2日目−37


 壁の端からそっと中をのぞきこみ、人の気配がないことをたしかめるとマナは図書室に入り込んだ。
 読書好きの彼女にとって、図書室は心やすらぐ場所である。成人男性向け小説しか読まないアンダンテにとっては縁もゆかりもない場所だが、いまの彼には行動の自由も何もなかった。
 この空間においても、図書室は図書室として機能していた。すなわち、書架には本がおさめられ、ローカウンターには貸出/返却の窓口があり、たくさんのテーブルとイスが規則ただしく並べられていた。

 マナは手近のテーブルにナップザックを置くと、案内図をたよりに書架の間を歩きはじめた。杖は手放さなかった。持ち歩くのには少々ジャマだが、手にしているだけで不思議と元気がわいてくるのだ。
 杖とおなじで、アンダンテもまた彼女のそばを離れなかった。マナが目的の本をさがして歩きまわるのを、つかずはなれずピッタリとついていく。足どりは軽やかで、わずかたりとも音を立てなかった。
 しんと静まりかえった図書室は、おどろくほどの面積を誇示している。マナのさがす本は、すぐには見つからなかった。書架のあちこちに貼られている案内図を何度もたしかめながら、彼女はアンダンテをつれて歩きまわった。

 マナが足を止めたのは、情報技術関連の書架だった。バーチャルテクノロジーの本に目をとめると、いくつか抜き出して開いてみる。彼女は、このゲームのルール説明にあった『ファントムスペース』というものが実在するのか調べようとしていたのだ。
 バーチャルだとか仮想現実だとかいった言葉が題名に含まれている本を、マナは手当たり次第にかきあつめた。それをテーブルまで運んで積み上げると、イスに腰を下ろして片端から読みはじめた。残念なことに、内容のほとんどは彼女にとってチンプンカンプンなものばかりだった。
 それでも何か収穫があるかもしれないと彼女は頑張ったが、けっきょく得られたのは眼精疲労と肩こりだけだった。

 本の山を前にして、彼女は「ふぅ」と溜め息をついた。
 いま何時だろう。そう思い、壁掛け時計を見ると、正午を過ぎたところだった。もうお昼だ。そう気付いたとたん、おなかが鳴った。そして、朝からなにも食べてなかったことを思い出し、彼女はナップザックの中身をテーブルにあけてみた。
 出てきたのは、ミネラルウォーターのボトルとMRE。
 米軍で使われている携行糧食だ。レトルト食品のようなプラスチックフィルムのパウチに、「Meal Ready to Eat」と書かれている。それが食料を意味することぐらいは、英語の苦手なマナにも理解できた。
 アンダンテがテーブルの上に跳び上がり、ザックの中から出てきたものをつぶさに見つめた。興味ありそうにしていたのは、しかし数秒程度のことだった。

 マナはMREをひとつ手に取り、開封してみた。ちいさなパウチがいくつも出てきて、ボリュームだけはありそうな食料がテーブルにならんだ。
 七面鳥のホワイトソース煮込み。野菜クラッカーとピーナツバター。お菓子のようなフルーツバーと、さらにチョコレートクッキー。インスタントコーヒーの粉もあったが、もちろん熱湯はなかった。
 出てきたのは、食べ物だけではなかった。スプーンとウェットティッシュとマッチ。さらに、角砂糖と塩と、タバスコまでそろっていた。

 思いがけずたくさんのものが出てきて、マナは唖然とした。
 さてどうしよう。と、つかのま思案する。
 とりあえず水を一口飲んで、彼女はまず野菜クラッカーをあけてみることにした。
 かじってみると、妙に硬い。おまけにバサバサしている。食べられないほどではなかったが、すくなくとも彼女の口には合わなかった。ピーナツバターを塗ってみるとすこしはマシになったが、今度は甘すぎてクラッカーを食べているというよりピーナツバターのかたまりを食べているような按配だった。
 マナは、ためしにクラッカーをアンダンテに食べさせてみた。彼は露骨に顔をしかめて、二口以上それを食べようとはしなかった。彼は食べ物に関してはうるさいのだった。

