2日目−99
図書室の裏庭で、マナは魔法の練習に明け暮れていた。
練習というよりは、ただ遊んでいるだけかもしれない。とにかく、思いどおりに火の球や氷の球を作れるのがおもしろいのだった。無論、作れるのはそれだけではない。巨大な岩のかたまりを空中に作ることもできたし、それをつむじ風で巻き上げて石の雨を降らせることもできた。もはや、りっぱな魔法使いであった。
いま彼女の取り組んでいるのは『稲妻』の魔法だった。
これは、風の精霊と土の精霊をうまく接触させることで生じる魔法である。たがいに反発しあう精霊なので、あつかいが難しい。うまくコントロールしないと、たちまちどちらも暴走したり逃げだしたりしてしまう。ちいさなスパークを起こす程度ならともかく、落雷させるほどの力をためるのは容易なことではなかった。
何度も失敗しながらも、彼女は名前どおり無限の魔力(マナ)をもって、ひたすら練習をつづけた。
彼女がコツをつかむのに、たいして時間はかからなかった。
つまりは、風の精霊を自由にさせてやることが肝要であり──。魔女の書に記されていることをていねいに実行すると、それは比較的簡単なことだった。
「あ、こうすればいいんだ」
マナのひらめきと同時に、夜空を青白い電光が駆け抜けた。それは赤い満月を水平に切り裂いて、つかのま中天にとどまったかと見えるや、たちまち重力に引かれて落ちた。一瞬、白昼のような明るさが地上を照らした。
わずかに遅れて、すさまじい轟音が地響きをたてた。マナの前に立つ大木に、稲妻が落ちたのだ。真っ二つに割れたイチョウの木は、裂け目から薄い煙を立てている。倒れることこそなかったが、その木が完全に死んだのは間違いなかった。
「……これ、人間に撃ってもいいのかな?」
足元で目を丸くしているアンダンテに問いかけながら、マナは少し得意げな笑顔を見せた。
アンダンテは答えなかった。それを、マナは肯定の意味にとらえた。
「いざというときには撃っちゃいます」
にっこり笑って、彼女は言った。
無論、このゲームが始まった瞬間から彼女は『いざというとき』に置かれているのだった。
2日目−100
「それは、マナさまのスキルなのでしょうか」
背後から呼びかけられて、はっとマナは振り向いた。
振り向く前から、だれなのかわかった。声でなく口調で。
「スキル……なのかな。よくわからないんですけど」
見られちゃったなと思いつつも、マナはあまり反省してはいなかった。
その足元では、アンダンテが油断のない目をサイオンに向けている。
「それとも、杖の力だけで雷を落としたのでしょうか」
「え……と。わかりません」
答えながら、マナは無意識のうちに後ろへ下がっていた。
サイオンは、すこし離れたところで足を止めていた。右手に、前条のサブマシンガンをぶらさげている。コートの裾や胸のあたりに大量の血が飛び散っているのを見て、マナは息を呑んだ。
「……それ、どうしたんですか?」
「といいますと?」
「血がいっぱい付いてますけど……」
「ああ、これですか」
まるで他人事のように、サイオンはコートの裾を払ってみせた。
それだけだった。彼女は何も答えなかった。見ればわかるだろうとでも言いたげな顔をしただけだった。
「だれかと撃ちあいになったんですか? その機関銃って、たしか前条さんとかいう人の支給品ですよね?」
「ええ。ついさきほど、前条さまを退場させてきました」
「退場?」
「殺したということです」
「え……。前条さん、人狼だったんですか?」
「いえ、彼女は村人でした」
そこまで聞いて、マナは身構えた。精霊の杖を目の前にかざして、いつでも火の玉を撃ちだせる体勢をととのえる。銃より早いかどうか自信はなかったが、やってみるより他になかった。当たれば一発で黒焦げの死体にできる自信はあったが。
「勘違いされるのも無理はありませんけれど、私は村人です」
落ち着きはらった口調で、サイオンは言った。
「でも、村人の前条さんを殺したって……」
「彼女が先に襲ってきたので、しかるべき自衛手段に訴えただけです」
「でも、殺したんですよね?」
「そうしなければ、私が殺されていました。……ところで、マナさまは私を人狼とでも思ってらっしゃるのですか?」
「そうは言ってませんけど……」
「私が人狼だったなら前条さまを人狼だったと言うこともできますし、そもそも何もなかったことにするほうが賢いでしょうね。ですが私は村人なので、ただしい情報を伝えようとしているわけです」
