2日目−13


 左手にナップザックをぶらさげながら、フマは廊下を歩いていた。
 沖縄から飛行機に乗って東京まで来た彼だが、足元はサンダル履きだ。だぶだぶしたズボンに、派手な模様のシャツ。だらっとした印象を与えるその服装が、彼の非社会性をあらわしているようでもある。
 リノリウムの床にぺたんぺたんと間のぬけた音をたてながら、フマは教室をひとつずつ覗いていく。寝心地の良さそうな場所をさがすためだった。

 伯爵が無惨な姿で見つかったのは、フマにとって「ザマーみやがれ」という出来事でしかなかった。自分の手で殺すほど嫌っていたわけではないが、だれかが殺したのなら拍手してやりたい気分だった。したがって、伯爵殺しの犯人をさがすなどフマにしてみればまるで興味のないことだった。
 そんなことより彼にとっての急務は、一刻も早く寝ることだった。なにしろ、このゲームのルール説明を聞いている間にもウトウトしてしまったぐらいなのだ。ほとんど徹夜状態でオフに参加し、酒も飲んで、おまけにこんな空間に放り込まれたのだから無理もない。
 彼の足どりは、酔っ払いよりひどかった。アルコールはとっくに抜けている。それでも、まっすぐに歩くことができないほど彼は睡魔に取り憑かれていた。右へ左へふらふら歩くその姿は、さながらバッテリーの切れかけたリモコン人形だった。

 十五個めの教室をチェックしたところで、彼はこつこつと頭をたたいた。最初は弱く。それから段々と強く。まるで、こわれかけた電気製品にショックを与えることでなおそうとするかのように。無論、そんなことで彼の脳味噌が本来の働きをとりもどすはずもなかった。

 彼の脳は、非常に優秀だった。明晰さで言えばユーロや氷雨にまさるものではなかったが、瞬発的な直観や霊感力では他の参加者を圧倒していた。それこそ、比較対象が一人も存在しないぐらいに。
 たとえば人狼ゲームでいうならば、多くのプレイヤーが二時間も三時間もかけて正解にたどりつくところを、彼は一分間ですべて見抜いてしまうことができた。それも、かなりの精度で。
 もちろん、はずれることもある。すべての直観が当たってしまうなら、それは神である。彼の力はときおり神がかり的な閃きを見せることもあったが、決して神の力とまでは言えなかった。

 彼が持っているのは、直観だけではなかった。その直観をささえるための独創力をも、彼は人並みはずれたレベルで備えていた。彼の直観が神がかり的なものであると表現するなら、彼の独創性は悪魔めいていると表現するのが近かった。なにしろ、あまりの独創性ゆえに人間の理解力を超えていることが少なくなかったのだ。
 しかし、その悪魔のような独創性と神のような直観とが完璧に噛みあうとき、彼の前にたちふさがるものはすべて打ち砕かれた。一言でいうなら、彼は天才だった。キチガイと表裏一体の。

 その人間離れした直観も独創性も、しかし今のような睡眠不足の状態ではまったく機能しなかった。それは、彼のとっている行動にもあらわれている。教室をひとつひとつ見てまわっているというのが、ふだんの彼からは考えられないほど凡庸なのだ。
 冴えているときの彼ならば、寝心地の良さそうな場所を見つけるぐらいのことは即時にやってのける。そういう野生めいた勘にすぐれているのだ。が、眠気に襲われているときは何をやっても駄目だった。

 さらに五つの教室をチェックしたところで、ついに彼は力尽きた。完全にバッテリーが切れたのだ。
 どこでもいいから寝ちまえ。そう思い、適当な教室の床で仰向けになった。
 寒さは感じなかった。しかし、床が固い。何かないかと辺りを見まわし、使えるものが一つだけあるのを見つけて手に取った。窓に掛けられているカーテンだ。それを引きちぎり、適当にたたんで床に敷き、その上に寝転がった。

