2日目−31
「ところで、いつのまにか五人しかいてへんな」
教壇に立ったまま、いま気付いたとばかりに氷雨は言った。
彼の言うとおり、いま教室に残っているのはサイオン、ユーロ、ジェミニ、スノー。そして今はもう動かないせんべえのみだった。
余裕に満ちた笑みを浮かべながら、氷雨は誰にともなく言い放つ。
「とりあえず、ちゃっちゃと片付けようかと思うんやけど」
彼の左手には、ニセモノの占いマシン。右手にはベレッタ。そのどちらを使って『片付けよう』としているのか、理解しているのはサイオンだけだった。
「おっしゃるとおりですね。氷雨さまの機械を使っていけば、人狼は簡単に見つけることができますし。私の持っているものを含めて銃は二挺ありますから、身を守るのも難しくはないでしょう」
ごく自然な口調で応じるサイオン。その頭の中など、だれにも読み取れるものではない。
「そしたら、これからどうしよか」
「そうですね。まずはナビアさまたちが戻ってこられるのを待って……」
「こっちから迎えに行かん?」
「え? でもどちらに行かれたのかわかりませんよね?」
「さがせばいいやん」
「それは、そのとおりですけれど……」
応じかねるように、サイオンは首をひねってみせた。氷雨以外の三人を、さぐるように観察する。
「とりあえず、この場はあれでいいと思うンけど」
何かをぼかすように、氷雨はそう言った。さりげなく右手の銃をかざしてみせて、意味するところを伝えようとする。
それがどういう意味なのか、サイオンには即座に理解できた。つまり、自分たち以外の三人を始末してしまおうというのだ。その上で、ナビアたちをさがそうと言っているのである。
もちろん氷雨はサイオンにだけわかるよう慎重に意思を伝えたつもりだったが、彼の思っている以上にユーロとジェミニは鋭かった。氷雨がなにをぼかそうとしたのか、彼らはすぐに察知したのである。
ジェミニとユーロは、目配せで互いの意思を伝えあった。ふだんはくだらないケンカばかりしている二人だが、ここぞというときには見事な意思の連携を見せる。彼らは氷雨が信用できないことを理解しあい、どうにかすべきだと無言で話しあった。
二人そろって考えているのは、とにかく逃げることだった。戦うという選択はなかった。なにしろ、ねこじゃらしと画鋲なのである。この場は逃げるしかないというのが二人の共通した見解であり、そこに異議のはさまる余地はなかった。相手を見殺しにしてでも自分は逃げるという意思もまた、二人共通の見解だった。
そうした二人の考えを、スノーは冷静に把握していた。
彼女はジェミニやユーロほど自分の命を優先的に考えているわけではなかったが、彼らの意思を理解した以上は彼女もまた自分が助かることを最優先にするのが当然だった。
そのようにして、彼ら三人はどうにか自分だけでも生き残ろうと必死に頭をめぐらせるのだった。
2日目−32
「なぁ、氷雨。俺たちは友達だよな!」
突然、ジェミニはそんなことを言い出した。
一見すれば、さわやかで誠実そうなセリフである。実際のところ、そんなものはカケラも含まれていなかった。
「いきなり、なに言うとんの?」
胡散臭いものを見るように、氷雨は眉を寄せた。
「いいから答えーや。俺たちは友達だよな?」
「ジェミニがそう思うなら、そうなんちゃう?」
「じゃあ、いまから俺がこの教室を出ていこうとしても、背中から撃ったりせぇへんよな?」
「なに言うてんの? 俺さっきジェミニ占っとんで? 結果シロだったやん。なんで撃たなならんの?」
「せやな。撃つわけないやんな。オレなに言うてんやろな。はははは」
まるきり無味乾燥な、ひどく乾いた笑い声が教室に響いた。
もちろん、ジェミニは氷雨の言うことなどまったく信じてなかった。すでに、彼の中で氷雨はニセ確定。さらに言えば、狂人確定だった。
「そんなら、オレちょっと出かけてくるわ。用事があったの思い出してん」
無茶なことを言いながら、ジェミニはナップザックを持ち上げた。
走って逃げるような事態になれば手ぶらのほうが良いに決まっているが、よしんば逃げおおせたところで所持品ゼロではマトモな交渉もできない。いざとなったら手放すことにして、とりあえずは持っていこう。そこまで考えて、彼はザックを肩にかけたのだった。
