2日目−86


「ほんとにマナちゃん、どこ行っちゃったんでしょうね」
 赤い月明かりの廊下を歩きながら、スノーは今日四回目になるそのセリフを口にした。
 彼女の横を歩く牛男爵は「さぁねぇ」と応じて軽く肩をすくめるだけだ。
 クラブハウスの二階である。本校舎の教室と違って、雑然とした部室が並んでいる。倉庫のようになっている部屋もあれば、カギのかかっている部屋もある。そのひとつひとつを確認してまわるのは、かなり骨の折れる作業だった。

「ところで、ちょっと休憩しないか? つかれてきたよ」
 男爵が足を止めた。二階の部屋をひととおりチェックし終えたところだ。かるく息が上がっている。いまにも、その場にしゃがみこみそうな様子だった。
「もう疲れたんですか?」
「そりゃ疲れるよ。二時間以上も歩いてるんだ」
「時計もないのに、よくわかりますね」
「さっきの部屋に壁掛け時計があったろ?」
「気付きませんでした」
「そうか。まぁちょっと休憩しようや。スノーは疲れてないのか?」
 男爵の問いに、スノーはハタと考えこんだ。まるで、古い記憶を思い出すような顔だった。

「そういえば、ぜんぜん疲れてません」
「ぜんぜん?」
「なんていうか、二時間歩いたって言われても信じられないっていうか……。これもスキルのせいなんですかね」
 ディオスの剣をバトンみたいにクルクルさせながら、スノーは言った。コンクリートさえ切り裂く刃物をそんな風に扱えるほど、現実の彼女は器用ではない。すべて、彼女の妄想スキル『Delusion』による恩恵だった。

「まぁ、スキルの効果以外に考えられないな」
 壁に寄りかかりながら男爵は答えた。アルコール入りのコーラを一口。
「さっきは不便とか言っちゃったけど、やっぱり便利ですね。このスキル」
「便利というか……どう見ても最強のスキルだよね」
「えー。そうですか? でも小銭を拾ったりとかできませんよ?」
「金持ちが段ボールハウスの作りかたを知らなくたって、なにも困らない」
 使い古したジョークを披露するような皮肉っぽい口調で、男爵は応じた。
「よく意味がわかりませんけど、男爵さんはそんなの作ったことがあるんですか? 段ボールハウスって、あれですよね。公園とかで浮浪者が作ってるやつ」

 男爵は、その質問には答えなかった。すこしのあいだ黙りこんでいたかと見えると、やがてこんな話をはじめた。
「おもしろい話を聞かせてあげよう。むかし、上野に段ボールハウス作りの名人がいたんだ。不忍池は知ってるだろう? 十年ほど前まで、あのあたりはホームレスの溜まり場だった」
「しのばずのいけって、聞いたことはありますけど……」
「行ったことはないのか? あの池には、弁天島という小さな島があるんだ。琵琶湖になぞらえて作られた人工の島でね。いろいろと面白い石碑がある。たとえば、フグの供養塔とか、スッポンの供養塚とか、包丁塚とか」
「なんの話ですか……?」
 わけがわからず問いかけるスノー。

「この話は面白くなかったか。じゃあやめよう」
「え。ちょっと。気になるじゃないですか。段ボールハウスの名人がいたんですよね? その人がどうなったんですか?」
「いや、たいして面白い話でもなかったから忘れてくれ」
「えー。聞かせてください」
「しかたないな。じゃあ話そう。弁天島は最初つくられたとき橋が架けられてなかった。船でしか行き来できない島だったんだ。しかし、これは不便だということで島の東側に橋を架けることになった。このとき……」

 そのとき、廊下のむこうから小さな物音が聞こえて男爵は口を閉ざした。
 赤黒い月明かりの中、音の正体は見えない。しかし、何者かが近付いてくるのは明白だった。男爵は壁際に張りついたまま目をこらし、スノーも反対側の壁に背中を押しつけてディオスの剣をかざした。
 物音はもう聞こえなかった。しんとした静寂が張りつめて、冷たい空気がゆっくり流れた。