 マナは次に、七面鳥のホワイトソース煮をあけてみた。
 あいにく皿がないので、袋から直接かじることになった。あとで食堂をさがしてみようと思いつつ、何の期待もせずに一口かじってみると、予想に反してまともな味だった。肉もやわらかく、常識的な味がついている。保存食にしては随分ぜいたくな料理だった。すくなくともアンダンテが二口たべる程度には、まっとうな食べ物だった。

 クラッカーと肉料理を食べ終えると、マナはもう満腹になってしまった。
 残ったチョコレートクッキーとフルーツバーはザックにしまい、マッチは何かに使えるかもしれないと思ってブレザーのポケットに入れた。ほかのものは最初のパウチに詰めもどして、近くのゴミ箱に放りこんだ。砂糖や塩も何かに使えるかもしれないと思ったが、彼女はそこまで貧乏性ではなかった。

 そのようにして食事を終えると、時刻は一時近くになっていた。
 マナは、時計と本の山とアンダンテの背中を順番に見つめ、
「このあとどうしましょうか、アンダンテさん」
 くねくね動く尻尾で遊びながら、答えの返ってくるはずもない相談をするのだった。

 そのとき、ふとアンダンテがテーブルから飛び降りた。床に立って、するどい金色の瞳で出入口をにらみつける。
「どうしたんですか?」
 マナがたずねた直後、ドアが開かれて一人の女性が図書室に入ってきた。
 極端に長い髪。それより更に裾の長いマキシコート。右手には拳銃をにぎっている。サイオンだった。





 2日目−38


「おや。マナさま……。と、アンダンテさまもいらっしゃるのですか。このような場所で何を?」
 右手にベレッタをさげたまま、サイオンは二人に近付いていった。もとはせんべえに支給されたベレッタだが、いまは彼女の所有物になっている。
 前条の襲撃をかわして教室を脱出したサイオンは、氷雨とわかれて図書室に足を運んだのだった。すでに彼らは互いの意思疎通を終え、氷雨の持つスキルの性質上ばらばらに行動したほうが良いだろうという結論のもとに行動していた。ユーロの死体も確認済みである。

「えっと……。すこし調べものがあって」
 マナは正直に答えた。とくに隠すことでもなかった。
「そうですか」
 サイオンは興味なさそうに応じると、左手をコートのポケットに入れた。そして、『村人』のカードを取り出し、警察手帳でも見せるような手つきでマナの前に提示した。
「ご覧のとおり、私は村人です。よろしければ、マナさまのカードを見せていただきたいのですけれど」
「あ。カードですね。はい」
 マナは何の疑念も持たなかった。もちろん彼女も、このゲームの仕組みや理屈についてはしっかり飲み込んでいたが、特別にサイオンを疑ってかかることはなかった。ましてや、『村人』カードを見せられては、うたがう余地などほとんどなかった。

 マナの出したカードは、もちろん『村人』だった。
 それを見るとサイオンは拳銃をポケットにおさめ、こう言った。
「伯爵さまが殺されたのは、マナさまたちもご覧になりましたね? じつはそのあと、せんべえさまとユーロさまもお亡くなりになりました」
「え!? ……ええっ!?」
 口元をおさえながら、マナは立ち上がった。
「状況を知っておいたほうが良いと思いますので簡単にご説明しますが、せんべえさまは人狼でユーロさまは村人でした」
「あ。狼を一人へらせたんですね」
 そうは言ったものの、マナはあまり喜べなかった。いくらゲームとはいえ、人を撃ち殺すなんて──ましてや知り合いを撃ち殺すなんて、できるわけがない。彼女は、そういう性格だった。

「ええ、はい。その点についていえば私たち村人の勝利に一歩近づいたことを評価しても良いと思います。さらに、もう一人の人狼がはっきりしていますので、お伝えしておきます」
「え。だれなんですか?」
「ジェミニさまです。……くわしいお話をしましょうか?」
「はい。聞きます。聞かせてください」

 マナはイスから立ち上がったまま、何度もうなずいてみせた。
 彼女の足元では、アンダンテが尻尾を逆立てたままサイオンをにらんでいる。警戒を解いていないのだ。あるいは、なにかを読み取ったのかもしれない。
 猫に敵意を向けられるのは悲しいですね──とでも言いたげに、サイオンはそっと視線を落とした。彼女の見せる、数少ない感情表現だった。