 案外わるくない寝心地だった。
 こんなところを襲われたら百パーセント死ぬだろうなと思いながら、それでもフマは一分と経たないうちに寝息をたてていた。





 2日目−14


「あの二人、どこ行ってん?」
 ペットボトルのフタをあけながら、ジェミニが言った。
 フマと前条のことである。
「さっきまでいたんだけどねぇ」
 ナビアが応じる。
「伯爵が殺されたの見てビビって逃げた……いうことはないな」
「あのお二人が……それもフマさまが、そのような人間の感情を持ち合わせているとは思えませんが」
 さりげなく毒を吐いたのはサイオンである。
 その言葉に対して、とくに口をはさむ者はいない。毒ではあるが、正当な評価なのだ。

「どこかで寝てるんじゃないかな。さっきすごく眠そうだったし」
 思い出したようにナビアが言った。
「ああ、その可能性はあるな。……いや、その可能性しかないわ」
 と、ジェミニ。水を一口飲んで、彼はつづけた。
「で、これからどーしよか。あの二人いないんじゃ、会議もでけへんし」
「そうだね……」

「こうしててもしょうがねぇし、俺は放送室行ってみるわ」
 ナップザックを担ぎ上げると、ラムは誰の返事も待たずに歩きだした。
「待って、ラムちゃん。放送室? ……ああ、さっきルール説明の放送があったから?」
 ナビアが呼び止めた。
「ああ。もう遅いだろうけどよ。なにか手がかりが残ってるかもしれねぇし。ちょっと見てくるわ。なびっちたちは、ここにいろよ」
「手がかりとか残さないと思うけどなあ」
「俺もそう思うけどよ。さっきのルール説明がテープやファイルで残ってたら、確保しておいたほうがいいだろ?」
「まぁ、そうだね。じゃあ、あたしもついていこうか?」
「いや、ここにいたほうがいいだろ。こういうときは、あんまりバラバラにならないほうがいいぜ」
 自分の行動を棚に上げて、ラムはそう言い含めた。

「放送室だけ見てきたら、すぐもどるからよ」
 それだけ言うと、あとは振り返りもせずにラムは廊下へ出ていった。
 その足音が聞こえなくなると、ジェミニが口を開いた。
「ラムさんは村人っぽいなあ」
「うん。ラムちゃんは村人だよ。すぐわかった」
 ナビアが自信満々に受け合う。
「そか。ナビアさんが言うなら間違いないわ。ラムさんは村人確定にしとこ」

「それにしても男爵。ずいぶんラムちゃんとやりあってたね」
 くるりと振り向いて、ナビアは言った。
「ん? なにが?」
 全員が立ったままでいる中、牛男爵だけはイスに腰掛けたままだった。ナップザックを机の上に置いて、けだるげに天井を眺めている。
「さっきのことだよ。ラムちゃんがいろいろ提案してるのに、ぜんぶ文句つけてたじゃん。……どうして?」
「どうもこうも、あいつの提案が穴だらけだったからさ」
「そうかな。ちいさい穴はあったかもしれないけど、すごくまっとうな提案だと思ったよ。ラムちゃんのことは村人に見えたでしょ?」
「あいつは狼でも、あれぐらいやる」
「んー。たしかにラムちゃんは狼うまいけどさ。いくらなんでも今回は村人だと思うよ?」
「ナビアの『目』は信用してるよ。……しかし、キミが唯一だまされる相手がラムなんだ」
「それは否定しないけど」
「否定できるわけない。以前、キミ本人が言ったんだから」
 男爵は立ち上がり、ザックを肩にひっかけた。

「どこ行くの?」
「トイレだよ、トイレ」
「え。一人でうろついたら危ないってば」
「うろつくわけじゃない。ていうか、ラムは一人で行かせても危なくないのかよ」
「そういうわけじゃないけど」
「心配しなくていい。トイレはすぐそこだよ」

