HN


 WEBの世界においては、誰でもHN(ハンドルネーム)を名乗るのが普通である。無論、HNは本名でもかまわない。友人などから呼ばれているニックネームがあれば、それを名乗るのも悪くないだろう。しかし、多くの人はWEB上で名乗るためのHNを作るものである。
 たとえば、私はアイスと名乗っている。ときどき「カッコいいハンドルですね」などと言われる。が、何のことはない。単にアイスクリームが好きだからアイスと名乗っているだけである。べつに、氷のようにクールだというアピールをしたいワケではない。

 私などは5秒でHNを決めた人間だが、中には非常に凝ったHNをつける人もいる。
 以前、龍宮蛟姫と名乗る人を見かけたことがある。「凝ったHNですね」と言ってみると、彼(!)は得々として自らのHNについて解説を始めた。耽美系の小説家にでもなりたいのかと思ったが、そうではないようだった。「今までに3回、HNを変えた」と言っていたが、以前のHNも推して知るべしである。
 緋川・F・蒼司というHNを見かけた時には、藤子・F・不二雄のファンなのかと思った。そう訊いてみると、「F」は「フォン」のFだと言う。勝手に貴族を名乗ることができるのも、WEBの世界ならではである。「F」ではなく「V」ではないのか、という指摘ができるほど私は残酷な人間ではなかった。
 こうしたHNをつけたがるのは、どうも文学系というか偏向したミステリ小説やSF小説のファンに多いようで、そうしたサイトでは簡単にお目にかかることができる。

 反対に、まったく凝ってない(というより何も考えてない)ようなHNを多く見かけるのが、テクノ系のサイトである。彼らは音の響きや字面からHNをつけるのが好きなのか、「J」とか「RUKE」などというHNを3秒ぐらいでつけたりする。
 アルファベットやカタカナのHNが多いのも特徴だ。「/」というHNを見かけたときには、どう読めば良いのかと頭を悩ませた。そのまま「スラッシュ」と読めば良い、ということだったが、もはやこれはHNと思えない。たしかにカッコいいかもしれないが、不便ではないのだろうか。ほかにも、「LSD」「嘔吐」といった具合にアナーキーなHNが多い点も特筆すべきであろう。「首吊り」というHNを見たときには、さすがに少し心配になったものだ。

 凝っているのか凝っていないのかわからないHNが多いのは、ゲーム系のサイトだ。彼らにはファンタジーの世界から触発されたHNをつける人が多く、あきらかに他ジャンルのものとは一線を画す。私が見かけたものの中では、
 聖騎士AK
 水晶竜
 死人使い
 破壊神
 ……などというHNがあった。
 破壊神、である。私がこれまで見てきた中で、これほど強そうなHNは他にない。対抗して「魔王」とでも名乗りたくなるが、これはどうも安っぽいイメージだ。「冥帝」あたりが、どうにか対抗し得る線だろうか。HNで張り合っても仕方ないが。

 さて、そのようにWEB上には様々なHNが氾濫しているワケだが、基本的にWEBでのやりとりが文字に依存されている以上、どのようなHNを名乗ったところで大した問題はない。要は識別ができれば良いだけのことで、「r氣・”ゥ 5」と名乗ってもかまわないのだ。文字化けしていると思われるのが普通だろうが、毎回そう名乗っているぶんには何の問題もない。
 ただ、これがWEBの外にまで及ぶとなると話は別だ。

 WEBの世界には、「オフミ」だとか「OFF会」などと呼ばれるものがある。説明するまでもないだろうが、これはWEB上(ON LINE)で知り合った人同士が直接(OFF LINEで)顔を合わせる会合のことである。当然、この席では参加者たちはそれぞれWEB上で名乗っているHNで呼ばれることになる。
 本名をHNとしている人にとって、この会合はごく普通の集まりと変わりない。しかし、変哲なHNを名乗っている人々の会合となると、これは凄まじいことになる。

「はじめまして、龍宮蛟姫です」
「あ、どうも。死人使いです。こちらは、聖騎士AKさん」
「聖騎士AKです。よろしく」
「こちらこそ、よろしく。……もしかして、あの人は首吊りさんですか?」
「そうです」
「破壊神さんは?」
「ええと……、あの人です」
「えっ、女の子じゃありませんか」
「いやぁ、オレも驚きました」

 そのようなあいさつが交わされるのである。どう見ても異様な集団だ。そして、そこに「r氣・”ゥ 5」と名乗る男が現れるのだ。混乱は避けられまい。だいたい、どう呼ぶのだ。

 私はというと、アイスというHNで呼ばれることには何の抵抗もない。呼ぶほうには抵抗があるかもしれないが。
 ただ、以前こんなことがあった。
 OFF会の席上、居酒屋でのことである。かなりアルコールも入り、そろそろおひらきにしようかという頃合いだった。一人の女性が、とろんとした表情をこちらに向けて言ったのである。
「あー、アイス食べたいなぁ」
 と。

 いやもう。ぜひ食べてください。



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