3日目−6
ジェミニが目をさますと、そこに牛男爵の姿はなかった。
交代で見張り番をしようと約束して、数時間後のことである。先にジェミニが見張りを押しつけられて、それからようやく寝たところだった。
窓の外を見ると、すっかり朝である。男爵がいつ消えたのか不明だが、ずいぶん長いあいだ無防備で熟睡していたのは確かだった。
まぁ男爵を信じた俺がマヌケやったな──と思いつつ、とりあえず三日目の朝日を拝めたことに感謝するジェミニ。なにしろ、オンライン人狼では一言もしゃべらないうちに死んでいることさえ少なくない男なのだ。傷だらけとはいえ、生きて三日目を迎えられたのは僥倖と言って良いぐらいだった。一般人にとってごく普通のできごとが、彼にとっては幸運なできごとなのである。
よく寝たおかげか、それとも『そういう空間だから』なのか、左肩の銃創はかなり痛みが引いていた。そのかわり、腕はほとんど動かない。まるで麻酔でも打ったように。服は血まみれのうえ、あちこち焦げあとだらけだし、髪はボサボサでひどい身なりだった。
それでも不思議と体力が回復しているのは、やはりここが『そういう空間だから』なのだろう。しかし睡眠をとっても空腹が癒える様子はなく──。ともかく支給品のMREを一食たいらげて、ジェミニはその教室をあとにした。
彼のさがしているのはナビアだった。昨日の半日以上は、そのために行動したと言っても良いぐらいだ。しかし『不運』のためか、それとも勘が悪いのか、彼の前にナビアが姿を見せることはなく、出会えたのはマナ、フマ、男爵の三人だけだった。くわえて、いずれも味方になりそうもなかった。味方にならないどころか、マナとフマの二人にいたっては完全に彼を人狼だと思い込んでいる始末。
ジェミニにとって悲劇なのは、マナもフマも村人にしか見えないという事実だった。相手が人狼に見えるならまだしも、どう考えても村人でしかない相手と殺しあうのは悲劇を通りこして喜劇でしかなかった。──もっとも、現実に起こったのは『殺しあい』ではなくジェミニが一方的に殺されそうになっただけのことだったが。しかしながら悲しいことに、それさえも彼にとっては日常事なのであった。
ジェミニは階段を下りながら、今日の方針について考えをめぐらせていた。
昨日はある程度ナビアの行動を推理して、それをもとに探索をつづけていたが、今日は方針を改めるつもりだった。彼の中で効率的だと思われたその探索法は、『不運』を持つ彼にとって絶望的に非効率的なやりかただったのである。彼は考えを改め、端から端までシラミつぶしに全ての部屋を見てまわる作戦に切り替えた。
まず手始めは、この校舎の一階。食堂からだった。
その選択は彼がこのゲームにまきこまれて以来はじめての幸運と言って良いものだったが、あいにく彼の行動は遅かった。もうすこし早く目をさましていれば──あるいは朝食をとらなければ、彼はナビアと出会うことができたかもしれない。
あいにく、食堂に残っていたのはミギひとりだけだった。
3日目−7
「よぉ、ミギ君。おはよう。元気やった?」
サングラスのフレームを指先で押し上げながら、ジェミニはお得意のさわやか笑顔で話しかけた。その裏に隠されたあらゆる奸計をカモフラージュする、詐欺師の本領発揮といわんばかりの笑顔。
「あ、ジェミニさん! おはようございます!」
一方、ミギの笑顔は百パーセント天然素材無添加無農薬の爽やかスマイルだった。
その笑顔が、しかしジェミニのいでたちを見てたちまち曇った。
「血だらけじゃないですか! ケガしてるんですか、ジェミニさん!」
「ん? ああ、これは大したことないんや。もうふさがっとるし。それより……」
ほかに誰かいないのかと訊ねようとしたのだが、ミギの問いかけが飛んでくるのが先だった。
「それ、撃たれたんですよね? だれにやられたんですか? サイオンさんですか?」
「いや、このケガは前条やけど……。なんでサイオンさんだと思うたん?」
「だって、あの人は人狼ですよね?」
「せやな。……でもまぁ、そんな話をするちぅことはミギ君は村人やな」