 そうして、男爵は教室を出ていった。
 そのまま、もどってはこなかった。





 2日目−15


「あのー。ものすごく基本的なこと訊いてもいいですか?」
 いままで黙っていたミギが、おずおずと口を開いた。
 一同の視線が彼に集まり、「いいよ」「言うてみ」と数人が応じる。
 ミギは不慣れな調子で咳払いし、ひかえめな口調で言った。
「これ、いつになったら夜になるんですか?」

 数秒の沈黙が流れた。
 だれも、何も言えなかった。何人かはミギの頭の具合を心配し、何人かはどうやってツッコむかという難題に頭を悩ませていた。過半数の人間は、彼の言っていることの意味がよく理解できていなかった。
「あ、あれ? もしかしてヘンなこと訊いちゃいました? え? あれ?」
 あわてるミギ。
 ときに、牛村の住人たちは謙虚さを見せることがある。哀れな愚者にツッコミの鉄槌をくだす役割をゆずりあうことがあるのだ。

「ええと、ミギさま……」
 やむなくといった具合にその役目を買って出たのは、やはりサイオンだった。指先で、眉のあたりをおさえている。
「このゲームは、通常の人狼ではありません。通常であれば会議の結果で投票により処刑先を決めますが。……たとえばミギさま。今日の処刑先があなたに決まったとして、受け入れることができますか?」
「え。でも人狼ってそういうゲームですよね? 処刑されても、自分のチームが勝てばいいんですよね?」
「ですから、それは通常のゲームの話です。失礼ですが、ミギさま。さきほどのルール説明はお聞きになりましたか?」
「聞きました。一応」
「死んだ者は敗北扱いになると説明されましたよね?」
「そうでしたっけ」
「本当に聞いていたのですか……? 最後に生き残っていたプレイヤーだけがここを出られると、説明にあったのですけれど」
「あ。そうか。……え? じゃあ最後まで生き残らないといけないんですか? そしたら、もう伯爵さん負けちゃってるじゃないですか」
「そういうことになりますね」
「ええええええっ!?」
 ミギは本気で驚いていた。
 それを見た一同も、本気で驚いていた。

「それじゃ、処刑されたらダメってことじゃないですか」
「おっしゃるとおりです」
「えーと。でも、それじゃ投票はどうするんですか?」
「投票といいますと……?」
「投票しないと処刑先が決まりませんよね」
 ミギが言いつのり、サイオンは頭痛に耐えかねるように頭をおさえた。
「そのようなシステムは、この世界には存在しませんね。……あの、どなたか説明を代わっていただけると助かるのですけれど。どうも、私の説明ではご理解いただけないような気がしてきました」
 サイオンはジェミニやユーロの顔を見たが、彼らは黙って首を横に振るだけだった。

「なんかオレ、かわいそうな人を見るような目で見られてませんか? ちょっと待ってくださいよ。オフで人狼とかやるの初めてなんですから。ちゃんと説明してください!」
「初めてであるか否かという、そういう問題ではないように思うのですけれど……」
「あー。えーと。うん。わかりました。はい。投票はないんですね。……え。もしかしてみんな最初からわかってたんですか?」
「私の勘違いでなければ、皆さん先刻ご承知のことだと思います」
「つまり、わかってなかったのは俺だけってことですか」
「はい」
「なんてこった。そうだったのか……」

「これ、ミギは村人でええよな?」
 なんとも形容しがたい笑みを浮かべながら、ジェミニは言った。
 反対する者はいなかった。
「これで狼だったら、仲間がかわいそうすぎる」
 ユーロが、あきれたように言い捨てた。

「でもですね! 支給品はイイものもらったんですよ!」
 得意気に言って、ミギはナップザックに手をつっこんだ。
 その手に握られて出てきたのは、黒一色のハンドガン。ほとんどのパーツがプラスチックで作られた、実用本位の拳銃だった。グロック17。

「あー、それは便利なモンもろたね」
 サングラスのレンズを通してその拳銃を眺めながら、ジェミニはいかにしてそれを奪い取るか、あるいは騙し取るかということを考えていた。