「ああ。くわしいお話の前に。まず、氷雨さまが占い師であることをお伝えしなければいけませんでした。申しわけありません。私としたことが。うっかりしておりました」
 実際は、うっかりしていたのではなく様子をうかがっていただけだった。信用を得られると確信したから話を進めることにしたのだ。
 マナは、そんなサイオンの思惑など知るよしもない。
「わかりました。氷雨さんが占い師なんですね。えっと。占いの結果とか、あるんですか?」
「ええ。最初に私が占われて、人間と判定されています。次に、せんべえさまを占って人狼でした。そこで、せんべえさまと氷雨さまが撃ちあいになったのですけれど。どういうわけか、ジェミニさまが横から氷雨さまを撃ったのですよ」
「え? なんでそんなこと……?」
「最初は、せんべえさまとジェミニさまが恋人なのかと思いました。しかしせんべえさまが倒れたあともジェミニさまは生きておりましたので、どうやらただの人狼だと考えられます」
 作り話を捏造して信用を得るのは、詐欺師ジェミニだけの専売特許ではなかった。サイオンもまた、その手の技術には長けていた。人狼というゲームの上級者にとって、ごくあたりまえの技術ではあったが。

「やっぱりジェミニさんって、こういうときには狼を引く人なんですね」
 思い込みと偏見に満ちた感想を、マナは口にした。もっとも、その思い込み自体は何もまちがってはいなかった。
「おっしゃるとおりですね」
 サイオンは、しずかにうなずいた。それだけで十分な信用を得られると判断したのだ。
「それで、占い師……氷雨さんは? 無事なんですか?」
「ええ、無事です。どうにか逃げ切れましたので」
「よかったー」

 胸をなでおろすマナに向かって、サイオンは事務的な口調で説明をつづけた。
「ともかく、ジェミニさまには気をつけてください。それと、あのかたは銃を持っていますので可能なかぎり近付かないほうが良いでしょう。おそらくジェミニさまは村人を装ってあなたに接触すると思いますが、すべて演技ですので注意をおこたらないよう」
「わかりました。だいじょうぶです。ジェミニさんには絶対だまされません」
「ええ。よくご注意なさってください。できれば、ジェミニさまを見かけたなら問答無用で攻撃することをおすすめしますけれど。無理なようでしたら逃げてください」
「攻撃ですか……。無理かもしれませんけど、がんばってみます。あたしだって、あんな人に殺されるのはイヤですから」
 もはや彼女の認識として、ジェミニは『あんな人』だった。もっとも、オフラインで出会うまでその事実に気付かなかった彼女はにぶいとも言える。あるいは、お人よしなのかもしれないが。
「そうですね。あのような方に負けるのは、私も承服しかねます。おたがい、力を尽くしましょう」
「はい!」
 力強くこたえるマナを見て、サイオンは満足げにうなずいた。
「では、申しわけないのですが私はほかの方々にもこのことを伝えなければなりませんので。このあたりで失礼いたします」
 かるく頭をさげると、サイオンは踵を返そうと足を一歩ひいた。

「あ、あの。一緒についていったらダメですか?」
 そのとき、すがるような口調でマナが呼び止めた。
 サイオンはわずかに考えるそぶりを見せたが、じきに首を横へ振った。
「まことに申しわけないのですけれど、私ひとりのほうが身軽ですので……。それに、万が一だれかに襲撃された場合、背の高い書棚があるこの場所は身を隠すのに都合が良いと思います。銃撃への盾にもなりますし。よって、あまりここを動かないほうが良いでしょう」
「そうですか……。わかりました。じゃあここにいます。またなにかあったら、教えてください」
「はい。……ところで、その杖は何なのか、おたずねしてもよろしいですか」
「これですか?」
 マナはテーブルに立てかけてある杖を見つめた。
「じつは、よくわからないんです」