「やだなあ。オレが人狼なんか引くわけないじゃないスか」
ジェミニもまた村人と狼を見分けることには長けていたが、自分自身を村人と思い込んでいる人狼に対してはまったく無力だった。彼もまた、ナビアと同じミスを犯したのである。
しかし、ナビアと違って彼には一つの情報が提供されていた。
ほかでもない。目の前のテーブルに、『人狼』のカードがそのまま置かれていたのである。これ以上ないほどの情報だった。
そのカードを目にした瞬間、ジェミニの中で一瞬にロジックが組み上げられた。
このゲームにおいて、人狼のカードは三枚しか存在しない。うち一枚は、伯爵が所持していた。それは氷雨のニセ占いマシンに差し込まれて、すでに消失している。
もう一枚は、せんべえの死体から出てきた。無論それがサイオンの所持品であっただろうことはジェミニもとっくに気付いている。そして、そのカードもまた氷雨の機械に取り込まれているのだ。
つまり、『人狼』のカードは残り一枚しか存在しない。それが、いま目の前にある。
そして、どう見ても村人としか思えないミギ。考えにくいことだが、この状況からはミギが人狼を倒したのだとしか思えなかった。──完全な推理ミスである。
しかし、ジェミニは慎重だった。
このゲームでは、なにが起こるかわからない。勝利が確定するときまで気を抜かないのが彼のポリシーだった。なにしろ無茶苦茶なスキルの存在するゲームである。カードを捏造するなどというスキルさえ存在するかもしれないのだ。
おまけに、相手はミギである。カードをスリかえられたという可能性もあるかもしれない。ともかく、安易に判断して良い状況ではなかった。
どういった事態にも対処できるよう、ジェミニは入念に言葉を選んだ。そして、言った。
「そのカード、しまっといたほうがええんちゃう?」
「あ。そうですね。無用心でしたね。スンマセン」
当然ながら、なにも言葉を選ばないミギ。
「いや別に謝らんでええけど。なんで、テーブルにカードなんか置いとったん?」
「いやあ、キキさんの占いマシンに使うんだっていう話で……」
「え? いま、なんて言うた? 占いマシン?」
「あ、そうか。ジェミニさんは知らないんでしたね。キキさんが占い師なんですよ。あとナビアさんが村人で、サイオンさんが人狼で……」
一方的に情報を吐き出しつづけるミギ。その表情は満面の笑顔だった。
「ちょ、ちょお待てや。なに? ミギ君は今までキキと一緒にいたん?」
「そうですよ。あとナビアさんも」
「え。マジ? ナビアさん、どこにおるん?」
「あー。なんかキキさんと内緒の話があるとかで、トイレに行っちゃいましたよ」
「おぉ、やった! そんならやっとオレはナビアさんと合流できるんやな」
めずらしく、喜びを隠そうとしないジェミニ。「ミギとキキは不要やけどな」という言葉を自重しつつ、彼はほっと溜め息をついた。
『不運』なことに、ぬか喜びであった。
3日目−8
「そういえば随分おそいですね。ナビアさんたち」
壁の時計を見ながら、思い出したようにミギが言った。
「ん? 話が長引いとるんちゃうの?」
「でも、そろそろ二時間ぐらい経つんですよ」
「二時間? トイレで?」
「ちょっと長すぎますよねえ」
「いや、そんな悠長にしとる場合ちゃうやろ。なにかあったとしか考えられんわ、そんなん」
「なにかって、なんですか?」
「フツーに考えたら、狼に襲撃されたんやろな」
「え。それマズイじゃないですか。助けないと!」
ミギは勢いよく立ち上がった。
「けどなぁ。二時間前やろ……?」
「でも、助けないと!」
「せやなぁ。手遅れっぽいけど、まぁそのへん見てみよか。ミギ君、支給品は拳銃やったな?」
「ナビアさんに貸しちゃいました」
「え……?」
「ナビアさんに貸しちゃったんですよ」
「いや、それはわかったわ」
「じゃあなんですか?」
「ちょっとな。こう、違和感が」
ナビアがジェミニの人格をよく理解しているように、ジェミニもまたナビアのことをよく知っていた。彼の認識としては、ナビアが他人から物を借りてそのままでいることなど考えられなかったのだ。
