2日目−45
ナビアは疲れきっていた。
校舎の屋上で、彼女はすでに三時間以上にわたってキキとミギの二人に話をつづけていた。それも、このゲームの勝敗にかかわる、根本的なルールと勝利条件を満たすための手筋についてのことだけを。ほとんどすべての──前条を除く──プレイヤーが理解していることを、延々三時間におよんで説明するハメになっていた。
三時間前のナビアは、とりあえず今後の方針について話しあおうとして、いきなり挫折した。なにしろ、彼女の前にいる二人はゲームのルールを理解していなかったのだ。話しあうどころではなかった。彼女は二人にルールを教えるところから始めなければならなかった。
どちらも、日本語が通じないのが問題だった。その講義風景は、一見すると日本語が通じているのだが、それは見かけ上だけのことで本質的なところはまったく通じていないのだ。相手が二人なので、しまいには自分のほうがおかしいのではないかという疑念にとらわれるほどだった。
並の人間なら、この二人にものを教えることなどすぐに放棄しただろう。あるいは、理解が不十分なうちに切り上げ、足をひっぱられて死ぬという未来もあったかもしれない。
しかしナビアは、持ち前の優しさと忍耐力とあきらめによって、二人を見捨てることができずにいた。そしてまた、この二人に足をひっぱられて死ぬのもごめんだという意思をも持っていた。それが、三時間に達する授業風景の理由だった。
それから更に一時間。合計四時間の説明を費やして、ようやく彼女は自分の納得できるところまでゲームのルールと定石を教え込むことができた。基礎的な部分だけでしかなかったが、かぎられた時間の中ではその程度が限界だった。かぎられていなかったとしても限界だったかもしれないが。
彼女は、ひとつの重大な事実をわすれていた。あるいは、考えないようにしていた。人間の記憶力が不完全なものだということを。いちど覚えたからといって、それを数時間後にも覚えている保障などまったくないということを。
しかしナビアにも幸運なことはいくつかあった。
ひとつは、キキの持っている占いマシンだ。これさえあれば、ともかく人狼を見分けることはできる。カード一枚につき一回しか占えないが、いざというときには役に立つ。そもそも彼女の目が正答率99%の占いマシンのようなものだったが、さすがにすべての参加者の白黒を一瞬で見分けることはできない。機械の助けは、ありがたいものだった。
もうひとつは、ミギの支給品であるグロック17だ。持ち主の性能は別としても、銃そのものには強大な制圧力がある。交渉の後ろ盾としては十分だ。
最初からキキ以外の人が占いマシンを持ってたらもっと全然ラクだったと思うけど──。という内心のつぶやきを、ナビアは押し殺した。今日百回めのつぶやきだった。押し殺したそのつぶやきのかわりに、深い深い溜め息を彼女はもらすのだった。
2日目−46
二階から一階まで駆け下り、手近の教室に飛び込んで、ようやくジェミニは足を止めた。追ってくる者の姿がないことをたしかめると、ほっと一息。
どちらの出入口から敵がやってきても対処できるよう、真ん中あたりの机に腰を下ろす。イスでなく机に腰かけたのはイザというとき対応しやすいためでもあるが、イスを引いて座るという動作が面倒なのもあった。
なにしろ、左腕がまともに動かない。肩と上腕部の二ヶ所に弾丸が喰いこんでいるのだ。なかなか出血が止まらないうえ、熱まで出てきた。多量出血で死ぬというほどではなさそうだとジェミニは判断していたが、どちらにせよこのままにしておくわけにもいかなかった。
といって、具体的にどうすれば良いのか見当もつかない。彼は高い知能をそなえてはいたが、あいにく医学の知識は持っていなかった。もちろん止血の方法程度は知っているが、手元に何もない状況ではどうにもならなかった。
どーしたらええんやろなコレ、とつぶやいて彼は苦笑をもらした。笑っていられる状況ではなかったが、笑ってでもいなければやってられない状況だった。
ケガもどうにかしなければならないが、とにかく武器だ。
すでに、氷雨、サイオン、前条の三人が敵対関係にある。いずれも、顔をあわせた瞬間に攻撃してくるだろう。皆ジェミニの話を聞くタイプではないし、そろって銃を持っている。素手では話にならない。
そういえば素手じゃなかったな──とジェミニは思いなおした。
ナップザックに手を入れて、支給アイテムを取り出してみる。それを手のひらにころがして、よく観察してみた。
直径一センチ程度の、うすい金属製の円盤。その中央に、とがった針が取り付けられている。全体は金色で、サビや汚れはどこにもない。どう見ても、ただの画鋲でしかなかった。
じつは魔法の画鋲だったりせぇへんかな──。
スノーでさえ考えないであろうファンタジーな想像を思い浮かべて、ジェミニは画鋲を壁に投げてみた。こつっ、という音がして画鋲は跳ねかえり、彼の足に刺さるだけだった。
ジェミニは自嘲するようにかすかな笑みを浮かべたが、次の瞬間にはひとつの可能性を思いついて慄然とした。
彼は画鋲を手に取ると、もういちど壁に向かって投げつけた。跳ねかえったそれは、ジェミニの右手に刺さった。もちろん、深く刺さったわけではない。ぽつんと血がにじむ程度だ。
左手で画鋲を取り、彼はもういちど投げてみた。今度は肩に刺さった。
さらに五回、おなじことをくりかえした。そのうち四投の画鋲が、彼の体のどこかに突き刺さった。まっすぐ床に落ちたのは一回だけだった。確率的に見て、ありえない数値だった。
もしかして、俺に与えられたのは『画鋲に愛される能力』?