「見たところ、ただの杖ではないようですね。この世界には現実にありえないものも存在するようですから、色々ためしてみると良いかもしれませんね」
 サイオンは詮索しなかった。能力もさだかでない杖ひとつにこだわっていられるほど、彼女もヒマではなかったのだ。一人にでも多く、彼女たちにとって都合の良い情報を流す必要がある。無論、うまくいかない相手を処分することも必要だ。
「わかりました。色々やってみます」
「では、私はこれで失礼します。時間がとれましたら、またこちらへうかがいますので」
「はい。待ってます」
 マナが元気よくうなずき、サイオンはうっすらとした笑みを浮かべた。その笑みを見せたまま、彼女は踵を返して廊下へ出ていった。





 2日目−39


「どうにか、まいたかな……?」
 荒い息をつきながら、スノーは階段にへたりこんだ。真っ白なスカートのあちこちに、血のまだら模様が飛び散っている。自分の足から流れた血とユーロの返り血の、ふたつだった。
 スカートの裾をめくり、左足の銃創を見てみる。ヒザの少し上。弾丸の入口と出口に、一センチ程度の穴があいている。その箇所を九ミリ弾が突き抜けたのだ。貫通したぶんだけ最終的なダメージは小さかったが、痛みがあるのは同じことだった。

「あぁ、もう! あのリア狂! むかつく!」
 スノーが思ったのは、死んだユーロのことでもなく、人外確定の氷雨のことでもなく、敵味方関係なしにサブマシンガンの雨を降らせた前条のことだった。当然ではある。勝利条件から冷静に考えれば前条は恋人以外ありえないのだが、そんなことに関わりなく全員をまきこんで死にそうなのが前条だった。
 しかし、なにより生き残らなければならないこのゲームにおいて、自分以外皆殺しという戦術は最適解のひとつでもあった。もちろん、そんなことができる知力や火力を持っていればの話だが。

「ていうか、マシンガンとか……」
 支給品の性能に差がありすぎ、とスノーは恨み言をつぶやいた。
 ナップザックを覗いてみる。彼女に支給された武器。それは、ある意味において最強に近いアイテムだったかもしれない。彼女のように特殊な趣味を持つ人間にとっては。しかし、現実には何の力も持ってはいなかった。
 欠けた月のような、弧状の金属。表面は銃器のようなガンメタルカラーでクロームのメッキがほどこされている。弧の二ヶ所に取り付けられているのは、ふさふさした真っ白の耳。だれがどう見ても、それはネコ耳のカチューシャだった。

「ちがう。ネコ耳じゃなくてイヌ耳かもしれない……」
 どうでもいいことを、スノーは考えた。現実逃避することで、銃創の痛みをごまかそうとしたのだ。彼女はネコ耳にも萌えるが、イヌ耳は更に萌えるのだった。
 そして、その試みは案外うまくいった。彼女は、いつのまにか傷の痛みを忘れていたのである。それは、彼女に与えられたスキルのおかげでもあった。





 2日目−40


「また随分と、妙なアイテムを支給されたもんだね」
 背後から声がして、スノーは振り返った。振り返るまえから、だれなのかわかった。特徴のある低音の声。牛男爵だ。
 瞬間的に、スノーは身をすくませた。彼女の推理からすると、男爵は人狼である見込みが高かった。仮に伯爵が村人だったとするなら、それをいきなり殺したのは男爵である可能性が高い。そう考えていたのだ。それに、ラムを追いかけるように教室を出ていったきりもどってこなかったのも気になっている。警戒するに越したことはなかった。

「あはは。いったい何なんでしょうね、コレ」
 作り笑いを浮かべながら、スノーはさりげなくスカートの裾をもどした。手に持ったものは、そのままだ。『何なんでしょうね』も何もなかった。それがネコ耳カチューシャ以外のものに見えるわけもないのだ。自分でもワケのわからないことを言ってるな、とスノーは思った。

「カチューシャに見えるけど。それも、ネコ耳つきの。……ところで、カチューシャっていうのは日本でしか通じない言葉なんだが、なぜそういう形のヘアバンドをカチューシャって呼ぶか知ってるかい?」
「え? 知りません。カチューシャってロシア語ですよね? でも日本でしか通じないんですか?」
「うん。もともとはロシア系の女性名から来てるんだ。その由来っていうのが、なかなか面白くてね……」
 なにも面白くなさそうに、男爵は右手のペットボトルを口に運んだ。全員に支給されたミネラルウォーターと同じものだ。しかし、その中身は全然ちがった。