しかも、拳銃である。いくらミギがたよりにならないとはいえ、あまり女性が率先して持つものではない。違和感を覚えるのも無理はなかった。ナビアの行動に違和感なく説明をつけるなら、彼女が狼であるか、ミギが狼であるかのどちらかとしか思えなかった。
ナビアが狼なら、銃を奪っておいてミギを放置しておく理由はない。しかし、目の前のミギが狼に見えないのも事実だった。
どこかに間違いがある──。そのことに、ジェミニはすぐ思い至った。どこかの前提が間違っているのだ。ナビアの性格を読みまちがえていたか、あるいはミギが人狼なのか。
「なぁ、ミギ君。ナビアさんとキキ以外だれかに会うた?」
「サイオンさんと会いましたよ」
「ほかには?」
「ほかは誰とも会ってません」
「……で、サイオンさんはどうしたん?」
「図書室で調べものがあるとか言ってました」
「そんだけ?」
「それだけですよ」
「戦ったりせんかったの?」
「はい。いまはヤメとこうってナビアさんが言ったんで」
「へぇ……」
ジェミニは考えた。ミギの言葉を信じるなら、彼の持っている『人狼』カードを手に入れる機会はどこにもなかったことになる。つまりは、最初に配られたカードがそれだったのだ。
わけがわからないのは、ほかならぬミギ自身が人狼であることを自白しているという現状だった。なにしろ、彼が人狼でなければ説明がつかない状況になっているのだ。それも、彼自身の証言によって。
「そういや、ミギ君はオフラインで人狼ゲームやるの初めてやったっけ?」
「そうですよ! なのに、いきなりこんな場所につれてこられるとか……不幸すぎますよ!」
「まぁ、たまにはこういうのも面白いんちゃう?」
その『不幸』は俺のせいじゃないぞと呟きつつ、ジェミニは答えた。
「おもしろいっスかね……。みんなフツーに順応してるのが驚きですよ。殺し合いなのに」
「どうせなら、狼カード引いとけばもっとおもろかったな」
「その発想がフツーじゃないっす」
「そういや、狼カード見たことある?」
さりげない口調で、ジェミニは核心に触れた。
「見たことないスね」
「伯爵の死体が見つかったとき、カードも出てきたんけど。あれ見とらんかったの?」
「いやぁ、なんかみんな真剣な話してたんで。新参者のオレとしては遠くから眺めてるぐらいしか」
なんの警戒心も持たずに、すべてを説明するミギ。まさに、詐欺師とその被害者という構図だった。
「てことは、ミギ君は村人のカードしか見たことないんやな?」
「そうですよ。……あぁ、でもナビアさんの持ってた村人カードって、オレのとすこしマークが違ってたような気もしますけど。一枚ごとにデザインが違うんですよね、これって」
「……せやな。ミギ君の村人カードはカッコええよな」
「あれって、なんの意味があるんですか?」
「いやあ、意味はないやろ」
「ないんですか」
「ないない」
どうやら──とジェミニは二つのことを確信した。
ひとつは、ミギが人狼であるのは間違いないということ。
もうひとつは、ミギの脳味噌がかわいそうな構造になっているということ。
どちらも大正解であった。
3日目−9
「ふぅん。ミギ君のスキルが『Amnesia』で、サイオンさんが『Immortal』と。……で、ナビアさんとキキのは、まだ見とらんかったんやな?」
「そうです。あと、伯爵さんのも見ました。『Xerox』とか出てましたよ」
「伯爵? なんで伯爵のなんか調べたん? 一応死んでるやろ」
「ナビアさんが、気になるからって言って」
「あぁ。まぁそれは俺も納得できるわ」
「やっぱり生きてるんですかね」
「それはわからんわ。でも生きてるとしたら、本人すごいたのしいんやろな」
「そうですかね」
ナビアたちをさがして歩きながら、ジェミニはミギの持っている情報をひとつ残らず搾り取ろうとしていた。実際のところ『搾り取る』などというものではなく、ミギが一方的にしゃべっているだけのことではあったが。
彼らが顔をあわせて十五分たらずで、ジェミニはおおよその情報を把握していた。ナビアとキキの持っている機械のこと。その結果のこと。そして、ミギが人狼であるのは百パーセント確実だということ。
