稼ぐ嫁


 あらためて言うまでもないことだが、日本語は複雑な言語である。とくに文章として組み立てる場合、そのシンタックスというものは他に類を見ないほどの複雑さを極める。
 その要因として、まず日本語自体の表記法が挙げられるだろう。すなわち、ひらがな、カタカナ、漢字、そしてアルファベットまでも含む表記法である。
 私たち日本人は普段、ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットの混じった文章を当たり前のように書いている。そして、当たり前のように間違っている。加えて、その間違いに気が付かない。さらには、間違いを指摘されると気分を害する。そのせいだろう、他人の間違いを指摘する人は少ない。
 だから、世の中には間違った日本語表記があふれている。

 先日のことだ。
 繁華街を歩いていると、一枚のビラが目に留まった。
 それには、白地に青の文字で、こう大書されていた。

「嫁がせます!」

 ――とつがせます?
 いわゆる結婚案内所みたいなものだろうか。登録制のシステムで、本人の趣味や要望に沿った相手を紹介してもらえるとかいうアレだ。しかし、「嫁がせます」ってのは婦人団体からクレームがつけられるんじゃないのか?
 一瞬、そう思った。が、よく見るとどうもおかしい。
「月50万以上、100万も可」
 とか、
「未経験者でも簡単です」
 などという惹句が「嫁がせます」の下に付記されているのだ。
 何度も言うが、間違いなくそこには「嫁がせます」と書かれている。断じて、「稼がせます」ではないのである。
 私の貧困な発想力から考えるに、これは結婚詐欺の人材募集なのではないか。たしか、それは犯罪だったと記憶しているのだが。こうも堂々と宣伝するとは実に大胆な犯罪組織であると言わざるを得まい。しかも、「未経験者でも簡単」らしい。よく見ると、無料講習会なるものが定期的に開かれているようだ。どんな講習会だ、いったい。

 私は、たまたま一緒にいた知り合いの女性に、この詐欺組織についての見解を求めてみた。
「一ヶ月50万で結婚詐欺に手を染めるというのは、わりにあうのだろうか」
「はぁ?」
 彼女は怪訝そうな顔をして、「何を言ってんだ、この馬鹿は」とでも言わんばかりに私を見た。
「いやだから、そこの広告に書かれているではないか。『とつがせます』と。これは明らかに結婚詐欺の人員募集に違いあるまい」
「……かせがせます、でしょ」
「『かせがせます』なら、のぎへんだ。これは、おんなへんで書かれている。『とつがせます』としか読みようがない」
「ああ、間違えたんでしょ」
「違う! これは犯罪組織の官憲に対する挑戦的な」
「馬鹿?」

 このように、人々は間違った表記に対して鈍感なのだ。いいのか、こんなことで。こんなことだから、「墓地」と「基地」を間違えたり、「葡萄」を「匍匐」と書いたりする人間が後を絶たないのだ。
「彼女は基地で眠っている」とかいう一文をある小説の中で見つけた時には、そこまでのシリアスな過程を全てぶち壊された気分だった。いつの間にか(読者の知らぬところで)彼女は士官にでもなっていたのだろうかと考えてしまったではないか。
 しかも、あろうことかそれは私の書いた小説だったのだ。

 すみません。次から気をつけます。



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