3日目−27


「マナちゃん、ほんとにどこ行っちゃったのかな……」
 つぶやきながら、スノーは廊下を歩いていた。
 すでに普段着となってしまったエアリス風のワンピースが、一歩あるくごとにゆるく波打つ。その、目にも鮮やかなピンク色。腰のあたりまで伸びた髪は魔法でもかけられたようにキラキラして、薄暗い廊下では異様なほど目を引いた。

 服装や髪型以上に目を引くのは、右手にさげられたディオスの剣だ。彼女の妄想力がそのまま切れ味に直結する、万物破砕の剣。人間をまっぷたつにすることなど造作もない、おそるべき兵器だ。鉄のかたまりはおろか、コンニャクさえ微塵切りにすることができる最強の剣である。
 とはいえ、その切れ味は常に一定というわけではない。持ち主の精神状態(妄想状態)によっては単なる鉄の棒きれにも成り下がる代物だ。無論、ただの鉄棒でも画鋲やネコジャラシよりマシであることは言うまでもないが。

 昨夜以来、スノーは一人でマナをさがしつづけていた。足手まといの酔っぱらいがいなくなったおかげで作業ははかどったが、どこをさがしてもマナは見つからなかった。
「やっぱり、あそこかな……」
 敷地内のほとんど全ての場所を探し終えて、彼女はうすうす気付きはじめていた。さがすことを意識的に避けていた場所がひとつあったのだ。図書室である。
 もともと愛書家の彼女があえて図書室だけを避けていたのには、理由があった。その場所がサイオンの支配域であることを彼女は直感していたのだ。直感というより、確信といってもよかった。なにしろサイオンといえば、牛村では「図書館の魔女」として知られているのだ。

 もちろん、スノーは自分の(妄想)力を信じている。銃弾も跳ね返す聖闘士の鎧と、すべてを切り裂くディオスの剣。この二つがあるかぎり、負ける理由が思いつかなかった。戦う場所を選べば、階段を滑り台にすることだって可能なのだ。それでも、できることなら戦いは避けたいというのが彼女の考えだった。

 しかし、本気でマナを見つけるつもりなら、そうも言ってられない状況になっていた。さらに言うなら、人狼を、つまりサイオンを倒さないかぎり、このゲームは終わらないのだ。
 ほかの参加者たちにどういったスキルが割り振られたのかスノーが知るはずもなかったが、自分より強力なスキルの持ち主がいるとも思えなかった。つまりは、自分が頑張らなければならない状況なのだ。

 言うまでもないが、スノーは「がんばる」などということが大嫌いである。人生テキトーにやっていけばいいという、ジェミニ的思考の持ち主なのだ。それでうまくやっていけるだけの美貌と才覚が彼女に与えられていたのは、神の采配にほかならない。
 しかし今回のゲームばかりは自分がどうにかするしかないかも、と彼女は思いはじめていた。村人としての責任感もある。ついでに言うなら、どんな理由であれゲームに負けるのは彼女の美学に反するのだった。

 右手の剣をにぎりなおしながら、スノーはふと立ち止まった。そして意を決するようにうなずくと、図書室に向かって歩きだしたのだった。






 3日目−28


 図書室には、だれの姿もなかった。
 目立つのは、入口周辺に積み上げられた机とイス。だれかがバリケードがわりにしていたものらしいことに、スノーはすぐ気付いた。ほかの用途が考えられない。
 バリケード以外、とくに変わったところは見つからなかった。ただひとつ、図書室前の廊下や壁に無数の焦げ跡が残っているのだけが、スノーの目を引くものだった。
 それはここでおこなわれた戦闘の痕跡をしめすものだったが、スノーにとってそれ以上の情報にはならなかった。──もっとも、一方的に火炎弾をぶつけられることを「戦闘」とは呼ばないかもしれないが。

 スノーは、自分に与えられたスキルの無法ぶりから推察して、この焦げ跡を魔法か何かの痕跡であると見抜いた。だれが使ったものなのかは、無論わからない。しかし、推理することはできた。
 このゲームで割り振られる「スキル」は、参加者それぞれの個性をあらわすものになっている。氷雨の駄洒落ブリザードを見たときから、スノーはその事実に気付いていた。なにより、自分のスキルを知って確信した。もちろん、最初のルール説明でも言われていたことではあるが。
 それらの事実から考えると、こうした魔法攻撃はマナに与えられたものである見込みが高いと思えた。なにしろ、名前そのままだ。ほかの参加者を考えてみても、ほかにふさわしい人はいない。