「それはわかりますけど」
マナは警戒を解かなかった。より以上に警戒しているのはアンダンテである。どちらも、その場を一歩も動かなかった。
サイオンは、かすかに落胆の表情を浮かべた。もっとも、夜の中ではその表情もよく見えはしない。
みじかい沈黙のあとで、彼女は様子をうかがうように口をひらいた。
「ひとつ、おねがいがあるのですけれど……。よろしいですか?」
「なんですか?」
マナが問いかえすと、サイオンはゆっくり答えた。二度おなじことを言うのは面倒だとばかりに。聞きちがいはさせないという意思のこもったような口調だった。
「さきほどの雷を、私に落としてみてください」
「は? え……?」
それでも聞き返してしまったのは、ごく当然の反応だった。
2日目−101
サイオンは、おなじ言葉をくりかえさなかった。あれほど噛んで含めるように言ったのだから、聞こえなかったはずはない。そういう顔をして、彼女は立っていた。
「そんなことできません。だって、見ましたよね、あれ」
マナは、いまにも倒れそうなイチョウの木を指差した。
それでもサイオンは何も答えなかった。
「当たったら死んじゃいますよ?」
「ええ。ですから、殺してみてくださいとおねがいしているのです」
「は……!?」
マナは今度こそ絶句した。
サイオンはいつもの無表情で髪をなでると、教え諭すように問いかけた。
「マナさまは、私を人狼かもしれないと思っているのですよね?」
「正直言えば、そうですけど……」
「でしたら、私を殺さなければあなたの勝利は有り得ません」
「でも、サイオンさん村人だったらダメじゃないですか」
「私が村人だとするなら、私を信じて頼みをきいてはくれませんか」
「わけがわかりません! なんでそんなこと……!」
サイオンは答えなかった。答えるかわりに、右手のサブマシンガンを持ち上げた。
マナはとっさに魔法を使おうとしたものの、すでに遅かった。マイクロUZIの銃口は、ぴったりと彼女に向けられていた。結局のところ、彼女には覚悟が足りなかったのだ。アンダンテが責めるような目を彼女に向けたが、マナはそれに気付くこともなかった。
「もういちど言います。私に魔法を撃ってみてください。雷でなくても構いません。……ただ、服の替えがないので火炎の魔法などは避けていただけると助かりますけれど」
「ことわったら撃つんですか?」
「私が人狼であれば、とっくに撃っているでしょうね」
「じゃあサイオンさんは村人です! わかりました!」
「いえ、私が人狼だとしても、これぐらいのことは出来ます。その程度で信用してしまうのは、よろしくありませんね」
淡々と告げるサイオン。
それと対照的に、マナは動転しきっていた。
「その程度で信用するなって……。じゃあ、どうしろっていうんですか」
「ですから、私に魔法を撃ってみてください」
「死んじゃいますよ!」
「それを試してみたいのです」
「おかしいですってば!」
マナが強硬につっぱねると、サイオンはいよいよ面倒くさそうな顔になった。
そして、吐き捨てるようにこう言った。
「役に立ちませんね。私としては、チャンスをあげたつもりだったのですけれど。……時間の無駄でしたね。では、さようなら」
サイオンの右足が一歩前に出た。右腕は水平になって、マナに向けられたままだった。
そして、ようやくマナは悟った。サイオンが人狼だということを。
マナは杖をにぎりしめた。どう考えても、手遅れだった。それでも、彼女は諦めはしなかった。風の精霊と、地の精霊と──。
その魔法は一瞬で完成した。青白い稲妻が大気を震わせてサイオンの脳天を直撃した。
2日目−102
「……あれ?」
支給品の機械をいじっていたナビアが、ふと声をあげた。
「どうしたんですか?」
瞬間的に画面をのぞきこんでくるミギ。まるきり、女主人と下僕のような関係である。
ナビアはディスプレイをミギに向けながら、そこに表示されているものを説明した。
「ミギ君のスキルの『Detail』を見てたんだけどさ。なにもないところにカーソルが移動するから、ヘンだなーと思ったの」
画面には、『Amnesia』を選んだ上で『Delete』の選択が表示されていた。
その単語の意味ぐらいは、英語音痴のナビアにもわかる。削除という意味だ。
「これって、フツーに見たら考えられるのはひとつですよね」
「だよね」
「そうですよ。このスキルをデリートできるんですよ!」
