小説を読むことの苦痛


 先日、ちょっとしたイベント(葬式)があり、親族が一堂に会することとなった。私は、こうした集まりが非常に嫌いである。なぜかというと、必ず私の話題が俎上に上るためだ。

 いわく、
「仕事はしてるの?」
 いわく、
「まだ小説書いてるの?」
 いわく、
「結婚しないの?」

 質問を発するのは、たいてい叔父や叔母だ。
 大きなお世話である。だいたい、答えは先刻承知だろうに。
 しかも、my母はそれ以上に大きなお世話なことに、彼らの質問に勝手に答えてくれるのだ。
 別に私が答えも大差はないのだが、「結婚しないの?」という問いに対して「いい相手紹介してやって」などという返答は慎んでもらえないだろうか。あまつさえ、「女の子なら誰でもいいから」というのは、どういう了見か。私の趣味や意向など知ったことではないと、そういうことなのか。それは横暴ではないのか、母よ。……まぁ、たしかに贅沢を言えた身分ではないのだが。

 いきなり話がそれたが、今回のテーマは母の専横についての糾弾ではないのであった。テーマなどという言葉を持ち出すほどのことでもないのだが、イベント終了後の酒席でのことだ。
「ねぇ、ちょっと頼みがあるのよ」
 と、一人の叔母が話しかけてきた。
 昔から馴れ馴れしい人で、前出の質問などを真っ先に発言するのは、この人であることが多い。叔母の隣には、彼女の娘(つまり従姉妹)が座っている。叔母とは似ても似つかない物静かな女の子で、今年高校を卒業してフリーター生活を始めたと聞いた。あまり口を利いたことはなかったが、私は彼女に好感を持っている。
「何ですか?」
 私が訊くと、叔母は言った。
「この子、小説家になりたいんですって。何かアドバイスしてあげてよ」
 おいおい。
 小説家でも編集者でもない私に何を期待しているのだろうか、この叔母は。こんな駄文を書き散らして(しかもネタに困ってこんなことまで書いて)いるような人間が、だれかに物書きとしてのアドバイスなどできると思っているのだろうか。
 しかし、おとなしいように見えて、この従姉妹もなかなか大胆なことを考えるものである。小説家になろうなどとは。人生を捨ててかかっているとしか思えない。
「いや、アドバイスと言われても……」
 私は言葉に窮した。
 やめておけ、というのが最善のアドバイスなのだろうか。
 いや、彼女は小説家になるためのアドバイスを欲している。とりあえず、「作品は日本語で書け」とでもアドバイスすべきか。手書きで書くならば、判読可能な文字で書くことも重要だ。
 冗談はさておき。……いや、「やめておけ」というアドバイスはかなり本気なのだが。
「小説家になりたいの?」
 私は、従姉妹であるところの彼女に訊いてみた。
「うん」
 彼女はうなずき、
「小説、持ってきたの。読んでみて」
 と、50枚ほどのB5用紙をバッグから取り出した。
 これをこの場で読むのか!?
 そう思ったが、まぁどうにか読めない量ではない。仕方なく私は原稿を受け取り、目を通した。が──。

「☆ジュンのパステル日記☆」

 私はのけぞった。すごいタイトルだ。
 なにしろ、タイトルに☆マークが入っている。まともな小説でこんな所業が許されるのだろうか。いや、許されない。(反語)。
 それにしてもパステルですかい旦那、というツッコミを無言のうちに入れながら、私は読み始めた。そして、3秒で後悔した。この原稿を読むことを引き受けてしまったのを後悔したのである。
 作品は、女子中学生の一人称で書かれていた。しかも、地の文章までもが彼女の口調で書かれている。具体的には、こんな感じだ。

「えぇっ、うそぉーーっ!!」
 あたし思わず大声出しちゃったの。
 だって、あの憧れの鷹羽先輩が停学処分だなんて。
 それも他の学校の生徒とケンカしたなんて、ゼッタイ信じられない!
 大ショック!!!

 大ショックなのは私のほうだった。この文章を50枚も読まねばならぬのかと、目の前が暗くなった。
 ちらりと従姉妹の方へ目をやると、彼女は真剣な表情で私を見つめている。
 うぅっ、わかりました。読みますよ。読みますとも。
 もはや拷問である。「忍」の一字を己に言い聞かせ、私は読み進めた。なにしろアドバイスをせねばならぬから、適当に読み飛ばすわけにもいかなかった。苦行だ。

 物語は非常にありがちな学園ラブコメで、それ以上でも以下でもなかった。
 主人公であるジュンは明朗快活で少々おっちょこちょいな女の子で、鷹羽先輩とやらが好きらしい。(『おっちょこちょい』なんて言葉を使ったのは何年ぶりだろう)
 この鷹羽先輩は一匹狼的な不良で、その日常に主人公ジュンが巻き込まれてゆくという話だ。
 さすがに若い女の子が書いただけあって主人公などの女性心理はそこそこ書けているが、男の方の描写ははっきり言って目茶苦茶だった。いまどき、学校の覇権を賭けて殴り合いの喧嘩をするような不良がいるのだろうか。(それも素手で)
 半分ほど読んだところで、私はこの作品すべてがギャグなのではないかと思えてきた。作者に訊ねてみようかとも思った。が、もしそうでなかったら気を悪くするに違いないと思い直し、口を閉ざした。
 私は物語の内容よりも残りの枚数ばかりを気にしながら、クライマックスと思われる部分を目で追った。