「男爵さん、酔っぱらってるんですか?」
 スノーは、すぐに気付いた。なにしろ、周囲の空気がひどくアルコールくさいのだ。
「いや、酔っぱらってはいないよ。ぜんぜん。ただ、ちょっと判断力が鈍ってるだけさ。判断力だけでなく、思考力とか記憶力とか、まぁいろいろと」
 男爵はそう答えたが、つまりは酔っぱらっているということだった。
「男爵さんの支給品は、お酒だったんですか?」
「うん。まぁね」
 彼の支給品はエアーガンだった。どうでもいいところで嘘をつくのは、彼のクセのようなものだ。あるいは、どうでも良くはなかったのかもしれない。ともかく、利害の関わりなしに嘘を述べ立てるのが彼のスタイルだった。

「なんか、血がついてるけど。ケガでもしたの?」
 男爵は、スノーのスカートを指さした。
「ええと……」
 スノーは口ごもった。さっきの教室で起こったことを話してもいいものか、判断しかねたのだ。男爵が人狼だとするなら、よけいな情報をわたす必要はない。それ以前に、なにもしゃべらないほうが良いに決まっている。そもそも、目の前にいる男が人狼なら、すぐにでも逃げなければならなかった。
 銃を持ってたら撃ってたのに。そう思いながら、スノーは支給品の不公平ぶりに文句の一つや二つや三つぐらい──時間が許すなら一億ぐらい──言いたい気分だった。





 2日目−41


 二メートル程度の距離をおいたまま、男爵はそれ以上スノーに近付こうとしなかった。廊下の壁に寄りかかりながら、左手のペットボトルを口に運んでいる。
「さっき、マシンガンの発射音が聞こえたけれど。それで撃たれたのかな? だとすると、撃ってきたのは前条?」
 さぐるように、男爵が問いかけた。

 ただしい情報を渡しても良いものかと、一瞬スノーは考えた。かくす必要はなさそうだと判断するのに、さして時間はかからなかった。どちらにせよ、前条が敵であることには疑いの余地がないのだ。
「そうです。前条さんです」
「ふぅん。あと、銃の発射音とは違う爆発音も聞こえたけれど、あれはなに?」
 酔っぱらいのくせに耳がいいな、とスノーは思った。もしかして、どこかから監視してたとか──? そうも思った。

「爆発音?」
 スノーは、とりあえずとぼけてみることにした。わざわざ隠す必要もないが、なんでも正直にほいほい教えてしまうほどお人好しでもない。できるだけなにかの情報と交換にしたほうが良いに決まっている。それぐらいのことは、彼女も当然かんがえていた。
「うん。なにかの爆発するような音がしただろう? だれかに火薬でも支給されたのかと思ったんだけど。ちがうのかな?」
「そこらへんのこと、いろいろ答えてもいいですけど、それって男爵さんにとっては有益な情報ですよね?」
「そうだね。……ええと、なにか交渉でもしたいの?」
「そうです。とりあえず男爵さんの知ってることを何かおしえてください。役に立つことなら何でもいいです」

「それじゃあ、おいしいホットケーキの焼きかたをおしえてあげよう。いいかい? フライパンを熱するときに……」
「そんなんじゃなくて、ちゃんとしたのをおねがいします」
「ちゃんとしたのって言われてもなぁ。じゃあ、ギターの弦をラクに張り替える方法を」
「ギターなんか弾きませんから!」
「ダメ出しばかりだな。よし、とっておきだ。どんな野良犬でも一瞬で手なづける方法をおしえてあげよう。もちろん、エサは使わない。だれでも、素手で簡単にできる」
「そ、それは興味ありますけど! このゲームと関係あることをおしえてください!」
「たとえば?」
「たとえば、男爵さんの支給品とか、スキルとかですよ」
「支給品はコレだけど」
 ペットボトルのキャップをしめると、男爵はジャケットの内側からベレッタを抜き出してみせた。実際は殺傷力ゼロの空気銃だが、遠目には実銃に見える。