「ジェミニさん、意味わかりますか?」
「ん? なんの意味?」
「アムネジアとか、イモータルとか」
「Amnesiaって記憶喪失とかの意味やったと思うけど、ちょっと自信ないわ。Immortalいうんは、見たことないなぁ」
「あー、ジェミニさんでもわからないんですか」
「オレ、英語はそんな得意でもないで」
知ってたとしても教えるわけないけどな、と心の中でジェミニは付け加えた。
「それにしてもナビアさんたち、どこ行っちゃったんでしょうね。無事だといいんですけど」
不安げに表情を曇らせながら、ミギは言った。
すでに、食堂の近くにあるトイレをふたつチェックした後である。どちらも人の気配はなく、それどころか誰かの立ち寄った形跡すらなかった。無論、廊下や教室にもナビアたちの姿はなかった。
「ナビアさん一人なら大丈夫やと思うけど、キキっていう荷物がおるからなぁ」
「そんなことありませんよ。しっかりした人じゃないですか」
「……うん、まぁ、なぁ」
ミギに比べたらそりゃしっかりしてるわ──とジェミニは思ったが、言葉にはしなかった。
「とにかく、一刻も早く見つけないと……」
「二時間もぼんやりしてた人の言うセリフやないで、それ」
「オレもちょっとおかしいなぁと思ってたんですよ! でもここで待ってろってナビアさんが言ったから! オレは言われたとおりにしてたんですよ!」
「忠犬ハチ公みたいやね、ミギ君」
「すごくいい話じゃないですか!」
「まぁ、それは感動的な話やと思うけどな……」
心にもないことを言うジェミニ。彼の辞書に『感動』などという言葉はなかった。
「あー、でももしかしたらナビアさんたち、食堂にもどってきてるかも」
「それはないやろ……」
相変わらずの発言を繰り返すミギに、ジェミニは駄犬を見るような目を向けた。
「なんで、言い切れるんですか」
「二時間やで? もどってこない理由があるんやろ」
「生きてるといいんだけどなぁ」
「まぁなぁ」
どうでもよさそうな口調で応じるジェミニ。彼にとって今もっとも重要なのは、いかにしてミギを殺すかということだった。
おたがい、素手である。しかし殴り合いでどうにかするわけにもいかない。触れられてしまえば記憶を消されるし、なにより疲れる。そもそも、殴り合いで勝てる自信もあまりなかった。隙をついてどうにかしたいところだが、あまり時間をかけることもできない。狼側のプレイヤーと鉢合わせでもしたらマズイからだ。
銃も刃物もなしで、指一本ふれずに人を殺す方法──。頭脳明晰なジェミニといえども、かなりの難問だった。とりあえず言えるのは、画鋲ではどうにもならないということだった。いずれにせよ、とっくに捨ててしまったが。
3日目−10
「ミギ君、ちょっと屋上行ってみようや」
「屋上ですか? でもナビアさんたちトイレに行くって言ってましたよ?」
「トイレ見ても、おらんかったやろ」
「そうですけど。でも、なんで屋上なんですか?」
「ナビアさん、高いところが好きなんやで。知らんかったん?」
「へぇー。そうだったんですか」
「おぼえとったらええよ」
言うまでもなく、ウソだった。
こんなウソついたのナビアさんにバレたらタダじゃすまんなぁと思いつつ、しかしミギを始末してしまえばノープロブレムだと自らに言い聞かせるジェミニ。
第三校舎のフロアは四階まであって、その上が屋上として開放されている。
落下防止フェンスはない。それに準ずるものも設置されてはいない。あきらかに建築基準法に反する作りだが、そんな法律はこの空間に存在しないのだった。
どうにかおびきよせて突き落とすことができれば──とジェミニは考えていた。そうすれば、あとは重力がミギを殺してくれる。自らの手を汚したり必要以上の労力を使ったりするより、よほどラクなやりかただ。
ただ、不安要素はある。ほかでもない。『不運』の能力だ。うまくやらなければ、自分が落下することになりかねない。そして、それは普通に起こり得ることなのだ。
「ナビアさん、いませんねえ」