そう考えてみて、ジェミニは笑った。彼のスキルがそんなものでないことは、もはや彼自身がよく理解していた。しかし、彼はその可能性を認めたくなかった。
まさか自分に割り振られたスキルが『不運』の能力だなどとは──。
2日目−47
「なんだこりゃ……」
その教室を覗きこんで、ラムは息を呑んだ。
ひどいありさまだった。まるで、嵐か地震のとおりすぎたあとだ。ほとんどの机がたおれ、イスは散乱して、それらのいくつかは形をとどめないほど破壊されている。割れた窓ガラスから吹きこむ風は火薬の匂いを洗い流していたが、血の匂いを洗い流すことはできないようだった。
床にちらばっているのは、無数の薬莢と血痕。その数が、ここで繰り広げられた戦闘の激しさをありありと伝えていた。そしてもちろん、教室の二ヶ所に倒れた二つの死体こそ銃撃戦の模様を一番につたえるものであった。
ラムは教室にだれもいないことをたしかめると、中に踏みこんだ。狙撃される可能性もある。窓の向こうにも注意をくばりながら、彼はまずユーロの死体に近付いていった。
床に広がる血の海と、その匂い。うつぶせに倒れた後頭部の中心に穴があいて、ぐしゃぐしゃにもつれた髪といっしょに赤や白の物質がこびりついている。仮想空間とは思えないほど、その死体はリアルだった。
ユーロのナップザックは彼の足元にころがっていたが、中身が抜き去られていることは一目でわかった。それでも念のためにとザックの中を覗き、上着のポケットなども調べてみたが、カードはもちろんネコジャラシも出てはこなかった。
かわりに出てきたのはトランプカードだけで、ラムはつかのま考えたものの結局それを自分のナップザックにほうりこんだ。ヒマつぶしぐらいにはなるだろうと考えたのだ。もっとも、そんなヒマな時間があろうはずもなかったが。
ラムは次にせんべえの死体を調べた。こちらは胸を撃たれている。頭を撃たれた死体よりはいくぶんマシな状態だったが、どちらにせよあまり長いあいだ見ていたいものではなかった。そして、せんべえもユーロ同様に何も持ってはいなかった。彼の所持品だったカードと武器は、どちらもサイオンに奪い取られたのだ。
「しかし、だれに撃たれたんだろうな……」
そんなことをつぶやきながら、ラムは教室をあとにした。死体がふたつも転がっている部屋にいつまでも居座る理由はひとつもなかった。
廊下へ出て三歩あるいたときだった。突然、サブマシンガンの銃声がラムの耳を襲った。襲ってきたのは、もちろん音だけではなかった。無数の弾丸もまた、同時に彼の後ろから襲いかかってきた。
「うおっ! マジか!」
とっさに、ラムは隣の教室に飛びこんだ。
最初の説明会場になった教室だ。胸にナイフを突き立てられたままの伯爵が、おなじ姿で横たわっている。それを横目に見ながら、ラムは反対側のドアまで走った。弾はどこにも当たってなかった。走るのは問題ない。銃を持っていないのが問題だった。
一瞬、自分に支給された武器のことが脳裏をよぎった。どう見てもヤバそうな兵器。あるいは、ただのオモチャ。どちらにせよ、撃ちあいに使えるような代物ではなかった。
「前条だろ、てめぇ! 撃つのヤメろや、コラ!」
ドアからすこしだけ顔を出して、ラムは怒鳴った。
返事はなかった。
「なんとか言え! それとも狼なのか、てめぇ!」
今度は、すぐに返事が返ってきた。
「村人だけど、全員殺して勝つことにしたみぎゃ」
「ふざけんな! そんなことできると思ってんのか!」
「できると思うから、やってるみぎゃよ」
「なめんな! 俺が殺すぞ!」
「ムリムリ」