「いいもの支給されたんですね」
 うらやましげに見つめるスノー。銃撃戦にまきこまれたばかりの彼女にしてみれば、ふつうの反応だった。
「そんなに良いものでもないと思うけどな」
「私なんか、これですよ……?」
 半笑いになりながら、スノーは猫耳カチューシャを見せた。
「キミにぴったりのアイテムだと思うよ」
「どういう意味ですか、それ……」
 落ち込むスノー。

「で、あとは何だっけ。俺のスキル? まだわからないけれど、たぶん『小銭を拾う能力』じゃないかな」
「なんですか、それ……?」
「言葉どおりの意味。厳密には違うかもしれないけどね。ここに来てから、もう二百五十円も拾った。現実空間よりも稼ぎがいいね」
 淡々と言って、男爵は小さく笑った。
 そういえばこの人はプロの無職だったのだとスノーは思い出して、二百五十円という金額に形容しがたい悲しみをおぼえるのだった。





 2日目−42


「こっちの情報は、これで全部だよ。さて、さっきの質問に答えてくれ」
 エアーガンを懐にもどして、男爵は言った。
「さっきの質問……?」
「おいおい。わすれないでくれよ。爆発音がしたっていう話のことさ。どういう武器で、だれに支給されたものだったのかな?」
「あれは武器じゃなくて、前条さんのスキルです」
 スノーは正直に答えた。もともと、それぐらいは言っても良かったのだ。どういうスキルなのかを彼女の知っている範囲で答えると、聞き終えた男爵は壁に背中をつけたまま長い息を吐いた。
「無茶苦茶な能力だな」
「そうですね」
 氷雨さんのスキルはもっと無茶でしたけどね、と言いたいのをこらえるのにスノーは少しばかり苦労した。そんな情報は、ぜったいタダでは教えられない。

「それで、ほかの人のスキルは知ってる? 知ってたら教えてほしいんだが。ついでに各自の支給品も」
「そんなことカンタンに教えられるわけないじゃないですか」
 スノーが強気に出ると、男爵は少し面食らったように目を丸くさせた。
 そのままの表情で、彼は言った。
「無理やり聞き出す、という選択もあるんだけどな……」
「どうやるんですか?」
「さっき、銃を見せたと思うんだが」
 言うだけで、手には取らなかった。よく出来ているとはいえ、しょせんオモチャの銃だ。よく見れば実銃でないことぐらい素人にもわかる。
「そうですね。銃は見せてもらいました。でも……」
 スノーは冷静だった。とはいえ、エアーガンだと見抜いたわけではない。ただ、目の前にいる男の性格を思い出したのだ。
「男爵さんは女の子を撃つなんて絶対にできませんよね」

「うん。まぁ、撃たないけどさ」
 男爵は困ったような表情を浮かべると、それをごまかすようにペットボトルの中身を大きくあおった。
「いろいろ教えてもいいんですけど、そのまえに男爵さんの役職を教えてください」
「役職? 知ってのとおり、永遠の無職だけど?」
「そうじゃなくて……。村人か人狼かっていう意味ですよ」
「だから、無職の村人さ」
「カード見せてくれますか?」
「ああ、カードね」
「はい、カードです」
「じつは落としてしまったんだハッハッハ。って言ったら信じてくれるかな」
「無理です」
 笑顔のカケラさえ浮かべず、スノーは答えた。

「まぁ、カードを落としたのは自分でも信じられない話だけど。事実なんだ。信じてくれないかな」
「ふつう、カードとか落としませんよね……?」
「俺が普通じゃないことぐらい、スノーも知ってるだろ?」
「そうですね。ふつうの人は無職じゃありませんし……」
「そ、それは今カンケーないだろ」
「だって、二百五十円とか……」
 言いかけて、スノーは吹き出した。

