孤高のロッカー
大都市の駅前を歩いているとよく見かけるのが、ストリート・ミュージシャンと呼ばれる人々である。その多くは、まともな職にも就かずに遊びほうけている若者であり、「これがオレの存在証明だ!」とでも言わんばかりにギターを掻き鳴らし、歌声を張り上げている。……なにやら批判的な言いかたになってしまったが、そういうつもりはないので誤解のなきよう。
つねづね思うのだが、彼らは何故に人前でギターを弾くのであろうか。ギターの練習をするなら、もっと静かな場所でやったほうが良いと思うのだが。それとも、道行く人々に自らの存在証明であるところのギターと歌を聴かせ、あわよくば金銭をも頂戴しようという考えなのか。
その考え自体は良い。まちがってはいない。自らの技量を上げ、意気を高めるのに、それは非常に効果的な行為であろう。が、ときおり疑問を抱くケースもある。
その日の駅前で見かけた彼は、まさしくそのようなケースの一例だった。
平日の午前8時。
私は、都心のある駅前に立っていた。友人と待ち合わせしていたのだ。時刻きっかりに待ち合わせ場所に到着した私であったが、相手はまだ来ていなかった。かわりにその場所にいたのが、ストリート・ミュージシャンの彼だった。――いや、正確には彼と彼女だった。
彼は壁にもたれかかるようにして膝の上にギターを置き、同じようにして隣に腰を下ろした彼女の肩に腕を回していた。彼女のほうは薄く目を閉じ、彼はその耳元で何やら小さく囁いていた。おそらく恋人同士なのであろう。少なくとも、親子や兄妹などには見えなかった。二人の周囲の空間だけが、切り取られたように別の空間になっていた。
どう見ても場違いな二人だった。平日の午前8時。通勤ラッシュのピークである。周囲の人々が一分一秒を急いで歩く中、彼ら二人の時間は止まっているかのように見えた。
彼らを見る人々の目は、露骨に「朝っぱらから何やってんだ、こいつら」と言っていた。私もその中の一人で、「そういうことは暗くなってからやってくれよ」と無言で彼らに注文していた。
そして、彼がギターを爪弾きだした。
そのイントロを聴いた瞬間、私は鳥肌が立った。悪いほうの鳥肌だ。「おいおい」と思うと同時に、その場を去りたくなった。実際、私は彼らから少しばかり距離をとった。
そして彼は自らのギターに合わせて歌いはじめたのだった。
I Love You 今だけは悲しい歌聞きたくないよ
I Love You 逃れ逃れ辿り着いたこの部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで捨て猫みたい
いきなりオザキである。紀世彦ではない。勘弁してくれ。まさかとは思ったが、ここまでベタな二人だったとは。私が悪かった。頼むからオザキだけはヤメてくれ。聴いているこっちが恥ずかしくなる。
しかも悪いことに、彼の歌は恐ろしくヘタクソだった。ギターのほうはまだ聴けるが、歌はかなり無惨な代物だった。SMAPの某メンバーよりひどい。100人中99人が、「これならオレのほうがマシだ」と思えるようなレベル。尾崎豊のファンに刺されたとしても、文句は言えない。
にも関わらず、彼の耳には自らの歌声が聞こえていないのだろうか、周囲を憚ることなく調子外れの歌を歌い続けているのである。それも、得意げに朗々と。これは怖い。ひょっとして彼はベートーヴェンのごとく耳の不自由な音楽家なのであろうか。そうでもなければ、この現象は説明がつかなかった。
これから職場へ行こうという通勤客たちにとっては、ろくでもない一日の始まりだったことだろう。この日一日、彼らは「オザキ+ヘタクソな歌」という精神的ダメージを負ったまま過ごすハメとなったのだ。職場に着くと同時に手首を切った者もいるかもしれない。
だが、最も悲惨なのは彼の隣に座らされた彼女だ。なにしろ、ジャイアンばりの悪声は彼女の耳元で発生しているのだ。これは効く。さしずめ、ジャイアンのリサイタルに強制参加させられたしずかちゃんとでもいったところか。
それでもジャイアンの歌にまったく動じないあたり、さすがはしずかちゃんである。のび太やスネオとは、ひとあじ違う。できれば、リサイタルを中止してくれるよう説得してくれるとありがたいのだが。
しかし、彼女は彼を止めないのであった。止めないばかりか、こともあろうにうっとりとした様子で彼の歌に聴き惚れているのである。
ひょっとして彼女も耳が不自由なのだろうかという疑念が頭をよぎったが、先ほど彼女の耳元で彼が何事か囁いていたのを私は目撃していた。まちがいなく、彼女の耳に彼の歌声は届いているハズである。いったい、これはどうしたことか。「愛は盲目」と言うが、愛は視力ばかりでなく聴覚にも障害を与えるらしい。
それとも、彼女は聾者である彼の介護人なのだろうか。(彼が聾者であることは議論の余地なし)。だとすれば、この不思議な現象にも説明がつく。
おそらく最初、二人は患者とその介護人という立場だったのだ。ミュージシャン志望でありながら、不慮の故で聴覚を失ってしまった彼。希望を失い自棄的になって周囲に当たり散らす彼を理解したのは、介護人として常に彼の近くにいた彼女だけだった。そんな彼女の優しさに触れるうち、彼は希望をとりもどし、彼女を愛するようになっていったのである……。
良い話ではないか。そう考えれば、彼のどうしようもないほどにヘタクソな歌も、朝っぱらからオザキという選曲も、許せる気分になってくる。ならないけど。
じきにオザキが終わり、彼はギターのペグを何度か調整すると更に2曲目を弾きはじめた。聞いたことのない曲だった。彼のオリジナル曲だろうか。ますますジャイアンである。「ボゲ〜〜〜」とか言い出すのではなかろうな、と思ったが、さすがに歌詞はついていた。──ただし、その歌詞は聞けたものではなかった。
あのときのこと君は覚えてるかい
Just Remember 君は一人ぼっちで僕を待っていたね
雨の中たしかめた君のぬくもり
確かめあえた僕たちの Heart
溜め息をつきたくなる歌詞だった。もう少し工夫というものがないのだろうか。あまつさえ、サビの部分に入るや彼は「る〜る〜」などと歌いだしたのである。素人の分際でそんな姑息な手段を用いるとは、恥知らずにもほどがある。しかも、やたらと長い。まるまる20小節ぐらいは「る〜る〜」なのである。手抜きというか何というか、「いい加減にしろ」と言いたくなる。
それにしても彼の真意がはかりかねた。どう聴いても彼の歌は彼女のために歌われているのであって、道行く人々に聴かせているのではない。彼がこの時刻と場所を選んでリサイタルを開いた意味がわからなかった。ただ単に「僕たちラブラブなんです〜」と見せびらかしたかっただけなのだろうか。だとしたら、キミの歌は必要ないよ。
「いや、すまん。少し遅れたか」
そうこうするうちに、待ち合わせの相手がやってきた。
「15分の遅刻だ」
「あとでメシでもおごろう」
る〜る〜
「ならば許す」
「あまり金は持ってないけどな」
「大丈夫、この世の中にはキャッシュカードという便利なものがある」
る〜るるる〜る〜
「そんなに食うつもりか」
「いや実はそれほど腹は減ってない」
「そう言いながら、人並み以上に食うクセに」
る〜る〜るるる〜
「うるせぇよ!」
忠告1:オザキはヤメよう。(紀世彦はその限りではない)
忠告2:歌詞は最後までつけよう。