あるパンダの一日


 たとえば、朝起きたらパンダになっていたとしよう。
 その場合、人はどうするだろうか。
 朝起きたら巨大な芋虫になっていたというのは有名な不条理小説の話だが、神宇君(仮名)の場合は、パンダになっていた。
 何のことはない。寝ている間に、目の回りをマジック・ペンで真っ黒に塗られただけの話だ。5名ほどで酒を飲んだ末のことだった。ある人物が持ち出したマジック・ペンにより、熟睡中の神宇君はあっというまに一頭のパンダに仕立て上げられたのである。
「宴会の席に於いて最初に寝た者は、いかなる刑に処されてもこれを甘受せねばならない」という、国際宴会法第19条第2項の適用された結果であった。

「いま何時……?」
 夜を徹して酒とゲームに興じていた我々をよそに一人惰眠を貪っていたそのパンダは、正午近くになってようやく目を覚ました。
 両目の周囲は円状に黒く塗りつぶされ、頬にはごていねいに「パンダです」と書かれている。もう一方の頬には「笹が大好き」という一文。どこからどう見てもパンダだった。本物のパンダでさえ、自分がパンダであることをこうも強く自己主張してはいない。
 我々4人は、しかし彼に奇異の目を向けたりはしなかった。なにごともなかったかのような態度で、プレイ途中のゲームに集中しているフリをした。
「11時だ」
 私が答えると、
「もうそんな時間かぁ」
「腹が減ったな」
「俺は喉が乾いた」
「そういえば、タバコもない」
「だれか買ってこい」
 他の3人が連鎖的に話を進め、
「ゲームをやってないお前が買ってこい」
 と、起きたばかりのパンダにその役目を押し付けた。じつに自然な流れ、みごとなコンビネーションだった。パンダは最初面倒くさそうにしたものの、すぐに折れて買い出し役を引き受けた。
 私を含めた4人が、それぞれ弁当やスナック菓子、ジュース等を発注し、必要経費を渡す。だれ一人として、彼の顔に刻まれた模様について触れる者はいない。鬼である。
「そこの店でいいよな?」
 全員の注文を受けて、パンダは言った。徒歩二分ほどの距離にあるスーパーのことを指しているものと思われた。
「ダメだ。あそこはキャメルを置いてない」
 一人の鬼が言った。
「じゃあ、どこだ?」
 と、パンダ。
「コンビニまで行ってこい」
 そのコンビニまでは、歩いて十分以上かかる。しかも、人通りの多い道を行かねばならない。悪魔である。
「まぁ、いいか。目覚ましがてら、歩いてくる」
 パンダはあっさりと引き受け、なんの躊躇もなく外へ出ていった。

 直後、我々はそれまでこらえていたものを一気に吐き出した。
「はっはっは。ホントに行ったよ、あいつ」
「ふつう、気が付かねぇか?」
「バレると思ったけどなぁ。それにしても、だれか教えてやれよ」
「お前が教えりゃいいだろ」
「だれが言うかよ、あんな面白いこと」
「それにしても、あれは恥ずかしいな」
「俺は100万円もらっても、あの顔で外は歩きたくないぞ」
 ひどい連中である。一応言っておくが、神宇君はいじめられっ子ではない。酒の席で寝るという愚行を犯したがゆえの、これは正義にもとづいた制裁である。――多数決という名の正義だが。

 三十分ほどして、パンダは帰ってきた。両手にコンビニの袋を提げて。見ると、その袋が二種類ある。どうしたのかと問う間もなく、パンダは言った。
「いい弁当がなくてさ。コンビニもう一軒寄ってきたよ」
 わざわざ、恥を広範囲に広めてきたようである。そして、それが臨界点だったのか、一人が耐えられなくなったように笑い声を漏らした。
「どうした? いきなり」
 と、パンダが問いかけた。
「な、なんでもない。ちょっと、思い出し笑い」
「妙なヤツだな」
 妙なのはおまえだ、というツッコミを、この瞬間全員が心の中で入れたに違いない。
 それにしても……。

「ところで、俺の笹ダンゴは?」
「え? そんなもの、たのまれた覚えないぞ。だいたい、コンビニで売ってるか?」
「いや、おまえに頼めば手に入ると思ったんだけどなぁ」
「なんだそりゃ。この辺に和菓子屋とかあったか?」
「おい、それより俺のパンだ」
「おまえは弁当じゃなかったか?」

 これだけヒントを出してやってるのだから、いいかげん気付いてくれ。まさか、帰宅するまで気付かないとは思わなかったよ。



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