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 File.118  松屋ヴァイオレンス


 20**年9月。シンジュク・シティに一人の女が現れた。
 女の出で立ちは、黒のシャツに黒のジャケット。ベルフレアのジーンズも黒。堅牢なブーツは登山家かアーミーが履くような代物で、首からさげたペンダントトップは7.62mmNATO弾だった。髪の色はフラットブラウン。肌の色は東洋人のそれだ。身長は高い。170cmはあるだろう。瞳は鳶色。スタイルは完璧で、鋭い眼光と尖った鼻梁が見る者に強烈な印象を与えた。
 JRヤマノテラインを降りてシンジュク・ステーションを出た女は、まっすぐにシティのイーストサイドへと向かった。かつてカブキ・ビレッジと呼ばれた繁華街がそこにあった。その中の一角。「マツヤ」の看板を見出した女は、ためらうことなく自動ドアの前に立った。
 時刻は十四時。マツヤ内部には数名の客と店員だけがいた。女はその全員に射るような眼光を投げかけると、すぐに食券販売機の前に立った。女は「店内」のボタンを押し、次に「チキンカレー(並)」を押した。
 女が腰を下ろしたのは、入り口から最も遠いカウンターだった。女は出てきたグラスの中の水を一口で飲み干すと、次の一杯も同じように空にした。三杯目の水が出てきたところで、チキンカレーが女の前に運ばれてきた。
 女はスプーンをとり、それから──ごく普通の動作でカレーを掻き混ぜ始めた。
 瞬間、店内は騒然となった。「あの女、カレーを……!」「おお、神よ!」突然の災厄に対する無力な嘆き、あるいは悲鳴にも似た絶望の言葉が女の周囲で沸き起こった。だが、女はそれらに対して何の反応も見せなかった。女はただ、混ぜたカレーライスを口に入れただけだった。女のその行為を見て、客の何人かはマツヤを飛び出し、またある客はカウンターの下に身を隠して神への祈りを捧げた。──そう、彼らは知っていたのだ。シンジュク・シティを支配する恐怖の名を。
 女が一口目のカレーライスを咀嚼し終えたとき、遠く爆音が響いた。ジェット戦闘機が離陸したかのような、凄まじい爆音。大気を切り裂き地鳴りのように轟きわたるのは、凶暴なエンジンの唸りに他ならなかった。轟音は二輪の生み出す回転音と共に時速200マイルで疾走し、女が二口目のカレーをスプーンにすくいとるより早くマツヤ前に到着した。
 マツヤ前に土煙をけたてて停止したのは全身ガンメタルの、車幅2mはあろうかというモンスターバイクだった。その発動機たるや戦車のエンジンかと見紛うほどの強大な代物で、6本並列に揃えられた排気筒の直径はドラム缶ほどもあった。
 だが、そのモンスターマシンも搭乗者に比べれば大したことのないものだった。その搭乗者の外観は、こうだ。──身長210cm、体重130kgオーバーのプエルトリカン。全身を覆う防弾防刃コートに、水牛さえも一蹴りで殺す特殊鋼製ブーツ。腰の左右に吊るしたホルスターには2挺の軍用ライフル、ナイツアーマメントSR16。コートの内側には防弾ベストの上にズラリと並べられたデザートイーグルとCZ75が4挺ずつ、都合8挺。ベルトにくくりつけられたサイドパックの中身は、グレネードにプラスチック爆弾、その他もろもろの特殊弾薬。極め付きは背中に差した巨大なバスタードソード!