ラムは今すぐ廊下へ飛び出して前条の首を締め上げてやりたいほどの怒りに駆られたが、どうにかそれをおさえるぐらいの判断力は残っていた。丸腰で突撃して玉砕する趣味はない。しかし、状況が絶望的に不利であることも彼はよく理解していた。
とにかくも、武器が必要だった。おなじ時刻、すこし離れた場所でジェミニも同様のことを考えていたが、ラムもまた支給品の不公平さに憤りをおぼえる仲間の一人だった。いかに強力な可能性を秘めた武器といえども、実際に使えなければ何の意味もないのだ。その点でいえば、画鋲のほうがいくらか優れていると言うこともできなくはなかった。
無論、ラムに与えられたスキルはジェミニとちがって『不運』などというものではなかったが。
2日目−48
邪魔な前髪を掻き揚げながら、彼女は廊下を覗いた。人影はない。ラムの逃げこんだ教室は、ふたつ向こうだ。二十メートルは離れている。撃っても当てられる自信がなかった。
慎重に廊下へ出ると、前条は隣の教室へ走った。最初の説明を受けた教室。つい先刻ラムが走ったのと同じように、前条も反対側のドアまで走った。そして廊下を覗きこみ、声を張り上げた。
「おとなしく出てきたら、命は助けてあげるみぎゃよ」
当然ウソだった。彼女の方針は『基本的に皆殺し』だ。ある意味では、非常に正しい戦術。
「アホか! おまえなんぞにだまされてノコノコ撃ち殺されにいく馬鹿はいねぇよ! キキ以外!」
「それはキキに対してひどいみぎゃ」
案外まともなことを言う前条。本心ではなかったが。
「撃たないっていうのなら、おまえがマシンガンを置いて出てこい。そしたら信じてやる」
「べつに、そこまでして信じてもらう必要ないしー」
「それなら、撃ちあうしかねぇな」
ラムの言うことに、前条は答えなかった。相手が飛び道具を持っていないことぐらい、すでに彼女は気付いていたのだ。しかし、確実とは言えない。もうすこし様子を見たかった。
「撃ちあいでもいいけど、この機関銃に勝てると思うみぎゃ?」
「勝てるから、さっさとかかってこい」
「弱いものイジメはしたくないなー」
「イジメかどうか、やってみりゃわかるだろ」
「だって、ラムさんが銃なんか支給されてないのは荷物を見たらわかるみぎゃよ」
「だから、そう思うならこっちにこいよ。蜂の巣にしてやるから」
「ふーーーん」
前条は人並み以上の慎重さを持ち合わせていたが、まるで動きのない持久戦を何十分もつづけられるほど悠長な性格でもなかった。ありていに言えば短気だった。
読みあい睨みあいが面倒になってきた彼女は、一気に勝負を決めることにした。マシンガン片手に教室を飛び出すと、ラムの隠れている教室に乗り込んだのである。
ラムはすでに机とイスを積み上げてバリケードをかためていたが、それにかまわず前条は撃った。撃つだけでなく、炸裂する唾を吐きかけることも忘れなかった。銃弾と爆風が吹き荒れ、硝煙の匂いが教室を満たした。爆炎が視界をさえぎり、轟音が耳をつんざく。たちまち、バリケードがわりの机やイスが薙ぎ払われていった。圧倒的な火力だった。
「おい、なんだよ! その反則技! ふざけんじゃねぇぞ!」
爆風で机が吹っ飛ぶのをおさえつけるため、ラムは両手で机の脚をにぎっていた。せいぜい罵声を浴びせるぐらいのことしか、彼にはできなかった。もとより銃は持っていなかったが、持っていたとしても勝ち目の薄い状況だった。
「反則? 氷雨のほうが百倍ぐらい反則みぎゃ」
火力で上回る前条だが、氷雨の駄洒落凍結能力は脅威だった。あれは何とかしなければならないと彼女は思っている。それでもとりあえず手当たり次第に殺すという方針が変わることはなかった。彼女の頭に、仲間を増やそうという考えは微塵も存在しないのだった。