「それにしても、ほんとうにカード落としたんですか?」
 酔っぱらいなら有り得るかもしれない、とスノーは考えはじめていた。だいたい、カードを落としたなんてウソにしても幼稚すぎる。だれだって、もうすこしマシなウソを言いそうなものだ。とくに、男爵のようなプレイヤーなら。
「よし、それじゃあ逆に考えてみてくれ。もし俺が狼を引いてたら、さっきスノーを背中から撃ち殺しておいて何の問題もなかったよな? 実際は撃たずに話しかけたんだから、村人であることの証明になるだろう?」
「なにか、撃てない理由があったのかもしれないじゃないですか。情報を引き出してから撃ったほうがいいと思ったとか、じつはホンモノの拳銃じゃなくてモデルガンだとか、背中から撃つのは武士道精神に反すると思ったとか」
「いやまぁ、どれもハズレだけど」
 モデルガンじゃなくてエアーガンだし、と男爵は心の中でつぶやいた。





 2日目−43


「わかりました。それじゃ、男爵さんの持ってる銃を私に貸してください。そしたら、知ってること全部おしえてもいいですよ。どうですか?」
 ここぞとばかりに、スノーはとっておきの笑顔を作ってみせた。無論そんなことでたぶらかされる牛男爵ではなかったが、とりあえず話を聞いてみようと思わせる程度の効果が、その笑顔にはあった。

「えぇと。貸すっていうのは、いつまで?」
「私が、返しても大丈夫と判断できるまでです」
「キミがそう判断できるとき、俺は死体になってるんじゃないか?」
「その可能性は高いですね。……あ、私が撃ち殺すっていう意味じゃありませんよ?」
「そういう意味にしか聞こえないが……」
「誤解です。私が撃たれないようにするための方法ですよ」
「キミが撃たれないための方法は、すなわち私が撃たれるための方法じゃないか?」
「誤解ですってば。信じてください」

「一応訊くけれど、スノーは村人?」
「村人ですよ。カード見せましょうか? 男爵さんと違って、ちゃんと持ってますから」
 言いながら、スノーは上着のポケットに手を入れた。
 男爵がそれをさえぎった。
「いや、見せなくていいよ。そもそも、スノーが狼だったらそこまで演技できないだろうし」
「できるかもしれませんよ? いや、できませんけど」
「できないさ。……まぁ一時的に銃を貸すぐらいならかまわない。そのかわり、ほんとうに有益な情報なんだろうね?」
「男爵さんが教室から出ていったあと、氷雨さんが占い師COしたんです。それも知りませんよね? 占いの結果とか、前条さんがマシンガン持って乗り込んでくるところとか、かなり有益な情報だと思いますよ? ほかにも色々あるし……」
 もったいぶるように、スノーは語尾を濁した。
「まぁ聞いておけば役には立つだろうな」
「ぜったい役に立ちますよ。だから、銃を貸してください。そしたら全部はなします」

「わかった。貸してもいい」
 あまり考えもせず、男爵は答えた。
「ただし、ひとつだけ条件がある。それがクリアできるなら、銃を貸そう」
「いいですよ。なんですか、条件って」
「それはだな……」
「はい」
「その猫耳カチューシャをかぶってみてくれ」
 真剣な顔で、男爵は告げた。

「……はい?」
 スノーは自分の耳がおかしくなったのかと思った。さもなければ、目の前の男の脳味噌が。
「聞こえただろう? 二度も言わせないでくれ」
「いや、聞こえましたけど。あの、意味が……」
「意味は、そのままだよ。キミの右手にあるものを頭に装着してくれ」
「それはわかりますよ……。訊きたいのは、それに何の目的があるのかっていうことなんですけど」
 スノーの問いに、男爵はその世界のオーソリティーのような威厳に満ちた口調で答えた。
「猫耳カチューシャに鑑賞以外の目的があるなら、逆に訊ねてみたい」
「鑑賞する以外の目的は……ない、ですね……」
「うん。ないよな。では、理解できたならよろしく」

 やむなく、スノーはカチューシャをかぶることにした。
 いったい私は何をやってるんだろうという激しい疑問にとらわれつつ。





 2日目−44


 十分後、そこにはすっかりノリノリのスノーがいた。
 つい先刻まで彼女の服装は白のハーフコートに白のスカート、そして猫耳というものだったが、いまや彼女の身につけているのはヴィクトリア朝時代の貴族もかくやというほどの豪壮なドレスであり、頭にかぶっているのは王冠であった。