「用事? おもろいこと言うなあ、ジェミニ。この場所で何の用事があるん?」
当然のように、氷雨は聞きとがめた。
「今朝、説明会場に来るまえに、ちょっとおもしろいモン見つけてん」
「へぇ。なに見つけたん?」
「それは言えんなぁ」
言えるわけがなかった。そんなものは存在しないのだから。
「え。言えへんの? 俺たち友達とちがうん? さっきジェミニが言ったんやで?」
「あー。な。うん」
まったく厄介なヤツだな、とジェミニは舌打ちしたい思いだった。
「で、本当はどこに行こうとしてたん?」
氷雨は笑顔でたずねた。
ジェミニも笑顔でこたえる。
「いやー、じつはナビアさんに話があってん」
これもまた適当な嘘だった。
「ここで待っとったらええやん。じきにもどってくるやろ」
「それは、どうかなあ」
もどってこねーよ! とジェミニは内心叫んでいた。彼が感じ取っている氷雨への違和感を、ナビアならもっと早く感じ取ったはずだ。そう確信できるぐらい、彼はナビアの洞察力を評価していた。
「そういや、キキ君ももどってこぉへんね」
と、氷雨。
「せやな。ナビアさんと一緒におるんかもな」
応じながら、ジェミニは己の失態を猛省していた。キキでさえとっくに逃げたっちゅーのに! そういう気持ちだった。彼はキキの勘や霊感というものを過小評価していたのだ。
「さがしにいったほうがええかもしれんなぁ」
まったくそう思ってはいないような口調で、氷雨が言った。
「せやな。ほかにも戻ってきとらん人いるしな」
ジェミニの受け答えもまた、興味のなさそうな口調だった。彼にとっては、他人の命などどうでも良いのだ。たいせつなのは自分の命。それだけだ。じつにあたりまえのことだった。
「まぁとにかく、ちょっと出かけてくるわ」
ごまかすのも面倒になってきて、ジェミニは歩きだそうとした。
その背中へ、氷雨が声をかけた。
「なんで逃げようとしてん?」
ジェミニは足を止めた。逃げようとしているのを言い当てられてしまったことで、多少の動揺があった。その動揺を悟られぬよう、彼はつとめて軽い口調で切りかえした。
「なに言うてん。ちょっと出かけてくるだけやて」
「だから、どこ行くのか訊いてんやろ」
「それは言えんのよ」
「はぁ? わけわからんわ。やっぱり狂人か恋人やろ、ジェミニ」
「勘違いやて、それ」
「へぇ。勘違いで撃たれて死ぬこともあるんやで、ジェミニ」
氷雨の右腕が水平になり、ベレッタの銃口がジェミニをとらえた。
すぐに撃たれるかと思ってジェミニは思わず身をすくめたが、氷雨はそこまで無慈悲な男ではなかった。圧倒的に有利な立場に立てば、誰にでもすこしぐらい慈悲の心が生まれるものである。たとえ、相手が詐欺師であったとしても。
「なあ、氷雨。おまえニセ占い師やろ?」
いままで以上の作り笑いを見せながら、ジェミニはそう言った。
「なに言うとん? 俺は真占い師やちゅうの」
ほんの一瞬、氷雨の表情が揺れた。嘘を指摘されたとき、まっとうな人間なら必ず見せる反応。完全に隠しおおせる者など、そうそういない。ただし、それを見分けることのできる者も多くはないが。とくに、氷雨ほどに反応が小さい場合はなおさらだ。
しかし、ジェミニは詐欺師の特性として嘘を見破る技術もそなえていた。彼にかかれば、氷雨の表情の変化は判断材料とするに十分なものだった。
「いや、おまえはニセモノやて。だって、オレ人狼やし。そのオレに白を出した氷雨はニセモン確定やで」
「はぁ? おまえ、メチャクチャなこと言うのヤメぇや。やっぱり狂人か恋人やな」
「いやいや。よく考えぇよ、氷雨。オレが狂人とか恋人やったら、こんなこと言うわけないやろ。だまって様子見しとったほうがええわ」
「ジェミニなら何でもやるわ」
「まぁ、それは否定せぇへんけど。今回オレは人狼なんよ。だから撃つのヤメとけぇや」
ジェミニの言葉に、氷雨は数秒考えこんだ。
そして、こう言った。
「ジェミニは俺のこと狂人やと思っとるん?」
