が、その中華料理店は違った。「冷やし中華はじめます」なのである。
 ここでまず疑問に思うのは、はたしてこの店では現在冷やし中華をあつかっているのかどうかということだ。なにしろ、「はじめました」とは書いていないのである。この貼り紙に書かれているのは「(これから)冷やし中華はじめます」という意思表明に過ぎないのだ。いったいそれはいつ始まるのか。そんなことはどこにも書いていない。あるいはすでに始まっているのかもしれないが、それは注文してみるまでわからない。私にできることは、この貼り紙が「冷やし中華はじめました」に変わるのを待つことだけである。
 この店では以前にも「シューマイはじめます」という貼り紙が出ていたことがあった。もう何年も前の話なのだが、もう始まっているのだろうか。勇気のない私には、いまだにそれを注文することができない。

 貼り紙といえば先日、あるレコード店でこういう貼り紙を見かけた。
『D募集。当方G、V。完全プロ志向。詞の書ける人、平日OKな人急募!』
 暗号ではない。ロックをやっている人ならすぐにわかる文章である。Dはドラム、GとVはギターとヴォーカルだ。つまり、こちらにはギタリストとヴォーカリストがそろっているのでドラマーの人を募集します、ということだ。プロ志向という言葉の説明は不要だろう。わからないのは、そのあとの部分である。
「詞の書ける人」「平日OKな人」を募集しているのだそうだ。それも緊急に。(すくなくとも感嘆符をつけるほどに)
 これは、Dの募集とは別枠と考えて良いのだろうか。ドラマーを募集しつつ、同時に「詞の書ける人」と「平日OKな人」を募集している、と理解して良いのか。「詞の書ける人」はわかる。わからないのは「平日OKな人」だ。いったい彼らは何がしたいのか。私は平日ヒマなのだが、これに応募しても良いのだろうか。もちろん、ドラムは演奏できない。詞ぐらいなら書けるかもしれないが。
 しかし、よく考えてみると「平日OKな人」とは、何がOKなのか、さっぱりわからない。「平日(48時間寝なくても)OKな人」とか「平日(オレたちに尻を貸しても)OKな人」とかだったら、ちょっと怖い。

 そのようなことを考えながらバスに乗っていると、車内にこういう警句があった。
『発進、停車時ゆれます あぶない つり皮に』
 正しくは吊り革だと思うのだが、そんな些細なことはどうでもいい。この警句が問題なのは、「つり皮に」どうしろというのか、まったく触れられていない点だ。多くの人は「つり皮に(つかまってください)」ということだと判断するのかもしれないが、それは速断というものだ。ひょっとすると「つり皮に(爆弾がしかけられています)」という警告かもしれないのだ。この場合、つり皮につかまることは死を意味する。
 また、「あぶない」という言葉がどこにかかるのかも不明だ。私の考えでは、これは「つり皮」にかかるのだが、なにかまちがっているだろうか。
 私の推測のもとにこの警句を正しく補完すると、おおよそ以下のような意味になる。
「発進、停車時には危ない吊り革に向かって揺れます」
 なにが揺れるのかはわからない。バス会社には、そのあたりをハッキリさせてもらいたいものだ。

 さて、危ない吊り革のバスを降りて自宅に帰ると、一枚の置き手紙があった。
『やきそば冷蔵庫』
 母の筆跡であった。もうすこし書き方があるのではないか、母よ。



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