「だれかいるんですか?」
 スノーが声をかけた瞬間、暗闇の向こうでフラッシュがまたたいた。
 同時に、乾いた銃声が静寂を裂き、無数の弾丸が二人を襲った。





 2日目−87


「前条か」
 身を伏せながら男爵はつぶやいた。彼は兵器マニアである。その無駄な知識たるや、発射音だけで銃のメーカーを識別できるほどだ。もっとも、マシンガンのような目立つ武器を支給されていたのが前条ひとりだったことは参加者全員が知っている。発射音などにかかわりなく特定できることだった。

「また撃たれた。痛いなぁ、もう……」
 最初の一斉射で、スノーは脇腹に弾丸を受けていた。が、ダメージを負ったのは二秒程度のことに過ぎなかった。傷口に彼女の手が触れると、それはたちまちもとどおりに治癒したのである。なおったのは怪我だけではない。衣装のキズも汚れも、一瞬で元のとおりだった。便利という言葉で片付けられるスキルではなかった。

「男爵さんは、そこにいてください。私が何とかします」
 敢然と言い放つスノー。
「なんとかって、どうするつもりだ?」
「走っていって斬ります」
 その言葉に唖然としつつも、男爵は忠告した。
「無茶するな。いくら傷を治せるといったって、即死したら無意味だぞ」
「弾が当たらないようにすればいいんですよ」
「ジュラルミンの盾でも作るのか?」
「そんなのカッコわるいじゃないですか」

 スノーが何をするつもりなのか、男爵にわかるはずもなかった。無論、前条にも。
 しかし、男爵にはこの勝負の行方がはっきりと予想できていた。そして思った。おつかれ前条、と。なにしろ相手が悪すぎたのだ。
 ふたたび銃声が鳴り響き、壁や床に火花を散らして弾丸がバラまかれた。
 それと同時に、スノーは廊下の中央に飛び出した。そして仁王立ちになると、彼女は妄想のかぎりを尽くして声を張り上げた。

「燃えろ! 俺の小宇宙(コスモ)!」

 エアリスルックのワンピースドレスは一瞬で消え失せ、かわりに白銀色の鎧が彼女の身をつつんだ。その聖衣の出来映えたるや、完璧という以外なかった。デザインがキグナス氷河のものであったのは、彼女の趣味にほかならない。
 その格好のまま、スノーは床を蹴って走りだした。すさまじい速度だった。百メートル走で五秒を切れるダッシュだった。

 あせったのは前条だ。スノーがそこにいることも知らなければ、そのスキルも知らなかったのだ。男爵を撃ち殺そうとしてサブマシンガンを撃ったら、スノーが出てきてワケのわからない鎧を身につけていたのだから、それであせらないほうがどうかしている。おまけに、相手はもう目の前まで接近しているのだ。

 ともかく、前条は撃った。月明かりだけがたよりの真っ暗な廊下だったが、相手は夜目にも鮮やかな銀色の装備である。居場所は一目瞭然だった。そして、はずしようのない距離だった。
 何発かの弾丸が、スノーに命中した。
 すべて、はじきかえされた。それも、鎧に覆われていない箇所に当たった弾丸まで。滑稽なほど無力だった。それでも前条はさらに撃った。おなじことの再現だった。9ミリ程度の弾丸では、いまのスノー(の妄想)にかすりきずひとつ与えることはできなかった。

「インチキみぎゃあああああああ!」

 前条の悲鳴がほとばしった。
 彼女は『Bomb』のスキルを使うことさえ忘れていた。使ったところで結果は同じだったが。
 前条が逃げだそうとするその横を、スノーは走り抜けた。
 走り抜けざま、前条に向けて渾身のコークスクリューアッパーを見舞った。

「ホーロドニー・スメルチ!!」

 轟音とともに竜巻が吹き荒れた。スノーにとって残念なことにその一撃で前条が凍結することはなかったが、重力を無視した動きで吹っ飛びながら窓をぶちやぶってグラウンドに落ちていく前条を見れば、凍結しようがしまいが関係ないのは明白であった。





 2日目−88


 ドグシャアアアアアアアアアア!

