夕立の記憶


「それは、いつもいきなりやってくるんだ」

 うだるように暑い日だったことを覚えている。十五年以上も前のことだろうか。いつの年だったかは覚えていない。ただ、8月の15日だったことだけはハッキリしている。
 その日、小学生の私は祖父の家へ遊びに行っていた。年に三度、学校の長期休暇中に田舎へ遊びに行くのが当時の習慣であり、また楽しみでもあった。楽しみなのは、祖父に会えるためだ。
 この祖父は、非常な博識だった。人生で経験したこと、また知識として蓄えたことを物語のようにして聞かせるのが得意で、その重厚な語り口は子供だった私の心を捕らえるに十分すぎた。
 祖父がそうして物語るのは、当然というべきか、昔の話が多かった。その話題は実に広範に及んだが、最も多いのは戦争前後の話だった。戦時中の混乱とその後の復興の様子を、私は頻繁に聞かされたものだ。
 海軍で駆逐艦の乗員だったという祖父は、その日、いつもにも増して饒舌だった。

「『それ』って?」
「魚雷だよ」
 私の問いに、祖父は答えて言った。
「かなり近付けば見えるんだがね。海が荒れていたりすると、もう全然見えない。被弾してからようやく魚雷だったとわかることも少なくないんだ。もっとも、海が荒れていればそれだけ魚雷の精度も落ちるがね」
「でも、駆逐艦が一番よけやすいんでしょ?」
「それはそうだよ。けど、最も装甲が薄いのも駆逐艦だ。戦艦や空母に比べれば、紙細工みたいなものさ。攻撃機から投下された爆弾が船底まで突き抜けて海中で爆発した例もあるぐらいだ」

 軍艦にはいくつかの艦種がある。戦艦、航空母艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、といった具合に。それぞれの艦種は目的をもって設計されており、駆逐艦の場合はその高速を生かしての接近戦による敵艦への砲雷撃、また艦隊中での主力艦の援護といったものが挙げられる。――もっとも、正確に言うと駆逐艦や潜水艦は軍艦ではないのだが。
 ちなみに駆逐艦を英語ではDESTROYERと言う。デストロイヤー。格好良いではないか。巡洋艦のCRUISER(クルーザー)に比べると、えらい差である。なにやら、悪役プロレスラーか特撮ものの怪人を想起させる部分はあるが。デストロイヤー1号2号とか。

 祖父は言った。
「日本の駆逐艦は優秀だったよ。戦艦や潜水艦もね。ただ、その使いかたを間違えていたんだ。とくに潜水艦と空母の用法を完全に間違っていた。……戦争を始めたこと自体が最大の間違いだがね。どだい、まともな空軍もなしでは話にならない」
「日本には空軍がなかったの?」
「なかった。海軍と陸軍がそれぞれ航空戦力を持ってはいたが、独立した空軍というものはなかったんだ。しかも海軍と空軍は指揮系統も何もかもまるで別々だったんだから、日本の航空戦力の貧弱さは理解できるだろう?」
「でも、そのかわりに陸軍と海軍は強かったとか、そういうことは?」
「海軍のほうは他の国と比較しても遜色なかったかもしれない。国力の違いによる総合的な戦力に目をつぶれば、兵器自体の性能では一歩進んでいたとも言える。けれど、それは海軍だけの話で、陸軍のほうはアメリカに比べれば十年も二十年も遅れていた。同じく時代遅れの中国を相手にしていたときは良かったが、米英の陸軍が相手では悲惨な結果しか出なかったよ。なにしろ、こっちの戦車の砲弾が敵の戦車に命中しても損害を与えられないんだから、話にならない。主砲の口径も装甲の強度も段違いだった」
「なんで、そんなに海軍と陸軍で兵器の性能が違ったのかなぁ」
 当然の疑問を私は口にした。
「日本が島国だという点に尽きる。海軍さえあれば戦争はできると思ってたんだろう。同じ島国でも、イギリスは先を見る目があったようだが。……それでも、最終的に日本海軍は潰滅したがね。戦中に日本海軍が失った艦艇の数は、他の国を圧して多い。ほとんど全滅に近い状態だったよ。僕が乗っていた艦も沈んだ」
「なんていう船?」
「夕立。僕は伝令員だった」
 答えた祖父の目が、遠いものを見るように細くなった。

