熱砂の雪 〜 The day The sun turned cold




「ふぅ……」
 東の空から強烈な陽射しを投げかける太陽を睨みつけて、俺は溜め息をついた。
 猛烈な暑さだった。耐熱スーツを着けていても、噴き出す汗は止めどがない。
 思わず、手首のコンソールに目を落とす。
 摂氏70度。――いや、71度、72度……。見ているそばから上昇してゆく。
 足元は真っ黒な岩塊と細かい砂粒ばかり。
 地平線まで続く岩地と、いやになるほど真っ青に晴れ渡った青空。そして太陽。
 それだけが、目に映る景色の全てだった。
 陽射しを避ける場所などない。
 絶望的な眺めだった。蒸し焼きになりそうな暑さだ。
「主任」
 呼ばれて、俺は振り向いた。
「出ました。うまくいったみたいですよ」
 レンが言った。耐熱耐圧ガラスのヘルメット越しに、笑みを浮かべているのがわかった。
「そうか。……よし、調査はここまでだ」
 俺の言葉に従い、レンは数人の部下に掘削機を停止させるよう指示する。
「予想より良い結果が出そうですね」
 と、レン。
「そうだな。学者の先生がたも無能じゃないらしい」
「それに見てくださいよ、これ。相当に質の高い代物ですよ」
 レンの差し出した右手には、握り拳ほどの石が乗せられていた。
 黒灰色の火成岩の中に、青黒い光沢を放つ鉱石が混じっている。
 黒曜石に似た亜金属光を放つその鉱物は、ジリオナイトと呼ばれる物質だった。
 レンは現場の人間だが、地質鉱物学に明るい。一目見ただけで、この土地から発掘されるジリオナイトの 質を判別していた。
 俺には、その辺りの知識がない。ジリオナイトはジリオナイトだ。高級なワインと安物のワインの違いが わからないのと同様、ジリオナイトの違いもわからなかった。
 が、もちろん仕事がうまくいったという達成感はあった。前回、前々回と鉱床発掘が空振りに終わってい たため、ようやく苦労が報われた形だ。この気温では、ただ立っているだけでも苦痛だった。
「サンプルは採取したな。よし、戻るぞ」
 全員に指示を下して、俺は航宙航空船に足を向けた。
 コンソールを見ると、気温計は78度を示していた。
 これからまだまだ暑くなる。
 東の空に傾いた太陽を追いかけるように、西の空からもう一つの太陽が顔を覗かせているのが見えた。


 ジリオン。
 二つの星系が複雑に絡み合うその領域を、人類はそう名付けた。
 二つの恒星と数百に及ぶ惑星、それに無数の小惑星群。ジリオンと呼ぶにふさわしい、それは恐ろしく過 密な星域だった。
 何度かの無人探査は当初、知的生命体の発見および接触がその主目的だった。二つの恒星を巡る数百の惑 星の中には、生物が発生存続するのに支障のない環境を有したものも少数ながら存在した。
 膨大な費用と人的物資、20年にわたる年月がジリオン星系に投入された。
 需要によって人類のエントロピーは増大し、日々進歩し続ける宇宙技術は20年の間に広大なジリオン星 系の35%を走査するに至った。
 そして人類は知的生物とのコンタクトこそとれなかったものの、実に有用極まる未知の物質を手に入れた のである。
 ジリオンε2惑星で発見された、それがジリオナイトだった。
 ジリオナイトの特性は、その硬度にあった。地球上で最も硬いとされたダイヤモンドは、モース硬度で1 0とされていた。数世紀におよぶ深宇宙の探査によって人類はこれまでに硬度22という物質を発見してい たが、ジリオナイトの硬度はそれを遥かに上回る値を示したのである。ヌープ硬度による数値では7000 0〜100000。しかもそれだけの硬度を有しながらジリオナイトの原子間結合力は極めて高く、また劈 開はまったくの不完全で靭性も強く、他の高硬度物質のような衝撃に対するもろさを見せなかった。