 いずれにせよ、ここに誰かがいたことは間違いなかった。おそらく、火の魔法を使えるだれかが──。そうしたスノーの判断は、おおかた正解だった。
 マナちゃんだったらいいんだけどなー、とつぶやきつつ、彼女は室内をくまなく見てまわった。
 すぐに、一枚の紙切れが見つかった。ポストイットみたいに小さい紙片。本の余白を切り取ったものだ。墨のようなもので、「屋上に行きます」とだけ書かれている。丸みを帯びた筆跡は、あきらかに女性のものだった。
 だれが書いたんだろう、とスノーは参加者の女性を思い浮かべてみた。
 ナビアやサイオンの字には見えなかった。その二人は、もっと固い字を書きそうに思えた。イメージ的に。となると、マナか、さもなければキキの字に違いない。もし男がこんな字を書いたとしたら死んでいいよ、とも思った。

 なにはともあれ、屋上だ。
 意気込みを新たにすると、スノーは右手の剣を握りなおして廊下へ出た。
 図書室は第一校舎の一階にあって、五階の上が屋上になっている。そのあたりのことは、昨日からの探索で調べてあった。図書室を出てすぐのところに階段があり、のぼっていくとそのまま屋上に出る構造だ。
 彼女は、一段一段をゆっくり上っていった。できるだけ足音をたてないように。
 一段のぼるごとに心臓が早くなっていくのは、予兆のようなものがあったのかもしれない。この上に、だれかがいるという予兆。彼女の勘は、よく当たる。
 ただ、それがマナなのか、あるいは他の誰かなのか──。考えるだけで、緊張が張りつめてゆく。踊り場の窓から差し込んでくる日の光は、かえって彼女の緊張をあおるようだった。

 あたりは、どこまでも静かだった。スノーに聞こえるのは、自分の足音だけだった。それ以外、なんの物音も耳に届きはしなかった。
 三階から四階に上がろうとして踊り場に立ったとき。彼女は自分のものではない足音を聞いたような気がして、足を止めた。
 足音は、上から聞こえた。だれかが降りてくるのだ。

 スノーは、とっさにどこかへ身を隠そうとした。相手の見えない場所から様子をうかがって、マナだったときだけ声をかければいい。そう思ったのだ。いや、べつにマナでなくたっていい。ナビアでも、キキでも、なんならアンダンテでも構わない。最悪、ジェミニだっていいぐらいだ。サイオンでさえなければ。
 しかし、そうした彼女の考えは数秒で無に帰った。
 コンクリートで囲われた階段の踊り場に隠れ場所などあろうはずもなく──。階段の上から現れたのは、黒い髪とコートを引きずるようにしながら歩いてくるサイオンの姿だった。





 3日目−29


「おはようございます。スノー様」
 いつもの口調で、サイオンは朝のあいさつをした。手にはベレッタを持っているが、銃口は床を向いたままだ。
 即座に撃ってくる様子がないことにホッとして、スノーは口をひらいた。
「おはようございます、サイオンさん」
 それに対する返答はなかった。
 みじかいあいさつを交わしたきり、二人はいきなり沈黙した。それも、鉛のような沈黙だった。

 どうして、こんなところで、こんな人と──。
 スノーは自分の不運を恨んだ。もしかするとジェミニのせいかもしれない。そんなことも思った。目の前の相手は人狼だ。どう考えても、戦いは避けられない。めぐりあわせの悪さを呪いながら、スノーはゆっくりとディオスの剣を持ち上げた。白銀の刃の上を、光の筋が液体のように流れる。
 サイオンとの距離は、段差で二十段ほど。相手が高い場所にいるのが厄介だった。こちらが高い位置にいれば、昨夜のようなドリフ技が使えたというのに。しかし、愚痴をこぼしても状況は変わらない。スノーは、もはや逃げるつもりなどカケラもなかった。とにかく、近付いて斬るだけだ。たいして難しいことではない。
 必要なのは、一瞬で階段を駆け上がるイメージ。撃たれた弾丸をはじきかえすイメージ。そして、相手を真っ二つにするイメージ。それだけだ。あとは、できるかぎり相手より先に動くこと。

