正義の名のもとに


 ある警察署での一場面。
 三人の容疑者を前にして、警官が問いかけた。
「おまえは何をして捕まったんだ?」
 一人めの男が答えた。
「あっしはただピーナッツを公園の池に投げ込んでただけでさぁ」
「それだけで捕まったというのか?」
「へぇ、まったくメチャクチャな話でさぁね」
「ふむ。……おまえは?」
 警官は二人めの男に訊いた。
「オレも、池にピーナッツを投げてただけですぜ」
「ふむ。……では、おまえは?」
 警官は三人目の男に訊いた。
「あっしが、そのピーナッツなんで」

 という有名なジョークがあるが、私の知人には蜜柑という人がいる。ペンネームとかハンドルネームではなく、本名である。言うまでもなく、「ミカン」と読む。あの、鏡餅の上で腐敗しているアレだ。
 この蜜柑嬢と私とは小学生時代に同じクラスだったのだが、当然というか予定調和的にというべきか、彼女は事あるごとにその名前を同級生たちから馬鹿にされた。
 なにしろ「ミカン」である。これを馬鹿にしない小学生がいたら、まさに聖人君子のごとき人間だと言えよう。私は聖人君子なので馬鹿にしなかったが。

 蜜柑嬢に浴びせられる悪口は、さまざまだった。たとえば、「たかがミカンのくせに」というのがあった。これはおそらく、メロンやスイカなどといった高級感のある果物などと比較してのことだろう。たしかに、ミカンには「たかが」という言葉がふさわしい。一個10円とか20円で投げ売りにされている果物。それがミカンである。
 人によっては「たかがメロン」との発言を厭わない人もいるかもしれないが、まったくもって恐れ多いことである。メロンが(なにかの間違いで)自宅にやってきた折りには丁重に仏壇にそなえ、一家全員の日参のあと腐敗臭に似た匂いを放つようになってからようやく家長の指示のもと、うやうやしく切り分けねばならない。しかるのち、「おいしいね、おいしいね」と言いながら皮まで貪り食うのが正しいありかたなのだ。──いや、私はあまり好きじゃないんですがね。
 しかし、もし仮に蜜柑嬢の名が「メロン」だったら、「たかが」という罵言を浴びせられることはなかったに違いない。「スイカ」でも悪くない。そのあたり、蜜柑嬢の両親には配慮が足りなかったようである。

 ほかには、「すっぱいだけのクセしやがって」という何だかよくわからない罵言も多かった。なにしろ小学生の考えることであるから、思考が短絡的で創意工夫というものがない。それにしても、彼はすっぱいミカンしか食べたことがなかったのだろうか。その後、甘いミカンは食べられましたか? 西野君。
「缶詰」や「オレンジ」などという罵言は日常的に飛び交っていた。いや、オレンジは罵言ではないが。いまにして思えば、オレンジというニックネームはちょっと格好良いかもしれない。「レザボアドッグス」みたいだ。あの映画のオレンジはあまり格好良くないけど。

 だが、スイカが出回っているような季節は蜜柑嬢にとって平穏のときである。彼女にとって真の試練となるのは冬場だ。しかも、冬場の給食の時間、デザートとしてミカンが付けられていたとき。この瞬間、クラスの蜜柑指数は爆発的に跳ね上がる。
 まず最初に、「今日の給食は大森かよー」という引き金が先述の西野君によって引かれる。大森というのは蜜柑嬢の苗字だ。無論、仮名であることは言うまでもない。
 その後は、おきまりのコースだ。クラス中から十数人分のミカンが集められ、蜜柑嬢の机に置かれる。おまえは蜜柑なんだからミカン好きだろ? と、そういう論理だ。
 十数個のミカンを前にして、しかし蜜柑嬢は黙々とそれを食べるのである。そんな彼女の姿を見て西野君は言うのだ。「ミカンが共食いしてるぜ」と。

 ――なにやら暗い話になってしまったような気がする。別にイジメの告発をしようとして書きはじめたわけではないのだが。っていうか、これってイジメ?

 話を変えよう。
 私の知り合いに「一」という人がいる。苗字である。「にのまえ」と読む。彼はこの苗字ゆえに、他人には味わえない経験を多く積んできた。署名に「一」と書いては「ちゃんと名前を書いてください」と怒られ、記名式の予約を入れるレストランでは落書きと間違われたのか「そういった予約は受けておりませんが」と慇懃無礼に断られた。ちゃんと名前を書いたにもかかわらず。
 彼が受けた屈辱の中で最大のものは、彼が幼稚園に通っていたときの体験だ。その日、自分の名前を書いてみるという授業が幼稚園にて実施された。一君は前日から一生懸命に自分の名前の書きかたを覚えたという。が、当日になって彼が意気揚々とペン(クレヨン)を手にすると、一人の保母が言ったのである。「にのまえ君は書かなくていいよ」と。このとき初めて、彼は自分が他の人間とは違う特別な存在であることに気付いたという。その夜、彼は一人泣いた。両親への呪いの言葉をつぶやきながら。

 彼は現在、「二三子」という女性と付き合っている。ちなみにアプローチしたのは彼女のほうだったそうだ。二人が知り合ったのはコンビニで、彼女の一目惚れだったとのことだ。そのコンビニでは従業員に名札をつけさせている。それにしても、そんな一発ギャグのためだけに付き合っていて良いのか、二三子嬢よ。
 そして、一君の最終目的は自分の子供に「はじめ」と名付けることだそうだ。無論、「一」という字を当てはめて。この夢がかなえば、「一一」という子供が誕生することになる。もはや人の名前とは思えない。神の領域、あるいはモールス信号だ。はじめ君の将来に光はあるのだろうか。イジメの光はありそうだが。

 ところで話を戻すが、クラスに和歌山という男がいたのを思い出した。蜜柑嬢とセットにされてイジメられていたことも。それもまた予定調和である。
 そして、西野君の名は正義(まさよし)だった。正義のイジメというわけである。
 他のクラスに愛(めぐみ)という女子がいたのだが、ぜひ彼女にも力を貸してほしかった。
 愛と正義のイジメ。なんだか凄そうである。
 いまからでもいい。小学生にもどってやりなおしたい。



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