ヒヨスの咲く泉 〜 The change of seasons




 僕の母は厳格な人だった。母の父、つまり僕の祖父は大変な音楽家で、どれぐらい大変なものかっていうとフィドル一本だけで皇帝陛下から爵位をもらったほどの人だった。おまけにその後をついだ父もまた祖父に負けないほどのフィドル奏者として陛下にみとめられて。だから母はいつだって僕に楽士としての教育をたたきこんでくれた。けれど、僕はどうやら祖父や父の才能はまるで受けつがなかったみたいで、フィドルのけいこをすれば弦を切るし、譜面を見ればねむくなるし、それでけっきょく僕はいつも母の期待にこたえられなかった。
『やればできる』というのが母の口癖だった。その後には『おまえにはあの人の血が流れてるんだから』とかならず付けくわえた。あの人っていうのは僕の父のことで、十年以上も前に死んでしまった父の僕への遺言は、『私の後をつげ』というものだった。僕だって音楽家の血筋だという自覚は少しぐらい持っているからどうにか父と母の期待にこたえようとしているんだけど、それでもたまに母のきびしさにはついていけなくなることがある。
 その日も朝から母の説教を受けて家をとびだした僕は、そういうときには決まってそうするように村のはずれにある泉のほとりに走った。この泉には言い伝えがあって、子供は決して近付いてはいけないと言われているんだけれど、そんなつまらない脅し文句なんかをこわがるような僕じゃない。だいいち、僕はもう何ヶ月も前からこの泉に遊びにきているけど、一度だってこわい目にあったことなんてなかった。
 この泉のまわりにはヒヨスとかスイセンとか一年中いろいろな花が咲いていて、僕はいつも花をつんだり草の上に寝ころがって遊んだりする。この季節の花は白や紫の花が多くて、僕はその中でも特におきにいりのアマリリスをつんでは泉にうかべて遊ぶ。厳格すぎる母のせいで僕にはあまり友達がいなかったけれど、この泉があればいつまでだって一人で遊べた。
 いくつかのアマリリスを水面にうかべたあとで、僕はいつものように服をぬいで裸になると、おもいきり助走をつけて泉にとびこんだ。この泉の水は、いつでもすずしい。僕は得意の泳法で、泉の向こう岸まで泳ぎわたる。あまり大きくない泉だから、あっというまに向こう岸だ。そのまま折り返して、僕はもういちど泉を横断する。

「ねぇ、なにやってるの?」
 そんなふうに声をかけられたのは、ちょうど服をぬぎすてた岸についたときだった。こんな所に来る人はだれもいない。びっくりして声の方をふりむくと、そこに僕と同じぐらいの年格好をした女の子が立っていて、どこかキョトンとしたような顔を僕の方にむけていた。
「泳いでるんだよ」
 僕はそう答えたけれど、女の子はなんだか全然おもしろくなさそうに「ふうん」とだけ言って、それからほんの少し僕のほうに近よってきた。
 女の子は栗色の髪を長くのばしていて、着ている服はまるでどこかのお姫様みたいにまっしろなドレスだった。そのドレスにもちょっとおどろいたけれど、それよりおどろいたのが女の子の瞳の色だった。どういえばいいんだろう、その子の瞳はふしぎな色で、たとえるなら夜中にみかける猫の瞳とそっくりだった。
「これ、あなたがやったの?」
 女の子は、僕がおどろいていることになんかまるで気付きもしないようで、そんなことを言う。
 これっていうのは、泉にうかべたアマリリスのことみたいだった。ひょっとしておこられるのかと思ったけれど、しかたなく僕はうなずいて「だってきれいなんだよ」と言ってみた。
 そうすると女の子はおこった様子でもなくて、もう一度さっきと同じように「ふぅん」と言ったきり、もうアマリリスには興味がなくなったとでもいうふうにこう言った。
「水、つめたくない?」
「つめたくないよ。さわってみればわかるよ」
 僕が答えると、女の子はまっすぐに泉の淵まで歩いてきて僕の目の前にしゃがみこんだ。
 近くで見ると、その子はとてもきれいだった。そのせいだかどうだか、僕は自分が丸裸だったことに気がついて急にはずかしくなってしまった。
 女の子は一本だけのばした指をほんの少し泉の水につけると、
「つめたいよ」
 すぐに指をひっこめて、おこったみたいな顔を僕の方にむけた。
「ちょっとつめたいかもしれないけど。でも僕は泳いでるし……」
「あたしは泳げないの」
 女の子は本気でおこってるみたいだった。いつも母におこられてばかりいるせいか、そういうときのしゃべり方はすぐわかる。だけど、どうして僕が名前も知らない女の子にいきなりおこられなきゃならないんだろう。そう思ったのが伝わったのか、
「あなた、名前は? あたし、リシュっていうの」
 そう言って、女の子は立ち上がった。
 ちょっとまよったけれど、僕は本名を答えた。
「僕はカラルド」
「カラルド。それじゃカルね。よろしく、カル」
 にこりともせずに言って、リシュはもういちどしゃがみこむと僕のほうへ手をのばした。へんな女の子だと思ったけれど、僕はぬれたままの右手で握手した。
「まだ泳ぐの?」
 リシュがそう言ったので、僕はうなずいた。
 するとリシュは「あたし、たいくつ」と言う。ずいぶん自分勝手な女の子だ。たいくつだったらこんな所に来なければいいだろうと思う。だけど、リシュに嫌われたくはなかったから僕はそんなこと一言も言わずに、「じゃあどうすればいいの?」ときいてみた。
「あたしと遊ぶの」
 そう言ったかと思うと、リシュは僕の腕をつかんでひっぱった。まっしろで細いリシュの腕とは思えないほどそれは強い力で、そんなことにまでおどろきながら僕は「わかったよ」とリシュにしたがった。
 そんなふうにして、僕はリシュという名前の不思議な女の子と友達になった。

