2日目−55
サイオンが図書室を出ていくと、マナはドアに鍵をかけようとした。しかし、あいにく内側からは施錠できない仕組みだ。図書室だけでなく、すべての部屋がそういう作りだった。安易な篭城をゆるさないシステムになっているのである。
しかたなく、マナは机を引きずってきてドアの前に置いた。その上に、イスをいくつも積みかさねていく。ドアは外側に開く作りだ。机やイスをいくら積んでみたところで、ドアの開閉は妨げられない。しかし、バリケードを組んでおけば誰かが入ってこようとしたときすぐにわかる。役に立つかどうかは微妙だけれど何もしないよりはマシだと、マナは思っていた。
もともと、賢いほうである。現状で身を守るのに何が有効か。考えなくても、それぐらいのことはわかった。バリケードを築いておくことで、それが無駄になることはあったとしても邪魔になることはない。そして、多くの場合それは役に立つ。ことに、篭城という目的においては。
もちろん、マナはそこまで考えたわけではない。ただ、そうしておいたほうが良いだろうという当然の発想にもとづいて行動しただけだ。実際、それは正解だった。
「ふぅ……」
十個ほどのイスを積み上げたところで、マナは一息ついた。
急ごしらえのバリケードを眺めてみる。形は不恰好だけれど、とりあえず簡単には入ってこれそうもない。もし誰かが無理やり入ってこようとしても、窓から逃げるぐらいの時間はとれる。十分だ。
「これだけやっとけば大丈夫ですよね、アンダンテさん」
承認を求めるように、マナはたずねた。
黒猫アンダンテは尻尾を一振りすると、積み上げられたイスの隙間を縫うように歩いた。安定の悪い積み木パズルのような空間を歩くのは人間にはもちろん不可能なことだったが、並の猫にとっても容易なことではなかった。
アンダンテは、足の裏以外のいかなる箇所もイスや机に触れさせなかった。それこそわずかの足音さえ生じさせることなく、まるで蛇のように体をくねらせながら積み木の隙間を歩いてのけた。その足取りは、優雅でさえあった。イスが崩れないのを確認したかったのか、それとも自分の歩く姿を見せびらかしたかったのか、彼以外の者には知る術もなかった。
じきにイスの隙間から出てくると、アンダンテはマナを見てうなずいた。
彼女は、アンダンテの身のこなしにすっかり見惚れていた。
「すごい。アンダンテさん。よくこんなところ歩けますね」
そりゃネコだから──とアンダンテが思ったかどうかはわからない。彼はただマナを見上げて小首をかしげ、耳をぷるっと震わせただけだった。
その動作がかわいくて、マナは思わずアンダンテをだきしめてしまった。中身がエロ同人作家だということなど、彼女はすっかり忘れていた。たとえ忘れていなかったとしても、そんなのは些細なことだった。
しかし、アンダンテにとってマナの行為は些細なことではなかった。なにしろ彼女は思いきりアンダンテをだきしめたのである。息が止まり、背骨が折れそうな勢いだった。
「ニャ……ッ!」
アンダンテは悲鳴をあげようとしたが、うまくいかなかった。だきしめられたせいで、肺の中の空気が押し出されてしまったのだ。マナの熱烈な抱擁を受けながら、彼はただもがく以外なにもできなかった。
もし彼らの前でドアが開かなかったら、アンダンテは圧死していたかもしれない。──そう。アンダンテを抱きしめて頬ずりするマナの、その目の前で。音もなくドアが開かれたのだ。
机とイスのバリケードを隔てて、ドアの向こうに立っているサングラスの男。それは、画鋲の男ジェミニだった。
2日目−56
「ジェ、ジェミニさん!?」
瞬間的に、マナはサイオンの話を思い出した。
ジェミニさまは人狼です。という、あの言葉。
左腕でアンダンテをだきしめたまま、彼女は支給品の杖を手に取った。その杖がどういう力を持っているのか知らなかったが、にぎっているだけで力がみなぎってくるのは事実だった。杖をにぎったまま、彼女は一歩うしろへ飛びのいた。
「ま、待った。ちょっと待ってや。オレ、マナに危害を加えるつもりはないで?」
お得意の薄笑いを浮かべながら、軽薄な口調でジェミニは言った。
マナはとりあわなかった。
「知りません! 入ってこないでください!」
「え? ちょ。なんで?」
「ジェミニさん、人狼ですよね? サイオンさんが、そう言ってました!」
マナは大声で指摘した。