妙に張り切って主張するミギ。彼にしては珍しく正解であった。
「そうだよね。うん。ミギ君のスキルを削除したりはしないけど」
その異様な張り切り具合に、自分のスキルを消してくれとでも言い出すのではないかとナビアは心配になった。
が、それと裏腹にミギの言うことはまっとうであった。
「これでサイオンさんのスキルを消したらいいんじゃないですか?」
「……ああ、うん。そうだね」
「なんで、そんな返事が遅いんですか」
「いや、ミギ君があんまりマトモなこと言うもんだから……」
「オレだって、たまにはマトモなこと言いますよ!」
「あ。たまにしか言わないっていう自覚はあったんだ……」
心の中でとどめようと思ったものの、つい口に出してしまったナビア。
ミギはそんなことをカケラも気にしてなかった。
「もしかして、これってアイテムにも使えるんじゃないですか? そしたら、拳銃とかも削除できるかもしれないですよ!」
「……ミギ君、どうしちゃったの? もしかしてコナン君に操作されてる?」
「されてません!」
「あら、残念」
「残念じゃありません! でも、それはつまりオレの推理が冴えてるってことを言いたかったんですね?」
どこまでも張り切るミギ。
「そうだね。まぁあたしも考えたことだから冴えてるかどうかは別だけど……。この機械を使えば、スキルも支給品も『消せる』と思う」
「すっげぇぇぇ! これって最強アイテムじゃないですか!」
「お金がないと動かないけどね……」
「わかりました! オレが走ってきます!」
「だから、それはもういいってば……」
もはやお約束となったコントを繰り広げる二人。
しかし、彼らの推測はほぼ正解だった。
ナビアの持つ機械は、参加者全員のアイテムとスキルを一手に掌握するものであり──つまりは最強と称するにさしつかえのない支給品だった。ただし、Creditsが潤沢であるならばの話だが。
2日目−103
「じぇみたんのスキル、消してあげたらどうやろ」
横から入ってきて、キキはそんなことを言った。
「え? なんで?」
と、ナビア。
「だって、『Misery』って。不幸とか不運って意味でしょ?」
「そうだね」
「かわいそうやん」
「ミギ君みたいに、他人に使うスキルかもしれないよ?」
きっと違うだろうなぁと思いつつ、ナビアは指摘した。
「うぅん。キキにはわかるんよ。その『不運』って、絶対じぇみたんのハンデ」
「まぁ、あたしもそんな気はしてるけど」
あっさり認めるナビアであった。その表情は、何ひとつ変わらない。
「でしょ? だから消してあげたらどうかなと思うんよ」
「んー。消さない」
たいして考えることもなく、ナビアは断言した。
「なんで? たしかにお金はかかるけど……」
「あの子には、それぐらいのハンデがないとダメなんだよ。フツーにやったらフツーに強いんだし。ちょっとぐらい苦労させないと真剣にならないからダメ。だいたい、不運なんて今に始まったことじゃないでしょ?」
「それもそうだね……」
他人を分析することにかけて、ナビアの右に出る者はなかった。天性の詐欺師ジェミニといえども、ナビアの前では蛇に睨まれた蛙である。そして、ナビアはジェミニという人物の性質をことごとく把握しているのだった。それこそ、ジェミニ本人の自覚していない心理にまで及ぶほどに。
しかし、いかにナビアといえどもジェミニの支給品が画鋲だということまでは予測できなかった。さらにいえば、生まれ持った『不運』とゲーム内スキルの『不運』が相乗効果を生むことも。
「ともかく、このCreditsっていうのがどうやって増えるのかもわからないんだし。敵か味方かもわからないゲミニには使えないよ。まず、あたしたちのスキルをたしかめておかないと。それに、サイオンさんのImmortalとかいうスキルの詳細もね。あと、伯爵のスキルもちゃんと知っておきたいし」
「じぇみたんの『Misery』を消すのは当分ムリそうやね……」
「そうだね。でも、げみになら大丈夫だと思うよ。本気になったら強い子だから」
ナビアの言うことは的確ではあったが、いかに優秀なジェミニでも竹槍でB29を落とせないのは事実なのであった。
2日目−104
地面に倒れたきり、サイオンは動かなかった。
外傷はほとんどない。右手の爪が剥がれているのは、持っていたマシンガンに電流が走ったためだ。ぐしゃぐしゃにもつれた髪の間からは、白煙が噴き上げている。服にも目立つキズはなく、ブーツの底がわずかに焦げているだけだった。