 すさまじい音をたてて、前条は地面に激突した。
 ボクシングでいうなら場外KO。完全決着である。

 しかし、前条はまだ死んではいなかった。
 いかにスノーが妄想の達人とはいえ、小宇宙(コスモ)を扱うことに関しては素人である。というより、そのような概念はこの空間に存在しないので、結局のところスノーはパンチで竜巻を発生させて前条を吹っ飛ばしたというだけのことに過ぎなかった。──無論、十分に殺人的な行為ではあるが。

 前条の負ったダメージは、どちらかというと二階から落下したことのほうが大きかった。なにしろ、漫画的な構図で頭から落下したのである。通常なら頭蓋骨か頚骨を折って即死するところだった。
 しかし、彼女は運だけは良いほうだった。五メートルほどの高さから落ちたにもかかわらず、どうにか生きていたのだ。とはいえ、とうてい立ち上がれるような状態ではなかったが。

 ともかく逃げなければ──。
 うつぶせに倒れたままで、前条は考えていた。さいわい、銃はまだ手元にある。逃げのびて体勢をととのえれば何とか──。そう思ったものの、足が動かなかった。立ち上がろうにも、体を起こすことさえできないのだ。重度の脳震盪である。

「あれ……。まだ生きてる」
 スノーは、前条が落ちた窓からグラウンドを見下ろしていた。
 月明かりに照らされて、うつぶせに倒れた前条がかすかに動いている。地面のあちこちでキラキラ光るのは、割れたガラスの破片だ。
「あれでよく生きてるな」と、男爵。
「すみません。私の凍気が足りなかったみたいです」
 スノーが何を言っているのか、男爵には理解できなかった。

「いますぐ、とどめさしてきます」
 物騒なことをあっさりと口にして、走りだそうとするスノー。
 その寸前、彼女の足が止まった。
 建物の影──クラブハウスの横手から、人影が現れたのだ。顔はわからない。月明かりを避けるように建物の横を歩きながら、その人影はゆっくりと前条に近付いていった。
 どうするつもりなのかと、スノーは息をこらして見守った。

 一方、前条はそれどころではなかった。近付いてくるのが誰なのか、すぐにわかったのだ。顔が見えなくても、シルエットでわかる。なにしろ、その人影ときたら極端に髪が長いのだ。
「サイオンさん……」
 その名前を呼びながら、前条は生きて勝利することを完全にあきらめた。





 2日目−89


「こんばんは。前条さま」
 倒れたままの彼女のすぐ横で、サイオンは夜のあいさつをした。
 なにも言葉を返せず、必死で起き上がろうとする前条。致死量の殺虫剤を浴びたゴキブリのように、その動きは緩慢だ。
「散歩をしていたら突然あなたが落ちてくるものですから、とても驚きました」
 ひとつも驚いてはいない口調で、淡々と話すサイオン。あるいは、すこしぐらい驚いたのかもしれない。チョコボールで銀のエンゼルが当たったぐらいには。

「たす、けて……」
 どうやっても起き上がれないことを悟ると、前条は最後の望みとばかりにそんなことを口にした。
 サイオンは、このときこそ初めて驚いたような顔をした。
「これはまた、おかしなことをおっしゃいますね。私が前条さまを助ける理由は、ひとつもないように思うのですけれど。私が人狼だということは、とうにご存知ですよね?」
「え……」
 前条はそのことを全然ご存知ではなかったのだが、なにをどう言ったところでサイオンが手助けしてくれる理由がひとつもないことに変わりはなかった。