 工業機器や建築素材、そして兵器――。ジリオナイトは、あらゆる場所で利用された。
 このジリオナイトの発掘、売却を一手に握るのがミーティア社だった。
 それまで弱小企業だったミーティア社が、ジリオナイトの占有権を得ることで巨大企業に成長したのは言 うまでもない。ミーティア社は惑星ε2に無数の採掘プラントを建設し、この星の全てのジリオナイトを掘 り尽くさんばかりの勢いで発掘を進めた。
 ――結果、わずか10年でε2惑星の有望なジリオナイト鉱床は枯渇した。
 ミーティア社は有能な地質学者や鉱物学者を頼って新たな鉱床発掘に精力を注いだが、成果は上がらなか った。必然的に、調査の手は広げられたのである。――人間にとって過酷な地域にまで。
 惑星ε2はその軌道上、常に二つの恒星から照らされている。このため、北半球には夜が存在せず、一日 の平均気温は90度に達する。最高気温は140度以上。とても人間の活動できる環境ではない。
 それまでε2惑星の開発は、もっぱら南半球のごく一部で行われているに過ぎなかった。昼と夜の存在す る南半球では一日の平均気温は40度前後であり、快適とは言いかねるものの人間が行動するのに問題はな かった。それを、いきなり平均気温90度の世界にまで広げたのである。無茶な話だった。
 しかも、その無茶な話の第一陣として選抜されたのが当時入社5年めの俺だったというわけだ。いつの世 も、会社勤めはつらい。


「それにしても、もう8年ですね」
 うんざりしたように言って、レンは俺の正面のソファに腰を下ろした。
「まったく、最初は3年間だけだなんて言っておいてこの調子だ。来年こそは戻りたいよ、いいかげんに。 ……ああ、ありがとう」
 差し出されたアイスコーヒーを受け取って、俺は続けた。
「まぁ、プラントの中にいるぶんには、ここも南も変わらないがな。ここの景色を見てると、気が滅入って くる」
 プラント施設から大きく張り出すように作られた休憩室は、東と南の面がガラス張りになっている。耐熱 遮光ガラスの向こうに見えるのは、一面の砂漠。それも、火山灰でできた灰色の砂漠だった。
 この北半球には、10万年以上も雨が降っていないという。そのため、大気は常に乾燥している。熱せら れた砂面から立ち上る陽炎は、わずかに地表を撫でるだけだった。
 そもそも、ε2惑星には水資源が少なかった。南半球にいくつか点在している湖沼地帯と、極冠に凍結し た巨大な氷冠だけが、調査によって確認された水資源の全てだった。大気中の水蒸気量は南半球においても 微量なもので、俺がこの星に来てからの13年間、雨はおろか雲一つ見たことがなかった。
「この砂漠に雨が降ったら、さぞかし面白いだろうにな」
 俺は紙コップのアイスコーヒーで喉を潤した。
「この暑さだと、降った雨も地表に届く前に蒸発してしまいそうですよ」
 真面目くさった顔で答えるレン。
「やれやれ。夢のない話だな」
「じゃあ、夢のある話をしましょうか?」
「聞かせてもらおうか」
「さっき、本社から派遣されてきた開発部の人間に聞いたんですがね。どうも、南の方で新しい作戦が実行 されるみたいですよ。うまくいけば、500万トン超のジリオナイト鉱石が見込めるとか」
「500万トン? 一ケタ間違えてるんじゃないか?」
 全盛期でさえ、ε2から採掘されるジリオナイトの年間採掘量は40万トン程度だった。北半球でのこと なら理解できるが、徹底的に調査し尽くされた南半球で500万トン超の鉱床が発掘されるとは考えられな かった。
