雪うさぎ 〜 Silent winter




 朝になると、雪うさぎは溶けてなくなっていました。
 たいせつな雪うさぎでした。去年の冬から、ずうっと取っておいたんです。冷凍庫のいちばん奥にしまっ て、溶けないようにしていたんです。
 けれど、一晩中つづいた停電は、ぼくの雪うさぎをそれは簡単に溶かしてしまいました。
 どうして停電になってしまったのか、ぼくにはわかりません。お父さんはカミナリのせいだと言っていた けれど、どうしてカミナリのせいで停電になるんだろう。ぼくには、ぜんぜんわかりませんでした。
 それでも、ぼくは雪うさぎが溶けないように色々なことをやってみたんです。家の中で一番すずしい場所 をさがして置いてみたり、近所の氷屋さんで小さな氷をもらってきてその上に置いてみたりしました。でも、 どうやっても雪うさぎはどんどん小さくなっていってしまうんです。
 少しずつ小さくなっていく雪うさぎを僕は手のひらに乗せてやりたかったけれど、そんなことをしたらま すます雪うさぎは早く溶けていってしまうので、ぼくはなるべく手でさわらないようにして少しでもすずし い場所をさがそうと家中を歩きまわりました。階段の下とかクローゼットの奥とか、暗くてすずしい場所に 置いてみました。
 でも、だめでした。どんな場所に置いてみても、雪うさぎは溶けていってしまうんです。
 ぼくは、それ以上歩き回るのをやめて、雪うさぎをもとあった冷凍庫にもどしました。そこが、家の中で 一番すずしい場所だったんです。
 冷凍庫の奥の奥に雪うさぎをしまって、ぼくは冷凍庫のドアを閉めました。
 本当はずっと見守ってあげたかったけれど、そうしていたらよけいに早く雪うさぎが溶けてしまうと思っ て、しっかりと冷凍庫のドアを閉めたんです。
 大きい冷蔵庫の前にすわって、ぼくは夜が明けるまで起きていました。雪うさぎが溶けてしまわないかと 心配で、ねむれませんでした。
 お母さんとお父さんが何回もぼくのところにきて、早く寝なさい、と言いました。
 だけど、ぼくは寝ませんでした。どうしても、ねむれなかったんです。