「これは申しわけありません。どうやら私の思いちがいだったようです」
 かるく頭をさげるサイオン。
 うつぶせに倒れたまま顔だけを横に向けながら、前条は黙ってそれを見ていた。頭の中にあるのは、「いつ撃たれるのかな」ということばかりだった。

 サイオンは、すぐには撃たなかった。クラブハウスの二階に目をやり、スノーの姿を確認すると前条に問いかけた。
「上にいるのは、スノーさまだけですか?」
 前条は答えなかった。男爵に何かの義理があるわけでもなかった──なにしろ先刻自分の手で殺そうとしたぐらいだ──が、敵の言いなりに情報を吐き出すのもシャクだった。
「答えていただけないのでしたら、撃ちますよ?」
 前条は何も言わなかった。どうせ殺されるものとあきらめていたのだ。
「しかたありませんね。こういうのはあまり好きではないのですけれど……」
 言うのと同時に、サイオンは撃った。前条のひざを。

 痛みで前条の体が跳ねあがった。
 それと同時に、彼女は自分の体がすこし動くようになっているのを知った。起き上がることはできないにしても、銃を撃つぐらいはできる。一瞬、生きのびる希望が見えたような気がした。──が、どれほど都合のいい展開を考えてみようと、うつぶせで倒れている状態からサイオンより先に撃つことなどできるわけもなかった。

「上にいるのは、スノーさんと男爵と……あとナビアさん」
 ひとり付け加えたことに、たいした意味はなかった。ただ、それで少しでも会話を長引かせられればと思ったのだ。彼女もまた、古くからの牛村住民である。とっさの嘘をつくことには慣れていた。
「前条さまは、そのうちの誰にやられたのですか?」
「男爵」
「どういったスキルをお持ちでしたか?」
「透明人間になる能力」
 その場で思いついたわりに、これはうまい嘘だ。──と前条は自画自賛した。見えない相手が近くにいるかもしれないと警戒させることができるからだ。それで少しでも自分から注意がそれればいい。

 ところが、コトは彼女の思ったように進まなかった。
 追及するような口調で、サイオンはこう言ったのである。
「透明に……? そのスキルは、せんべえさまに割り振られたはずですが。はたして、おなじ能力を二人に割り振るということがあるのでしょうか」





 2日目−90


 せんべえが死ぬより先に教室を出ていた前条は、サイオンの言葉を不自然と思わなかった。ふつうにせんべえがスキルを見せたのだと思ったのだ。したがって、彼女にできるのはとぼけることだけだった。
「同じかどうかなんてわからないけど、男爵は透明になってたみぎゃよ」
「そうですか」
 ひどく稚拙な手品でも見せられたような表情になって、サイオンは言った。
「どうして、牛村の皆様は嘘をつくのがお好きなんでしょうね」
「え? ウソじゃ……」
「私は、さきほどナビアさまとお会いしたばかりなのですよ。このようなところにいらっしゃるわけがありません」
「えー。あー……」
 よけいなことを言わなければよかったと、前条は後悔した。手遅れもいいところだった。

「では申しわけありませんが、そろそろご退場ねがいます。残念ながら、前条さまからはあまり有益な情報を得られそうにありませんので。ゲームのつづきは霊界でご覧ください。……もっとも、そんなものがあればの話ですが」
 サイオンの右腕が、すっと動いた。
 ベレッタの銃口が迷いなく前条の心臓に向けられ──。しかし、なにかを思い出したようにサイオンは銃をひっこめた。思い出したのは氷雨の忠告だった。前条を撃ち殺すと爆発するかもしれない。そう聞いていたのだ。