「いや、俺が氷雨をどう判断してるかなんて関係ないやろ。とにかく、おまえには俺を撃つメリットがないんよ。この理屈、わかるやろ?」
「わからんわ。ちょっと説明してみ? 聞いてみたいわ。その謎の理屈」
氷雨の態度は鷹揚だった。
その態度に圧されながらも、ジェミニはクールな表情を保ちつづけていた。
「じゃあ説明したるわ。かんたんに言えばやな。氷雨が狂人なら、人狼の俺を撃つのは大損やろ? 逆に、氷雨が真占い師やったら、白判定の出てる俺を撃つのはマヌケやな。こんぐらい、わかるやろ?」
「いや、そんなんは最初っからわかってんけど」
「じゃあ何が聞きたいんや」
数秒の間があった。
ふっ、という声が空気に溶けた。
「じゃあ訊くけどな。俺が人狼やったら、ジェミニを撃つことになんのデメリットもないと思うんけど。なあ、どうなん?」
唇の端だけで笑いながら、氷雨は銃口の先をジェミニの心臓から脳へと移動させた。
2日目−33
「うん、まぁ、ちょっとおちつこうや。氷雨は真占い師やんな? 人狼COとか、フマみたいな冗談かまさんでええから」
必死に作り笑いをしてみせるジェミニ。ベレッタをかまえた氷雨の指先にすこしでも力が加えられれば、彼は即座に死ぬ運命だった。
「人狼いうたんは冗談やけど、ジェミニを撃とうとしてるんは冗談やないで?」
「いやいやいや。俺と氷雨は友達やろ? な? ……で、友達として訊くんやけど、いくら出したらこの場を見逃してくれるん? 五万までなら出してもええで?」
「残念やなぁ、ジェミニ。オレ、金には困ってへんのよ。そういう交渉は相手を選ばんと」
「そしたら、女の子紹介したるわ。かわいい子知っとるで?」
「いらんわ、そんなん。いまカノジョおるし」
なりふりかまわないジェミニの交渉は、ことごとく空振りに終わった。
「……え。まさか氷雨、ほんとうに俺のこと撃とうと思ってるん? 冗談やろ? おまえ、俺のこと占って白って出とるんやで?」
「占いは関係ないなぁ。俺はジェミニを恋人やと思っとんのやし」
「いや、その推理はハズレとるから。考えなおさん?」
「えー。オレ、かなりの自信をもってジェミニ恋人やと思うで? こんな生き汚いジェミニは絶対に村人ちゃうわ。村人のジェミニは、もっとあっさり死ぬ生きものやん」
「まぁたしかに、ふだんはここまで粘らんけどな。今回のゲームは事情がちがうやろ。無意味に死にたくあらへんのよ」
「そういうことやったら、オレがジェミニの死に意味を与えたるわ。それで納得やんな?」
「ああ、そんなら仕方ないな……って、ひとつも納得できへんわ! もうちょっと話をしようや。な?」
「えー。もうメンドくさなってきたわ。オーディエンスの皆さんも、はよ死ねと思ってるで?」
「いやいや。オーディエンスとかどこにもいないやろ。ともかく、もうすこし俺の話を聞こうや。な?」
軽薄な笑みを浮かべながら、ジェミニはじりじりと後ろにさがりはじめた。
ドアまでの距離は五メートル程度。走ればあっというまだが、撃たれればおしまいだ。どうにかして、矛先をずらす必要がある。具体的に言えば、氷雨の銃をユーロかスノーに向けさせる必要がある。
「なあ、俺よりユーロ君を先に撃ったほうがええと思わん?」
ジェミニはストレートに切り出した。
「なんで? 意味わからんわ」
「ユーロ君のほうが俺より足が早いし、いい武器もらっとるで」
「へぇ。どんな武器もらったん?」
氷雨がユーロに向きなおった。
「ああ、武器ね」
ユーロはとっさに適当な銃の名をあげようとしたが、それより先にサイオンが口を開いた。
「ユーロさまはネコジャラシをお持ちでしたね」
「……え? ねこじゃらしって、あのねこじゃらし?」
なにかの聞きまちがいかというように目を丸くする氷雨。
「ええ、はい。いわゆるエノコログサの穂の部分ですね。なぜそのようなものが武器として支給されたのかは皆目わかりませんけれども」
「ジェミニもユーロ君も、ろくなもん支給されてへんのやね」
「まだ俺の武器見とらんやろ、氷雨。勝手に判断すると痛い目見るで?」
はったりだけは一流のジェミニであった。
「どうせジェミニの武器は、ひのきの棒とか三味線糸とか、そんなんに決まっとるわ」
「ちょ! もっとマシなモンもらっとるわ!」