屋上の風景を眺めながら、ミギは大きくうなだれた。
「せやなあ。予想がハズれたわ」
「もしかしたら、ほかの校舎の屋上にいるかもしれませんよ」
「いやぁ」
それはないやろと言いかけて、ジェミニはあわてて咳払いした。ナビアが高いところ好きだと言ったばかりのうちに自らそれを否定してしまうところだった。あやうくミギのペースに巻き込まれてしまうところである。
「あっちの屋上いってみませんか?」
そんなことを気にもせず、第二校舎の屋上を指差すミギ。
「あぁ、そんならわざわざ行かんでも、ここから見えるやろ」
もっともらしいことを言いながら、ジェミニは屋上の端へと歩いていった。
ミギが、そのあとについていく。
「お。むこうの屋上に誰かいるで」
サングラスをずらして上目遣いに遠くを見つめながら、ジェミニは一芝居はじめた。無論、だれの姿もありはしない。
「え。いましたか、ナビアさんたち」
ジェミニは『誰か』と言っただけなのだが、もはやミギの頭の中にはそれ以外なかった。
「いやあ、ここからだと誰だかわからんわ。オレ、視力わるいしなぁ。ミギ君、ちょっとこっち来てよく見てくれへん?」
べつに彼の視力は悪くない。すべて演技である。
しかし、なにも疑問に思わずジェミニの言うとおりにするミギ。
彼は屋上の端ぎりぎりの場所まで行くと、爪先立ちになって目をこらした。あと二十センチほど前に出れば、落下する位置である。背後から思いきり突き飛ばせば確実に葬れる位置。
「だれもいませんよ、ジェミニさん」
「おかしいなぁ。だれかおったんやけど。もうちょっと、よう見てみ?」
受け答えながら、ジェミニはさりげなくミギの背後へ回ろうとした。
そのとき、信じがたいことが起こった。ガクンと音をたてて、ジェミニの足元のコンクリートが崩れたのである。
「ちょ……! ウソやろ!?」
一瞬にしてジェミニはバランスを失った。
体勢をたてなおそうにも、すでに彼の体重をささえるものは存在しなかった。彼の足元だけが、ごっそり割れて崩落したのである。すさまじい不運だった。
「ジェミニさん!」
とっさに手をのばすミギ。
しかし、その状況でもジェミニは冷静だった。彼はミギの手をにぎらず、崩れ欠けたコンクリートから突き出ている鉄筋をつかんだ。
体重の軽いことが幸いして、どうにかジェミニは即死せずにすんだ。が、昨日の銃創のせいで左腕はまともに使えない。右腕一本で体重をささえるのは、数分が限度だった。
「オレの手をつかんでください! ひっぱりあげますから!」
必死で呼びかけるミギ。
「そんなことしたら、オレの記憶なくなるやろ」
「だいじょうぶです! なくなりませんよ! たぶん!」
「いや、きっと記憶なくなるわ」
「やってみなきゃわかりませんよ、そんなの!」
「やらんでもわかるわ。なんていうても『不運』やからな……!」
ジェミニの推測は、たいてい当たるのだった。不幸が降りかかる場合には、とくに。
3日目−11
「ミギ君、だれか呼んできてや」
鉄骨にぶらさがりながら、ジェミニは言った。
もはや、それ以外に手立てがなかった。万が一にも、記憶を消されるわけにはいかない。ただでさえ『画鋲』と『不運』というハンデを負わされているのに、そのうえ唯一の武器である『情報』まで失ったら生き残れるわけがなかった。
「だれかって。そんなヒマありませんよ! 落ちたらどうするんですか!」
「おとなしくブラさがっとるだけなら、十分ぐらいは持つと思うわ。そのあいだに、どうにかしてくれへん?」
「でも……!」
「いまたよりになるのは、ミギ君だけなんやで?」
真剣な表情で訴えるジェミニ。ついさっきまでミギを殺そうとしていたとは思えないセリフであった。無論、助けてもらったあとでも躊躇なくミギを殺すであろうことは間違いない。恩だの義理だのという言葉は、彼にとって寝言よりも価値を持たないのであった。
「わかりました! だれか探してきます!」
それでも、たのみごとをされれば断われないのがミギだった。おまけに『たよりになる』などと言われては、期待に応えないわけにいかない。