 サイオンは銃を左手に持ち替え、足元にちらばったガラス片の中から手ごろなサイズのものを拾って右手の親指と人差し指のあいだにつまんだ。
「念のため、こうして片付けることにしましょうか」
 独り言のように、そんなことをつぶやく。
「ちょ。なにすんの? やめて」
「そう言われましても……。撃ったとき爆発したりされたら私が困るではありませんか」
「爆発なんかしないから!」
「牛村の皆様のおっしゃることは、基本的に信じないことにしています」
「ひどいみぎゃ……!」
「クレームは管理人の方におねがいします」

 サイオンはガラスのかけらを前条の首すじに押しつけた。ニワトリでもさばくみたいに、ためらいのない手つき。もしかすると、ニワトリをさばくほうがよほど躊躇したかもしれない。
 ガラスの刃が前条の頚動脈を切り裂く寸前。サイオンの背後で爆竹のような音がした。前条が、指先で血をはじきとばしたのだ。
 反射的に、サイオンは振り向いた。と同時に、前条はひじを使って横にころがった。あおむけになったその胸元で、マイクロUZIが火を噴いた。距離は一メートルもなかった。はずしようのない距離だった。
 前条はサイオンを蜂の巣にして逆転勝利する光景を思い描いたが、現実は非情だった。UZIは弾を二発撃ち出すと、それきり沈黙したのである。弾切れだった。
 それでも、弾丸の一発はサイオンの肺に命中した。即死ではないが、致命傷である。着弾の衝撃で、彼女は一歩うしろによろけた。──が、それだけだった。彼女は姿勢をたてなおすと、なにごともなかったかのように口をひらいた。

「二階から落ちるまえに弾をつめなおしておくべきでしたね」
「そんなヒマないっていうか、いまちゃんと当たっ……」
「おつかれさまでした」
 最後まで言わせなかった。仰向けになった前条に、サイオンの右手が突き下ろされた。薄くとがったガラスの切っ先が真っ白な喉元をえぐり、噴き出した鮮血が夜空に弧を描いた。





 2日目−91


「……さっき、弾あたりましたよね?」
 前条が力尽きるのを見届けると、スノーはようやく口をきいた。わずかに声が震えているのは、寒さのせいだけではない。いま見たものが信じられなかったのだ。
「防弾着でもつけてるか、それとも何かのスキルか……。どっちかだな」
 判別しかねるように、男爵が答えた。

 クラブハウスの二階から、ふたりはグラウンドを見下ろしている。
 そこにあるのは、動かなくなった前条と。その隣にたたずむサイオン。動いているものは何もない。ただ、前条の首筋からあふれた血がゆっくり広がっていくだけだった。物音のひとつさえない。完全な静寂。
 地面に広がる血溜まりが足元まで寄せてくると、ようやくサイオンは一歩うごいた。じゃりっ、と土を踏む音。波打つ血溜まりに映り込む月影は鮮血の色よりなお赤く、見る者の正気を蝕むようですらあった。
 サイオンは、前条の胸元を見つめていた。乱れた金髪の下で、その胸はかすかに上下している。まだ呼吸が止まっていないのだ。しかしそれも時間の問題であり──事実、五秒ともたずに前条は息絶えた。

「霊界があると良いですね。あなたが歓迎されるかどうかはわかりませんけれど」
 独り言のようにつぶやくと、サイオンは血まみれのガラス片を放り捨てた。それから、思い出したようにクラブハウスのほうへ視線を向けた。
 スノーと目があった。とっさに視線をはずすスノー。彼女は、すっかりサイオンの雰囲気に呑まれていた。聖闘士として恥ずべきことだったが、スノー本人にとっては笑いごとではなかった。
 なにしろ、少年漫画の世界で暴れていたら突然R15のホラー映画にひきずりこまれたような気分だった。それも、ジェイソンと貞子をかけあわせたようなモンスターが出てくる映画だ。もっと怖いかもしれない。