「いえ、間違いありません。なんでも、未発見の鉱床が発見されたとか」
「信じがたいな……」
「私も詳細は知りませんけれど。そっちがうまくいけば、これ以上の北半球開発も中止になるかもしれませ んよ」
「中止ってことはないだろ。しょせん、本社の人間に現場の苦労なんぞわかるはずもない」
 コーヒーを飲み干して、俺は立ち上がった。
「ま、今日のところはとりあえず、新鉱床発見の祝杯でも上げておくか」


 3日後、俺は南半球で展開されるという新作戦の概要を聞いた。
 それは、俺の知る限り最も強引で手荒な方法だった。
 南極に凍結した巨大な氷冠の下に豊富なジリオナイト鉱床が眠っていることは、10年以上前から知られ ていた。かつて南極が温暖な気候だったとき、そこに存在した無数の活火山が大量のジリオナイト鉱石を産 出したというのだ。その埋蔵量は、およそ1000万トンにも達するといわれた。
 だが、問題はその分厚い永久氷層をいかにして除去するかということだ。これに要する費用を試算したミ ーティア社は、南極冠に眠る鉱床を諦めた。その当時、ε2惑星にはまだ大量の鉱脈が手付かずで残ってい たのだ。
 ところが、10年の歳月はε2のジリオナイト鉱床を枯渇させ、ミーティア社を追い詰めた。そこで再び 注目されたのが南極だったというわけだ。
 驚くべきは、今回ミーティア社が採択した氷冠の除去手段だった。
 10年前から、南極の氷冠を取り除くために最も有効な手段は氷層深く埋め込まれた大量の爆薬による爆 破しかないと考えられていた。しかし、それは決して効率の良い方法ではなかった。なにしろ、1万メート ル以上もの厚さを有する大氷層である。そのコストと収益の比率から、ミーティア社は手を引いたのだ。
 今回も、爆破という方法に変わりはなかった。ただし、その爆破に使う爆弾は反物質爆弾だった。それを 氷層の地下深く、何箇所かのポイントで爆発させ、氷を吹き飛ばすと同時に熱線で溶かそうというのだ。
 懸念されたのは、ε2惑星への影響だった。この星の環境は、もともと非常に不安定だ。極の氷冠が溶け 出したら一体どうなるか、見当もつかない。
 ミーティア本社でも、この作戦には反対意見が多かったという。それも当然だろう。星一つの環境を一変 させてしまうような、これは強引極まる作戦だった。
 しかし、結局は上層部によって作戦は推し進められた。氷層下に埋もれたジリオナイトを掘り出さない限 り、ミーティア社に未来はなかったのだ。
 計画の決行は500時間後。
 俺たちにできることは、何もなかった。


 プラント施設が建てられている砂漠地帯には、決まった時間に火山灰が降る。
 ふだんは北から南へ向かって吹いている風が、一日の決まった時間帯にだけ西から東へ吹くのだ。その風 に乗って、西部の大火山地帯から大量の火山灰が運ばれてくる。日によっては太陽を覆い隠すほどにもなり、 この時には地表の温度が20度以上も下がる。
 ぱらぱらと降り積もる火山灰を眺めながら、俺は休憩室でコーヒーを飲んでいた。
 先日発見した鉱床には、調査の結果、20万トン前後のジリオナイト鉱石が埋蔵されていることが判明し た。これだけで、1000時間分のノルマは達成されていた。掘削機を設置してしまえば、あとの採掘は全 て機械がやってくれる。従って、俺たちは退屈な日々を過ごしていた。
 ゲームやムービー、擬似空間でのアトラクションなど、プラント内には無数の娯楽施設がある。退屈を持 てあました人間はそれらへ逃避するのが普通だが、あいにくと俺はそのいずれにも興味がなかった。古いタ イプの人間なのだとよく言われる。時間があまったときには、この休憩室でぼんやりとしていることが多か った。