「そのワンピース、よくお似合いですね」
 すっかり果たしあいの気分でいたスノーは、その言葉がサイオンの口から発せられたものだと理解するのに数秒の時間を必要とした。緊張のあまり幻聴でも聞こえたのかと思ったほどだ。予想外にもほどがある台詞。もっとも、本心で言っているとは限らなかった。お世辞だとか、そういった次元のことでなく。
「……ありがとうございます」
 どう言っていいものやら見当もつかず、スノーはそれだけ返すのが精一杯だった。
 しかし、次にサイオンの口から出てきた言葉は更に予想外のものだった。
「よけいなケガをしたくはないので申し上げておきますけれど。私としましては、スノー様と戦うつもりはありません」
「え……?」
 あっけにとられっぱなしのスノーだったが、言葉は反射的に出てきた。
「だまそうとしてるんですか? 昨日、私のこと殺そうとしましたよね?」
「ええ。昨夜の時点では、それも選択肢のひとつでしたから。しかし、いまは事情が異なります。正直に言うなら、私ではスノー様に勝てないと思うのですよ。……いえ、やってみなければわからない部分もありますけれど。そのリスクを負ってまでスノー様と戦う理由は、すくなくとも私のほうにはないということです」

 なんだ、やっぱり私つよいんじゃん。
 表情に出るぐらいはっきりと、スノーは安堵した。が、ただ安堵しているだけでは済まないことにすぐ気付いた。
「でも、私たちを殺さなければゲーム終わりませんよ? どうするんですか?」
「それは、スノー様以外の方を相手にすれば済むことではありませんか」
「けど、私には恋人の可能性だってありますよ? いいんですか?」
 どうやら自分のスキルのほうが優位にあるようだと気付いて、スノーは少し挑発的なことを口にしてみた。が、サイオンの答えは冷淡なものだった。
「スノー様が恋人でないことなど、とうに知っています」
「それって、サイオンさんが恋人だからですか」
「……仮に私が恋人だったとしても、そうだとは答えないでしょうね。無論私が恋人でなくても、昨夜のスノー様の行動を見れば一目瞭然ですけれども」
「私の行動?」
「昨夜、私がギムレット様と恋人であるようにふるまったら、信じたではありませんか。スノー様が恋人なら、ありえない行動です」
「あー。うん。そうですね」
「ですので、こちらとしましては率先してスノー様と争う理由はないということになります」
「そんなことを言うってことは、サイオンさんも恋人じゃなさそうですよね」
「ええ。そうですね。もっとも私は人狼ですから、いずれにせよスノー様にとっては戦う理由があることになりますけれども。できれば、見逃していただけると助かります」

 スノーにとっては、思いもかけない展開だった。すくなくとも、この場を見逃せば命の心配はしなくて済む。ただ、サイオンの言うとおり人狼を滅ぼさなければゲームが終わらないのも事実だった。
 いま戦うか、もうすこし態勢をととのえてから戦うかの問題だ。あたりまえだが、味方の数をそろえてから戦うほうが良いに決まっている。
 数秒かんがえて、スノーは言った。

「じゃあ今回は見逃してあげます。そのかわり、条件があります」
「なんでしょうか」
「マナちゃんは殺さないでください」
「その約束に、あまり意味があるようには思えないのですけれど」
「どういう意味ですか? まさか、もう殺しちゃったとか……!」
「いえ、すくなくとも私はそのようなことをしてはいません」
「じゃあ約束してください。マナちゃんは殺さないって。そしたら見逃してあげます」

 強気のスノーに、サイオンはほんのわずか眉を曇らせた。彼女にとって、予定外の取り引きだったのかもしれない。それでも、考えていたのは三秒程度のことだった。
「しかたありませんね。わかりました」
「よかった。じゃあ約束ですよ? ちゃんと守ってくださいね?」
「いえ、交渉が決裂したとわかったのです」
 さらりと答えて、サイオンは右腕を動かした。階段の下にいるスノーを撃つのに、銃の動きは最小限でよかった。
 銃声が空気を引き裂き、完全に虚を突かれたスノーの頭上から、何発もの弾丸が降りそそいだ。





 3日目−30


 このときサイオンは少なくとも五分以上の勝算を立てて攻撃したのだが、あいにく二つのミスを犯していた。
 ひとつは、スノーと「交渉」してしまったことである。このおかげで、スノーはサイオンに対して優位にいると理解してしまった。彼女のスキル『Delusion』にとって、自信こそ最大の要素である。「自分は強い」と思い込んでいれば、それがそのまま力になるのだ。極端な例をあげれば、「自分は死なない」と完璧に思い込むことができれば不死の力を得ることさえ可能なのである。
 出会った瞬間に撃っていれば、サイオンの弾丸はある程度スノーに傷を負わせることができたかもしれない。しかし、数分の会話ですべてがひっくりかえってしまった。これが、彼女の犯したひとつめのミスだ。
 ふたつめのミスは、言うまでもない。スノーを攻撃してしまったこと、それ自体だ。