実際は画鋲であった。
「なんだか醜い言い争いがつづいてますけど、氷雨さんは私を撃ったりはしませんよね?」
スノーが横から口を出した。その笑顔は、ジェミニのような作り笑いではない。すくなくとも、たいていの男性に好意を持たせる笑顔だった。無論、氷雨といえども例外ではない。
「撃つわけあらへんよ。スノーさんは占って白って出とるし」
「ちょ、ちょっと待てや、氷雨! 俺も白やって!」
大声をあげるジェミニ。
「だからおまえは恋人やろ」
「俺はただの村人やって!」
「村人やったら潔く死んだらええやん」
「最後まで生き残りたいとは言わんけど、せめてもうちょい生き残りたいやろ。な?」
「ここまで生き残っただけでも満足するべきやで」
「ここまでって、まだ始まったばっかやろ!」
「あー。もうメンドくさいわ」
溜め息まじりに言うと、氷雨は銃をかまえなおした。
そして、例の決め台詞を言い放った。
「いっさいの議論を無視してジェミニを処刑!」
同時に、銃声が鳴り響いた。
2日目−34
銃声は、一度や二度では終わらなかった。金属をたたきつける乾いた音が二十回ほども鳴り響いて、イスや机、床から天井にいたるまであちこちに穴があいた。窓ガラスの割れる音。驚愕と恐怖の悲鳴が錯綜する。
突然の銃撃にだれもが驚いたが、いちばん驚いたのは氷雨だった。いままさにジェミニを葬ろうとした瞬間、横から弾丸の雨が降ってきたのだ。さいわい弾は当たらなかったが、圧倒的有利な状況をいきなりひっくりかえされた。
氷雨はすばやく机を蹴り倒してその後ろに隠れると、ともかく状況をうかがった。
相手が前条だということは、すでに察している。彼女がマシンガンを持っていたのを、全員が目にしているのだ。彼女は廊下からドアを盾にして撃ってくる。それも、無差別に。滅茶苦茶な撃ちかただった。敵も味方もあったものではなかった。その場の全員を皆殺しにしようとするやりかただ。
くわえて、飛んでくるのは弾丸だけではなかった。ときおり液体が飛んできては、机や床に大穴をあけるのだ。うすい合板で作られた机などでは、その爆発に耐えられるものではなかった。
「やめぇや、前条! オレら村人やで! 撃つなら氷雨だけにせぇ!」
バリケードがわりにした机の影にかくれ、左肩をおさえながらジェミニは怒鳴った。
流れ弾が当たったのだ。出血はたいしたことでもないが、痛みがひどい。
「とりあえず人数へらしてから考えることにしたみぎゃ」
サブマシンガンの弾倉を詰め替えながら、前条は応じた。ドアの影から銃だけをつきだして、ジェミニやユーロの隠れた机に向けて数発ずつ浴びせていく。なにもできない画鋲とねこじゃらし。
「アホなこと言うとらんで、狼を殺せや!」
「だれが人狼かわからないし。ジェミニ人狼じゃない?」
「オレ村人やっちゅーの! おなじこと何回言わせるんや!」
「えー。でも信じられないし。ジェミニは殺しといたほうがいいって伯爵も言ってた」
「伯爵カンケーないやろ!」
大声をあげたとたんに銃弾が飛んできて、ジェミニは体をすくませた。
氷雨は机に隠れて撃ちかえしていたが、弾丸はドアや廊下の壁にめりこみ、あるいは跳ね返るだけだった。スキを見せると、その数倍の火力が降り注がれる。すでに机のひとつはボロボロで、盾としての役目を果たさなくなっていた。
手近の机をひきずりよせて新しいバリケードにしながら、氷雨は『この爆発は何なのか』と必死に頭を回転させていた。最初は手榴弾でも配給されたのかと思ったが、それほどの爆発力ではない。かわりに、無尽蔵とも思えるような使いかたをしてくる。爆発の様子からして、直接当たれば重傷を負うのは間違いなかった。当たりどころによっては、もちろん致命傷だ。
すでに氷雨はサイオンを完全に味方と認識していたが、二人分の火力を合わせたところで前条の武器には及びそうもなかった。なんといっても、弾切れが怖いのだ。
彼もサイオンも、退却することを考えていた。
といって、廊下から逃げるのは不可能だ。前条に制圧されている。ベランダから隣の教室へ移動するか、あるいは下へ飛び降りるかだ。この教室は二階にある。うまく降りれば、足を痛める程度ですむかもしれない。