「すこしお話があるのですけれど、降りてきていただけませんか?」
 やんわりとした口調で、サイオンは問いかけた。
 スノーは髪を振り乱さんばかりの勢いで首を横に振った。
「……そうですか」
 意外な返答を見たとでもいう具合に、サイオンは首をかしげてみせた。そして、間をあけることなくこう続けた。
「では、私がそちらへおうかがいします」
「来なくていいですよ!」
「いえ。そうおっしゃらず」
 問答無用とばかりに、サイオンは歩きだした。無論、前条のサブマシンガンを回収することは忘れなかった。





 2日目−92


「ど、どうしよう! 逃げましょう、男爵さん!」
 すっかり慌てふためくスノー。
 しかし、牛男爵はいつものように冷静だった。彼は、どんなときでも決してあわてない。彼が冷静さを失うのは、財布を落としたときと酒をこぼしたときぐらいのものだった。
「なにをそんなに動揺してるんだ?」
「だって、怖いじゃないですか! 殺されちゃいますよ!」
 まるきりホラー映画のヒロインみたいなことを口走りつつ、スノーは今にも逃げだそうとしていた。

「いや、サイオンがどんなスキルを持ってるか知らないけど、むこうはキミのスキルを知らないんだぞ。前条のときと同じ要領であっさり倒せるだろ。なんだっけ、回鍋肉酢飯? そんな名前のやつ。あれ食らわせてやれよ」
「ホイコーローじゃなくて、ホーロドニー・スメルチです!」
「そうだったか。まぁとにかくそれで勝てるだろ。なにしろ弾丸もはじきかえすんだし。どうやったら負けるんだ? むしろ、サイオンに同情するよ」
「そ、そうですか? 勝てますか?」
「勝てる勝てる」
 どこまでも無責任な感じで、男爵は相槌を打った。

「わかりました。じゃあちょっと戦ってみます。でも無理そうだったら逃げましょう」
「いや、どう考えてもあの回鍋肉で一発KOだろ。中華万歳」
「名前ちがいますから! あと中国じゃなくてロシアですから!」
「似たようなもんだよ。まぁ俺は後ろで見てるから。がんばってくれ」
「手助けしてくれないんですか」
「モデルガンと小銭拾いスキルで、なにをサポートしろっていうんだ。自分で言うのも何だけど、足手まといにしかならないよ」
「それはそうですけど」
「そんなビビらなくても、走っていって一発殴れば終わりだって」
「防弾チョッキとか着てたらどうするんですか」
「最初から、頭を殴ればいい。前条のときもそうしただろ」
「防弾ヘルメットとか……」
「かぶってないから!」

「いやでも男爵さん、ちょっとおかしいですよ。なんでそんなに冷静なんですか?」
「スノーが百パーセント勝つと思ってるから」
「やってみなきゃわかりませんよ、そんなの」
「やらなくてもわかるだろ……」
 なかば呆れ気味に男爵が返すと、スノーは一瞬だまりこんだ。
 そして、ひとつの可能性が彼女の脳裏をよぎった。

「やっぱり男爵さん、人狼なんじゃ……!」
「どうしてそうなる」
「私がサイオンさんと戦ってるあいだに、うしろから攻撃してきたり」
「いや、俺が武器もってないのは確かめたよね? 聖衣を素手で殴れとでも?」
「それもそうでしたね……。でも、どうしてそんなに冷静なのか理解できないんですけど」
「そういう性格なんだよ……」
 疲れ気味に男爵が答えると、スノーはふたたび黙りこんだ。彼女は、もうひとつの可能性のことをすっかり失念していた。なにしろ慌てていたのだ。

「ともかく、階段まで行こう。上から攻撃したほうが有利だ」
「わかりました」
 そうして二人は走りだした。
 彼らが階段の前に立ったとき、ちょうど踊り場の影からサイオンが姿を見せた。
 月の光も常夜灯の明かりも、そこまでは届かない。暗闇の淵から抜け出してきたようなサイオンの姿は、どんなに気難しい映画監督でも一発でOKを出すほどの迫力に満ちていた。もちろん、ホラー映画のだ。