 サイオンの放った、五発の9ミリパラベラム。それらはいずれもスノーの頭や胸に命中し、硬い金属音をあげて撥ね返された。傷を与えることはおろか、わずかの痛みを与えることさえできなかった。まったくの無力だった。前条との戦いで「銃弾をはじきかえす」イメージを身につけていたスノーにとって、もはや聖闘士の鎧さえ必要はなかった。なにしろ無茶苦茶な能力なのであった。
 さすがのサイオンも、これには言葉も出なかった。牛男爵からスノーの能力を聞いていたとはいえ、これほどとは思わなかったのだ。いくらなんでも、これは無敵すぎるのでは──。どこにもいないゲームマスターに向かって、彼女は抗議の声をあげそうになった。

 サイオンの表情がひきつるのを見て、スノーは自分の力を確信した。その確信は、さらに彼女の能力を引き上げた。この時点で、彼女は銃弾に対して無敵になったと言って良い。銃弾だけではなかった。刃物でも鈍器でも、同じことだった。おそるべきは、その妄想力である。
 彼女の妄想パワーは、防衛だけにとどまらなかった。すばやく階段を駆け上がるイメージを浮かべて軽く床を蹴ると、一回の跳躍で十五段もの階段を上ってしまった。助走もなしに、である。
 おかげで二歩目の跳躍をセーブしなければならなかったが、どちらにせよその動きは人間の目に追えるものではなかった。比喩表現でなく、スノーは一回のまばたきの間に二十段の階段を駆け上がって──否、跳び上がってしまったのである。
 サイオンの目には、残像しか映らなかった。それでもまだ銃を撃とうとする気概はさすがの一言に尽きたが、なにしろ相手が悪すぎた。トリガーを引く時間さえ、彼女には与えられなかった。

 決着は一瞬の内についた。スノーが二歩目の跳躍で階段を上りきる寸前。まだその体が空中にある間に、彼女の右腕が一閃した。白銀に輝くディオスの剣は音もなく風を裂き、途中でサイオンの頸部を通り抜けていた。

「ここまでとは、予想外でしたね……」

 言いながら、サイオンは後ろを振り向こうとした。その言葉は、最後まで言えた。
 しかし、それまでだった。頭の向きがわずかに変わった瞬間、チョーカーのような赤い線が首筋に走り──、ぐらりと体がかたむいて、真っ黒な髪と真っ赤な鮮血に包まれながら彼女の頭は床に落ちた。
 彼女がベレッタを撃ってから、三秒後のできごとだった。




 3日目−31


 首につづいて、胴体が横倒しに倒れた。
 切断面から噴き出した血液が、見る見るうちに床を赤く染める。
 むっとするような血の匂いが漂いだして、スノーは思わず顔をしかめた。

 サイオンは動かなかった。首を切断されたのだから当たりまえだ。
 それでも、スノーはまだ警戒を解かなかった。前条に撃たれても平気な顔をしていたサイオンを、目の前で見たことがあるのだ。そのスキルが『不死』である可能性も、わずかに考えてはいた。だから、初太刀で首を切り落としたのだ。
 これで死なないとしたらインチキすぎる。自分のスキルのことは棚に上げて、スノーはそう考えていた。

 血は止まらなかった。あたり一面を鮮やかな赤に塗り変えると、血の池の端が階段にさしかかって、それはゆっくり一段ずつ流れ降りていった。あたかも、液状の生物のように。
 噴き出す血液の勢いがおさまるまで、スノーはその場を動かなかった。もしかしたら生き返るかもしれない。その可能性も考えていたのだ。もちろん、生き返ったなら再び殺すだけだった。
 意思を強く持ってさえいれば、どんな攻撃も私には通じない。いままでの経験から、スノーはそう確信していた。それは、まぎれもない事実だった。そのため、彼女は慌ててサイオンの銃を奪い取るということもしなかった。どうせ、撃たれたところで痛くも痒くもないのだ。

 しかし、警戒をゆるめないスノーの予想に反して、サイオンが動きだす気配はまったくなかった。首を切断してから、すでに一分強。流れ出した血液は、階段の半ば以上まで達している。生き返ることはおろか、指先が動くことさえなかった。
 胴体と別れ別れになったサイオンの頭部は、長い髪に包まれるようにして壁際にころがっている。血を吸って不気味な光を照り返す髪の色は、クロムメッキされた金属のようでもあった。