「十分以内にもどってきます! それまで落ちないようにしててください!」
「わかったから、一秒でも早く行ってくれると助かる率あがるんやけどな」
「そうでした! 行ってきます!」
答えて、ミギは走りだした。「だれかいませんかー!」と大声で呼びかけながら。
しかし彼がもうすこし賢ければ、「ジェミニさんが死にそうなんですー!」という言葉は付け加えないほうが良いことに気付いたかもしれない。その男を助けようとする奇特な人間など、この空間には存在しないのだから。例外はナビアとキキだけだったが、その二人がミギの呼びかけに応じるわけもないのだった。
今回ばかりは死んだかもしれへんな──。
折れ曲がった鉄筋を右腕でにぎりしめながら、ジェミニは口の中でつぶやいた。もうすこし体を鍛えておけば良かったかもと思ったが、いずれにせよ片腕で懸垂できるレベルまで鍛えるなど簡単なことではなかった。それでも『運』を鍛えるよりは容易だったが。
下を見ると、校舎の壁が斜めに崩れてスロープ状になっている。その下はグラウンドだ。高さは十五メートル前後。障害物は何もない。落ちれば即死は免れようもなかった。
いまのジェミニにできることは、ただミギを信じて待つのみだった。そして、それがどれほどたよりにならないことかと認識して、絶望的な気分にとらわれるのだった。
その絶望感を打ち消そうとして、彼は秒数をカウントしはじめた。ともすれば八秒程度で十秒をカウントしてしまいそうだったが、不屈の冷静さで彼は正確なカウントをしつづけるのだった。
──が、十分という時間は長かった。右腕一本で体重をささえていると、一分も経たないうちに指がしびれてきた。うまく血が流れないせいである。ミギを殺すのに利用するはずだった重力が、いまはジェミニを殺そうとしていた。まさに自業自得だったが、反省するような彼ではなかった。そんな言葉もまた、彼の辞書には存在しないのだった。
二分。三分──。刻々と時間が過ぎていった。ミギは帰ってこなかった。
そういえば二時間も平気で待ってるようなヤツやったな、とジェミニは思い、十分間耐えられると言ってしまったことを後悔したが、それらすべては手遅れだった。
五分も経つころには、ジェミニの右腕は真っ青になっていた。
どう考えても、あと五分もたんな──。
死を覚悟しつつも、ジェミニはカウントすることをやめなかった。カウントを止めた瞬間、気力が萎えて落ちてしまいそうだったのだ。
やがて、カウントが四百を超えた。
そのとき、奇跡が起きた。
「ジェミニさーん! 人をつれてきましたよ!」
大声を上げながら、ミギがもどってきたのである。
彼の後ろから走ってくるのは、マナだった。
「ほんとうにジェミニさんって村人なんですか? 信じられないんですけど……」
なんで、よりによってマナなん──?
ジェミニの中で、絶望感がずっしりと重さを増してのしかかってきた。それでもフマよりはマシだったと考えることだけが、いまは唯一のなぐさめなのだった。
3日目−12
「ミギさんにたのまれて、仕方なく来てみたんですけど……。どうしてこんなことになってるのか、聞いてもいいですか?」
油断なく精霊の杖をかまえながら、マナはジェミニを見下ろした。
なにしろ、一見しただけでは意味不明な状況である。屋上のごく一部分。ジェミニの周囲三十センチほどのコンクリートだけが、きれいに崩れ落ちているのだ。どんな攻撃を受ければそういう状態になるのか、マナには想像もつかなかった。
「見ればわかるやろ? いきなり足元が崩れたんやて」
ジェミニはそう答えたが、見てわかるわけもなかった。
マナの表情が、たちまち不機嫌そうにゆがめられた。
「ジェミニさん。また、そういうウソつくんですか……?」
「オレもこんなウソっぽいこと言いたないけど、本当のことなんやって」
「どうやったら、そんな風にジェミニさんのところだけ壊れるんですか。どうせまた、なにか悪いことをたくらんでるに決まってます」
マナの洞察力も、なかなかのものであった。
「そんな風にとか言われてもやな。たまたま、運が悪かったとしか言いようが……」
