0日目−01


 フマのもとに一通のメールがとどいたのは、九月の終わりのことだった。
 差出人は不明。件名は「牛村OFFのおさそい」というもので、本文にはこのように記されていた。


日時:10月12日(日) 18:00〜
場所:新宿アルタ前
10月12日は牛男爵さんの誕生日です。この日を祝って、皆でたのしく集まりませんか?


 フマがまず思ったのは、「うさんくせぇ」というものだった。差出人が不明なのもさることながら、「皆でたのしく」というくだりが非常に胡散臭く見えたのだ。フマの知るかぎり、そういう言葉づかいをする人物は牛村において存在しなかった。
 あるとすれば、サイオンさんかナビアさんか。──フマはそう考えたが、その場合は差出人欄を匿名にするわけもないので考慮の外だった。
 それよりなにより怪しいのが、「追伸:旅費はこちらで負担します」という添え書きだった。フマの住所は沖縄である。飛行機代は馬鹿にならない。それを負担するというのは一体どういうことか。
 この疑問を解消するため、フマはとりあえずメッセンジャーを起動させた。ジェミニと伯爵がオンラインになっているのを見て、まずジェミニに話しかけてみた。旅費を出すほど気前が良いのは、彼ひとりぐらいのものだった。

「そのメールうちにも来たけど、それ書いたの俺じゃないから」
「おまえじゃなけりゃ誰だよ」
「わからんけど」
「だいたい、おまえが幹事じゃないのか」
「俺じゃない」
「じゃあ誰だ?」
「だから知らないって」
「いいや、こんなことするのはおまえしかいない!」
「俺じゃないっつーの」
「嘘つくんじゃねえ」
「おまえなあ……」

 こうしたやりとりが十分ほども続いたあと、ようやくフマはジェミニを白と認めた。疑い深いのはフマの生まれもっての性格だったが、容易に信用を得られないという点はジェミニの性格が災いしているとも言えた。

「で、フマは参加するん?」
「本当に旅費が出るなら考えてもいい」
「それ、だれが出すんだよ」
「ジェミニだろ」
「だから、俺はなにも知らないって!」
「おまえじゃなかったら誰なんだよ」
「話をループさせんな」
「おまえじゃなかったら伯爵ぐらいしか思いつかない」
「いや、俺も伯爵は怪しいと思ったけど。旅費とか出せないだろ」
「ちょっと訊いてみてくれ」
「自分でやれよ!」
「あいつとしゃべりたくない」
「知らんわ!」

 フマと伯爵は仲が悪いのであった。
 そのとき、母親の呼ぶ声が聞こえた。時計を見ると、午後六時。食事には早い。
 何かと思い部屋を出ると、母親が玄関からもどってくるところだった。
「こんなの届いたけど」
 フマに手渡されたのは、一通の書留だった。差出人は、やはり書かれていない。
 封を切ってみると、出てきたのはチケットだった。那覇空港から羽田空港までの。それに加えて、現金が五千円。
 一般的な神経を持った人間なら少なからず恐怖心を抱くところだが、フマは違った。彼にとって差出人が誰なのかということは、もはや瑣末な問題でしかなかった。
 彼は自室にもどると、メッセンジャーに書きこんだ。

「旅費がとどいたから参加するわ」
「マジ!?」





 0日目−02


「あの。こんなメールがきたんですよ」

 そう書いて、マナはアンダンテにメールを見せた。見せたといってもメッセンジャーでのことだから、ただ本文を貼り付けただけにすぎない。
 文面は、牛村OFFのさそい。まったく面識のない人たちの集まりになぜ自分が呼ばれたのか、彼女には見当もつかなかった。そこで、いちばん親しいアンダンテに事情をたずねてみたという次第だ。

「それ、うちにも来ましたよ」
「やっぱりアンダンテさんも呼ばれてますよね。でも、これ書いたのって誰なんですか?」
「正直、心当たりが……」
「あるんですか?」
「いえ、すみません。ないんです」

 マナは、パソコンの前でガックリと肩を落とした。
 アンダンテさんにわからないものが、あたしにわかるわけがない。だいたい、匿名でオフ会に誘うなんて、ちょっと非常識だ。

「アンダンテさんにもわからないんですか」
「残念ながら」
「牛村の人たちって、いつもこうなんですか?」
「ええと。すくなくとも私は初めて見ました」
「ああ、そうなんですか。これが普通なのかと思っちゃった」
「それは何か、牛村に対してちょっと誤解が……」
「牛村って、そういうところだと思ってました」
「それは、かなりの誤解が……」

 その一言を見て、マナはくすっと笑った。
 アンダンテが困っているところを見るのは、ちょっとたのしい。最近のお気に入りだ。

「アンダンテさんは、これ参加するんですか?」
「その日はちょっと予定が……」
「えー。何があるんですか?」
「その日は夕方まで寝てる予定が」
「ちょ。参加しましょうよ!」
「だって怪しいでしょう、これ」
「たしかに怪しいですよね。差出人が誰だかわからないとか」
「いやまあ、そんなに怪しくもありませんが」
「どっちなんですか」

 アンダンテさんのこういうしゃべりかたはちょっと面白いと、マナはいつも思っている。
 知らない人ばかりの集まりだけれど、アンダンテさんが参加するなら行ってみてもいいかもしれない。そうも思っている。
 しかし、参加する意思のない人を無理に誘うのも気が引けた。

「ジェミニさんとか伯爵さんは来るって言ってましたか?」
「聞いてませんが、あの二人は参加するでしょう」
「それなら行ってみてもいいかなあ」
「牛村にヘンな人はいないから大丈夫ですよ」
「そういう心配はしてませんけど。アンダンテさんは本当に来ないんですか?」
「まあ、起きられたら」
「じゃあ、ちゃんと起きられるようにモーニングコールかけてあげますから!」
「ええと……。わかりました」