 2日目−93


「こんばんは。スノーさま」
 踊り場で足を止めたまま、サイオンは話しかけた。
「こんな薄暗いところで何ですけれど、ひとつおうかがいしたいことが……」
「こっちもひとつ訊きたいことがあります。サイオンさん、人狼ですよね?」
 サイオンの問いかけをさえぎって、スノーは詰問した。
「いえ、私は村人ですけれども。なんでしたら、カードをお見せしましょうか」
「どうせ前条さんか誰か、殺した村人から取ったんでしょう?」
「いえ、れっきとした支給品ですけれども」
 こたえながら、そういえば前条さまの死体からカードを回収するのを忘れましたね、とサイオンは内心つぶやいた。べつだん、気にとめる必要もないことだったが。

「じゃあどうして前条さんを殺したんですか?」
 自分のことを棚に上げるのは牛村住人たちの特徴だったが、スノーもまた正しくその血統を継いでいた。
「前条さまを二階からつきおとしたのはあなたでは……?」
「そうだけど、私は攻撃されてやりかえしただけですから!」
「私も、前条さまには攻撃されたことがありますので。スノーさまも、その場にいたと記憶しておりますが……」
 文句のつけようのない論拠だった。そもそも、前条のプレイスタイルに問題があったのだ。

「じゃあ氷雨さんと一緒に逃げたのは?」
 たたみかけるように、スノーは問いただした。
 なんのためらいもなく、サイオンは応じる。
「氷雨さまは占い師ではありませんか。なにかおかしなことでも?」
「どう見たってニセ占い師でしたよ!」
「そうでしたか? 私には真占い師に見えていたのですけれど……。見解の相違ですね」
「あれが本物に見える人なんていません!」
 スノーが大声を出そうとも、サイオンはまったく動じなかった。
「そう言われましても……。私にはそう見えたのですから仕方ないではありませんか」

「どうしても村人だっていうんですか?」
「ええ。……仮に私が人狼だったとしても、そう主張すると思いますけれど」
「じゃあ私を殺す気はないんですよね?」
「いまのところ、ありません。ただ、スノーさまが人狼だったなら話は異なります」
「私は村人ですから!」
「スノーさまが人狼でも、当然そうおっしゃるでしょう」
「やっぱり、難癖つけて殺そうとしてるじゃないですか!」
「おかしなことを……。これはそういうゲームではありませんか。私には、あなたが村人か否かわからないのですから、いろいろと質問をするのは当然のことと思いませんか?」

 こうした会話でサイオンがボロを出すことは、決してなかった。場合によっては村人のほうが不自然な会話をして処刑されてしまうぐらい、彼女は狼役に慣れているのだ。スノーも熟練のプレイヤーであるとはいえ、少々荷が重いのは否めなかった。
 彼女はこれ以上の会話を無駄と判断し、言下に言い放った。
「とにかく私は村人なんで! これ以上話すことはありません!」
「……そうですか」
 ふぅ、というサイオンの溜め息がもれた。
 数秒の沈黙をはさんで、彼女は問いかけた。

「ところで、そちらにギムレットさまがいらっしゃると思うのですが」
 サイオンは、決まって男爵をそう呼ぶ。他人と違うことをするのが彼女の趣味なのだ。
「ああ。いるけど」
 ぶっきらぼうな感じに、男爵が応じた。壁の角にかくれて、姿は見せない。
「おうかがいしますが、スノーさまは本当に村人ですか?」
「そう思うよ」
 サイオンは、男爵の役職については訊ねなかった。
 些細なことだったが、この瞬間スノーは違和感をおぼえた。その違和感の答えを思いつくには、しかし数秒の時間が必要だった。

