3日目−21
どうやらミギが死んだようだな──。
薬用アルコールの詰まったペットボトルを片手に、牛男爵はつぶやいた。
第一校舎の屋上である。給水タンクの影に身を隠しながら、彼は一部始終を眺めていた。ジェミニがミギを突き落とそうとして逆に自分が落ちそうになるところから、マナが登場してジェミニを水責めにし、フマがミギを射殺するところまで。
かなりの距離があるため彼らの会話までは聞こえなかったが、状況を見ればミギがマヌケなことをやらかしたのであろうことは容易に想像できた。ついでに、ジェミニの不運ぶりが尋常でないことも。
残りは何人だろうな──と思いながら、男爵はジェミニたちの行動を見守っていた。フマとジェミニの間で口論が交わされ、マナがなだめるのが見えた。なにやってんだオマエら、と無言でツッコむ男爵。
殺しあいにでもなるかと見えた彼らだが、結局たいした動きは起こらなかった。やがてマナを先頭に三人が屋上を立ち去ると、あとに残ったのはミギの死体だけだった。
男爵の中で、なにかがひっかかった。
なにがひっかかったのか、わからなかった。アルコールのせいかもしれない。彼がもうすこし明晰なら、マナがほかの二人をリードして動いたことに違和感を感じたかもしれない。あるいは、もうすこし時間があれば気付いた可能性はある。屋上にだれかがやってくるという可能性に。
しかし、それより先にもっと彼の気を引くものが現れた。おかげで、彼はマナたちのことをすっかり忘れてしまった。
それは、一羽のハトだった。真っ白なハトが、屋上の真ん中を歩いていたのだ。
べつだん、めずらしい光景ではない。建物の屋上にハトがやってくるぐらい、日常的なできごとだ。しかし、この仮想空間の中でとなると話が違った。なにしろこの空間では、鳥はおろか虫の一匹さえ見かけたことがなかったのだから。それも、真っ白なハトである。そこらへんにいるような、灰色のものではない。あきらかに不自然な存在だった。
ジョン・ウーの映画かよ、と男爵は内心でツッコミを入れながら、しかしゲームマスターがそんな演出をする理由もないな、と思いなおした。だいいち、ジョン・ウーを気取るならハトの数が少なすぎる。もっと、足の踏み場もないぐらい用意しないと──。
「鳩ですか」
ふいに、彼の背後で声がした。
特徴的な、女性の声音。振りかえると、サイオンが立っていた。
「いつのまに……? ぜんぜん気付かなかった」
「そうですか。ふつうに歩いてきたのですけれど」
「忍者の修行でも積んでるんじゃないのか?」
「ギムレットさまが酔っぱらっているだけのことではないかと」
にこりともせずに、サイオンは受け答えた。その手には、ベレッタM92。
「ところで、こちらにマナさまがいらっしゃいませんでしたか?」
「それなら、あっちの棟にいたけどな」
答えながら、男爵は第三校舎の屋上を指し示した。
その方角を見つめながら、サイオンは目を細める。
「……どうやら、来る場所を間違えたようです」
「みたいだね」
「あちらで倒れているのは、ミギさまでしょうか」
「ああ。フマに撃たれて死んだ」
「……なるほど」
表情ひとつ変えずに、サイオンは額に指をあてた。かるい偏頭痛にでも襲われたといった具合のしぐさ。
「……それで、ギムレットさまはここで何を?」
「ああ。ハトと会話してた」
とぼけた答えを返す男爵。
おもしろくない冗談でも聞いたように、サイオンは眉をひそめた。
「ソロモンの指輪でもお持ちですか」
「指輪なんか必要ない。私は、五歳のときから鳥と会話ができるんだ。そのかわり、魚とは会話ができなくなってしまったけどね。おかげで人魚姫には捨てられてしまったのさ」
「なんのお話ですか……?」
「そういう童話があっただろ?」
「寡聞にして存じません」
「そうか。じゃあ、俺の作った話だったかもしれない」
すっかり炭酸の抜けたコーラ割りアルコールを口に含んで、男爵は微かに笑った。
3日目−22
「会話ができるのでしたら、その鳩が何故ここにいるのか、ご存知ですね?」
ためすように、サイオンが言った。
「それが、教えてもらえなくてさ」
「おあいにくでしたね」
「サイオンは知ってるんだろう? このハトが、どうしてここにいるのか」