「あの……。サイオンさん?」
おそるおそる、マナは呼びかけた。
返事はない。どう見ても死んでいる。あたりまえだ。落雷が直撃したのだ。ふつう、即死である。
「だから言ったじゃないですか……」
マナは、いまにも泣きだしそうだった。ゲームの中でのこととはいえ、人を殺したのである。すぐに気持ちの整理がつくものではなかった。
──が、幸か不幸かマナの罪悪感は一瞬で掻き消された。
まるで昼寝から覚めるような調子で、サイオンが体を起こしたのである。
それだけではなかった。はがれていたはずの爪はいつのまにか元にもどり、その手が髪をなでるとアイロンでもかけたようにまっすぐになってしまった。まるきり魔法だった。
「うそ……。だいじょうぶだったんですか?」
マナは唖然とした。目の前で起きていることが信じられなかった。いくら魔法が使える世界とはいえ、死んだはずの人が生き返るなんて無茶苦茶すぎる。いや、もしかすると死んではいなかったのかもしれないけれど──。
「ご協力ありがとうございます。どうやら、この程度では死なないことがわかりました」
袖に付いた泥汚れを払い落としながら、サイオンは立ち上がった。
何もなかったような顔をしている。その表情のまま、彼女は思い出したようにマイクロUZIを拾い上げた。ボルトを引き、排莢して、動作に支障がないことをたしかめる。
そのしぐさを見つめながら、マナはようやく気がついた。逃げなければ殺されるということに。しかし、逃げたところで手遅れだということも同時に気付いた。走って逃げれば背中を撃たれるのはわかりきっていた。
「私が人狼であれば、ここでマナさまを殺さない理由はありませんね」
ゆっくりと、サイオンは言った。自分自身に問いかけるような口調でもあった。
とっさにマナは身構えた。精霊の杖を前につきだして、火の玉でも雷でもいつでも発動できるように体勢をととのえる。──が、落雷でさえ効かなかった相手に何の魔法をぶつければ良いのか、想像もつかなかった。
サイオンの口から出てきたのは、しかし意外な言葉だった。
「杖を下ろしてください。私は村人ですので」
「……本当ですか」
「はい」
「でも、さっきはあたしを撃とうとしましたよね」
「そうしなければ魔法を見せてくれそうにありませんでしたので」
「演技だったっていうんですか」
「そうです」
「なんでですか?」
マナの問いかけに、サイオンは首をかしげた。
「それは、いま説明したと思いますが……」
「ちがいます。なんで魔法をぶつけてくれとか言ったんですか?」
「そういう意味ですか。私のスキルをたしかめるためです」
包み隠さず、サイオンは答えた。
マナがさらに質問をかさねた。
「サイオンさんのスキルって、生き返るとかいう能力なんですか……?」
「そう見えましたか」
「ちがうんですか?」
その問いに、サイオンはすこし考えるようなそぶりを見せた。指を耳のあたりに持っていって、髪をなでつける。そのしぐさを続けながら、彼女は答えた。
「『生き返る』ではなく『死なない』というほうが正確だと思います。ゲーム的に言うなら、すべてのダメージを自動的に回復するというところでしょうか」
かなり正確なところを、サイオンは言い当てていた。
その言葉の意味を理解すると、マナは言葉を失った。かろうじて出てきた言葉も、ほんのわずかで途切れてしまった。
「それって……」
「ええ。ひどい能力ですね。ゲームマスターを恨みますよ。本当に」
あながち冗談でもなさそうに言って、サイオンは表情を曇らせるのだった。
2日目−105
結局フマのもとを逃げてきたジェミニは、一人あてもなく構内をさまよっていた。
夜でも外さないサングラスは彼のトレードマークだが、今それをはずしたら目の下にくっきりとクマが浮かんでいたことだろう。なにしろ最初の教室を逃げ出してからというもの、危機に次ぐ危機の連続である。生きているのが不思議なほどであった。三日連続の徹夜ぐらい平気でやってのける彼といえども、さすがに疲れきっていた。
どこかで休憩せんとな──。
そう思いつつ、彼は人の気配がないところをさがして歩いている。うかつに寝てしまうと、いつ流れ弾で殺されるかわかったものではないからだ。できるかぎり、だれも来ないところがいい。
しかし、今まさに彼とまったく同じことを考えている人物がいた。彼もまた、寝床をさがして学内をうろついているのだった。
そうして彼らは、廊下の角でバッタリでくわした。