「今日は降灰が少ないようですね」
 不意に背後から声が聞こえて、振り向くとレンが立っていた。
「ああ、今日は風が弱いみたいだ」
 答えて、コーヒーをすすった。
 コーヒーはアイス以外飲まない。プラント内はやや涼しい程度の温度に調整されているからホットも悪く はないのだが、ここのガラス越しに砂漠の風景を眺めていると、とてもではないが温かいものを飲む気には なれなかった。
「火山の活動が弱まったのかもしれませんよ」
 そう言って、レンはホットコーヒーに口をつける。
「だといいがな。……ところで」
 俺は話題を変えた。
「あの馬鹿げた計画にストップがかかりそうだと聞いたんだが?」
「え?」
「南極の氷冠を吹っ飛ばすとかいうヤツさ。溶け出した膨大な量の氷が大気中で水蒸気になると、気圧が変 化して……」
「それは黙殺されることになったようです」
「なんだって?」
「上の方では、取るに足らないことと判断したみたいですよ」
「……いつものことか」
「そういうことですかね」
「ま、俺たちにゃ関係ないことだがな」
 言ってはみたものの、いまいましい思いはぬぐえなかった。
 結局、現場で働く人間の安全など、本社はまったく考えていない。考えているのは、ただひたすら利潤を 上げることのみだ。ε2惑星の環境がどうなろうと、それによってプラントの人間がどうなろうと、ジリオ ナイトさえ採掘できれば良いのだ。
 だが、この星に埋もれている全てのジリオナイトを掘り尽くしたあと、ミーティア社はどうなるのだろう か――。
 暗い空から舞い落ちる火山灰は、まるで雪のようだった。
 熱砂に降る雪は、たちまち砂漠の色と同化して見えなくなってしまう。
 極地の氷冠を思い浮かべながら、俺はアイスコーヒーを舐めた。


 反物質爆弾による氷冠爆破の様子は、俺たちのプラントにも中継放送された。
 ε2星の南極上空2万キロメートルに設置された人工衛星。そこからの映像が、スクリーンに映し出され ていた。
 全ての所員が、壁に埋め込まれた大型モニターや個人用端末のディスプレイを見守っていた。ミーティア 社とε2惑星の命運を賭けたこの計画の成り行きを見守ろうと、誰もが真剣だった。
 不良社員の俺でも、例外ではなかった。この作戦の成否によって、今後の処遇が決定され得るのだ。加え て、これほどの見世物はそうそう見られるものではない。数百キロの反物質爆弾による爆破シーンなど。
 いつものように休憩室の一角に陣取って、俺は何人かの所員たちと共に固唾を飲んでスクリーンを見上げ ていた。
 画面に見えるのは、濁った色を見せる銅銀色の氷面ばかり。それだけで氷冠のスケールがわかった。途方 もない、それは氷結した水の大地だった。
 あと10秒。
 レンも含めた所員たちが、声を上げてカウントダウンを始めた。
「……7、6、5、4、3、2、1」
 ――同時に、スクリーンが光の渦に飲み込まれた。
 瞬間的に気化した大量の水が、白煙となって氷冠を覆い尽くす。
 音はなかった。
 一面真っ白で、何も見えない。恐らく、蒸発した水分が大気中に雲を作ったのだ。
 唐突に、音声が入る。
「……6分経過。現在、氷冠の30%が溶解。大部分が気化したものと考えられる。以後、1時間ごとに1 0%の割合で……」
 どうやら、爆破計画自体は成功したようだ。だが、ジリオナイトの採掘とε2惑星の環境に及ぼす影響の 二つがクリアできるのだろうか。
 そう思った矢先、足元が揺れたような気がした。
 火山帯が近くを走るこのプラントでは、地震は日常事だ。わずかな揺れで驚いているほど、こっちもヒマ ではない。が――?