 他校の不良グループに拉致された主人公ジュン。果たし状を受け取った鷹羽は、たった一人で数十人の不良グループが待ち受ける廃工場へと向かう。馬鹿正直に一人で、しかも何の策も持たずに決闘場に現れた鷹羽を、これまた馬鹿正直に何の策もなしに待ち受ける不良グループ。
「よく一人で来たな、その根性だけは認めてやる」的な発言をする不良グループのボス。
「ジュンを返せ」と主張する鷹羽。
「鷹羽先輩、あたしなんかのために!」と主人公。

 これが笑い話でなくて何だというのか。
 私は笑うのを抑えるのに必死だった。
 しかし、ジュンと鷹羽の置かれている状況はかなり不利だ。ここからどういう逆転劇を見せてくれるのか、私はそれだけを期待した。
 ――が。

「俺とサシの勝負をしろ!」
 不良グループのボスは、不可解な発言をした。
 おいおい、それはないだろ。わざわざ人質まで取っておいて、なぜタイマン勝負など挑まねばならぬのだ?
「そんなことのために、ジュンを巻き込んだのか!」
 鷹羽が、当然の疑問を口にする。
「うるせえ! 勝負するのかしねぇのか、どっちだ!」
 ボスは説明しなかった。
 このあたり、作者もよくわかってなかったと思われる。
「勝負でも何でもしてやる。だが、その前にジュンを放せ」
 鷹羽も鷹羽で、無茶苦茶な要求をする。
「ふざけるな! 勝負が先だ!」
 さすがに頭の良くないボスも、この要求は受け付けなかった。
「後悔するなよ」
 ちょっとキザな鷹羽。
「それはこっちのセリフだ!」
 ありがちなセリフをボスが返し、殴り合いが始まった。
 が、そもそも一対一の喧嘩で勝てるのならば、不良グループもわざわざジュンを誘拐したりはしないのである。当然のように殴り倒されたボスは、あっさりと負けを認めた。
 その後、解放された主人公は鷹羽の胸に飛び込む。
 そして、ハッピー・エンドへ。

「……ふぅ」
 読了し、私は溜め息をついた。
「どうだった?」
 と、従姉妹。
「いや、おもしろかったよ、うん」
 私は言った。嘘ではない。少なくとも、笑うことはできた。……ただし、作者の意図とは違うところで。
「どこがおもしろかった?」
「え? いやぁ、色々と」
 正直に答えれば彼女を傷付けるであろう。私は適当にごまかした。
「ここをこうしたほうがいい、とか、そういうのなかった?」
「そうだなぁ……」
 全部、と言いかけて、私は危うく言葉を換えた。
「もう少し、オリジナリティがあったほうがいいかもね」
「たとえば?」
「たとえば、不良グループのボスを主人公にするとか」
「そんなの書けないよ」
「なら、不良グループのザコを主人公に」
「まじめに答えて!」
 怒られてしまいました。ごめんなさい。一応、真面目に答えたつもりだったのだが。伝わらなかったようだ。
「そうだなぁ。まずタイトルを変えたほうがいい。なんで、パステルなの?」
 私は訊いた。
 作品中、どこにもそれらしき描写はなかったように思う。
「……なんでだったっけ」
 彼女は言った。
 どうやら、あまり真剣に書いていないようだった。うすうす感付いてはいたことだが。
 私は更に言った。
「それから、主人公に個性がなさすぎる」
「でも、そういうのって難しいよ」
「個性的なことなら、何でもいいんだ。たとえば、毎朝かならず牛丼を食うとか」
「朝から牛丼なんて食べないよ、普通」
「たとえば、の話だ。なんなら、弁当にそうめんを持って行くとかでもいい」
「どうして食べ物の話ばっかりなの」
「例を挙げてみただけだから、気にしないでくれ。とにかく、そういうことだ」
「主人公に個性をつけるのね。書き直したら、また読んでくれる?」
「え。……まぁ、いいよ」
 私は、簡単に引き受けてしまった。彼女と会う機会など当分ないと思ったのだ。
 このときは、すっかり忘れていた。四十九日の法要というイベントを。

 そして、現在私の手元には加筆修正された「☆ジュンのパステル日記☆改め『ジュンの学園日記』」がある。──たしかにわかりやすいタイトルだが、もう少しヒネリというものがないのだろうか。「ジュンの暴力学園日記」とでもしてくれれば、いくらかは読む気力も起きようというものなのに。だいたい、どうしてこんな陳腐な内容の小説が3倍もの分量に膨れ上がっているのだ?
 不良グループのザコAを主人公に仕立てて書き直してやろうか。イヤがらせのためだけに。



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