ある日の中華料理店にて


 その日、私は友人と二人で中華料理屋に入った。
 かなり寂れた雰囲気の、お世辞にも繁盛しているとは言いかねる店である。店の所在地や店名は、どうでもよかろう。とりたてて紹介するほどの店でもない。
 その紹介するほどの味ではない店の、しかし我々は常連だった。べつに、値段が極端に安いだとか、その店の経営者と知り合いだとか、バイトの女の子が目的だとかいうワケではない。単に、その店以外にまともなものを食わせる店が近所になかっただけの話だ。吉野家が近くにあったら間違いなくそっちを選ぶという、まぁその程度の店である。

 その程度の中華料理屋で、我々二人はいつもと同じテーブルについた。
 どうでもいいことかもしれないが、この友人の名はゲンという。仇名だ。裸足ではない。年上なので、一応、ゲンさんと呼んでいる。
 これもまたどうでもいいことだが、ゲンさんという名を聞くと、多くの人は大工または魚屋のような人物を思い浮かべるらしい。不思議だ。統計学上、そういうことになっているのだろうか。ゲンさんと聞いて弁護士や大学教授を連想する人はいない。ゲンさんという響きに、知的なイメージがないとでも言うのか。……まあ、これは私の勝手な思い込みだが。
 しかし実際のところ、ゲンさんは元左官屋だった。皆さんのイメージは当たっている。

 ゲンさんがタバコに火をつけたころ、店のオヤジが注文を取りにきた。
「またこいつらか」
 オヤジの表情は、そう言っているように見えた。面倒くさそうに、オヤジはオヒヤをテーブルに置く。ゴツッ、という音。
 いったい、このオヤジは何に不満があるというのか。私たちに愛想良くすることが罪悪だとでも思っているのではなかろうか。数少ない常連客をここまでないがしろにする店も珍しい。やる気があるのだろうか。
 が、我々はすでに、そうしたオヤジの態度に慣れていた。
 私は先に口を開いた。
「中華丼大盛り」
 いつもどおりの注文だ。工夫も何もない。別名ゲ○丼とも呼ばれるが、その見かけとは裏腹に栄養バランスの取れた料理である。言うまでもないが、私が栄養バランスのことなど考えているはずはない。何度となくこの店に通い、さまざまなメニューを試した上で、「これ以外は食うに値せず」と判断したのだ。もっとも、この中華丼にしたところでまったく大したものではないのだが。

「ああ、いつものヤツだろ」
 注文を取りに来たオヤジは言葉には出さずにそういう顔をし、無言のまま私の注文を伝票に書き込んだ。注文の復唱という基本さえできていない。たしかに、毎日毎日同じ注文ばかりしているのだから、わざわざ確認する必要もないのだが。
 しかし、無愛想というか何というか、
「おまえは、この店が寂れている原因がわからないのか?」
 そう言いたくなる。
 この店が早晩つぶれるであろうことは我々二人の一致した見解だが、このオヤジの接客態度が改善されないかぎりは、この見解を改める必要はないであろう。

 中華丼大盛り、と伝票に書き込んだ(と思われる)そのオヤジは、
「どうせ、おまえもいつも通りの注文だろ?」
 と言わんばかりの表情でゲンさんをにらみつけた。……いや、にらみつけてはいないけど。たぶん。
 しかし、ゲンさんはオヤジの予想を裏切る発言をしたのである。
「ラーメン大盛り」
「なにぃぃぃッ!?」
 オヤジと私は、まったく同時に驚愕の声を上げた。……心の中で。
 いや、私の喉からは実際に声が出ていたかもしれない。
 オヤジに至っては、ゲンさんの常食であるホイコーロー定食の名を伝票に刻み付けようとしていたボールペンを取り落としそうになって、あわてて両手で押さえつけていた。おそらく、予期せぬ不意討ちだったのだろう。「注文取り30年のこのオレが裏をかかれるとは……」そんな顔をしていた。

 しかしゲンさんは、オヤジの注文取りとしてのプライドを打ち砕いたことなど、何とも思っていないようだった。ごく当たり前の注文をしたかのように、タバコを口に運ぶ。ゆっくりとその煙を吐き出すゲンさんには、勝者の余裕があった。
 一方、敗者となった注文取り歴30年のオヤジは、屈辱に震える手で「ラーメン大」と伝票に書き込むのだった。そして、ついにオヤジは動揺を隠し切れない声でゲンさんに問いかけたのである。
「ラーメン大盛りですね?」
 と。
 やったぜ、ゲンさん! このオヤジに注文を復唱させたよ、スゲェ!
 私は心の中で快哉の言葉を張り上げていた。いったい、このオヤジが最後に我々二人の注文を復唱したのは、どれほど昔のことだったろう。遠い昔のことであったように思う。