 揺れは収まらなかった。震度は3程度だろうか。細かい縦揺れが、収まる気配もなく続く。
「爆破の影響でしょうか……」
 緊張した面持ちで、レンが言った。
「それにしては早すぎる」
 爆破から10分と経過していなかった。南極での爆発の影響が北半球にまで到達するには無理のある時間 だった。
 微震以外の変化は特にない。
 スクリーンは、先刻と何ら変わりない一面の白。
 再び、音声が入った。
「……38%の溶解を確認。なお溶解は進行中。5ヶ所の爆心点に地表露出。氷冠外沿で大量の水を確認。 厚さは最大で170メートル。なおも増大中……」
「170メートルだって?」
 自分の声が高くなっているのがわかった。
「それは大丈夫でしょう。予測の範疇のはずですから。それより、この揺れが気になります」
 レンの言うとおり、微震は止まることなく続いていた。
 西の火山帯で大規模な噴火が起こったのだろうか。
 はっと気が付いて砂漠へ目を向けると、降灰がやんでいた。風向きが変わったのに違いなかった。
「私は西のプラントと連絡を取ってみます」
 そう言って、レンは休憩室を飛び出していった。
 異変に対処するのは学者たちの仕事だ。現場監督の俺には関係がなかった。
 大地を焼き尽くさんばかりの二つの太陽と、スクリーンに映し出された南極上空の雲。その二つを等分に 見やりながら、俺は自分の出番が来ないことを祈っていた。


 8時間後、極の氷冠は70%以上が融解した。発掘のために必要な地表面も露出し、作戦は成功したかに 見えた。が――。
 プラントでは、パニックに近い恐慌が引き起こされていた。
 西部火山地帯に連なる主立った火山が、一斉に噴火したのだ。それまで休火山とされていた山も突然活動 を開始し、膨大な量の溶岩がいくつかのプラントを飲み込んだ。
 極冠での爆発がε2惑星の活動に影響を与えたのは明らかだった。もともとε2は非常に不安定な星で、 地殻の変動も活発だった。数百キロの反物質爆弾の爆圧はε2の地殻を揺るがし、コアにまで届いたに違い なかった。
 そして、西部火山帯の一斉噴火はε2に恐ろしい結果をもたらした。
 自転軸の移動。
 ε2星の自転軸は、この2時間で80度傾いた。北半球と南半球の半分が入れ替わった形だ。
 プラントの外では、いま一つだけになった太陽が沈むところだった。北半球に初めて訪れた景色だった。 あと1時間で太陽は完全に地平下へ沈み、夜が訪れる。
 この途轍もない大変動に、大気は荒れ狂っていた。気圧と温度の急激な変化によって生じた無数の竜巻が、 プラントからも視認できた。竜巻だけでなく、南半球から流れ込んできた大量の水蒸気が夕闇の空に巨大な 雲を形成しているのが見えた。
 ε2の地上数十箇所に設置された各プラントからは、間断なく異常を知らせる報告が届いていた。所員た ちはそれらの対応と今後の対策に追われていた。フル稼動状態のコンピュータは、ε2の今後の環境変化を 予測し続ける。
 緊急の会議が開かれ、プラントからの一時退去が提案された。
 提案者は俺だった。この環境下で採掘作業は不可能だ。だいいち、このままプラントに留まること自体、 非常な危険を伴う。退去は当然の選択だった。
 しかし、参加者全員の一致を得て本社へ一時退去の承諾を要請したところ、返ってきたのは「待機せよ」 との命令だった。
 所長は憤慨し、再度の退去容認を求めたが、本社は「待機せよ」の一点張りだった。俺たち所員の命など 何とも思っていないのが明らかだった。砂漠に立ち上がるあの無数の大竜巻を本社の連中に見せてやりたか った。あれを見ても、「待機せよ」と言えるのか。
 舌打ちし、俺は近くにあったイスを蹴り飛ばした。
 ――だが、それから1時間後には本社の態度を覆させる事件が起こった。