 この人は、強くお願いすれば絶対にことわらない。
 そのことを、マナは知っていた。

 事実、そのとおりになった。




 0日目−03


 そのメールを見たとき、ラムが最初にとった行動は差出人の身元を洗うことだった。
 匿名でメールを出すことは誰にでもできるが、身元を完全に隠すのは簡単なことではない。すべての電子情報は、サーバー上に痕跡を残す。その痕跡を突き詰めていけば、最終的におおまかな所在地ぐらいはわかる。
 もちろん、簡単ではない。が、ラムにはその知識があり、時間も豊富にあった。
 数時間を費やしてわかったのは、しかしそのメールが都内のネットカフェから送信されたものだという事実だけだった。

「この日を祝って皆でたのしく……? だれが書いたんだよ。ウソくせぇ」

 ラムはメールを読み返しながら、笑いだしたいような怒りだしたいような気分になっていた。彼は牛村という空間の性質については熟知していたが、こういうメールを書きそうな人物に心当たりがなかった。

「男爵……は違うよな。伯爵もここまではやらないだろうし……」

 パソコンの前で腕組みしながら、ラムは独り言をつぶやいてみる。
 その二人が可能性から消えてしまうと、あとはもう考えるべき対象が存在しなかった。
 が、いちど気になったことはハッキリさせないと気がすまないのが彼の性分だった。
 携帯電話を手に取ると、彼はアドレス画面を開いた。naviaの名前を選んで、通話ボタンを押す。

「はい?」
「よお。いま時間だいじょうぶ?」
「大丈夫だけど。なに?」
「うちにおかしなメールが来てさ。牛村オフのさそいなんだけど、差出人が誰だかわからねぇのよ」
「あー。ウチにも来たよ、それ」
「だろうな。……で、これ書いたの誰?」
「なんであたしに聞くのさ。知らないよ」
「男爵か伯爵だと思ってんだけど」
「ちがうちがう。あの二人はそういうことしないから」

 この返答に、ラムは違和感を持った。ナビアの推察を疑ったわけではないが、自信満々に言い切られると逆に疑いたくなる。

「なんでわかる?」
「そりゃわかるよ。だって聞いたもん」
「聞いたって、あの二人に?」
「うん。二人とも、やってないってさ」
「ウソかもしれねぇじゃん」
「ウソだったらわかるよ。それに、あの二人があたしにウソつくわけないじゃん」

 あはは、と笑うナビアの声を聞いて、ラムは納得したような負けたような気分になった。
 なるほど、たしかに伯爵も男爵もそういうウソをつきそうには見えない。そもそも、電話で確認するより先にラム自身も確信していたのだ。わざわざナビアに電話までしたのは、その確信に保証がほしかっただけに過ぎない。

「じゃあ、誰がこのメール書いたと思う?」
「それはわからないなぁ」
「そっか」
「ああ、でも伯爵が一つだけ心当たりがあるかもとか言ってた」
「おお。マジ?」
「うん。なにかわかったら連絡ちょうだいって言っておいたよ」
「じゃあ何かわかったら、俺にも教えてくれ」
「いいよ」

 こうして、ラムは自分で調べることを放棄した。




 0日目−04


 暗い室内。
 夕闇の落ちたガラス戸のむこうに、星がきらめいている。わずかに開いた窓の隙間から入りこんでくる風は、昨夜の雨の匂いを残してわずかに湿っぽい。風は男の髪をゆらして静かに流れ、コーヒーカップの湯気をさらって玄関口で小さく渦を巻く。
 デスクの前。パソコンに向かう男の頬は病的なほどに生白く、ディスプレイの反射光を照り返して死人のような顔色を浮き上がらせていた。

 午後六時。
 すでに照明をつけるべき時刻は過ぎていたが、男はそれさえも忘れているようだった。忘れてはいなかったとしても、立ち上がるのが面倒だったのは間違いない。
 彼は、食い入るようにしてパソコンの画面を見つめていた。右手がPageUpキーを押しつづけ、上から下へと流れるログの山を映し出している。

 牛村と呼ばれる人狼サーバーのログだった。
 それを、男はひとつひとつ読み進めているのである。
 膨大なテキストデータだった。常人ならば、その量を見ただけでめまいを起こすほどの。
 男は、しかし常人離れした忍耐力と速読力をもってすべてのログを読破しようとしていた。

 七時をすぎ、八時をまわっても、男は一歩も動かなかった。動いているのは、右手と眼球だけだった。それ以外は、石化したように動かなかった。
 真っ暗な室内で、かつてホットコーヒーだったものは完全にさめきっていた。それを作るより先にメールをチェックしておけば無駄にならずに済んだのだが、そんなことはもはや男の意識にはカケラも存在しなかった。
 彼は、今やるべきことだけを一直線に終わらせようとしていた。

 窓辺から吹き込んでくる風が冷たくなり、月が傾いて日付が変わるころ、男はようやくその作業を終えた。
 ブラウザを閉じ、まぶたを閉じて、十秒ほどのあいだ男はじっとしていた。その頭の中でどのような思考がおこなわれたのか、彼本人以外に知る者はなかった。

 その思考に満足の行く結果が得られたのか、男の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
 彼は立ち上がろうとして、しかし何かを思いついたように座りなおし、すっかり冷めきったコーヒーを二口ばかり飲むと、それからようやく重い腰を上げた。
 パソコンの電源をつけたまま、その青い光の中で彼はサングラスをさがしだし、胸ポケットに入れて部屋を出た。
 九月の終わりの寒い夜のことだった。





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