「いいえ。残念ながら」
「それはウソだな」
男爵の言葉に、サイオンはぴくりと眉を動かした。
「なぜ、嘘だと思うのですか?」
「なんとなく。しいて言うなら、さっきの『ご存知ですね?』という言いかただな。あれには、ちょっと違和感があった。『ご存知ですか?』だったら何とも思わなかったかもな」
「……なるほど。わかりました。嘘を言ったことを認めましょう」
「ずいぶんアッサリだな。……で、ハトがいる理由は教えてくれるのか?」
「申しわけありませんが、それは明かせません」
「オーケー。その答えで十分だ。あのハトがここにいるのには理由がある。それだけわかれば、あとは推理できる」
会話のあいだも、会話が終わってからも、男爵はハトだけを見つめていた。
雪のように真っ白なその羽毛以外、とりたてて特別なところは見当たらない。ハトは飛び立つ気配もなく、ときおり歩いては立ち止まるということをくりかえしている。首を前後に動かしながら歩くその動作は、ゼンマイ仕掛けの玩具のようにも見えた。
しばしのあいだ、男爵はそのハトについて考えをめぐらせた。そんなものが、ここに存在する理由。しかし、正解に至るには推理の材料が少なすぎた。
「ひとつ、おうかがいしたいのですけれど」
サイオンが口をひらいた。
「ん?」
「なぜ、そんなにゆったり構えていられるのですか?」
「ゆったりと言われてもな……。あわてたって仕方ないだろ?」
「それにしても、悠長すぎるのではないかと」
「まぁ、そういう性格なんだよ」
「それは、多少なり存じているつもりではおりますが……」
言い淀むように、サイオンは語尾を濁した。
数秒の間をおいて、彼女は言葉をつないだ。
「たとえば……。いえ、たとえばというのはおかしいのですけれど。私に殺されるとは思わないのでしょうか」
男爵は、サイオンのほうを見もしなかった。ハトの歩いているところを眺めながら、彼は答えた。
「殺すつもりだったら、とっくに撃ってるだろ? そうしてないのだから、まだ殺すつもりはないのだと判断できる」
「人狼である私が、村人であるあなたを殺さない理由がないと思うのですが」
「たしかにね。でも俺はまだ殺されてない。……ということは、なにか利用価値があるんだろうな」
「よくおわかりですね。たしかに、いくつかございます」
「ひとつじゃないのか」
「ええ。すくなくとも、大きく分けて二つあります」
「ふぅん。……まぁ、言ってみな」
「いやでも聞いていただくつもりです」
事務報告のように冷然とした声で、サイオンは告げた。
3日目−23
「簡単に言いますと、二つおねがいがあります。よろしいですか?」
「よろしいもなにも、聞いてみないことには話が進まないだろ。だいいち、その『おねがい』とやらに対して、私の拒否権はあるのか?」
モデルガンと『小銭拾い』のくせに、男爵は強気だった。
「拒否されるということになりますと、やはり戦いは避けられないでしょうね」
「うん。まぁ勝ち目がないからヤメとくよ。つまりキミの『おねがい』は『強制』ということになるわけだ」
男爵はサイオンのスキル『Immortal』のことは知らなかったが、ベレッタの実銃一丁だけでも既に勝算ゼロだった。おまけに、ナップザックからはマイクロUZIが覗いているのだ。前条を殺して手に入れたのだということが一目瞭然だった。
「いえ、あなたが何かに強制されて動くことはないと思っておりますので、ここはやはり『おねがい』ということにさせてください」
「言いかたを変えることに何の意味があるんだ?」
「おもに、気分の問題です。私のおねがいを聞いていただけるのでしたら、後日お酒をおごらせていた」
「のった!」
「……ありがとうございます」
思惑通りといった表情で、サイオンはうなずいた。
「ではまず、ひとつめの『おねがい』ですけれど……。スノーさまの能力を教えてください。ご存知の範囲で結構です」
「そりゃあ、知ってること以外おしえられるわけがない」
かるく言い返して、男爵は『知ってること』をしゃべりはじめた。