 リシュは、とにかく変わった子だった。お姫様みたいなドレスを着てるくせに言葉づかいは僕の知ってるどの女の子よりも乱暴で、しかも僕のことを下僕かなにかみたいに扱う。おまけにちょっと気に入らないことがあるとすぐにおこりだして。けれど案外、そんなところが僕は好きだったのかもしれない。いつのまにか僕は、母の目をぬすんで毎日のように泉のほとりでリシュと会うようになった。
 リシュは、いつも泉のほとりでたいくつそうに僕を待っていた。そうして僕の姿を見つけるとかならず、「おそいよ」と言った。どれだけ早い時間に行ってもこれは変わらなくて、いちど僕はまだ太陽が東の山の間にかくれているような時間に行ってみたことがあるんだけれど、そのときもやっぱり「おそいよ」と言われた。このときから僕は、ひょっとしたらリシュは泉の妖精なのかもしれないと思うようになった。
 僕とリシュは毎日いろいろなことをして遊んだ。リシュは村のこととかこの国のこととかをぜんぜん知らなかったけれど、そのかわりに花や動物のことはとてもよく知っていて、どこかからきれいな花を見つけてきてはその名前を教えてくれたりした。そういうときのリシュはすごく上機嫌で、鼻歌を歌ったりちょっとした踊りを踊ってみせたりして、そのたびごとに僕はリシュを好きになっていった。リシュの歌や踊りは見たことも聞いたこともないようなものばかりだったから、たぶん異国のものだったんだと思う。――ひょっとすると、妖精の国の歌と踊りだったのかもしれない。そう思わせるぐらい、リシュはふしぎな女の子だった。
 僕は、リシュと色々な話をした。厳しい母のこと、死んでしまった父のこと、大嫌いなフィドルのこと、本当は音楽家になんかなりたくないこと……。
「兵隊さんになればいいじゃない」と、リシュは言った。「騎士になって、この国を守るの。かっこいいと思わない?」
 リシュの言うとおりで、僕には楽士なんかよりも兵隊のほうがよほど向いていた。でも、騎士になるなんて、それこそ楽士になるより大変なことだ。なにより、母が許すはずがなかった。
「それじゃしょうがないね」
 リシュは、ちょっとだけ僕を馬鹿にしたみたいにそう言った。
 騎士。
 だけど、僕の胸にはその言葉が深く刻み込まれた。