 かと思えば、そのよそおいは一瞬後にはまるで違うものになった。白黒二色を基調にしたツートンに、赤のストライプやワンポイントが入ったゴシック調のワンピース。頭には、フリルのついたリボン。それさえも、形になったそばからどんどんデザインが変わっていく。数秒後には過剰装飾の大半が削り取られて、すっきりしたドレスに早変わりした。
 服だけではなかった。靴も、アクセサリーも、髪型も、手に持っているものも、スノーの体に触れているものすべてが変化しつづけていた。それこそ、ネイルアートから髪先のカラーリングまで、あらゆる箇所が彼女の自由自在だった。──ただし、彼女の想像の範囲において。

 自由と混沌の一人ファッションショーが延々と続いたあと、最後に現れたのは赤のジャケットとピンクのワンピースだった。足元にはブーツ。手首にはシルバーのブレスレット。結い上げられた髪は螺旋を巻いて背中まで垂れている。右手に持った細い杖をくるっと回して、スノーはたった一人のギャラリー(酔っぱらい)の前でポーズを取ってみせた。

「それは、あれか。エアリスだね」
 なかば呆然としつつも、男爵は一目で正解を言い当てることができた。
「正解です! さすが男爵さん!」
 ハイテンションで杖を向けるスノー。
 その先端から攻撃魔法でも撃ち出されるのではないかと思って、無意識のうちに男爵は横へ一歩うごいた。なにも撃ち出されたりはしなかった。杖はただの杖でしかなかった。

「……で、猫耳カチューシャのおかげで偶然みつけたわけだけど。結局そのスキルは何なのかな。妄想を形にする力?」
「妄想じゃなくて、想像って言ってください」
「おなじことだろ。その妄想で、武器は作れないのかな?」
「杖が作れるんだから、武器もいけると思いますよ」

 スノーの手にあった杖が一瞬で消え失せると、たちかわりに拳銃が現れた。グロック17の実銃だ。外見は実物とまったく変わりない。
 スノーは、それを遠くの壁に向けると躊躇なく引き金を引いた。
 パンッ、という発射音。しかし弾丸は銃口から飛び出した瞬間に霧消してしまった。
 もう一発撃ってみる。結果は同じ。

「撃てませんね……。なんでだろ」
 銃身を眺めまわしながら、スノーはつぶやいた。
 男爵はすぐに、ひとつの可能性を思い浮かべた。
「銃を落としてみたらどうなる?」
「え……?」
「銃を床に落としてみてくれ」

 そのとおりにすると、スノーの手を離れたグロックは弾丸と同じく蒸発するように消えて失せた。スノーにも、たちどころに原理が把握できた。
 彼女は野球のボールを作り、それを壁に向かって投げてみた。やはり、手を離れたとたんにそれは雲散霧消した。

「私のさわってるものだけが自由になるみたいですね」
「そのようだ。なにしろ、撃たれた傷もなおったし。もしかすると……」
 言いかけて、男爵は言葉を飲みこんだ。瞬間的に、このスキルの可能性と恐ろしさに気付いてしまったのだ。
 もっとも、だれの目にも危険な能力であることは一目瞭然だったが。

「いま、なにを言いかけたんですか?」
「そのスキルには色々と使いかたがあると思ってね……」
「たとえば、校舎をお菓子の家に変えたりとかですか」
「いや、それは考えなかったけど」
「ちょっと試してみていいですか?」
「まてまてまて! 失敗したらいいけど、もし成功したら俺たち全員お菓子に埋もれて窒息死するぞ!」
「冗談ですよ。いくらなんでも、そんなことしませんって。マナちゃんとかナビアさんとか、巻き込んじゃっだらイヤじゃないですか」
「つまり、それ以外の連中は巻き込んでもいいってことかな……」
「とりあえず、マナちゃんさがしましょうよ」

 男爵の問いに、返事はなかった。
 ふたたび作り出した杖を手にして歩きだすエアリス姿のスノーを見ながら、男爵は『前条や氷雨に与えられたスキルのほうがよほど平和的だったな』とつぶやくのだった。





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