ジェミニは特におどろいた風もなく、すこしだけ首をかたむけた。それから、合点が行ったように首をうなずかせた。
「あー。それはやな。サイオンさんが狼なんやって。俺は村人」
「ジェミニさんは、そう言うに決まってますよね。だまされませんよ、あたし」
「俺はひとつもだましとらんねやけどな……。こいつはサイオンさんに先手とられたわ」
「さすがジェミニさん。ウソがうまいですよね」
「いやいや。いまのはウソやないんけどな」
「じゃあサイオンさんがウソついたって言うんですか?」
「うん。サイオンさんがウソついたんやろな、それ。……でも客観的に見たら俺のほうがウソっぽいしなぁ。どうしたらいいんやろ。なぁ、どう思う? マナくん」
「あたしに訊かないでください! とにかく、ここには来ないでください!」
「いや、でもキミだまされとるで?」
「あたしはだまされてません! だまそうとしてるのはジェミニさんでしょ!」
机とイスのバリケードを隔てて、二人は不毛な言い争いをつづけた。
マナは完全にサイオンの術中にはまっていたが、それもやむをえないことではあった。目の前にいる画鋲男の顔を見れば、だれでも思ったことだろう。こいつは信用できない、と。
彼は詐欺師として天性の才覚を持っていたが、なにしろ今は余裕がなかった。あらゆる要素が、彼にとってマイナスの方向に動いている。それらの半分は彼に与えられたスキルが引き起こしたものであり、残り半分は彼の生まれ持った不運によって導かれたものだった。
「えーーと。俺は村人やで? なんならカード見せよか?」
「見せなくていいです! どうせ誰かを殺して手に入れたカードに決まってます!」
「いや、これは最初に支給されたカードなんやけどな……。ていうかマナはサイオンさんから一体どんなこと聞かされたん? ちょっと話してみ?」
「話す必要ありません! とにかくどこか行ってください!」
「まぁまぁ。ちょっと落ち着こうや。俺が狼やったら、マナ君とっくに死んどるで?」
「ほら出た! 俺が狼だったらどうこうとか、いっつもジェミニさんが使う手ですよね!」
「たしかに俺は狼のとき、そういう手も使うけどな……。今回は違うんよ」
「ちがいません! あなたが狼です!」
とりつく島もないとは、このことだった。
ジェミニは途方にくれた。すべて自業自得だった。
2日目−57
「なぁ、ところで。アンダンテは大丈夫なん?」
マナの胸に抱かれて窒息しそうなそれを、ジェミニは指さした。
はっと気付き、あわててアンダンテを放すマナ。
フラフラよろめきながら、アンダンテは机の上に丸くなった。いまにも眠ってしまいそうな体勢で、しかし首だけは持ち上げてジェミニとマナを見守っている。息切れがひどいのは、マナが思いきり抱きしめていたせいだった。
「だ、だいじょうぶですか。アンダンテさん」
「ニャ……」
アンダンテはマナを見上げながら、だるそうに首をうなずかせた。
「どうやら生きとるな。……なぁ、アンダンテ。俺は村人だよな?」
ジェミニの問いかけに、アンダンテはあいまいな感じで首をかたむけるだけだった。
しかし、それを強引にねじまげるジェミニ。
「ほら、今うなずいたで」
「ひとつもうなずいてませんでした!」
この瞬間、マナの中でジェミニはただの嘘つきになりさがった。もとより嘘つきのカテゴリーに含まれる人物ではあったが。
「まぁ、ともかく俺は村人なんよ。そんで、サイオンさんが狼。信じとこうや」
「証拠はあるんですか?」
「そんなもんあったら、とっくに見せてるはずやろ……」
「ないんだったら信じません」
「あー。まぁ当然やな。俺だって、ジェミニとサイオンの二人がいたらサイオンさんを信じるやろうし」
ジェミニは、自分自身のことをよく理解しているのだった。
しかし、だからといって説得をあきらめるわけにもいかなかった。彼は最初のうちこそマナひとりぐらいに誤解されても大したことはないと思っていたが、その調子で行くと参加者全員が自分を人狼だと思い込んでしまう可能性もあるのだった。しかも、だれがどんなスキルを配布されているかわかったものではない。生きのびるためには、一人ずつ説得していかなければならなかった。──はかない努力ではあったが。
「とにかく、ここは通しませんから! どこかほかの場所に行ってください!」
「通してくれなくてもええけど、ちょっとは俺のこと信用しようや」
「わかりました。ちょっとは信じます。でもどこか行ってください!」