「そんなこと、常識的に考えて起こるわけありません。ジェミニさんのまわりだけ床が崩れるとか、どれだけ不運だっていうんですか」
「俺の不運は常識の範囲におさまるものやないちぅことやね」
「でも、まだ落ちてないんだから幸運じゃありませんか」
「いやいや。もう落ちる寸前なんやって」
「あんまり、そうは見えないんですけど」
マナの中で、ジェミニはすっかり狼あつかいだった。
仮に狼でなかったとしても、信用できない。そういう相手だ。もし助けたところで、この人は感謝とかしないんだろうな──とも思っている。
いずれにせよ、彼女にとっては積極的に助ける理由がひとつも思い当たらないのだった。ミギがあまりに必死なものだから、とりあえず様子だけ見にきたのだ。このままジェミニが死んでも問題ない。そう思っている。
「なぁ、マナ君。とりあえず助けてほしいんやけど。たのむわ」
ふるえる右腕で鉄骨をつかみながら、めずらしく弱気な口調でジェミニは言った。すでに限界が近い。腕だけでなく声まで震えている。十五メートル下の校庭にいつ落ちるか、わかったものではなかった。
「オレからもたのみます! たすけてあげてください!」
土下座でもしそうな勢いで頭をさげるミギ。
「……わかりました」
ジェミニさんはともかく、ミギさんのことは信じてもいい。マナは、そう思っていた。ゲームのルールから見れば間違った判断だが、人間としては正しい判断である。
「あ。でもどうやって助けるんですか? オレはジェミニさんにさわれないし……」
いま気付いたとでもいうように、ミギはあわてふためいた。
「なんでですか?」
「え?」
「なんで、ジェミニさんにさわれないんですか?」
「ああ、それは、あれですよ。オレのスキルはAmnesiaっていうやつで、さわった相手の記憶を消しちゃうっていう力なんです。どうしてそれがわかったのかっていうとですね。ナビアさんが専用の機械を持ってて……」
「ミギ君、そんな説明は後でええって!」
すっかり余裕の失せた語調で、ジェミニが言った。
「そうでした。そんな説明はあとまわしにしましょう。それで、どうやってジェミニさんを助けましょうか。マナさん、なにか名案ありませんか?」
「名案っていうか……。こういうことならできますよ?」
マナは、すいっと精霊の杖を動かした。その先端に輝く宝石が、赤から黄色に変化する。杖の先が指しているのは、ジェミニだった。
直後。一条の光芒がきらめいたかと見えるや、すさまじい突風がジェミニの下から吹き上げた。一瞬のうちに、彼の体は十メートル以上も舞い上げられていた。
「ちょっ!? 死ぬって!」
「ごめんなさい。風が強すぎました」
「うあああああ!」
十メートル上空からコンクリート床に打ちつけられるより先、ジェミニの真下に巨大な水のかたまりが現れた。おそるべきは、直径五メートルにもなる水球を一瞬で出現させた魔法使いマナの実力である。
「がぼごぼごふっ!」
墜落死の危機を回避したかと思いきや、今度は溺死の危機に陥るジェミニ。
巨大な水球の中でもがく彼の姿を、マナは少しのあいだ眺めていた。たすける前にこのウソつきをちょっとお仕置きしたほうがいいよね、というのが彼女の考えだった。だれが聞いても賛成する考えである。いっそ、そのまま溺死させたほうが良いという意見が過半数を占めるかもしれない。しかし、マナはそこまで冷酷ではなかった。
「えい」
これだけ懲らしめてあげればいいかなとばかりに、一種の寛容な精神でもって彼女が杖をひと振りすると、水球は砕けて床に広がった。同時に、コンクリートの上で尻餅をつくジェミニ。
「おお! マナさん凄ぇ!」
「そうでもないですよぉ」
すなおに感動するミギの前で、マナはちょっと得意げに胸を張ってみせた。先刻ジェミニを吹き上げた風の残りが、彼女のスカートや髪を揺らして流れる。じつにみごとな魔法少女ぶりであった。
「……オレ、なんで生きとるん?」
ジェミニは文句をつける気力もなく、しばらくのあいだ床に伸びていた。じつにみごとな不運ぶりであった。