 伝説の男の登場だった。チェ・カミオ。シンジュク・シティでその名を知らない者はなかった。法と正義の執行人。悪を断罪し、混沌に秩序を与える存在。生ける伝説、カミオ。
 大地を揺るがすエンジンの轟きは止まらない。このエンジンに差し込まれたキーが左に回転したことはなかった。カミオはマシンにまたがったまま、サイドに差し込まれたレミントン・ショットガンを引き抜いた。ガシャン、とポンプ音。そのままマツヤの自動ドアめがけてトリガーを引いた。
 轟音。砕け散るガラス。再びポンプ音。発砲。残ったガラスが吹っ飛んで、総ガラス製の自動ドアは跡形もなく消え去った。
 カミオはレミントンを路上に放り捨て、マシンを降りた。みしみしと路上に足音をたてて、一直線にマツヤへ。機械のような腕の動きで腰のホルスターを解放し、左右の手にSR16マシンガンライフルを握る。
 カミオがマツヤに足を踏み入れたとき、そこには一人の女がチキンカレーを掻き混ぜている光景があった。他の客も店員も、カウンターの奥へ避難したきり覗き込もうとさえしなかった。誰もが、この後の惨事を理解していた。
「カレーを掻き混ぜたのはおまえか」
 カミオが言った。伝説にふさわしい、テノール歌手のような声。
 女は答えた。
「どう食べようと私の勝手でしょ」
「カレーを掻き混ぜる者は生かしておかない」
 感情のない声で、カミオは断じた。同時に、その両腕のマシンガンから秒間13発の5.56X45mm弾が破砕音とともに吐き出された。銃身からは滝のように落下する無数の薬莢。たちまち硝煙の匂いが辺り一面に広がった。
 女は全身蜂の巣になって死んだ──と、誰もがそう思った。だが実際には違った。女は目にも止まらぬ速さで、それこそニンジャのような動きでマシンガンの弾幕をくぐりぬけ、懐から導き出したベレッタをカミオに向けたのだった。
 一発、二発、三発。リズムよく撃ち出された9mm弾はその全てがカミオの胸部に命中した。だが、防弾ベストと防弾コートで保護された伝説の男が倒れることはなかった。カミオはマシンガンライフルを床に投げ捨て、悠然と2挺のデザートイーグルを引き抜いた。その銃口から357マグナム弾が続けざまに放たれた。
 女は、これをまるで「見える」かのように身をかわして回避した。そして「どこか」から抜き放った剣でカミオに斬りかかった。──否、それは剣ではなかった。カタナだ。青白い刃紋も鮮やかな、それは一振りのニホントウだった。
 カミオは防刃コートの裾を撥ね上げてこの一太刀を打ち落とした。さらにデザートイーグルも投げ捨てて、これで最後だとばかりに背の大剣に手をかけた。カミオの身長ほどもありそうなその剣が、抜き放ちざま女の脳天に振り下ろされた。
 激しい金属音。その恐ろしい一撃を、女はニホントウの峰で受け止めた。そのまま鍔迫り合いになったが、膂力の違いによって女はあっというまに劣勢に追い込まれた。おまけにギリギリと軋むニホントウは、今にも折れそうだった。
「死ね。これがカレーを混ぜた報い、正義の鉄槌だ」
 言い放つと、カミオは女の頭上から体重をかけるようにして剣を押し込んだ。女の表情が歪んだ。もはや女の運命は断頭台に身を預けた死刑囚同然かと思われた、その刹那──。
 ドンッ!
 入り口の向こう、正面通りから一発の銃声。カミオの頭部に鮮血が散ったかと見えるや、そのまま「伝説の執行人」はもんどりうって床に倒れた。あっけない幕切れに女は目を丸くしてカミオを見下ろし、それからようやく銃声の方向へ振り向いた。
 ガラスの破片と薬莢を踏みしだきながらマツヤへ入ってきたのは、一人の若い男だった。カラースーツ姿の、シンジュク・シティではありふれたサラリーマンだ。男は右手にドラグノフ・スナイパーライフルをさげていた。
「助かったわ、ありがとう」
 ジャケットの裾を払いながら女が言った。右手にさげていたはずのニホントウは、いつのまにかどこかへ消えていた。
「礼はいらない。俺もあんたの仲間だ」
「仲間ですって?」
「俺もカレーを掻き混ぜて食っているのさ。……あんたみたいに全部いっぺんに掻き混ぜるような野蛮なマネはしないがね」
「余計なお世話よ。それより、こいつは一体なんなの?」
 カミオを指差して、女は訊いた。
「伝説の男だ。カレーを混ぜるヤツを殺すために、どこからかやってくる。それ以外は誰も知らない。……一説にはカレー教団のサイボーグ兵器だとか言われているがな」
「伝説の男ですって? でも、それももうただの『伝説の死体』になっちゃったわね」
「違う。伝説は死なない。チェ・カミオは不死の肉体を持っているんだ」
「不死なんてありえないわ」
「すぐにわかる。俺がカミオを『殺した』のは、これで七回目だ」
「言ってることが矛盾してるわよ」
「見ろ、あれを」
 男が指差す先には、体を半分起き上がらせているカミオの姿があった。眉間から流れ出す血は、すでにおおかた止まっているようだった。女の美貌がひきつった。
「逃げるぞ」
「逃げるって、どこへ?」
「安心してカレーを掻き混ぜられる場所へ、さ」
 男はニヤリと笑みを浮かべた。
「そうだ、キミの名を聞いておこう。俺の名はフォレスト。『伝説を殺し続ける男』だ」
「スプリングよ。よろしく」
「オーケー、スプリング。行こうか」
 男は女の手をとって、マツヤを走り出た。カミオが完全に起き上がり二人の後を追い始めたのは、そのわずか10秒後だった。二人がカレーを掻き混ぜ続ける限り、彼らに安息の日が訪れることはない。このシンジュク・シティにおいて。それでも二人はカレーを掻き混ぜ続ける。それが彼らに与えられた使命なのだ。



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