「わかりやすく言えば、スノーのスキルは『妄想を形にする』能力だよ。ただし、彼女がうまくイメージできないものは形にできない。だから、すくなくともスノーの知識にないものは作りだすことができないし、知識にあったとしても細密に想像できないものはやっぱり形にできない。さらに、力が及ぶのはスノーの手が触れているものに限られる。つまり、銃やミサイルを作ることはできない。……いや、訂正。銃を作ることはできるが、弾を撃つことができないんだ。それと、生物を作ることも不可能だ。作り出しても、自律行動させることができない。よって、スノー自身のコピーを作ったりということもできない」
「……なるほど。階段を斜面にしたのは、そういう力でしたか」
ぼそりと、つぶやくようにサイオンが言った。イヤなものを思い出したとばかりに、眉を寄せている。
「あれは傑作だったな」
くくっ、と男爵の笑い声が響いた。
「あれで最後にタライが落ちてくれば完璧だったんだが、おそらく能力的に不可能だったんだろうな。惜しいことをした」
「あの、ですね……」
「ん?」
「……いえ、なんでもありません。話のつづきをおねがいします」
「つづきと言われても、知ってることはさっきので全部だな」
「そうですか」
「で、ふたつめの『おねがい』ってのは?」
「そのまえにおうかがいしたいのですけれど、何故そう簡単にスノーさまの能力を明かしてしまわれたのですか?」
「ムダに痛い目を見る趣味はないのさ。前条みたいに足を撃たれたりするのは勘弁だ。それにまぁ、スノーのスキルが負けるとも思えない」
「たしかに、あれは強力なスキルですね。反則と言って良いぐらいに」
「キミに勝算があるとでも?」
「ないこともないですね」
「へぇ。あるのか」
「なければゲームにならないではありませんか」
「もっともだ」
その『勝算』について、男爵は追及しなかった。追及したところで、サイオンが答える道理もなかった。仮に聞いたところで、それをスノーに伝える術もなかった。
3日目−24
「それで? もうひとつ『おねがい』があるんだろ?」
「ええ。ただし、こちらは少々むずかしいかもしれません」
もったいぶるように言って、サイオンは視線をはずした。男爵のななめうしろ。ハトを見つめている。
「むずかしかろうが何だろうが、とりあえず聞いてみないことには何もわからない」
「そうですね。……ふたつめのおねがいは、伝言をたのみたいのです」
「伝言?」
予想外の言葉に、男爵はいぶかしげな表情を浮かべた。
「はい。よろしいですか? 伝えていただきたいのは以下の内容です。『本日十八時、時計台の前においでください』」
「……それだけか?」
「はい。内容は覚えていただけましたか? もういちど繰りかえしましょうか?」
「いや、おぼえた。……で、それをだれに伝えればいいんだ?」
男爵の問いに、サイオンは微かな笑みを見せた。
そして、彼女は一人のプレイヤーの名前を口にした。
「ナビアさまに、おつたえください」
「ほう」
意外な名前を耳にして、男爵の声がわずかに高くなった。
「伝言自体は構わないが、十八時までにナビアと会えるかどうかわからないぞ?」
「そのあたりは、ギムレットさまの行動力と運におまかせします」
「運に自信はないが、まぁ伝言は引き受けよう」
「ありがとうございます」
かるく頭をさげるサイオン。垂れた髪の先が床につきそうになる寸前で、頭が上げられた。
「一応訊いてみるが、ナビアと会って何を話すんだ?」
「話すことは、あまりないと思います」
サイオンの声は、いつもより低かった。
「話すことがないのに呼び出すのか。なるほど。つまり決闘ってことかな」
「古風な言いかたをすれば、それが近いかもしれませんね」
「おもしろそうだから、チケットとっておきたいな。S席いくらだ?」
「入場は無料です」
「だれでも参加していいのか? ナビアひとりで来いっていうわけじゃないのか?」
「規制したところで、ナビアさまがそれに従う理由がないではありませんか。人質をとっているわけでもないのですから」
「それもそうだ。……いまの俺はちょっとアタマわるかったな。聞かなかったことにしてくれ」
「かしこまりました」
サイオンは、どこまでも慇懃な口調を崩さなかった。
「ところで、なぜナビアなんだ? ほかの誰でもなく彼女を選んだ理由があるのなら、おしえてほしいんだが」