 2日目−16


「なぁ、ミギ君。それちょっと見せてくれへん?」
 ジェミニは、詐欺師特有の作り笑顔で話しかけた。彼は無表情でいるとき以外のあらゆる表情を演技でおこなっているが、とりわけ笑顔と称されるものは例外なく作りものだった。彼の恐ろしいところは、その演技を見破られることが非常に少ないという点だった。
「え。これですか? 見てどうするんです?」
 さすがのミギも、すぐに拳銃をわたすようなことはなかった。死んだら負けだということを、ようやく理解したのだ。銃を持っているか否かでは、生存率が大きく変わる。

「オレ、むかしハワイで射撃場に行ったことあってな。そんとき撃った銃と同じなんよ、それ。なつかしいなあと思ってん」
 すべて作り話だった。
 が、ミギには話の真偽を区別する術などなかった。そもそも、疑いすらしなかった。
「へぇー。これ、なんていう銃なんですか?」
「あー。名前は覚えとらんわ。でも、百発撃って三十ドルやったかな」
 銃に詳しくなかったことを少し悔やんだが、それでもジェミニは作り話を押し通した。もちろん値段などでまかせだ。

「やすいんですね。三十ドルって日本だといくらぐらいですか?」
「いまだと一ドル百十円ぐらいやな」
「じゃあ三千三百円ですね」
「おお。計算あっとる」
「いくらオレでも、それぐらいは……」
「せやな。まぁ俺が行ったときはもうちょっとドルが高かってんけど」
「いつの話ですか?」
「二年前やったかな……」

 どうでもいい話をしながら、ジェミニは「早く言え」と思っていた。「撃ちかたを教えてください」と言え。そう思っていた。
 もちろん、自分のほうから言い出すこともできる。しかし、できれば相手に言わせたかった。詐欺の基本的なテクニックだ。人間は、自分から言い出したことには無意識に自信と責任を持ってしまう。逆に、他人から言われれば少なからず猜疑心を抱く。ジェミニはそれを熟知していたので、ミギの口から自発的に言わせたかったのだ。
 が、あいにくミギからジェミニの望む言葉が出てくることはなかった。ミギはジェミニを疑っていたわけではなかったが、撃ちかたを教えてもらうという発想がそもそも出てこなかったのだ。

「なあ、それの撃ちかた知ってるん? 練習せんと当たらんで」
 しびれをきらして、ジェミニはそう言ってしまった。
 ミギは、言われて初めて気付いたとばかりにグロックをしげしげと見つめ、
「あ、それじゃ教えてください。撃ちかた」
 疑いもせず、そう答えた。
「ええで。じゃあちょっと貸してみ」
 ジェミニは笑顔で腕をのばした。
 自分の手におさめてしまえば、あとはどうとでもなる。うまく言いくるめて自分のものにしてしまうことなど、造作もない。ジェミニは、自分の話術と詐術に自信を持っていた。

「待って、ミギ君。貸しちゃダメ」
 止めたのはナビアだった。
 銃を渡そうとしていたミギの手が固まった。
「え。どうしてですか?」
「このゲミニっていう人は、すごい詐欺師だから。信じちゃダメよ」
「えー。ひどいな、ナビアさん」
 ジェミニの笑顔は崩れなかった。
 ナビアは作りものではない笑顔を浮かべ、「ウソついて他人の武器をまきあげようとするほうがひどいよ?」と言い切った。
 一瞬、ジェミニの笑顔が凍りついた。
「いやー、ウソついたつもりはないんスけどね」
「……ふぅん」
「いやすみません。ウソつきました」
「だよね」
 ふふん、とナビアは鼻を鳴らした。

「えーと。よくわかりませんけど、じゃあ貸さないほうがいいんですね? わかりました。貸しません!」
 宣言するように、ミギは力強く言った。
「いや、そこまで言い切らんでも……」
 ジェミニの笑顔は、かすかにひきつっていた。
 ナビアは二人の表情を見て満足し、マナにも同じアドバイスをしようとして気付いた。