 泉へ遊びに行っていることが母に知られてしまったのは、しばらくしてのことだった。さんざん折檻を受けた僕は二度と泉に近付かないことを誓約させられてしまい、もちろんそんな誓約はいつでも破ってやるつもりだったんだけど、それ以来きびしくなってしまった母の監視の目があって、僕はどうやってみても部屋をぬけだすことができなかった。
 十日間。僕は一度も部屋を出られず、リシュに会うこともできなかった。
 母の監視がとけたのはその翌日の十一日めのことで、僕はもうあとさき考えずに部屋をぬけだして泉へ向かった。家に帰ればまた母の説教と折檻を受けることはわかっていたけれど、どうしても僕はリシュに会いたかったんだ。十日間も泉に行かなかったんだから、きっとおこられる。そう思ったけれど、リシュにおこられるのならかまわなかった。
 だけど、いつもたいくつそうに僕を待っていたリシュは、その日僕を待ってはいなかった。
 それでも少しだけ待ってみようと思って泉のほとりにすわっていると、どこから現れたのか、突然すぐうしろから声をかけられた。
「なにをしてるの?」
 それがあんまりリシュの声と似ていたものだから、僕はてっきりからかわれたものだとばかり思って、
「なに言ってるんだよ」
 そうふりむいたんだけれど、立っていたのはリシュじゃなくて見たことのない女の子だった。
「あっ、ご、ごめん。人違いだよ」
 僕があやまると、その子はふしぎそうに首をかしげた。そんな動作は、リシュとそっくりだ。声や動作だけじゃない。目の前の女の子は、見れば見るほどリシュとそっくりだった。まっしろな肌の色も栗色の髪も――それに猫みたいな色の瞳もそっくりそのままで、顔も背格好もほとんど区別がつかなかった。ドレスみたいな服までおなじだ。ちがうのはドレスの色ぐらいで、リシュのドレスは白だったけれど目の前の女の子は薄い紫色のドレスを身につけていた。
「リシュ? リシュを知ってるの?」
 僕が説明すると、女の子の目が少しだけ大きくなった。おどろいたみたいだ。
 僕は、なんだか急にリシュの友達だっていうことが誇らしくなって、「そうだよ。いつも一緒に遊んでるんだ」と答えた。
 女の子はリシュと同じ声で「ふぅん」とうなずいて、それから名前を教えてくれた。
 ヒース。女の子は、そう名乗った。
 僕も同じように名前をつげて、軽く握手した。ヒースの手は細くてやわらかくて、やっぱりリシュとそっくりだった。ヒースの手は、花の匂いがした。

 次の日も、その次の日も、リシュには会えなかった。いつもリシュがすわっていた場所にはヒースが待っているようになって、僕はリシュと同じようにヒースとも仲良くなっていった。
 二人が似ているのは、外見だけだった。ものの考えかたや話しかたはまるっきり違っていて、いつも自分勝手なリシュにくらべてヒースはいつでも僕に気をつかってくれた。歌や踊りは好きじゃなかったけれど、ヒースは僕と一緒に泉で泳いでくれて。それがいちばんうれしかったことかもしれない。いつのまにか僕は、ヒースと会うために泉へ行くようになっていた。

 ヒースと会うようになって何日めかの日、僕はこんな質問をされた。
「私とリシュの、どっちが好き?」
 ちょっといたずらっぽく笑ったヒースに、僕は「どっちも好きだよ」と答えた。正直なところを言うとヒースのほうが好きだったかもしれないけれど、それでもリシュと遊ぶのはたのしかったし、もういちどだけでも会いたかった。
「ちかいうちに会えるよ」
 ヒースは、約束するようにそう言った。少しだけ機嫌が悪そうに聞こえたのは、僕の気のせいかもしれない。ヒースのほうが好きだって答えれば良かったと思ったけれど、もう遅かった。
「そうだ。もしリシュに会えたら……」
 なにかいいことを思いついたみたいに、ヒースはドレスの中に手を入れた。
「これをわたしてほしいの。……ただし、私からっていうことは内緒にして」
 それは、大きなクルミだった。
「中には甘露が入ってるわ。これをリシュに飲ませてあげて」
 へんなおねがいだったけれど、僕にことわる理由はなかった。リシュにもヒースにも喜んでもらいたかったし、たよりにされてちょっと気分が良かったかもしれない。僕は二つ返事で引き受けた。ただ、どうして自分でわたさないのかなと思って、それだけがちょっとふしぎだった。
 耳元で振ってみると、クルミの中からはたしかに水の音が聞こえた。