 ゲンさんはオヤジの質問に静かにうなずき、そうしてオヤジは厨房へと帰っていった。その背には悲哀と屈辱が満ちていた。
 オヤジの姿が厨房の向こうに消えると、さっそく私は訊いた。
「なぜ、ラーメンを?」
 ゲンさんは、日頃から「ラーメンなど人間の食うものではない」と公言して憚らない男である。「だってマズいんじゃん」というのがその理由なのだが、いまや国民食とまで言われるに至ったラーメンをここまで嫌う人間も珍しい。
 そのゲンさんがラーメンを注文したのである。私の問いかけは当然のことだった。
 だが、ゲンさんの答えはそっけなかった。
「いや、なんとなく」
「おい!」
 それはないだろう! あなたは「ラーメンなどこの世に存在しなくていい」とまで言い切ったのだ。これ以上ないほどにラーメンを侮辱したのだ。なんの謝罪もなしにラーメンを食することが許されると思っているのか?
 私の義憤は、しかし、
「いいじゃん。たまには」
 という一言で片付けられた。
 私は引かなかった。ここで引き下がったら、全国1億2000万のラーメン愛好家の怒りはどこへ行けば良いのか。
「ひとつも良くはない! だいたい、あれだけマズいだのブタのエサだのと言っていたラーメンを、どうして食う気になったのか。それだけでも説明しろ」
「さすがにホイコーハンも飽きてきてなぁ。たまには違うものでも食おうかと思っただけだ」
 ゲンさんは、自分がどれほどのことをしたのかわかっていないようだった。ちなみにホイコーハンは回鍋飯と書く。日本語に訳せば、「キャベツと豚肉の味噌炒め丼」である。
「だったら、ラーメンでなくても良かろう?」
 私が言うと、
「んー、なんでだろうな。なんとなく、言ってしまった。ラーメンなんて食うの10年ぶりぐらいだ」
 と、ゲンさんは答えた。
 10年間ラーメンを食わなかった人間が「なんとなく」でラーメンを注文するのもちょっとした事件だが、その後にゲンさんが取った行動に比べれば、こんなことは取るに足らない事件であった。

 私がなおもしつこくゲンさんを叱責していると、やがてオヤジがラーメンを運んできた。
「ラーメン、お待ちどうさまです」
 などという一言が出るはずもなく、ゴツッと勢いよくラーメンを置いて、オヤジは無言で立ち去る。
 見た目だけは、なかなかうまそうなラーメンだった。実際、私も食べたことは何度もあるが、特に悪くはない味である。食えないことはない。
 ゲンさんはドンブリを手前に引き寄せると、右手で割り箸を取り出し、もう一方の手で酢の小瓶を取った。

 ――は?

 私は自分の目を疑った。そして、私の目の前で起こりつつある事象が目の錯覚などでないことを確認すると、次の瞬間にはゲンさんの頭を疑った。ゲンさんは、当然のことのように、ラーメンに酢を入れようとしたのである。
「ちょっ、ちょっと待て!」
 私はとっさにゲンさんの腕をつかんで、その暴挙を止めた。
「なんだ?」
 ゲンさんは不思議そうな顔で私を見た。
「ふつう、ラーメンに酢なんて入れるか?」
 私は言った。ラーメンに酢など、考えたこともない。
 しかし、ゲンさんは当たり前のように答えたのである。
「入れるだろ? オレの親は入れてたぞ」
「それは狂ってるぞ!? いったい、どういう教育受けたんだ」
 ラーメンに酢を入れてはいけませんと、小学校で習わなかったか?
「じゃあ、なんでラーメン屋に酢があるんだよ」
「餃子に使うんだよ!」
「……」
「……」
「……」
「とにかく、そのまま食べてみろ」

 どうやら、ゲンさんの世界では「ラーメンには酢」というのが常識であるようだった。25年間も生きてきて、その間に疑問を抱かなかったのが不思議だ。
 私の言葉に従って、ゲンさんは生まれて初めて、酢の入っていないラーメンを食べた。
 そして、言うのであった。
「あぁ、ラーメンってこんな味だったんだ」
「……はぁ」
 この友人の行動は、ほんとうに理解できない。



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