破滅への試行


 聞いた話である。
 友人Aは、入試試験官のバイトをしていた。仕事内容のわりに給料も良く、また必死で試験を受けている受験生たちの姿を見て一種の優越感に浸ることができるため、なかなか悪くないバイトであったらしい。ことにカンニングしている受験生を見付けたときなどは、それを摘発することによる生殺与奪権に酔いしれることもでき、じつに良いバイトであったという。
 入試でカンニングなんかする奴がいるのか、という疑問を抱く方も多いと思うが、これが結構いるというのである。A自身、何度か見付けたことがあるらしい。
 無論、カンニングの現場を見付けたときは基本的にその場で受験資格を剥奪するのだが、これがかわいい女の子である場合、見逃すことが多いという。当然その後で、口止めを条件にその女の子を脅迫して、あんなことやこんなことを……、嘘です、すみません。
 ちなみに彼の語るところによると、「カンニングってのは、あれは絶対バレるよ」とのことである。これからカンニングをする予定のある人は注意されたい。あなたがかわいい女の子である場合、それを生かす手も考えられるが。
 さて、そんな次第でAは試験官をしていた。
 ある日のことである。試験の最中、いきなり教室のドアが開かれた。驚いてAが振り向くと、息を切らせた生徒が立っている。どうやら、試験に遅刻した受験生であるようだった。そして、彼は頭を下げてこう言ったのである。
「すみません、遅れてみました!」

 なかなか凄い発言である。己の人生を左右するかもしれない入学試験の日に、遅刻「してみる」などというのは、並みの神経でできることではない。
 これはつまり、「ためしに遅刻してみた」ということであろうと思われるが、そもそも何を試そうとしているのか定かでない。試験官が遅刻を許してくれるかどうかを試しているのであるとすれば、その目的は何なのか。試験官に対する挑戦だろうか。その無謀ともいえる挑戦の裏に隠された意図は?
 いや、あるいはこの学校の入試があまりにも簡単すぎるので他の生徒にハンデを与えてやったのかもしれない。これこそ何のメリットもないように思えるが、いずれにしても、かなりの自信家であることは間違いない。
 なにしろ、遅刻「してみた」のである。本来、試験開始に間に合っていたところを、意図的に遅刻「してみた」のだ。余裕の態度である。
 にも関わらず、彼のあわてきった様子はどうだろうか。自信家なら自信家らしく、「ちょっと遅れてみたぞ」とでも言ってもらいたいところだ。それでこそ、ためしに遅刻してみたというスタンスが明確になる。開きなおっているようにも見えるのが難点だが、かまうことはない。
 へたに遅刻のいいわけをするよりも、これはよほど効果的な方法であろう。なんといっても、遅刻したことに対する非をまったく認める必要がないのだ。すべては実験なのである。相手が遅刻を批判したとしても、それは単に実験が失敗しただけのことであり、実験の対象(待たせた相手)が実験素材として適していなかっただけということになる。自分は悪くない。
 会社に遅刻したときでも、デートに遅刻したときでも、
「ちょっと遅れてみた」
 この一言でOKである。

 火事の連絡を受けて火災現場にやってきたが、すでに現場は焼け落ちていた。
 そういうときも、
「ちょっと遅れてみた」
 消防員は、こう言うだけで良い。
 あるいは、殺人事件が起こったというケース。こういう場合も、警察官はあわてず対応せねばならない。同僚と談笑しながら現場へ向かい、すでに息絶えている通報者に言うのである。
「ちょっと遅れてみた」
 相手が怒りだした場合、それは相手が悪いのだ。自分に非はない。相手が怒ることすらできない場合。おもに落命していることが多いかと思うが、それは事故だ。やはり自分に非はない。
 そしてこの方法は、応用によってあらゆる場面に用いることが可能である。
「ちょっと約束を忘れてみた」
「ちょっと交通事故を起こしてみた」
「ちょっと脱税してみた」
「ちょっと人を殺してみた」
 ……etc。
 とにかく、これはテストなのだ、という態度を表明することが肝要である。
「ちょっとサリンをまいてみた」
 とか、
「ちょっと核ミサイルを発射してみた」
 とかいうのも良い。
 ひょっとすると、相手は怒るかもしれないが。



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