蛸と鯛


「以前から不思議に思っていたのだが……」
 酒を飲み交わしていると、不意に友人が言った。
 妙に改まったその口調に、私は思わず真顔になって訊ねる。
「なんだ?」
「これだ」
 友人が指差したのは、コタツの上のタコ焼きだった。先ほど私が駅前で買ってきた、10個入り300円のタコ焼きである。まだ封は切られていない。
「タコ焼きが、どうかしたのか?」
「うむ」
 腕組みしてうなずく友人。
「うむ、ではわからん。タコ焼きがどうしたのかと訊いておる」
 訊きながら、私はワインをあおった。タコ焼きとさして変わらぬ値段のワインだ。
 友人もそのワインを一口飲み、それから神妙な面持ちで切り出した。
「タコ焼きには、なぜタコが入っているのだろうか」
「入っていなかったら、サギではないか。まぁ、ごくまれにそういう不届きなタコ焼きも存在するようだが」
「その反駁は、論拠不十分であるな」
「……ほう。なぜだ?」
 私はグラスを置いた。どうやら真剣な討論になりそうだった。
「たとえば、だ」
 友人は舌鋒鋭く指摘した。
「タイ焼きにタイが入っていないからといって、おまえはそれをサギだと言うのか?」
「いや、それは」
 私は言い淀んだ。
「大判焼きに大判が入っていないからといって、サギだと言うのか?」
「ちょっと待て」
「今川焼きに今川が入っていないからといって、サギだと……」
「待て。なんだ、その今川というのは」
「今川といえば、義元に決まっておる。駿河一帯を治めていた戦国の大名だ。知らぬのか?」
「知っている。最も天下統一に近い位置にいながら、桶狭間において織田に敗れたがために滅びた一族だな」
「知っているのなら話は早い。今川焼きには本来その今川氏が……」
「待て、話をもどそう。タイ焼きだったな」
 私は語り始めようとする友人を制した。
「うむ、すまぬ。収拾がつかなくなるところであった」
「いや、謝罪するほどのことではない。……で、タイ焼きだが」
「そう。タイ焼きにはタイが入っていない。タコ焼きにはタコが入っている。このちがいが問題なのだ」
 友人の言葉は、だんだんと熱を帯びてくる。 
「両者には共通点があるな」
「うむ。両者とも海棲生物である。……にもかかわらず、一方には名前のとおりにタコが、もう一方にはタイとは縁もゆかりもない餡子が入っているのだ。これは一体、どうしたことか。それとも、タイと餡子の間には、俺の想像など及びもつかないほどに深い因果関係があるというのか?」
「なるほど。つまり君はこう言いたいわけだな。『タコ焼きにも餡子を入れろ』と」
「それも解決策の一つではあるが、俺の言いたいことは違う」
「タイ焼きにタイを入れろと言うのか? それは、コスト的に見てかなり無理があると言わざるを得まい。タコとタイでは、単価が違う」
「そうではない。その方法を採用した場合、大判焼きはどうなるのだ」
「たいへんなコストだな。一般市民の手が届く食物ではなくなってしまう」
「回転焼きという、とんでもない代物もある」
「むぅ、私としたことが。その存在を忘れていた」
「大阪焼きなる一品も存在するのだぞ」
「もはや、なにを入れるか入れないか、という問題ではないな」
「こうして並べてみると、タコ焼きだけが特殊な存在であることがわかるはずだ」
「その名称に冠されるところの物質が内包されているのはタコ焼きだけであると、こういうわけだな」
 ようやく、友人の言いたいことが理解できた。
「そのとおり。つまり、タコ焼きにタコが入っているべき必然性も必要性もないと、俺は言いたいのだ。しかるに、巷にあふれるタコ焼きには多くの場合、タコが入っている。これはなぜなのか」
「よくできた論理だ。が、その論理には不備がある」
「不備だと?」
 友人の眉がピクリと動いた。
「そうだ。……先刻、君はタイ焼きにはタイが入っていないと指摘していたな。だが、タイ焼きはその外見をもって名称の由来とする説が一般的であり、中の具にタイの身が入っているか否かという問題は……」
「たわけ!」
 私の言葉は、友人の一喝によって遮られた。
「おまえは、あの形状がタイであると、そう言うのか!? おまえには、本当にあれがタイの姿に見えるのか!?」
「むぅ、そ、それは……」
「俺には、あれがタイであるとは到底、思えぬぞ。世界中の海を探したとしても、あんな形状のタイは決して見つかるまい。俺の記憶に照らし合わせるならば、あの形状はタイというよりも金魚に近い」
 今にも立ち上がらんばかりの勢いで、友人は言った。
「き、金魚か……」
「形状をもってその名とするのなら、あれは正しく金魚焼きと呼ばれるべきだ。あの物体をタイ焼きなどと呼んで恥じぬのは、本物のタイを見たことがない人種だけに違いあるまい」
 友人は加速度的に熱くなってゆく。
 逆に私は加速度的に冷めてゆく。
「金魚焼きと呼ぶほうが、よほど恥ずかしいと思うのだが……」
「なんだと、貴様」
 ぎろり、と友人の目玉が動く。怖い。
「ああ、いやいや。ごもっともです、はい」
「ふん、わかれば良い。だが、本題はタコ焼きだ。金魚焼きのごとき痴れ者のことなど、どうでも良い」
 どうやら、友人は本気でタイ焼きを金魚焼きと呼ぶことにしたようだ。
「で、結局のところ、君は何を言いたいのだ? タコ焼きにタコを入れるな、と言いたいのか?」
 私は問うた。
「だれがそんなことを言っておるか。人の話はしっかり聞け。俺が問題にしているのは、タコ焼きにタコが入っている理由だ。その是非ではない」
「なるほど。タコ焼きにタコが混入されていることの正当な理由。それを述べよ、と言いたいのだな?」
 私がまとめると、友人は大きくうなずいた。
「まさしく、そのとおりである。さぁ、述べてみよ。そして、俺を納得させてくれ」
「そう言われても、だ。私はタコ焼き屋でも、ましてやタコ焼きの発案者でもないのだが」
「なにィ? ……おまえは、その程度の心構えで俺の前にタコ焼きを持ってきたのか?」
「……なぁ」
 凄みをきかせる友人に、私は少しばかり間を置いて訊ねた。
「タコ焼き嫌いなのか?」
「俺の嗜好など、問題にはしていない」
「好きだよな?」
「……うむ」
「ならば良いのだが。嫌いだったのかと思ってな」
「タコ焼きなら、毎日食しても良いほど好きだ」
「そうか。……ところで、私は君に告白せねばならないことがある」
 私は座を正して言った。
「じつは、このタコ焼きだが……、タコが入っていない」
「……なに?」
「何度か買ったことがあるから、知っているのだ。この店のタコ焼きには、タコなど微塵も入っていない」
「微塵も、か」
「きれいさっぱり」
 私がそう言うと、友人は力無くうなだれた。
「……世の中には、なぜこのような理不尽がまかりとおっているのだろうな」
 友人の目は、どこか遠い所を見つめていた。
「世の中とは、そうしたものだ」
 私はタコ焼きのパックを開けた。
 タコの入っていないタコ焼きを食しながら、私は思った。餡子の入っていないタイ焼きもあるのだろうか、と。



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