だがいずれにせよ、ベランダまで走る時間が必要だった。
2日目−35
氷雨は脱出の機会をさぐっていた。前条との間は、約七メートル。うかつに飛び出せば、ほぼ確実に撃たれる距離だ。射撃の素人であっても、サブマシンガンで弾幕を展開させれば何発かは命中する。そういう距離。
前条は慎重だった。有利な位置に陣取ったまま、その立場を崩そうとしない。長丁場になれば、不利なのは氷雨のほうだった。なにしろ、狼側であることをほぼ暴露してしまっている。村側の参加者が教室にもどってくれば、人数の点で不利になる一方だった。
「なあ、前条。いったん停戦せぇへん?」
机の影から、氷雨は提案した。
「しない!」
返事は早かった。考えた様子すらなかった。実際、前条は何も考えてなかった。もっとも、この場合にかぎってそれは正解ではあったが。
「ジェミニとユーロ君を殺すんやろ? 協力しとこうや。損させへんで?」
交渉を持ちかけながら、ジェミニみたいなこと言ってるなオレ、と氷雨は苦笑いを浮かべていた。
「全員殺すけど、最初に氷雨を殺すみぎゃ」
「なんでオレ、目のカタキにされとんの?」
「こっちに撃ってきたからみぎゃ!」
自分が先に手出ししたことをすっかり忘れている前条なのであった。
氷雨は舌打ちし、頭をかかえた。理屈の通じない相手ほど、彼にとって苦手なものはない。
前条の持っているマイクロUZIはもちろん氷雨にとって厄介きわまるものだったが、それ以上に問題なのが爆発する液体だった。吐き出された唾が、机や床にぶつかると炸裂する。マシンガンと併用することで、それは恐ろしい火力を発揮した。なにしろ、隙がないのである。逃げようにも反撃しようにも、机の後ろから姿を見せることすらできない始末だった。
しかし──と、氷雨は考える。あれは一体なんなのか、と。
たとえこの空間が仮想スペースだとして、いくらなんでも非現実的すぎる能力だ。もちろん、それを言うならアンダンテが猫になっていたことなど非現実の最たるものではあるのだが。アンダンテが猫になることに実害はないとしても、いま目の前にいる前条の能力は実害がありすぎた。
そして氷雨は、ようやく気付いた。説明会のときにアナウンスされた「それぞれの性格にあわせたスキルを割り振った」というのは、これのことなのだと。敵味方問わず爆弾のように周囲をまきこんで死ぬ前条という存在は、牛村の内外でもつとに知られている。まさにピッタリの能力だった。
しかし、前条がこのスキルを与えられたということは──。
天啓のように氷雨の脳内で閃くものがあった。思い浮かんだのは、たったひとつの真理。
俺に与えられるスキルは、これしかない!
絶対の確信をもって、氷雨は駄洒落を繰り出した。
「オレに機関銃はきかんちゅうの!」
その瞬間、ブリザードのような冷気が教室に吹き荒れた。真冬のエベレストもかくやというばかりの、視界が真っ白になるほどの冷気だった。
同時に、前条の体が凍りついた。手も足も、まぶたさえも動かなかった。比喩ではなく、掛け値なしに指一本うごかすことができなかった。わずか二秒程度のことではあった。が、氷雨が狙いをさだめて発砲するには十分な時間でもあった。
放たれた弾丸は、前条のわき腹をかすめた。十センチずれていれば致命傷だったが、そうはならなかった。ドレス風のワンピースに焦げついた裂け目ができて、血が流れ出した。床に落ちた血液が小さな音をたてて爆発したが、それに気付いたのは氷雨だけだった。
「そのスキルはインチキみぎゃー!」
傷をおさえながら、前条は撃った。
氷雨は机の裏に姿をかくしたまま、次の駄洒落を練った。どんな状況でも一瞬で駄洒落を思いつくのは、彼に与えられた稀有の才能といえる。内容がまるでおもしろくないのは悲劇だが、寒ければ寒いほど威力を増すこのスキルにとっては逆に好都合でしかなかった。
「ピストルを片付けてる鳥を何ていうか知ってる? ジュウシマツ。銃を始末するだけに」
ふたたび、凍りつくような冷たさが前条を襲った。
しかし今回は短かった。止まっていたのは一秒程度。威力が小さかったのだ。氷雨はそんなことを気にしなかった。思いついた駄洒落を片端から浴びせていった。