「それ、信じてる言わんやろ……」
「だいたい、こんなにしつこいジェミニさんは変ですよ! いつもあっさり死ぬのがジェミニさんじゃないですか!」
「それは人狼っちゅうゲームにおいての話やろ」
「じゃあ、ジェミニさんが死んだら信じてあげます!」
「文脈つながってないやろ、それ……」
「知りません! とにかく、ここには来ないでください!」
悲鳴のような声をあげながら、マナは右手の杖を机に打ちつけた。
刹那。フラッシュのような閃光が彼女たちの視界を白く照らした。杖と机のぶつかった点から無数の青白い火花が飛び散り、あるものは机をころがり、あるものは机の上をバウンドして、床に落ちた。まるで、焼けた鋼鉄の塊をハンマーで叩いたような現象だった。
その火花の動きを見つめながら、マナもジェミニも、そしてアンダンテも、言葉を失っていた。まるで魔法だった。実際、そのとおりなのであった。
2日目−58
「ちょっと、その杖見せてもらってもええ?」
いつもの笑顔で、ジェミニはマナに向かって手をのばした。笑顔がひきつっていたのは、杖から飛び散る火花を見たせいか、それとも撃たれた傷の痛みのせいか。どちらにせよ、彼にはまったく余裕がなかった。
「だっ、だめですよ!」
両腕で杖をだきかかえるマナ。
「見せてくれるだけでええねんて」
「見るだけでもダメです!」
「オレ、どんだけ疑われとんの……?」
「自業自得ですよ!」
なにも言い返せないジェミニであった。
しかし、ここで簡単に引き下がっては詐欺師の名がすたる。現実問題マナひとりぐらいを言いくるめられないようでは、このさき生きのこれる見込みはなかった。もとよりそんなものはカケラもなかったかもしれないが。
ともかく、彼のほしいものは武器だった。銃でも魔法の杖でもなんでもいい。前条や氷雨に対抗できるものでさえあれば。なんとかしてマナの杖を手にしようと、彼は頭をめぐらせた。しかしここまで追いつめられた状況では、どうにも名案が浮かんではこなかった。
「マナ君、その杖が何だか知らんやろ?」
「それは、知りませんけれど」
「そんなら教えてあげよか。それ、魔法の杖やで」
テキトーなことを言っただけだった。幸か不幸か、それは当たっていたのだが。
「魔法の杖……?」
「信じとらんやろ」
「いえ、信じました」
もともと、彼女はこの杖に「なにか」を感じ取っていたのだ。魔法と言われても信じることができてしまう程度には。それよりなにより、アンダンテが猫になっていることを考えれば「魔法の杖」などというものが存在するのも何ら不思議はなかった。
「オレ、その杖の使いかた知っとるで?」
「ほんとうですか、それ」
「ホンマやから、ちょっと貸してみ?」
「あ、ウソなんですね。ぜったい貸しません」
いまのジェミニにだまされるのは、赤子ぐらいのものだった。そうでなければ、せいぜいミギぐらい。
「いや、ホンマやって。俺を信じたら、ええことあるで?」
「ジェミニさんを信じたら、ぜったいロクなことにならないと思います」
マナはすっかりサイオンにだまされていたが、ある意味それは僥倖だった。すくなくともジェミニにだまされるよりは遥かにマシだった。
「ええと。でもやな。その杖の使いかた知っとるのは俺だけやと思うで?」
ジェミニはあきらめなかった。
もちろん、マナも折れなかった。
「あたしにだって、使いかたぐらいわかります」
「へえ。そんなら使ってみ?」
「こうすればいいんですよ。きっと」
言いながら、マナは杖を振りかぶった。サイドスローの投手みたいに、横へ。
そして、目の前の空間を思いきり薙ぎ払った。
「ちょ! なんで俺に向けて振るん!」
ジェミニは珍しく大声をあげた。が、すでに手遅れだった。
机とイスの盾をはさんで、マナの杖が赤い閃光を放った。爆発するような、焼けつく炎の色。大気の焦げる音と匂いが走り、杖の先端に輝く赤い宝石からバレーボールほどの火球がほとばしると、ジェミニに向かって一直線に飛んだ。
2日目−59
ジェミニがそれを単なる木の杖と思っていたなら、彼はなにもできずに火球の直撃を受けていたことだろう。しかし彼はそれがただの杖でないことを予想していた。おかげで、どうにか反応することができた。反応といっても、ただ体をひねっただけのことにすぎないが。それでも、かろうじて直撃をまぬがれることはできた。