 雪うさぎを作ったときのことは、今でもよく覚えてます。
 大雪が降った日で、テレビやラジオでは何十年ぶりの大雪と言ってました。
 うちの玄関はドアが開かなくなってしまうぐらいに雪が積もって、お父さんがいっしょうけんめい雪かき したのを覚えてます。
 外に出ると道路も家も車も全部が雪に埋まっていて、そんなのを見るのは初めてのぼくは、なんだかすご くうれしくなってしまいました。
 ぼくはまだだれも歩いていない雪の上を走り回ったり、雪を手で丸めてどこかへ投げてみたりして、汗を かくぐらいまで一人で遊んでいました。
 そのうち、お姉ちゃんが家から出てきて言ったんです。雪うさぎを作ろう、って。
 ぼくは、そのときまで雪うさぎを見たことがありませんでした。だから、どうやって作るのか聞いたんで す。
 じゃあ、教えてあげる。
 そう言って、お姉ちゃんはぼくの手をひっぱりました。
 お姉ちゃんは、ぼくと二つしか違わないのに色々なことを知ってました。勉強だけじゃなくて、色々な遊 びとか、ぼくの行ったことのない場所のこととか。
 雪うさぎを作るのにはね、ナンテンっていう木がないとダメなんだよ。
 お姉ちゃんは、そう言いました。
 ぼくはナンテンの木も見たことがなかったけれど、お姉ちゃんはそれが生えている場所を知ってました。
 少し遠い場所だったけれど、ぼくたちはそこまで歩いて行くことにしました。
 いつもは車がたくさん通っている道を、ぼくたちは手をつないで歩いていきました。
 お姉ちゃんの手がすごく温かくて。でもそれが、最後に握ったお姉ちゃんの手でした。
 ナンテンの木が生えている所まで行ってみると、それはやっぱりたくさんの雪でまっしろになっていて、 何の木だか全然わかりませんでした。でも、お姉ちゃんが雪を落とすと、きれいな赤い木の実と緑色の葉が 見えました。
 これがナンテンの木だよ。この赤い実を使うの。
 お姉ちゃんは、学校の先生みたいな言い方をしました。
 それからナンテンの木に積もった雪を手ですくって、
 これをね、うさぎの形にするの。
 両手で丸めながら、そう言いました。
 ぼくは、お姉ちゃんの手の中でだんだんうさぎの形になっていく雪だけを見ていました。
 すぐに雪はうさぎの形になって、お姉ちゃんは目も耳もないそのうさぎをぼくに渡しました。
 これを目にするの。
 お姉ちゃんはナンテンの実を二つ、手に取りました。
 手に取ったその赤い実をぼくが持っているうさぎにくっ付けると、それは本当にうさぎの赤い目みたいに 見えました。
 ぼくもお姉ちゃんのまねをして雪うさぎを作ってみたけれど、なんだかうまくいきません。ぼくの作るう さぎはどうやってみても、まんまるになってしまうんです。お姉ちゃんの作るうさぎみたいな形になりませ ん。
 何回もやりなおしてるうちに手が冷たくなってきて、いちど家に帰ることにしました。お姉ちゃんが作っ た雪うさぎを持って。
 家に帰ってお母さんに見せると、うまく作れたわね、とほめてくれました。
 お姉ちゃんの作った雪うさぎだったけれど、ぼくは自分の作った雪うさぎがほめられたみたいな気がして うれしかったんです。
 けれど、お母さんはすぐにこう言いました。
 あら。でもこのうさぎさん、耳がないのね。
 えっ。だって、お父さんが教えてくれたとおりに作ったんだよ。
 お姉ちゃんは、ちょっと怒ったみたいでした。
 お母さんは、それはお父さんが間違ってるの、と言って、正しい雪うさぎの作り方を教えてくれました。
 それは、ナンテンの葉を使ってうさぎの耳にする、という作り方でした。
 お姉ちゃんは、それを聞いてすぐに外へ飛び出してしまいました。
 ぼくもついて行こうとしたけれど、
 すぐ帰ってくるから待ってて。
 そう言われて、家で待っていることにしました。
 いま思えば、このとき一緒に行けば良かったんです。でも、そのときのぼくはとにかく寒くて。あまり外 に出たくありませんでした。
 だから、雪うさぎを冷凍庫にしまって、ぼくはお姉ちゃんが帰ってくるのを待っていたんです。
 でも、お姉ちゃんは帰ってきませんでした。いつまで待っても。
 お母さんが心配するころになってから、ぼくはお姉ちゃんを追いかけました。
 ナンテンの木があった場所は覚えています。ぼくは転ばないように気をつけながら雪の上を走りました。
 お姉ちゃんと雪うさぎを作った場所に着くと、そこには十人ぐらいの人たちが集まっていました。その中 に警察の人もいて、ぼくは急に息が苦しくなりました。
 おまわりさんの足もとに灰色の毛布が置かれているのが見えました。
 何人かの人がぼくを止めようとしたのを覚えています。
 ぼくは、止まりませんでした。
 おまわりさんが何か言おうとして。でも何も言いませんでした。
 めくった毛布の下に、お姉ちゃんがいました。
 お姉ちゃんの下の雪が、まっかになっていました。
 それは、まるでナンテンの実みたいで。
 なんだかすごくきれいでした。

 ひきにげ、という言葉を知ったのは、それが初めてでした。
 その言葉の意味はよくわからなかったけれど、お姉ちゃんが死んでしまったということだけはよくわかっ ていました。冷たくなったお姉ちゃんの顔と、雪に吸い込まれたお姉ちゃんの血の色を覚えていました。
 まっかになった雪の上にナンテンの葉が二枚だけ落ちていて、ぼくはそれを拾いました。拾ったその葉を 持って帰って、冷凍庫の雪うさぎに付けてあげました。
 ナンテンの葉はうさぎの耳になって、ぼくはそれを冷凍庫に戻しました。

 お母さんには、絶対に溶けないようにしておいてね、と言いました。
 ぼくは毎日かならず冷凍庫を開けて、雪うさぎが解けてないのを確かめました。
 なのに。
 一晩中、停電したままでした。
 ぼくの手のひらぐらいしかない雪うさぎは、ぜんぶ水になって溶けてしまいました。
 朝になっても冷凍庫は冷たくならなくて、雪うさぎが置いてあったところには、ほんの少しの水がこぼれ ているだけでした。
 その水の中に、赤いナンテンの実と、緑の葉がありました。
 昨日の夜まで雪うさぎの目と耳だったそれは、今はもう冷凍庫のゆかにくっ付いて。ただの木の実と木の 葉にしか見えませんでした。
 ぼくはナンテンの実と葉を手に取って、ゆっくり冷凍庫のドアを閉めました。
 そのまま冷蔵庫の前にすわって。ぼくは、いつまでも手の中にあるものを見つめていました。



                         ――了



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