 それから更に数分間、スノーは様子を見ていた。
 サイオンと同じく、彼女もまた微動だにしなかった。右手にさげたディオスの剣には、曇りひとつない。もしサイオンが動きだせば、間髪おかずそれが突き刺されただろう。しかし、どれだけ待ってもサイオンが生き返る様子はまったくないのだった。
 考えすぎだったかもしれない。スノーは、そう思いはじめていた。考えすぎでなかったとしても、首を切り落とされれば生き返れないのかもしれない。そうも思った。なにより、生き返ったところでどうせ私には勝てない。最後には、そうも思っていた。

 首を切り落として五分以上たつと、スノーはようやく安堵の溜め息をついた。
 それから慎重にサイオンへ近付き、まずザックの中からマイクロUZIを取り出して自分のザックに移し替えた。
 食料には手をつけなかった。どう考えても食欲の出るような状況ではなかったし、支給された分だけでゲーム終了までもつだろうという判断もあった。なにしろ、負ける気がしないのだ。「邪魔者をぜんぶ倒してトゥルー・エンド♪」というのが、彼女の考えだった。ユーロが死んだことなど、すっかり忘れているのだった。

 サイオンのナップザックをひっくりかえしながら、スノーはあることを思い出した。支給品のアイテムだ。彼女にはネコ耳カチューシャが支給されていた。もし役に立つ支給品がサイオンに配られているなら、もらっておいたほうがいい。そう気付いたのだ。
 しかし、ザックから出てきたのは水と食料。それだけだった。ほかにはなかった。サブマシンガンは前条の遺品、ハンドガンはせんべえの遺品。サイオン自身の支給品は、どこにも見当たらなかった。

 ふと、スノーはひとつの可能性に思い至った。サイオンの支給品は防弾着だったのではないかという考えだ。それなら、前条の攻撃を耐えたのも納得できる。
 しかし、さすがにスノーも首なし死体から着衣をはぎとるという行為には抵抗があった。そもそも、防弾着など彼女には必要ないのだ。しばし考えたすえ、彼女はサイオンの手元にころがった拳銃だけを確保してこの場を立ち去ることにした。





 3日目−32


 ベレッタは、血の海に沈んでいた。ふつうの女性なら触れるのも躊躇するところだが、あいにくスノーは血を見て怖がるようなタイプではなかった。なにしろ、スクールデイズの桂言葉「さま」を壁紙にしてウットリするようなタイプである。流れた血が自分のものでないかぎり、彼女が恐れることは決してなかった。それでも、できるかぎりサイオンには近付かないようにと、彼女は血溜まりの外から手をのばした。
 ベレッタのグリップには、サイオンの指が乗せられていた。スノーはその指に触れないよう、バレルの部分をつまむようにして銃身を持ち上げた。グリップの底から赤いしずくが落ちて、ちいさな波紋を広げる。血の海に浸かっていた面の銃身は、文字どおり血みどろだった。

 洗ったほうがいいかな。そう思って、スノーはサイオンのザックから出てきたミネラルウォーターに目をやった。その水を飲む気はしないが、血を洗い流すぐらいの役には立つ。
 一瞬そう考えて、しかしすぐに彼女は自分の能力を思い出した。手に触れているものなら、なんでも思いどおりになるのだ。
 左手に持ったベレッタを新品のイメージに置き換えると、それはたちまち汚れひとつないガンメタルカラーに輝きだした。その色がちょっと気に入らなかったので、すこし青みを入れたカラーに塗り変える。完璧な出来映え。
 これでかっこよくなったとスノーは納得して、しかしながら銃は重いのですぐに消してしまう。イメージすれば、いつでも自在に取り出せるのだ。妄想の物品でなく、実銃として。

 これでまた無敵に一歩近付いちゃったなと妄想しつつ、彼女はその場を立ち去ろうとした。
 そのとき。足首に違和感をおぼえて彼女は動きを止めた。
 ぬるっとした感覚。見ると、サイオンの左手がそこをつかんでいるのだった。もちろん、胴体に首はつながっていない。
 あまりの信じがたい光景に、スノーは悲鳴を上げることさえ忘れた。
 しかし、行動は早かった。右手の愛剣を下向きに一閃。サイオンの左腕はヒジから切り飛ばされて、階下の踊り場までころがっていった。その手から茶色のガラス片が散らばるのを、スノーは見た。
 ガラスのかけらは、彼女の足首にも付いていた。妄想の鎧によってキズひとつ負ってはいなかったが、ガラス片といっしょに透明の液体が付着しているのに彼女は気付いた。

