二人の皇帝
人間の「笑い」には、いくつかの種類がある。中でも最も原始的なものの一つが、特定の固有名詞を曲解するものだ。
ある人は、ガリレオ・ガリレイの名を耳にしただけで笑ってしまうという。またある人は、サマランチ会長を見ただけで吹き出してしまうそうだ。なるほど、たしかにどちらも奇妙な名前ではある。
これら固有名詞によって喚起される笑いは幼少時代の刷り込みによる部分が多く、ある人にとっては笑い死にしそうになる名前でも、他の人には何でもないというケースが多い。私の場合、ガリレオ・ガリレイやサマランチ会長では、まったく笑えない。何がおもしろいのかサッパリわからないというのが実状だ。
特定の固有名詞、それ単体で引き起こされる笑い。私が初めてそれを体験したのは、忘れもしない小学6年生のときだった。その年の春、転入したばかりの学校の図書館で、私はそれを発見したのだ。
『戦艦ポチョムキン』
見た瞬間、腹をかかえて笑った。笑いながら、こいつはスゲェと思った。なにしろポチョムキンである。しかも戦艦なのだ。ヤマトやビスマルクなどといった艦とくらべてみると良い。ポチョムキンのなんと弱々しいことか。出撃する前に沈没しそうな名前である。
私は、まようことなく『戦艦ポチョムキン』を借りた。そして自分の教室へ持って帰り、何人かの友人たちに見せてやった。
「わはは、ポチョムキンだって。バカじゃねぇの、これ書いたヤツ」
そういう意見が大勢を占めた。まさしく私もそう思った。あとから考えれば、バカは我々のほうである。それからしばらくの間、『戦艦ポチョムキン』は私たちの定番ギャグになった。「ぽちょむ菌」とか「ポチョム筋」などとアレンジしては笑い転げていた。馬鹿としか言いようがない。ちなみに、だれ一人としてその本をまともに読んだ者はいなかった。大馬鹿野郎どもである。
次の固有名詞との出会いは、中学生のときだった。
オクタビアヌス。ローマ帝国初代皇帝である。その名前を世界史の教科書に見つけたとき、私は震えた。徳川の埋蔵金を発見したのにも匹敵するほどの、それは運命的な出会いだった。まさにメガヒット。
――だが。この芸術的ともいえる名前に、反応を見せる者はいなかった。クラスの中に、オクタビアヌスを理解する者はいなかったのだ。なんと彼らは平気な顔でその名をノートに書きつけ、あまつさえその破廉恥な名をおおっぴらに口にしていたのだ。
私は驚いた。なにしろオクタビアヌスである。オをイに換えれば完璧だ。どうしてそんな名前を平気で口にできるのか。私には彼らの行動が理解できなかった。彼ら全員、脳の言語野が破壊されているのではないかと、真剣に悩んだ。
結論はすぐに出た。中学生の彼らは、アヌスという語句を知らなかったのである。それゆえ、純真な女子生徒までもが「オクタビアヌス」などと平気で発音することができたのだ。いずれ大人になったとき、彼女らは過去の自分を恥じたことだろう。50人以上もの人々の前で、「アヌス」と言わされたのだ。一種のセクハラ、あるいは羞恥プレイである。
そういう次第で、中学生の私はオクタビアヌスという記述を見かけるたび一人静かに笑うほかなかったのであった。世界史のテストでは解答欄に「オクタビアヌス」と書いてみたのだが、教師にはまるで相手にされなかった。
オクタビアヌス以外にも、世界史の登場人物には素晴らしい人材が多かった。殊にローマ時代の人々はポイントが高く、飼え猿、寝ろ皇帝、カラカラ帝に始まって、アウレリアヌス、ディオクレティアヌス、ハドリアヌス……とアヌス系が目白押しだった。そのあまりのアヌス率の高さは、いいかげんにしろと言いたくなるほどだった。――え? おまえがいいかげんにしろ? ごもっとも。
世界史のテストで第二次三頭政治の人物名を問われて、「アンとニー」「れぴドス」「奥たびアヌス」と書いたこともあった。本当は「奥ひだアヌス」とやりたかったのだが、さすがにそれはできなかった。まだ若かったのだ。そして、どういうわけか、これはすべて△を付けて返された。その脇に「個人的には花丸」と書かれてあった。このときの教師は良い教師だった。若かりし日の想い出である。
と、ここまで書いて女性の読者を2割ぐらい失ったような気がする。やはりシモネタは苦手だ。ここからは、少し上品に行こう。なにしろ私はプロの紳士である。紳士たるもの、女性に不快な思いをさせてはいけない。
さて、奥様アヌス帝(やりすぎ)はかなりの長期にわたって私の中でベストワンの存在だった。それ以上の固有名詞には、ついぞお目にかからなかった。アヌス帝は常に孤高の存在だったのだ。
が、やがて彼もその座を奪われるときがきた。その座を奪ったのは――そう、あの人物である。見識の深い読者なら、すぐに予想がついただろう。インカ帝国最後の(ということになっている)皇帝である彼の名を。その名も、マ○コ・カパック! ――いや別に伏せ字にする必要はないのだが。
この名を知ったとき、私は落雷を浴びたかのごとき衝撃を受けた。なにしろマンコ・カパックである。これにくらべれば、ガイウス・オクタビアヌスなど児戯に等しい。姓と名の組み合わせが絶妙だ。これ以上の名が、世界のどこにあるだろうか。カストロ将軍もロバ選手もパーデンネン博士も、マンコ・カパック皇帝の前には風に吹かれた塵である。いやパーデンネン博士は嘘だが。あぁ、こういうことを書くから疑われるのだ。マンコ・カパック皇帝は実在の人物ですよ、念のため。
このマンコ皇帝(カパックを略すとよけいヤバイ気がする)、滅亡したインカ帝国最後の皇帝とあって、なかなか悲惨な最期を遂げている。その波瀾万丈の人生は、一編の叙事詩にしても良いぐらいだ。タイトルは『インカ帝国の衰亡〜マンコの最期』あたりが適切か。『戦艦ポチョムキン』など、軽く一蹴である。タイトルだけでベストセラーになるのではなかろうか。マンコ万歳(最低)
ああ、それにしてもア○スとかマ○コとか、なに書いてんだオレ。