 翌日、いつものように母が街へでかけるのを見計らって泉へ行くと、ヒースの言ったとおりにリシュが待っていた。
「どこに行ってたの?」
 先にそう言ったのは、僕じゃなくてリシュのほうだった。
「リシュのほうこそ、どこに行ってたんだよ」
 僕は逆にきいた。するとリシュは「この三日間、暑くて外に出られなかったの」と言う。まだ夏は始まったばかりだっていうのに。「あたし、暑いのも寒いのも苦手なの」と、リシュは自慢でもするみたいに胸を張った。
「それで、カルはどこに行ってたの? あたし十日間ぐらい、ずっと待ってたんだよ?」
「僕は……えぇと、」
 母におこられて家にとじこめられてたなんて格好悪いことが言えるわけなくて、僕はウソをつくことにした。
「家族みんなで旅行に行ってたんだ。たのしかったよ」
 家族っていっても僕は母と二人暮らしだったし、旅行だってもう何年も行ってなかったけれど、どうせバレやしないと思った。
 ウソをついたついでに、もうひとつウソを言ってみる。
「これ、おみやげ」
 僕はヒースからあずかったクルミを見せてあげた。
 リシュは一瞬きょとんとした顔になって、「あたしにくれるの?」と言った。
 僕が大きくうなずくとリシュの顔がパッとあかるくなって、それから「ありがと」という言葉が返ってきた。
 リシュがそんな表情をうかべるのもそんな言葉を口にするのも、はじめてだった。いつだってつまらなさそうにしているリシュがそんなことで喜ぶなんて思いもしなかった。
「これ、なにが入ってるの?」
 僕の手からクルミをとって、リシュはそれを手のひらの上でころがした。
「甘露が入ってるんだ」
 僕はヒースが言ったとおりに答えた。
「なんの露?」
「えっと、それは……。あけてみればわかるよ」
 なんの露か知らない僕は一瞬答えにつまって、でもどうにかごまかすことができた。
「ここであけていいの?」
「いいよ」
「じゃあ、そのナイフをかして」
「うん」
 僕が父の形見の短剣を持ち歩いてることは、リシュも知っていた。
 短剣をわたすと、リシュは女の子のくせにすごくなれた手さばきであっというまに堅いクルミを二つに割ってしまい、それから手のひらにこぼれだした露に唇をつけた。
「あまくておいしい」
 そう言って、リシュはクルミの中の甘露をすぐに飲み干してしまった。
 僕も一口ぐらい飲んでみたかったんだけれど、男たるもの人前であまいものなんか食べたり飲んだりしちゃいけないわけで、まちがっても「一口ちょうだい」なんて言えるはずがなかった。
 クルミの甘露がよほどおいしかったのか、気分屋のリシュはひどく上機嫌で、「ねぇ、泳ごうよ」と僕の手をひっぱった。
「泳げないんじゃなかったの?」
 きくと、
「泳げるよ」
 そう答えて、リシュはドレスのまま泉の中にとびこんでしまった。
 そのとびこみかたがあんまりきれいだったもので、僕の目にはリシュの白いドレスが残像になって残った。
 けれど、それがリシュと遊んだ最後だった。泉にとびこんだリシュはそのまま二度とうかびあがってこなくて、たいして大きくもない泉の中を僕はさんざん探しまわったんだけれど、けっきょくリシュは見つからなかった。
 そうしてリシュは消えてしまい、泣きながら家に帰った僕はこっぴどく母にしかられることになった。

 その年の夏以来、泉のまわりにはアマリリスが咲かなくなった。そのかわりに薄紫色のヒヨスがいっぱいに咲くようになって僕は泉へ行かなくなってしまい、ますますフィドルの練習が嫌いになった。
 かわいらしいヒヨスの花が人を簡単に殺してしまうほどの猛毒を持っているのを知ったのはそれからずいぶんたってのことで、楽士になれず、かといって騎士にもなれなかった僕は、医師の勉強をしながら何年たってもリシュのことを忘れられずにいる。



                         ――了



INDEX HOME