 いつのまにか、マナとアンダンテの姿が消えていたのだ。




 2日目−17


「おかしい! あの人たち絶対おかしい!」

 声にならない声で叫びながら、マナは暗い廊下を走っていた。
 ほとんど全力疾走だった。体育の授業ですらこれほど真剣に走ったことはない。まるで怪物か何かに追われているかのように、彼女は必死の形相で駆けつづけていた。肩まである髪は風に流れて乱れ、頬をつたう涙は斜めにきらめいて彼女のスカートに落ちる。涙の粒はときおり黒猫の背中にも落ちたが、どちらともそれを気にかけることはなかった。

「どうして、あんなふざけて笑ったりできるの!? 伯爵さんが殺されたのに!」

 大声で叫びだしたいぐらいだった。
 あの人たちはおかしい。人が殺されてるっていうのに、あんなのんびりしたり笑ったり──。ふつうじゃない。狂ってる。いくらこれがゲームだとしたって、あんな血まみれの死体を目の前にしておちゃらけたりなんて──。あたしにはできない!

 階段を駆け下り、一階の廊下をつっきって、マナはグラウンドへ飛び出した。
 午前の太陽が、やわらかい光で彼女を照らし上げる。その太陽の方向に向かって、彼女は走りつづけた。足はすっかり重くなっていたが、止まることはなかった。砂埃を蹴散らし、トラックを走り抜けて、アスファルトのスロープをくだり──。
 石造りの壁が、彼女の前にあらわれた。距離は十メートル弱。壁の向こうは敷地外だ。開かれた鉄柵の門。そこを走り抜けてしまえば、この学校を出られる。あと五メートル。

 マナの後ろを走っていたアンダンテが、彼女の前に飛び出した。そして、足を止めた。マナもあわてて足を止めた。もうすこしでアンダンテを蹴り飛ばしてしまうところだったが、ぎりぎり間に合った。

「アンダンテさん……」

 マナは、黒猫アンダンテの瞳を見つめた。ひどく息を切らせている。額には汗が浮いていた。汗を手の甲でぬぐい、肩で息をつきながら、マナは言った。

「わかってます。ここから出たら死んじゃうんでしょう?」

 アンダンテは、こくりとうなずいた。
 彼は人間の言葉をしゃべることはできないが、理解することはできた。その長い尻尾はゆるやかに波打ち、音の波形のように一定のリズムを刻んでいる。尻尾以外、どこも動いてはいなかった。まるで彫像のように、黒猫アンダンテはマナの前にたちふさがっていた。微動だにしなかった。

「でも、どうしたらいいんですか? 伯爵さんは殺されちゃうし、アンダンテさんは猫にされちゃうし、ジェミニさんはあんな人だし……」

 荒い息の下から、マナは声を絞り出した。
 アンダンテは黙ったままだった。彼とて、名案があるわけではない。しかし、マナが自暴自棄になるのを見過ごすわけにはいかなかった。

「だいたい、これって本当にゲームなんですか? 最後まで生き残って勝った人だけがもとにもどれるって……。それじゃ、伯爵さんはどうなるんですか? ずっとあのまま?」

 アンダンテにわかるはずもなかった。
 ただ彼にわかっていることは、門の向こうへ出た瞬間ゲームオーバーになるだろうということだけだった。そのゲームの終わりが現実世界にどう影響するのかは想像するしかない。しかし、常に最悪の想像を前提にするのが彼の性格だった。最悪の想像。つまり、『死』だ。

「なんとか言ってください、アンダンテさん。どうしてしゃべってくれないんですか……」

 しゃべれるはずもなかった。
 波打っていた尻尾は力なく地面にたれて、彼はそれをひきずるようにしながらマナの足元にすりよった。
 マナはしゃがみこみ、アンダンテの背中を撫でた。それから両手で持ち上げて、つよく抱きしめた。さらさらの黒い毛皮は、ひなたの匂いがした。その匂いの中に顔をうずめながら、マナは長い間じっとしていた。





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