「理由が必要ですか? ナビアさまを倒さなければゲームが終わらないではありませんか」
「いや、どうしてナビアなのかって訊いてるんだ。殺さなければゲームが終わらないってだけの理由なら、スノーだって同じことだろ?」
男爵の問いに、サイオンは一瞬かんがえこむようなそぶりを見せた。
考えたのは、どこまで答えて良いのかという見極めだったかもしれない。
「あの方はスノーさまよりも厄介なスキルをお持ちのようなので、できることなら準備万端ととのえてから戦闘に臨みたいのです」
「……なに? スノーよりも厄介?」
男爵の声が、今度は半オクターブも高くなった。
「ご存知ありませんでしたか」
「ああ。ご存知なかった。どういうスキルなんだ?」
「それを私が答えるとお思いですか……?」
「思えないが、なにかの間違いで答えてくれるかもしれない」
「あいにく、私は酔っぱらってはおりませんので……」
「よし。じゃあ一杯飲むか?」
男爵は薬用アルコールをつきだしてみせた。
それを、サイオンは冷たい目で見ていた。益も害もない、なんのために生きているのかわからない昆虫でも見るような目つき。
「いえ、きっぱりご遠慮いたします」
そう言って、彼女はコートの裾を払った。用件は全て終わったということを、その一動作で表そうとしているようでもあった。
「では、伝言よろしくおねがいいたします。私に何かご用件がありましたら、図書室のほうへどうぞ」
それだけ言って、サイオンは背を向けた。そのまま三歩ほど歩いて、しかし何かを思い出したようにくるりと振り返った。
同時に、右手のベレッタが火を噴いた。弾丸がとらえたのは、男爵ではなかった。白い羽毛が飛び散り、真っ赤になった鳩がコンクリートの上にころがった。
「不安要素は確実に取り除いておくことにしましょう」
自分自身に言い聞かせるように、サイオンは低くつぶやいた。そうして、二度は振り返らず彼女は屋上を後にしたのだった。
3日目−25
「ミギ君のこと、あのままにしといて大丈夫なん?」
「しょうがないでしょ。あたしは撃ちたくないし、キキもイヤだっていうんじゃ」
「でも、あのままほっといたらマズいような気もするんよ」
「だからって、いっしょにいるワケにいかないじゃない。いつ記憶を消されるか、わかったもんじゃないんだから」
キキとナビアの二人は、そのような会話をしながら廊下を歩いていた。
ナビアの右手には、四角いデザインの自動拳銃。グロック17がしっかりと握られている。ミギの支給品として配られたものだ。
「やっぱりミギ君、処刑しておいたほうが良かったんかしら」
「キキがやってくれるなら、反対しないけど」
「えー? あんなかわいそうなミギ君を撃つなんて、キキにできるはずないやーん!」
「うん。あれはムリだよね。もし殺したりしたら、すごい罪悪感に襲われそうだもん」
「ある意味、反則やんね」
「反則っていうか……。あんな人狼、初めて見たよ……」
感心したようにナビアが言うと、それ以上キキは口を出さなかった。
つかのまの沈黙。二人の足音だけが廊下に響いて、午前の陽光がすべてを明るく照らしていた。
ナビアは一階の渡り廊下を第二校舎へ抜け、迷いなく階段を昇った。方向音痴の彼女にしては、めずらしいほど淀みのない足どりだった。
「ナビアさん、どこ行こうとしてるん?」
「最初の教室」
「説明会があったところ?」
「そう。ひとつ確認しておかないといけないことがあるの」
「なんやろ、それ」
「あとで説明するから、とりあえずついてきて」
ナビアは、その教室の場所をしっかり記憶していた。もういちど来ることになるのが、最初からわかっていたのだ。
しかし、場所を覚えていなかったとしても迷う恐れはなかった。廊下のあちこちに、『説明会場→』と書かれた貼り紙が残っていたのだ。矢印どおりに歩けば、必然的に目的の教室にたどりつくようになっていた。
「あの教室やったっけ?」
キキが、目的の場所を指差した。十メートルほど前方の右側。
ナビアはうなずき、右手の銃をかるく持ち上げた。
「もしかしたら人狼がいるかもしれないから、気をつけてね」
「そう言われても、なにもできないんよ」
「あと二十円たまったら、キキのスキル見られるんだけどね……」