火球は轟音をうならせながらジェミニの横をかすめると、壁に当たって砕けた。焼けた鉄球を水に落としたような音。灰色の煙が立ちのぼり、ナパームにも似た炎のカケラがあたり一面に飛び散った。
そのうちのいくつかはジェミニの服に燃え移り、彼は必死になって火を払い落とした。どうにかすべての火を消し止めて火球のぶつかった壁に目をやると、そこは浅くえぐられて真っ黒な焦げ痕を見せているのだった。
食らったらタダじゃすまんな、とジェミニは比較的冷静に分析していた。
その分析には何の効果もなかったが、分析の内容自体は正解だった。生身の人間が直撃を受ければ即死する程度の威力を、その火球は持っていた。肩をかすめただけで周囲の皮膚が炭化している事実を鑑みれば、まさに火を見るより明らかだった。
「マナ君、ちょっと今のはヒドイで……?」
どうにか笑顔を作りながら、あわれっぽい口調でジェミニは抗議した。
マナは少しのあいだ自分の手にある魔法の杖を見つめていたが、すぐにそれがどういうものなのかを悟り──同時に自分が優位な立場にいることを知った。
「ジェミニさんがウソをつくからいけないんです」
「いやゴメンな。それは謝っとくわ」
あっさりと頭をさげるジェミニ。生き残るためなら土下座も辞さない男だった。
「わかればいいんですよ」
圧倒的に優位な立場になったことで、マナにもかなりの余裕が生まれていた。
その気になればいつでも殺せる。そう思えば、どんな詐欺師が相手でも落ち着いて対処することができた。
「それにしても、その杖はちょっと物騒すぎるやろ」
「拳銃のほうが、ずっと物騒だと思います」
「それはそうやけどな」
「わかったら、出してください」
「え……?」
「え、じゃありません。拳銃。持ってるんですよね?」
マナはサイオンの話を忘れてなかった。ジェミニが占い師の氷雨を撃ったと聞いているのだ。とにもかくにも武装解除させてしまうのが最優先だった。
「銃は持っとらんのやけどな」
めずらしく本当のことを、ジェミニは口にした。
「またウソつくんですか?」
「いや、ほんとに持っとらんのやけど」
「サイオンさんが、ジェミニさんの支給品は銃だったって言ってましたよ?」
サイオンはそう言ったわけではなかったが、マナの中ではそういう具合に処理変換されていた。いたって普通の考えかたである。
「だから、それはサイオンさんがウソついてるんやって」
「そんな話を信じてくれって言うんですか?」
「いや、信じてくれとは言わんよ。信じてくださいお願いしますって言うとるん」
「さっきと同じ話になっちゃいますけど、証拠があるんですか? サイオンさんが狼でジェミニさんが村人だっていう証拠」
「そんなもんがあったら、だれもこのゲームで苦労せんやろな……」
彼ほど苦労しているプレイヤーは、ほかにいなかった。
「銃じゃなかったら、なにを支給されたっていうんですか?」
ごく当然の問いを、マナは投げかけた。
ジェミニはすこし考えて、正直に話した。
「画鋲やねんけど」
「ふざけてるんですか?」
「いや、ふざけてんのはこのゲームのマスターやと思うんけどな……」
心の底から、ジェミニは正直に話していた。
マナは、彼の話をこれっぽっちも信じてはいなかった。魔法の杖や拳銃が支給されているゲームで、画鋲なんてものが存在するわけない。そう思っていたのである。
2日目−60
「もういちど訊きますよ? ぜったいウソをつかないでください。ジェミニさんは何を支給されたんですか?」
できるかぎりやさしく、マナは問いかけた。
ジェミニもまた、できるかぎり信用を得られるように答えた。
「ほんとうに、画鋲を支給されたんやけど」
「ウソですよね?」
「俺もウソやと思いたいんけど、残念ながら本当のことなんやなコレが」
「わかりました。じゃあその画鋲を見せてください」
「えーと。画鋲な。ついさっき、捨ててきてもうたんやけど」
「あの……ジェミニさん。自分でもそんなウソが通じるわけないと思いませんか?」
「せやな。ちょっと腹が立って画鋲ほうりなげてきてもうたんやけど、こういう事態も想定しとくべきやったわ」
「……正直に言っていいですか?」
「言ってみ」
「ジェミニさんって、よくそんなに次から次へとウソを思いつきますよね」
「だから、ウソやないんやて……」
すっかり意気消沈気味の詐欺師を前にして、マナはこれをどうしたものかと考えあぐねていた。画鋲だのなんだの、すべてがウソくさい。信用する理由がひとつもなかった。ほぼ間違いなく人狼だ。サイオンの話と関係なく、マナはそう認識していた。