「だ、男爵……。こんなところで何やっとんですか?」
思わず一歩あとずさりながら、ジェミニは言った。
彼の予想だと、牛男爵はかなりの確率で人狼だった。
「寝場所をさがしてるんだが、見つからなくてな」
眠そうな目で答える男爵。
「なんか、すごい酒くさいんすけど……」
「ああ。医務室にアルコールがあったんだよ」
「飲んだんすか、それ」
「そりゃ飲むだろ」
当然のように男爵が答えると、ジェミニはそれ以上アルコールについては触れなかった。いつか肝臓癌で死ぬんやろなこの人、と思っただけであった。
「ちょうどよかった。ジェミニ、おまえ見張り番しろ。俺は寝るから」
唐突に自分勝手なことを言い出す男爵。
基本的に、ジェミニは男爵の言うことには逆らわない。しかし、いまは状況が状況であった。おまけに、男爵には人狼の疑いがある。おいそれと言いなりになるわけにもいかなかった。
「いや、見張りはええんですけど。俺が狼だったら、男爵が寝てる間に襲撃するかもしれませんよ?」
「それは性的な意味でか?」
「いやいやいや! いいかげん、俺がホモだっていう疑惑をどうにかしてください!」
「事実だから仕方ないだろ」
「事実ちゃいますよ!」
ムキになるジェミニ。ふだん徹底して冷静沈着な彼が、この話題になると途端に冷静さを欠くのは、それが真実だからなのかもしれない。
「べつに俺は同性愛について偏見もってないから大丈夫だよ。ただし俺はノーマルなので、おまえの相手はできないけどな」
「俺もノーマルですから!」
「じゃあ俺は襲撃されないわけだ。安心して寝れるな」
「そうじゃなくて、俺が人狼だったらどうすんですかって訊いたんすよ」
「おまえは村人だろ。見りゃわかる」
「いや、たしかに俺は村人ですけど。男爵は狼かもしれませんよね?」
「ああ、なるほど」
それは気付かなかったとばかりに男爵はうなずいた。
「じゃあ俺が先に寝るから、俺を人狼だと思うなら殺してかまわんよ」
「無茶言うなぁ、この人……」
「無茶でもないだろ。銃とか持ってないのか?」
「持ってませんね……」
「スキルは?」
「それについては、あまり触れないでやってください」
「どうせおまえのスキルは『不運』とかだろ。俺にさわるなよ? 伝染るかもしれないから」
「病気みたいな言われようですね……」
実際、病気と大差ないのであった。
2日目−106
午前三時。
だれもいない廊下を、彼は一人ゆっくりと歩いていた。真っ暗な廊下の端を、壁に貼りつくようにして。慎重に。だれにも見つからないことだけを目的にした、犯罪者のような足取りで。
手には何も持っていない。彼の持ちものは、その優れた知能だけだった。必要にして十分な所持品。
その教室の前で、彼は足を止めた。室内に誰もいないことをたしかめ、そっと忍びこむ。
昼間、前条と氷雨のあいだで銃撃戦がくりひろげられた部屋だった。いまとなってはどちらもゲームオーバーとなった二人だが、この教室には彼らの残した弾丸や薬莢が無数にちらばっていた。
床にころがっているのは、無論それだけではない。おおきく傾いた月明かりの下、ユーロとせんべえの死体が仰向けになっている。どちらも血まみれで、生き返ることは決してない。
彼は二人の死体に手を触れると、なにか納得したようにうなずいて作業にとりかかった。
作業とは、死体を処分することだった。いつまでも死体を放置しておくと、『彼』は困るのである。
処分といっても、埋葬したり焼却したりというわけにはいかない。そんな設備や道具もなければ、時間もないのだ。なにより、だれかに見られることだけは許されない。
さいわいなことに、彼の姿を見た者は一人もいなかった。
なにしろ、その作業は非常にすみやかにおこなわれたのである。ひとつの死体を完全に分解するのに、三十秒とかからないほどだった。分解した『それ』を目立たないよう消し去るのに、さらに三十秒。
合計二分弱で、彼は二つの死体を跡形もなく処分し終えた。
血の匂いが消えた教室で、彼はほんの気まぐれのように月を見上げた。
完璧な真円を描く満月は一点の瑕疵もなく鏡面にも似て冴えわたり、あふれだすような赤い光を放っている。それは、今日この空間で流された血の量を示すかのようでもあった。
彼は、その赤い色が強すぎるとでもいうように背を向けると、胸のポケットからサングラスを出して教室をあとにした。
今日つくられた、すべての死体を処分しなければならない。夜は短かった。