 なにをされたのか、しかし彼女にはわからなかった。
 ともかく、サイオンにとどめを。そう思い、ディオスの剣をぐっと引き寄せた。心臓を突き刺そうとしたのだ。
 そのとたん、急速に視界が暗くなっていった。立ちくらみでもしたのかと、一瞬そう思った。ちがった。視界は暗くなるばかりか地震のようにガクガク揺れ、手がふるえて剣を握っていられなかった。
 ふるえているのは手だけではなかった。つまさきから頭のてっぺんまで。それどころか内臓まで痙攣しているのだった。息を吸おうとすると、それさえもできないことに彼女は気付いた。

 ──毒!?
 スノーは真相に気付いたが、すでに手遅れだった。皮膚から入り込んだ毒素はわずかの間に彼女の神経を麻痺させ、正常な意識を奪い去った。意識が混濁してしまうと、もはや何を妄想することもできなかった。
 スノーは倒れ、床に頭を打ちつけた。完全に麻酔された神経は、その痛みを伝えることさえなかった。混濁した意識のまま彼女は昏睡し、二度と目を覚ますことはなかった。




 3日目−33


 血溜まりの中に倒れたスノーは二十秒ほどのあいだ小さな痙攣を繰りかえしていたが、やがて静かになると心臓の動きを止めた。
 そのとたん、凝固されていたすべての妄想が解け、彼女の服装も髪型も本来のものにもどった。白いコートと黒の髪である。外傷はどこにもなかった。手元に現れたベレッタは、彼女が拾ったときの血みどろ状態だった。

 血臭ただよう中、しばらくのあいだ動くものはなかった。絶命したスノーはもちろんのこと、サイオンもすぐには動かなかった。
 が、やがて血の海の中から彼女は静かに立ち上がった。そして、ゆっくり歩きだした。頭部はない。左腕もヒジから先が欠けている。右腕一本で体のバランスをとって立ち上がるのはさほど難しいことではなかったが、歩くのは難しいようだった。視界とのズレがあって、うまくいかないのだ。彼女の頭部は壁際にある。胴体の立っている場所とは、視野が九十度ちがっているのだ。

 それでもどうにか自分の頭がころがっている場所まで歩くと、彼女は右手で頭を持ち上げようとした。うまくつかめず、びしゃっと音をたてて首が落ちた。片手で持つには重すぎるのだ。
 やむなくといった様子で、彼女は髪をつかんで持ち上げた。そのまま、無造作に首の切断面へ乗せる。それから、AMラジオのチューニングでもするような按配で彼女は頭の角度を調整しはじめた。
 やがて満足の行く角度が得られたのか、彼女は小さくうなずいた。首は落ちなかった。そのときには、もうつながっていたのだ。次に彼女はスッと首をのばして「いろはにほへと」と言葉を発した。何の問題もない発音だった。

 頭がつながると、あとの動きはいつもどおりだった。どことなく疲れたような足どりも、日常的な彼女のクセに過ぎない。そうして階段を降りると彼女は切り飛ばされた左腕を拾い上げ、頭部のときと同じように角度を調整してもとどおりにした。
 無論、もとどおりといっても血の汚れや衣服のキズは治らない。最終的に彼女の着衣はジェミニもかくやというほどの凄惨な代物となった。

 サイオンはしかし表情ひとつ変えずに階段をのぼると、自分のザックの中身をたしかめ、スノーのザックからUZI機関銃をとりもどし、ザックの底から出てきた村人カードを四つにちぎってバラまきつつ、猫耳カチューシャを見つけて不可解げな表情を浮かべ、最後にスノーの手元からベレッタを拾い上げると、その頭部に弾丸二発を撃ち込んで今回の戦闘を終了させた。

 無論、スノーはとっくに死んでいた。
 その頭部から流れ出す血の色を見つめながら、サイオンはコートの内ポケットに手を入れた。出てきたのは、シガレットケースのような銀色の箱。
 ふたをあけると、おさめられているのは二本のアンプル。五センチもない、ちいさな茶色のガラス瓶だ。三本分のスペースがあって、ひとつは空席だった。先刻つかった分が、そこにおさめられていたのだ。残り二本のうち一本のアンプル瓶をつまみながら、サイオンはケースを閉じてポケットにもどした。
 アンプルのラベルには、「メチルホスホノフルオリド酸イソプロピル」の表記。
 通称サリンと呼ばれる人工毒だった。





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