「よし、わかった。それじゃ協力して氷雨を倒そうぜ!」
本当に追いつめられたときにはどんなことでも言ってみる。そうした粘り強さを持っているのは、けっしてジェミニだけではなかった。ラムをはじめとして、このゲームに参加させられているほとんどのプレイヤーがそうした舌先三寸のテクニックをそなえているのだ。そして当然、そうした口車に乗らない技術もそなえている。
「必要ないみぎゃ」
応じながらも、前条は攻撃の手を止めなかった。すでにラムの周囲を覆う机やイスは半分がた、その用を成さなくなっていた。ただでさえ体格の良い彼の体をバリケードするのに、その限界が来るのは残り数秒というところだった。
「まて!」
大声をあげたものの、ラムは次の言葉を思いつかなかった。理屈の通じない相手を説得するには、彼の発想力は論理的すぎたのだ。
「またない」
前条はマシンガンの雨を降らせつつ、ひときわ強く唾を吹きかけた。それで、最後の机が吹っ飛んだ。ラムはあわてて手近のイスをかきあつめたが、前条の攻撃を止めるにはあまりに非力すぎる盾でしかなかった。
「さぁ、死ね! おまえらがいっつも前条ボムとか言って馬鹿にしてた罰みぎゃ!」
「なんだと?」
その瞬間、ラムの怒りは頂点に達した。銃で撃たれることよりも彼に火をつけたのは、前条に「おまえ」呼ばわりされたことだった。
次の瞬間、前条は肩に熱を感じて跳び上がった。炎を押しつけられたような熱さだった。実際、炎を押しつけられたのだった。彼女の金色の髪が、煙を上げて燃えていた。
2日目−49
前条は、火を消そうとして躍起になった。手で払ったり、髪を服にこすりつけたり、およそ反射的な行動のあらゆることを披露してみせた。が、彼女の髪を焼く炎は勢いを増すことはありこそすれ、勢いを減じることはいささかもなかった。
彼女は悲鳴をあげ、半狂乱になった。この炎がすぐに自分を焼き殺すことはない。それぐらいは彼女にもわかっている。しかし、ほうっておけばタダではすまない。なにより、そんな思考のすべてを奪い去るほどに炎は熱かった。
前条の髪が燃え上がるのを見た瞬間、ラムはおおよそのことを理解した。──否。理解したつもりになった。
彼は前条のワンピースドレスの裾を睨みながら、『燃えろ』と念じてみた。彼の理解では、その箇所が発火するはずだった。ところが、現実には何も起こらなかった。彼はスキルの使いかたをまちがえたのだ。
その直後、前条のマイクロUZIが火を噴いた。何発かの弾丸が壁やホワイトボードに当たり、一発がラムの持っていたイスに命中し、さらに一発がラムの頬をかすめた。
わずかの迷いもなく、ラムは両手のイスを放りだした。そして、廊下に向かって一目散に走った。そのあとを、マシンガンの掃射が追いかけた。弾丸は壁と床に穴を穿って、ラムに怪我を負わせることはなかった。
ラムは脇目もふらずに廊下を走って逃げた。
とどめをさしておこうという考えはなかった。相手はマシンガンを持っている。うかつに近付くことはできなかった。
それになにより、いまは時間がほしかった。このスキルの使いかたを知りたかったのだ。
ラムが逃げたことで、前条は比較的おちつきをとりもどした。ザックから水のボトルをつかみ出すと、中身を頭からかぶった。それでどうにか火は消えた。
髪は焦げ、首筋には火傷痕がのこり、ワンピースも焦げ痕だらけになったが、それでも結局たいしたダメージではなかった。かるい火傷を負った程度にすぎない。
「これぐらい、どうってことないみぎゃーー!」
マシンガンをにぎりなおすと、前条はラムを追って走りだした。
が、すでに遅かった。そこに人影はなく、彼女は廊下にぽつんと立ちつくすだけだった。