「駄洒落のことならまかせてくだじゃれ! グラサンかけた小倉さん、立花氏と立ち話!」
吹きつける氷雪の嵐が、前条の動きを止めた。今度は長かった。
氷雨は前条を撃たなかった。かわりに、ベランダに向かって走りだした。爆発する血液を見て、最悪の可能性を考慮したのだ。すくなくとも、銃で撃ち殺すという選択はとれなかった。人間の体内すべての液体が爆薬になるとしたら、相当な破壊力になる。
「この場は逃げましょう。前条はほっとけばジェミニたちを始末してくれるはずです」
振り返りながら、氷雨はサイオンに声をかけた。
しかし、サイオンもまた動けなかった。彼女だけではない。ジェミニもユーロもスノーも、誰一人として動ける者はいなかった。彼らは完全に凍りついていた。ともかく、すさまじいスキルなのであった。
2日目−36
氷雨がサイオンをひきずるようにしてベランダから飛び降りるのを、ユーロは机の影で眺めていた。どう見ても狼側でしかない氷雨が教室から消えたのは歓迎すべきことだったが、いれかわりに残った前条もまた厄介な相手だった。話が通じないという点でいえば、氷雨より遥かにやりにくい相手かもしれない。
とにかく最優先にするのは、この場を逃げることだった。ねこじゃらし対サブマシンガンという戦いでさえ勝ち目がないのに、そのうえワケのわからない爆破能力を持った相手など戦えるはずもない。
しかし、一方で彼はこうも考える。
俺に割り与えられたスキルは何だろう、と。もし強力なものであれば、戦うという選択も生まれる。俺の特徴といえば毒舌だ。それは間違いない。では、毒舌を生かしたスキルとは何だろう。──いやしかし、それはサイオンに割り振られるべきスキルだ。頭脳明晰容姿端麗高身長高学歴の俺には、もっとエレガントな能力が似合っている。
真相を明かせば、彼に与えられたスキルは『Sweets』であった。触れたものを砂糖のかたまりに変える能力。反則的に強力なスキルだったが、気付くのには時間がかかった。意識しなければ発動しない能力なのだ。自力で気付くのは不可能に近かった。
「どこ行ったみぎゃーーー?」
そのとき、前条が氷雨たちを追って教室に飛び込んできた。
彼の頭からは、ユーロやジェミニたちのことなどすっかり抜け落ちていた。慎重でありながら物忘れが激しいのも、彼の特徴だった。
その様子を見て取ったユーロは、ジェミニとスノーに目配せしてタイミングをはかった。──逃げるなら今しかない!
しかし、性格の差があらわれた。ちょっとでも仲間のことを考えたユーロと違って、ジェミニは自分が助かることしか考えなかった。ユーロがアイコンタクトを送ろうとしたとき、ジェミニはすでに走りはじめていた。
「こいつ、ほんとうに自分のことしか考えてねぇ!」
舌打ちしつつ、ユーロは机の影から飛び出した。つづいてスノーも走りだした。
「こいつら忘れてたみぎゃ」
金色の髪を乱しながら、前条は振り向いた。ワンピースの裾がひるがえり、蹴り飛ばされた薬莢がバラバラころがる。彼女は腰だめにサブマシンガンをかまえ、ユーロたち三人を薙ぎ払うように掃射を浴びせた。
ほとんどの弾丸は壁に当たったが、一発がジェミニの左腕に、さらに一発がスノーの足に命中した。悲鳴をあげて倒れかけたスノーの手を、とっさにユーロがつかんだ。どうにか体勢を立てなおして、ふたたび走るスノー。そこへ、次の掃射が襲いかかった。
二発の弾丸が、ユーロの背中をえぐった。さらに銃声が鳴り響き、崩れ落ちた彼の後頭部を弾丸が貫いた。血と脳漿と毛髪をまきちらして、彼はその場に倒れた。すべてが一瞬のことだった。
あまりのできごとに呆然としながらも、スノーは足を止めなかった。逃げなければ殺される。当然だ。そして、その当然のことを遂行できる程度には彼女も賢く冷静だった。彼女はまた、運も良かった。ユーロにとどめをさした直後、マシンガンの弾倉がカラになったのだ。
「ごめんね、ユーロ」
無惨な死体に一言だけ言い残すと、スノーは教室を飛び出した。
そんな二人のことなどおかまいなしに、ジェミニは廊下の向こうへと走り去っていた。