しかし、さすがに彼女もジェミニを殺すつもりはなかった。ただ、この詐欺師をすこしだけ懲らしめてあげるのは悪くない考えだと思った。
「わかりました。二度とウソをつかないって誓うなら、今回だけは見逃してあげてもいいですよ?」
かなりの譲歩をしたつもりで、マナはそう言ってみた。
「わかった。天地神明に誓って二度とウソつかんよ」
あっさりと誓うジェミニ。もちろんウソであった。
それぐらいのことはマナにも察しがついたが、だからといってもういちど火の玉をおみまいするほど彼女は残酷になれなかった。立場が逆なら、ジェミニは一抹の躊躇もなく火球を発射したに違いなかったが。
「ウソっぽいけど、まぁわかりました。それじゃ、あとは誰が仲間なのか教えてください」
「仲間?」
「人狼は三人いますよね? あと二人の名前を教えてください」
「えーーーと、やな」
ほんのわずかのあいだ、ジェミニは考えた。
もし村人だと言い張れば、嘘つきの認定をされるかもしれない。かといって人狼だと言うわけにもいかない。ひどい二択だった。
五秒ほど考えたすえ、彼はこう答えた。
「オレ、じつは占い師なんやけど」
ほんのジョークのつもりだった。
あいにく、マナの我慢の限界もそのあたりだった。
彼女は杖を振りかぶり、今度こそ本気で命中させる意思でもって杖を振り下ろした。
2日目−61
杖の先から火球がほとばしる寸前。アンダンテがマナの右腕に飛びついた。
予想もしなかったその行動に、体勢をくずしてよろけるマナ。打ち出された火の玉は天井にぶつかって砕け散り、彼女とジェミニの頭上に火の粉が降りそそいだ。頭髪や衣服に飛び散った火の粉を必死に払うジェミニと、対照的にまったく火の粉が触れないマナ。それもまた『不運』の効果であることは言うまでもなかった。
「マナ君。いま俺のこと殺そうとしたやろ……」
あとずさりながら、ジェミニはどうにか笑顔を浮かべようとした。いつもの半分も、うまくいかなかった。あとずさることも含めて。
「ジェミニさんがウソばっかりつくからですよ!」
「あれはウソやないて。ただのジョークやん」
「冗談は好きじゃないんです!」
マナは大声を張り上げた。ジェミニの存在そのものを否定するような発言だった。
「とりあえずアンダンテ、ありがとうな。おかげで死なずにすんだわ」
サングラス越しの視線を投げかけると、ジェミニは唇の端で笑った。この笑みは、いつもどおりうまくいった。
アンダンテは何も言わなかった。ただ、口にしたキャットフードの中に魚の骨でも入っていたような。そしてそれを奥歯にはさんでしまったような表情を浮かべただけだった。
「もういいです。ジェミニさんが嘘つきだっていうのは、よーーくわかりました。とにかく、どこか行ってください」
魔法の杖をにぎりしめながら、つめたく言い放つマナ。
「どこかって言われてもなぁ……。オレ、ちょっとケガしてん。かわいそうやと思わん?」
「ぜんっぜん思いません!」
「出血多量で死にそうなんやけど……」
「冗談が言えるうちは死にませんよ」
マナの言い分は、じつにもっともだった。
が、それでもへこたれないのがジェミニという男であった。
「いや、ちょっと見てみ? ホンマに血ィ出てるし」
「そのうち止まりますよ。ジェミニさんなら大丈夫です」
てきとうにあしらうマナ。ジェミニの生死など、もはや彼女にとってはどうでもいいことだった。
「ちょっとココで休憩させてくれると助かるんけど」
「ぜったいにイヤです」
「そう言わんと。な?」
卑屈な口調で食い下がるジェミニ。
マナは取り合わなかった。
「もし入ってきたら、今度こそ当てますよ?」
すいっ、と杖が振り上げられた。
「わかったわかった。そんならもう、あきらめるわ」
どうやら他を当たったほうが良さそうだということに、ようやくジェミニは気付いた。
それでもまだ何かあきらめきれなかったのか、彼は立ち去ろうとしなかった。そして、おもねるようにこう言った。
「なぁ、アンダンテ。俺といっしょに来ん?」
「な、なに言ってるんですかっ! アンダンテさんはわたしませんよ!」
立ちはだかるように、マナが一歩前に出た。
しかし実際のところ、彼女がそんなことをする必要はなかった。マナの足元でアンダンテは顔をしかめると、腐った魚でも見るような目をジェミニに向け、早くどこか行けという具合に首を横へやったのであった。