「では、スノーさまを説得していただけませんか?」
「説得?」
「私が村人だということを彼女にご理解いただきたいのですけれど」
「いや、俺もサイオンを人狼だと思ってるんだけど」
「それは困りましたね……」
 さして困ってもいないような口ぶりで、サイオンは言った。
 一瞬の間があった。彼女は、なにかを決定するような硬質の声音で告げた。
「では今からそちらへ行きますので、なんとかしてください」

 言うのと同時に、サイオンは階段に足をかけた。そのまま、ほとんど跳ぶようにして階段を駆け上がった。二段飛ばしだった。右手のマイクロUZIが斜めに振りかざされて、暗闇の中を銃火の閃光が走った。





 2日目−94


 スノーは、ようやく違和感の正体に気付いた。サイオンが男爵の役職を訊かなかった理由。そんなものは、ひとつしかない。それに、男爵がひどく冷静だった理由も。つまり──。
 考えているヒマも、迷っている余裕もなかった。敵は二人。どっちでもいい。片付けなければ。もし二人が『恋人』なら、片方を殺せばもう一方も死ぬ。簡単だ。ディオスの剣を作って男爵を斬ればいい。それだけだ。
 しかし、あせればあせるほど妄想がうまくいかなかった。もともと、集中力の必要なスキルである。気の動転した状態では、本来の妄想力の半分も発揮できなかった。
 風を切る音が耳をついて、弾丸がスノーの髪をかすめた。廊下の窓から漏れ入ってくる微かな月明かりに照らされて、サイオンの姿がすぐそこまで迫っていた。

 スノーは、あきらめた。
 あきらめたのは勝利ではない。かっこよく妄想することをあきらめたのだ。その手の妄想は時間がかかる。いまは、急場しのぎの妄想が必要だった。
 彼女は床に手をつき、あるひとつの光景を思い浮かべた。子供のころ、テレビで見た光景。かんたんに描き出すことができた。そして、そのとおりに妄想を現実として具現させた。
 彼女のスキルは、手の触れているものになら例外なく効果を及ぼすことができた。妄想が完璧に思い浮かべられている場合にかぎって。つまり、妄想次第では建造物の床であろうと壁であろうと彼女の思いどおりなのであった。

 スノーが妄想を走らせた瞬間。目の前の階段が斜面になった。それも、ただの斜面ではない。ロウをひいたような、つるつるの傾斜だった。
 階段を駆け上っていたはずのサイオンは、成すすべなく足をすべらせた。想像の範囲を超えた攻撃だった。彼女は受け身を取ることもできず、斜面に取りすがることもできず、そのまま踊り場まで滑り落ちていった。まるで、ドリフのコントのように。というより、それそのものだった。

「ぁえ!? えええええぇぇぇ!?」

 サイオンがそんな声をあげるのは、生まれて初めてのことだった。
 彼女にできるのは間抜けな悲鳴をあげることと、せいぜい頭から落ちないようにすることだけだった。踊り場が水溜まりになっていなかっただけでも感謝すべきかもしれない。スノーがそうしようと思えば、それさえも可能だったのだから。

「男爵さぁぁぁん。いままで騙してたんですねぇぇぇ」
 亡霊のような半笑いの三白眼を男爵に向けると、スノーはさらに妄想を走らせた。
 さすがの男爵も、これには冷静さを保ってはいられなかった。
「ちょっと、ま……!」
 彼は何かを言いかけたが、最後まで聞くほどスノーも寛容ではなかった。
 男爵の足元に、巨大な落とし穴が作られた。まるで、悪の首領がヘマやらかした手下を処分するような見え見えの落とし穴。それが形になった瞬間ガバッと床がひらき、男爵もまた成すすべなく下へ落ちていった。
 男爵がスノーのスキルを最強と評価したのは、冗談でもお世辞でもなかった。四メートル下の部室に尻と背中を打ちつけながら、彼は自分の目が正しかったことを改めて知った。




NEXT BACK INDEX HOME