 昭和17年11月12日。ガダルカナル島沖ソロモン海において、日米海軍の艦隊決戦が行われた。艦隊同士の砲撃による戦闘としては太平洋戦争史上最大級のもので、この隊列に駆逐艦夕立も含まれていた。
 艦長吉川中佐は勇猛な男だった。戦闘が始まるや、夕立は単艦で敵艦隊に突入、1500メートルという至近距離まで肉薄し、砲と水雷による攻撃を実行した。この攻撃により夕立は重巡洋艦、防空巡洋艦各一隻撃沈、軽巡洋艦および駆逐艦数隻撃破の損害を米艦隊に与えている。(日本側発表に基づく)
 無論、夕立も無事では済まなかった。敵艦からの集中砲火を浴びて、40分間ほどの戦闘の後に轟沈している。砲撃の矢面に立たされた夕立甲板上のその光景は、さながら地獄絵図のようであったという。

「戦闘が始まると、艦上は油と火薬の匂いでいっぱいになる。そのうち被弾すると、死体の匂いがそこに混じるようになるんだ。……ソロモンでは大勢死んだよ。僕の同期もほとんど夕立と一緒に沈んだ」
 淡々とした口調で祖父は続けた。
「僕は主に艦橋と右砲部の伝令をやっていたんだ。戦闘中は、それこそ足が棒になるほど駆けまわらされたよ。なにしろ、夜だった上に乱戦だったからね。味方の艦に発砲しないようにするだけでも一苦労だった。……もっとも、それも被弾するまでのことだったがね。……右舷に砲弾が命中したんだ。そのとき僕はブリッジのほうにいたから助かったけれど。ブリッジを下りてみると、あたり一面スクラップ状態だった。あちこちに死体が散らばってて、機銃手だった友達も死んでたよ。左腕がなくなっていたけれど、まわりを探しても見付からなかった」
「……」
 私は祖父の話にのめり込んでいた。祖父から戦争の体験談を聞かされたことは何度もあったが、この日の話は特に生々しかった。小学生の私にとって、「死体」という言葉の持つ衝撃は大きかった。
「そのとき、ちょうど目の前に敵の巡洋艦が現れたんだ。……僕は我を失っていた。死んだ友達が使っていた機銃がまだ動きそうだったのを見て、銃座に飛び乗った。ハンドルを握ると、焼けた鉄みたいになっていたよ。それでも僕は手のひらが焼け爛れるのも構わず撃ち続けた。……これが、そのときの跡だよ」
 そう言って、祖父は左の手のひらを私に見せた。年齢ゆえの枯れたような手のひらだったが、その親指の付け根あたりに大きな火傷跡が残っているのはすぐにわかった。私は、思わずその部分に指で触れていた。
 ――すると、
「あなた」
 いつのまにか台所から戻ってきていた祖母が私の後ろに立っていた。祖父が、イタズラの現場を咎められた子供のような顔になった。
「また、そんな作り話して……。その火傷は、料理をしてるときに鍋をひっくり返してできたケガでしょうに」
「……え?」
 私はあっけに取られて祖父と祖母を交互に見比べた。
「だいたい、あなたは戦争中ずっと大陸にいたでしょ。海軍なんて、とんでもない」
 祖母は容赦なく祖父を糾弾した。
「……それじゃあ、今の話は全部ウソ?」
 私が訊くと、悪びれる風もなく祖父は認めた。
「ははは、まぁそういうことだ」

 このとき以来、私は嘘をつくことに罪悪感を覚えなくなった。人を楽しませるためなら、平気で嘘をつく――。そんなのも、ちょっと悪くない。



NEXT BACK INDEX HOME