狼の夜   2nd day (1)


 リーザは大きな物音で目を覚ました。
 まだ、日の昇りきっていない時刻だった。仄暗い寝室の片隅。窓際に寄せられたベッドの上で、リーザは丸くなりながら頭まで毛布をかぶっていた。冬の間、リーザはいつもそうして眠っている。手足を伸ばして寝ることができない。特に今朝のような底冷えのする真冬の朝は、猫のように丸まっているのが常だった。
 目を覚ましたものの、リーザはベッドから出ようとしなかった。毛布と枕の間に頭を隠しながら、静かに耳をそばだてていた。リーザの眠りを妨げたのは、教会の正面扉が強く閉められる音だった。叩きつけるようなその音のあと、ゴツゴツと硬い床を踏み鳴らすブーツの響きが刻まれた。
 特徴的なその靴音は、ヴァルターのものだった。靴音よりも重い声がジムゾンを叩き起こし、二人のやりとりがリーザの寝室にまで届いてきた。両者とも、冷静さを欠いた激しい口調だった。そのやりとりの端々に、人狼という言葉が混じっていた。
 リーザは、じっと聞き耳を立てていた。ベッドの中で。目を閉じながら。他にできることはなかった。ヴァルターの言葉の中に死体という一語が登場したときには、小さな体がビクリと震えた。まるで、痙攣するように。
 ヴァルターとジムゾンの会話は、そう長く続かなかった。急かすようなヴァルターの言葉にジムゾンが従い、じきに二人とも外へ出ていった。ジムゾンの手で閉じられた扉は音一つたてず、そうして早朝の喧騒はすぐに収まった。
 リーザは、ほっと息をついた。毛布から顔を出して室内の様子を見回し、何事もないことを確かめると体を起こしてカーテンの隙間から外の様子をうかがった。まだ薄暗い早朝の雪景色の中を、ヴァルターとジムゾンが急ぎ足に炭焼き小屋の方へと向かっていった。
 リーザは、ヴァルターが苦手だった。大した理由はない。ただ、その厳格すぎる性格が受け入れられないだけだ。嫌っているのではない。リーザにとって、ヴァルターは純粋な畏怖の対象だった。目の前に立っただけで体がすくんでしまうほどに。
 二人の姿が見えなくなってから、ようやくリーザはベッドの上に体を戻した。──そのときだった。寝室のドアが三回、ノックされた。リーザは反射的に毛布をかぶった。
 ドアを開けて入ってきたのは、ペーターだった。薄暗い部屋の中で、ペーターは丸くなった毛布を見つめた。
「リズ、起きてる?」
 小さな声で、ペーターが言った。
 リーザは応えなかった。
「寝てる?」
 少し、声が大きくなった。
 リーザは毛布から顔を出した。
「あ、起きてた。おはよ」
 そう言って、ペーターはベッドの端に腰掛けた。普通サイズのベッドだ。おまけに、リーザは体を丸めている。ベッドの面積の七割以上がペーターのイス代わりになった。
「……どうしたの?」
 リーザが訊いた。朝からペーターが彼女の部屋を尋ねるのは珍しかった。ペーターは、朝が早い。ジムゾンより早く起きて教会の雑事をこなしたり、聖書を読んだりしている。低血圧で朝が弱いリーザとは対照的だ。朝は食堂で顔を合わせるのが、二人の常だった。
「さっき、村長さんが来たんだけど。気が付いた?」
「うぅん」
 リーザは毛布の中から首を横に振った。
「なんか、人狼が本当に出たみたいだよ。村長さんがそう言ってたのが聞こえたんだ。……それに、ボクの聞き間違いじゃなければゲルト兄さんが食い殺されたとか言ってた」
「ウソ……」
「ウソじゃない。そうじゃなかったら、神父さんがあんなに慌てて出ていくワケないよ」
「でも、人狼なんて……」
「ボクも最初はそう思ったよ。けど、ニコの言うことが当たってたら、ただじゃすまない。もしかしたら、本当に村の誰かが人狼かもしれないんだ。ゲルト兄さんを殺した」
 そう言ってから、ペーターは何かに気付いたようにはっとした表情になり、目の前で両手を横に振った。
「ボクは人狼なんかじゃないからね。リズだって違うだろ?」
「違うよ」
「きっと、大人の中の誰かが人狼なんだよ。ニコの言ってたとおり、人狼の血を受け継いだ人がいるんだ。見つけ出さないといけない」
「見つけてどうするの?」
「どうするって……」
「リズ、みんなが人狼だなんて思いたくない」
「ボクだって、考えたくないよ。でも、本当に人狼がいるならそんなこと言ってられない。ゲルト兄さんが殺されたのは確かなんだ。みんなで、どうにかしないと」
「でも……」
「そうだ。一緒に見にいこう」
 名案を思いついたというように、ペーターの声が高くなった。
「絶対にイヤ」