 二つの太陽が沈み、真っ暗な夜の帳がプラントの外に下りたころ――。それまでで最大級の報告が入った。
 衛星が破壊されたというのだ。
 ε2惑星には、極めて近い距離を回る一つの衛星があった。質量は、ε2の五分の一。もともと、”ロシ ュの限界”ぎりぎりを巡っていた。ε2の変動が、その軌道を内側に引き寄せてしまったのだ。そのため、 ε2の潮夕力によって衛星は破壊されてしまった。
 無数の破片に分解された衛星のいくつかはε2を直撃するのが確実だった。その中で最大規模の破片が俺 たちのプラント付近に墜落するのも確実だ。計算では2時間後に、このプラントは核爆発の直撃を受けたの に匹敵するダメージを被る。
 被害を受けるのは、俺たちのプラントだけではなかった。北半球にも南半球にも、大小無数の破片が墜落 する。2時間後にはε2惑星の地上に人間が存在できる場所はなくなるだろう。
 以上の報告を受けて、ミーティア本社はついにε2惑星からの総員撤退を採択した。


 脱出用の航宙艦の整備が終わるまで30分。
 部下たちにそれぞれプラント脱出の準備をするよう命じて、俺は休憩室のソファに身を沈めた。
 手には、いつものように紙コップのアイスコーヒー。
 気圧と気温の急激な変化にギシギシと軋みをたてるガラスの向こうには、いくつもの巨大な竜巻が砂塵を 巻き上げていた。真っ暗な空には分厚い雲が覆い被さり、凄まじい勢いで北へと流れて行く。
 外気温は零下3度だった。いつものこの時刻なら、二つの太陽が120度前後の高温で砂漠に焦熱地獄を 現出させていた。
 自転軸の移動は、それほどの変化をもたらした。なにしろ、相対的に見て俺たちのプラントは12時間前 には南極の氷冠があった位置にまで移動していた。大量の水蒸気が放熱を妨げなかったら、気温はもっと下 がっていたことだろう。
 気がつくと、ガラスの向こうに雨が降っていた。
 氷冠を形成していた水分の一部だろう。高空で冷却された水蒸気が雨になって地上へ落ちてきたのだ。強 い風にあおられて、横殴りの雨が砂漠に降りつける。
 見る見るうちに雨は激しさを増していった。
 まさか、この砂漠地帯に雨が降るとは――。
 いや、砂漠地帯だけではない。ε2に来てから南半球での生活も含めた13年間、雨を見たことなど一度 もなかった。
 なぜだか急におかしくなって、俺は声を出して笑った。
 結局、人間の力で全てをコントロールすることなどできない。わかりきっていることを今さらながらに実 感して、俺は自虐的な哄笑を抑えることができなかった。
 そんな俺の前で、降りつける雨は次第に大きさを――そして白さを増してゆく。
 みぞれ混じりの雨がガラスに吹きつけていたかと思うと、それはやがて雪になっていた。
 外気温をチェックすると、マイナス6度。
「ここにいたんですか、主任」
 レンが俺の隣に立っていた。
「部下は全員準備を終え、艦に乗りこみました」
「わかった」
「……雪ですね」
「ああ」
「出発まで、あと25分です」
「わかってる」
「……」
 レンは少しの間だけ砂漠に降る雪を眺めていたが、すぐに背を向けた。
 戻ってきたときには、両手に紙コップを持っていた。
 両方から、湯気が立ち上っている。
「たまには、ホットも悪くないでしょう?」
 そう言って、レンは片方のホットコーヒーを俺に手渡した。
 この星で初めてのホットコーヒーは、砂糖とミルクの入った甘い代物だった。
「ああ、悪くない」
 底無しの夜の闇で舞い狂う真っ白な雪を見つめながら、俺は熱いコーヒーをゆっくりと啜った。
 ふぅ……、と深い溜め息を一つ。
 俺は、少しだけこの星が好きになれたような気がした。



                         ――了



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