そう言って、ナビアは左手の機械に目をやった。ディスプレイに表示されたクレジットは180。
「もしかしたら、この二十円のせいで死ぬことになるかもしれないけど。そしたらゴメンね」
言いながらも、ナビアは足を止めなかった。
「しょうがないやんね。いつ二十円たまるかわからないし。……でも、そんなに心配するほど、あの教室に人狼がいると思うん?」
「可能性は高いと思ってる」
「なんで?」
「理由は、あとで説明するよ」
答えながら、やや無造作な感じにナビアはその教室へ踏みこんだ。
室内に、人の姿はなかった。生きている人間はもちろん、死んだ人間の姿も存在しなかった。
「伯爵なら、ここにはいないぜ?」
ナビアのすぐ真横で、低い声がした。
ラムが、不思議な形の銃をつきつけながら、そこに立っていた。
3日目−26
「なんだ、ラムちゃんか。とりあえず、そのヘンな拳銃みたいなのひっこめて」
動じることなく、ナビアは告げた。
一瞬、判断しかねるような表情がラムの顔に浮かぶ。
「ひっこめるのはいいんだけどよ。なびっちは村人だよな?」
「そうだよ。見ればわかるでしょ?」
「まぁ九十九パーセント村人じゃねぇかなと思うけどよ」
「うん。だから、その拳銃みたいなやつ下ろしてくれる?」
ナビアがにっこり微笑むと、ラムはゆっくり右腕を下ろした。
「それで? どうして、あたしたちが伯爵をさがしにきたってわかったの?」
ラムの右手に目をやりながら、ナビアはたずねた。
「そりゃわかるだろ。それ以外、この教室に来る理由が思いつかねぇし」
「じゃあラムちゃんも同じ理由でここにきたわけ?」
「ああ。そうだよ」
「ふぅん」
納得したような納得しないような顔で、ナビアは視線をはずした。そして、室内をさっと見渡す。机と椅子、それに小さいロッカーがあるだけだった。
伯爵の姿は、どこにもなかった。床に広がっていたはずの血の跡さえ、きれいさっぱり消え失せていた。
「だれかが片付けたんだと思う?」
ナビアの問いかけは、自分自身に向けたものであるようだった。
「その可能性は高いよな」
ラムが答えると、ナビアは振り向いた。
「伯爵が自分でどこかに行ったとは思わない?」
「生き返ったとでも言うのか?」
「その可能性もあるけど……。最初から死んでなかったかもしれないよね?」
「つまり、死んだふりしてたってことか?」
「うん」
「でも、あいつは確かに死んでたぜ?」
「自分で確かめたわけじゃないでしょ? あのとき誰が伯爵の死体を確認したか覚えてる?」
ナビアの言葉に、ラムはわずかに首を上向かせた。そして、すぐに答えた。
「氷雨だったな」
「でしょ? だから、もし伯爵と氷雨ちゃんが狼側だったり、恋人だったりしたら……」
「なるほど」
ラムはうなずき、しかしすぐに疑問を口にした。
「だがよ。伯爵にナイフが刺さってたのは間違いないぜ? それに、血も相当ながれてた。そんなの、どこから持ってくる? まさか支給品の中に『死んだふりセット』なんてものがあるとは思えねぇけどな」
「うん。たしかにね」
ナビアはあっさり認めた。その疑問に対する答えを彼女も持っていないのだ。
ラムがつづけた。
「それに、死体は自動的に削除されるっていう設定かもしれないぜ。となりの教室見てみたか? ユーロとせんべえの死体もなくなってる。血の跡もきれいさっぱりだ」
「……そうなの?」
「見てみりゃいいじゃん」
「そうする」
ナビアは廊下に出ると、となりの教室へ移動した。
キキがすぐ後ろにつづき、ラムはゆっくり後を追った。
「ほんとだ。なにもないね」
ナビアの言うとおり、ふたつの死体は跡形もなく消え失せていた。
教室内にあるのは、めちゃくちゃに散らばり、倒れ、穴だらけになった机と椅子。それに、割れたガラス。吸い殻のように転がる薬莢だけだった。
「だろ? だからまぁ、俺は伯爵の死体が消えてることについては何とも思わなかった」
「たしかに、そうだね。伯爵の死体だけが消えてたら不自然だけどね」
なにか言外の意味を持たせるように、ナビアは言った。
その意味にラムはすぐ気付いたが、それを追及するよりもっと聞きたいことが彼にはあった。
もちろん、キキは言外の意味など察するわけもなかった。