「ここでこうしてたって、しょうがないよ。神父さんだってすぐに戻ってこないかもしれないし、それに……神父さんが人狼だったらどうする?」
「ペーター、ひどいよ。神父さんが人狼なんて……」
「たとえばの話だよ。とにかく、ベッドから出よう。寝てる場合じゃないんだ」
 ペーターは立ち上がって、急かすように足踏みした。
 リーザは、毛布の下で丸くなったまま出てこなかった。それどころか、いっそう体を丸くして毛布を頭からかぶったのだった。
「リズ、怖がっててもしょうがないよ。ボクと一緒にいたほうがいい。その方が安全なんだ。いま、部屋に戻って剣を取ってくるから。リズはボクが守るよ」
「守ってくれなくていい。ゲルト兄さんの死体なんて、絶対に見たくないもん」
 毛布にくるまったままで、リーザは強く答えた。
「違うよ。死体なんかボクだって見たくない。見にいくのは、ニコの言ってた妖狐のしっぽだよ。人狼が出たら金色に変わるって言ってただろ?」
「ペーター一人で見てきて。リズ、ここにいる」
「一緒に行こうってば」
「イヤ」
「どうしても?」
「イヤだ」
 リーザは言い張った。
「……わかったよ。それじゃ、ちょっと見てくる。すぐ戻るから、この部屋を動かないで。絶対だよ」
「うん」
 リーザの返事を聞くと、ペーターは走りださんばかりの勢いで寝室を出ていった。半開きになったままのドアの向こうを覗くように、リーザが毛布から首を出した。薄暗い廊下には、何もなかった。ただ、勢いよく開け放たれた木製の扉が、小さく軋んでいるだけだった。
 リーザは、窓越しに外の様子をうかがった。真っ白な雪の中を、カーキ色のコートを羽織ったペーターが走っていった。手には、細身の剣を握っていた。リーザは、ペーターの姿が見えなくなっても外を眺めていた。妖狐の尾を確認するだけなら、三分とかからずペーターは戻れる。──しかし、五分経っても十分経っても、ペーターは姿を現さなかった。ペーターだけではなかった。ヴァルターもジムゾンも、他の誰の姿も、リーザの視界に入らなかった。
 リーザは、不安げに室内を見回した。質素な部屋だ。ベッドと丸テーブルとイスが一つずつ。鍵の壊れたチェストが一つと、飾り気のないワードローブが一つ。他には何もない。リーザには見慣れたはずの部屋だった。もう一度だけ窓の外を見て、ペーターの姿がないことを確かめると、リーザはベッドから跳ね起きた。寝巻きのまま、白いガウンだけを引っ掛けて寝室を飛び出した。廊下を走って、裏口から外へ出た。
 そのドアを閉めるとき、リーザの手が止まった。レバー型のドアノブに、赤黒い汚れが付いていた。明らかに血の痕だった。リーザは一瞬、道にでも迷ったように辺りを見回した。しかし、行動は早かった。完全に固まった血痕に爪を立てると、リーザはそれを引っ掻いて消し落とした。そして、すぐにペーターを追った。
 宿のホールには、ペーターとレジーナ、それにニコラスの姿があった。「おはよう」と声をかけたニコラスを避けるようにして、リーザはペーターの後ろに立った。
「ゴメン。すぐ戻るって言ったのに遅くなっちゃった」
 反省する様子でもなく、ペーターは言った。
 リーザは無言で小さく頷くだけだった。リーザは、人前ではほとんど口を開かない。話すのは、ペーターかジムゾンといるときだけだ。人見知りなどという言葉では表せないほどの、一種の病気だった。
「リーザ。よくお聞き。……ゆうべ、ゲルトが殺された」
 固い口調でそう言ったのは、レジーナだった。
「私も、ついさっき村長に叩き起こされて話を聞いたばかりで驚いてるところさ。なんでゲルトが殺されたのかもわからないけれど、とにかくあんたら子供たちは誰かの目が届くところにいたほうがいいだろうね。今は教会にも戻らないほうがいい。ここにいたほうが安全だ」
「でも、レジーナおばさん。ボクたち、まだ朝ごはんも食べてないんだ」
 ペーターが、大袈裟に腹を押さえてみせた。
「まったく、あんたって子は。こんな騒ぎのときに……。本当に将来が楽しみだよ。まぁ、それなら適当に何か作るかね。……ニコラス、あんたも朝はまだだったね。苦手なものがあれば言っとくれ」
「特にない」
「そうかい。……ま、ろくなものは作れないけどね」
 そう言って、レジーナはカウンターの奥に消えた。
 ホールに残った三人は、レジーナの姿を見届けてから、まるで打ち合わせでもしてあったかのようなタイミングで妖狐の尾に視線を投げかけた。それは、これから始まる凄惨な戦いとは裏腹に、目にも鮮やかな金色となって輝いていた。



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