対岸の火事


 それは、97年も終わろうとしている師走のことだった。
 私は悪友3人とコタツを囲んで知的遊戯にいそしんでいた。
 男4人が集まってコタツを囲む遊戯といえば一つである。
『カルドセプト』だ。
 セガ・サターンのソフトで、最大4人まで対戦プレイ可能な、いわゆるボードゲーム。めんどうなので詳細は割愛するが、要するにモノポリーのアレンジだ。土地を買い、そこに止まった相手から通行料をまきあげるという、資本主義万歳なゲームである。
 この経済哲学学習ゲームを、我々一同は年の瀬の中、アホのように遊びつづけていた。それこそ、メシを食う時間も酒を飲む時間もおしんで。

 タバコの吸い殻と空き缶の散乱する室内。充満した紫煙が天井を覆い尽くし、どうしようもないほどに空気は淀んでいる。20時間以上も聴きつづけたBGMは、もはやα波ミュージックのようだ。4人とも、30時間以上寝ていない。だれもがぼんやりとした表情で、無言のままコントローラーをにぎっている。
 カチカチとコントローラーが鳴る音。ゲームの趨勢を左右する拠点が、攻撃魔法によってつぶされた。私の土地だった。が、つぶした方もつぶされた方も、いっさい言葉を発しない。あたかもそんな事実は起こらなかったかのように黙殺される。……いや、黙殺しているわけではない。頭ではキッチリと認識している。
「ああ、やはりつぶされたな」
 その程度の認識はある。が、そこには怒りや諦めといった感情はない。つぶされたという事実を認識しているに過ぎない。

 疲れているのだ。他のプレイヤーがその土地をタダ取り同然に奪い取っても、だれも一言も口をきかない。無言。ひたすら無言。
 無言大会を催しているわけではない。単に口を開くのもめんどうなほどに疲れているだけだ。そして、拠点の一つをつぶした、つぶされた、という程度のことで一喜一憂するほど、私たちはこのゲームに関して素人ではなかった。どうかすると、一つのゲームが始まってから終わるまで、だれ一人言葉を発しないこともある。異様な状況と言わざるを得まい。
 客観的に見れば、ゲームを一時中断して全員睡眠をとるべきであろう。その方がゲームにも集中できるし、健康的だ。(ゲームが健康的かどうかという問題は無視する)
 だいいち、いつでもできるゲームなのである。何が何でも今すぐにカタをつけねばならぬワケではない。だれが見ても、「寝ろ」と言うであろう。あきれて口もきけぬ可能性もあるが。
 いったい何が、彼らをしてこれほどまでにゲームへと走らせるのか。彼らにこの問いをぶつけても、おそらく答えは返ってこないだろう。『彼ら』といっても、私もその中に含まれるのだが。この問いに対する答えがあるとすれば、「そこにゲームがあるからだ」とでもいったところか。
 ある著名な登山家は「なぜ、あなたは山に登るのか」と訊かれて、「そこに山があるからだ」と答えたというが、これと同じことである。違うか。
 余談だが、この名言を残した登山家は、単にインタビューを早く切り上げたいがためにこの答えを返したという。寡聞にして、この登山家の名前は知らぬ。

 とにかくそういう次第で(どういう次第かよく知らぬが)私たち4人はゾンビのごとくゲームに興じていた。時刻は深夜3:00をまわったころであった。今にして思えば、私たちは『カルドセプト』に感謝しなければならぬかもしれない。これに興じていたおかげで、このあとの異変に気付くことができたのだから。

 異変に最も早く気付いたのは、Mであった。
「なにか、変な音がしないか?」
 寝不足で幻聴が聞こえ始めたか。そう思ったが、耳を澄ませてみると、たしかに外から音が聞こえる。パチパチ、という音だった。雨でも降ってきたか。そう思って窓に目をやると、なにやら変に明るい。
「もう朝か?」
 Hが言った。どうやら、その程度の判断もできなくなっているようだった。午前3時だというのに。
 窓ガラスの向こうは、明るいというより赤かった。そして、ゆらゆらと揺れるように明かりが動いている。
「……火事か?」
 私が一番近かったので、歩いていって窓を開けた。
 向かいの家屋の二階がみごとに燃えていた。
「ああ、やっぱり火事だ」
 のんきに言っている場合ではなかった。なにしろ下町の住宅地であるから、向かいの家屋は2メートルと離れていない場所にある。火は、すぐにでもこちらへ移ってきそうな勢いだった。消防車もいないし、周囲にもだれもいない。私が第一発見者であるようだった。
「げ! ホントに火事だ」
 Mが言い、Hとゲンさんがあわてたように立ち上がった。
「逃げたほうがいいんじゃないか?」
 と、H。
「それより先に、119番」
 私は、家主のゲンさんに言った。
 そして、サターンのコントローラーを手に取る。私の番だった。
「なにやってんだよ!」
 すかさずMからツッコミが入った。
「なにって……? 私の番だから」
「そんなことしてる場合か!」
「……では、なにをしろと?」
 私はダイスを振って、しかるべき場所にコマを進めた。
 Mの領地だった。予定通り戦闘をふっかける。
「こいつ……」
 言いながら、Mはコントローラーをにぎった。ゲームを放棄するつもりはないようだ。対岸の火事より此岸のゲームの方が優先順位が高いのは、Mも同じらしい。
「よく燃えてるなぁ」
 他人事のように言って、Hがタバコに火をつけた。ゲンさんだけが、少しばかり慌てた様子で消防署に電話をかけている。”消火活動”という概念は、だれも持ち合わせていないようだった。じつに素晴らしいゲーマー魂である。――こんなことだから、「ゲームと現実の区別もつかない人間」とか言われるんだよ。まぁいいけど。
 簡単に火事の規模と住所氏名を告げて、ゲンさんは電話を切った。
 そして、言った。
「俺の番か?」
 と。

 後日、火元の主人がゲンさん宅に礼を述べに来たらしい。
 まぁ、当然ではある。



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