Runnin' through the night


 しくじった。
 思った瞬間、俺は走り出していた。踵を返し、もと来た方向へ。
 不注意だった。はっきりと姿を見られた。大失態だ。己の愚かさを呪いながら、俺は走った。全力疾走だった。靴底に、固いアスファルトの感覚が跳ね返る。たちまち、まとわりつくような鈍痛が足全体にからみついた。
 走るのは慣れてなかった。自らの両足を叱咤し、可能な限りの早さで走らせた。止まらなかった。止まれば終わりだ。
 夜の住宅街。静まり返った大気の中に、俺の靴音と呼吸音が響き渡る。耳に届く音は、それだけではなかった。聞き慣れた靴音がもう一つ、俺の背後にあった。俺が走るのと同じ速度で、それは追ってくる。
 犬だ。――権力の犬。警察、とも言う。
 俺は追われていた。犬どもに。だが、俺は無罪だ。法に触れるようなことなど何ひとつやった覚えはなかった。それでも、奴らは俺を捕らえようとする。なぜか。それが奴らの仕事だからだ。俺と俺の仲間を捕らえ、拘束するのが奴らの仕事だ。法は関係なかった。俺と奴らの間に、そんなものは存在しなかった。
 俺に与えられた役割は、奴らから逃げることだけだった。捕らえられるか、逃げきるか――。どちらかしかなかった。懐柔も降伏もありえなかった。無論、戦うという選択肢もない。俺は丸腰だった。
 寒い夜だった。一月の夜。細く欠けた弦月が低い空に浮かんでいた。赤味がかった、薄気味悪い月。その月を見ないようにして、俺は走った。吐く息が白かった。とにかく必死だった。人の姿はどこにもなかった。死んだように静かな街を、俺は疾駆した。走り抜いた。
 目の前にオレンジ色の光を放つ街灯があった。その光が階段を照らしていた。上りの階段だ。公園に通じているらしい。階段の前に子供用の自転車があった。邪魔だ。両手で突き飛ばし、速度を落とさずに階段を駆け上がった。二段飛ばし。平地を走るのと変わらぬ速さで駆けた。右の太股に、痺れるような痛みが跳ねた。慣れないことをしたせいだ。だが、止まるわけにはいかなかった。痛みを無視して走った。
「待て!」
 背後から声が飛んだ。
 待つはずがない。俺は公園の中へ飛び込んだ。広い公園だった。噴水、ブランコ、滑り台、それに鉄棒も目に入った。噴水は止まっていた。氷結した水面に、月の色が鈍く反射している。
 真正面へ走った。滑り台の方向。その先に下りの階段が見えた。階段を下りて右へ走れば、仲間の待つ場所へ出られるはずだ。俺は仲間を助けなければならなかった。仲間を助けることで、俺自身も救われる。なんとしてでも、彼らのもとにたどりつかねばならなかった。
 右足の痛みがひどくなっていた。引きずるようにして走った。
 背後の足音が近くなったような気がした。振り返らなかった。前だけを見て走り続けた。広い公園を一文字に突っ切って駆け抜けた。勢いを殺さず、下り階段を駆け下りた。今にも転びそうだった。右足が痛くて仕方なかった。このまま足を止めてしまえば――そう思った。少なくとも、今だけはそれで楽になれる。耐えがたいのは、すでに足の痛みだけではなくなっていた。なにより呼吸が苦しくてたまらなかった。足を止めてしまえば、即座にこの苦痛から解放される。
 何を考えてる──!
 俺は自分自身を罵っていた。たしかに、今は楽になるだろう。だが、そのあとはどうだ。待っているのは地獄だ。奴らには人間らしさなど微塵もない。捕らえられてしまえば、すべて終わりだ。奴らの非情さは身に染みて知っていた。
 弱気を振り払い、俺は更に走った。奴らとて、決して追走に慣れているわけではない。苦しいのは同じことだ。あんな犬ごときに気力で負けてたまるものか。だが、そう思ったのもつかのまだった。
「こんなところにいやがったか」
 突然、前方の闇から声が聞こえた。俺は視力が悪い。目を細めて前方の闇を凝視した。そこに黒いコートの刑事が立っていた。
「ちっ!」
 舌打ちし、後方を振り返った。が、遅かった。階段を駆け下りてきた刑事が、退路を断つように立ちふさがった。
「いいところにいてくれたな」
 脇腹に手をあてながら、そいつは言った。
「あぁ、さっき声が聞こえたからな」
 そう答えて、黒いコートの刑事は続けた。
「さて、おまえを捕まえれば終わりだ。まったく手こずらせやがって」
「……終わりだと? それはどうかな?」
 俺は強気に応じた。素早く周囲の状況を把握する。幅の広い一本道。岐路もなければ逃げ込む場所もなかった。認めたくないが、完全に追い詰められているようだった。赤黒い下弦の月が、悪魔の嘲笑に見えた。
「なんだ? 仲間に期待してるのか? それなら残念だったな。おまえ以外は全員つかまえてやったよ」
 言って、黒コートの刑事は哄笑した。俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。やはり俺が最後の一人だったのだ。俺が捕まって、すべて終わり。ジ・エンド。ゲーム・オーバーだ。畜生。
「けっ、捕まえられるもんなら捕まえてみやがれ」
 俺は吐き捨てた。ヤケッパチだった。言うのと同時に走りだした。黒コートの刑事に向かって、まっすぐに突進した。
 刑事が身構えた。どっしりとした、いい構えだった。何かのスポーツでもやっているに違いない。脆弱な俺の身体では、タックルしても薙ぎ倒せそうになかった。俺は刑事の横をすり抜けようとした。
 無駄だった。左腕をつかまれ、振りほどく間もなく俺は羽交い締めにされていた。
「くそッ!」
 怒鳴った。右足が痛かった。そのまま尻をついてしゃがみこんだ。アスファルトの冷たさが心地良かった。
「おまえらの負けだ」
 刑事が言った。
 そのとおりだ。俺たちの敗北だった。惨敗だ。まったく、ケイドロなんぞやるもんじゃない。27にもなって。












 緊急特別企画! ケイドロの謎に迫る! (嘘!)


1.ケイドロとは

「警察と泥棒」でケイドロである。ケロイドではない。「刑事と泥棒」という説もある。「ドロケイ」とひっくり返す場合もあり、「ケイドロ」か「ドロケイ」かで揉めることも少なくない。このケイドロ派vsドロケイ派抗争によって、学級内で乱闘にまで発展するケースも多く見られる。また、地方によっては「ドロジュン」とも呼ぶ。「泥棒と巡査」である。これもひっくり返して「ジュンドロ」と呼ぶ一派があり、「ドロジュンvsジュンドロ」抗争も後を絶たない。
 ちなみに最も熾烈を極めるのはドロケイ派とジュンドロ派間の抗争であり、両者の確執は根深い。どうでもいいことだが、私のクラスで「ジュンドロ」と言っていた男子は、毎朝サソリ固めをかけられたり上履きを便器に捨てられたりしていた。(私はやってない)


2.基本ルール

・警察(刑事)は泥棒を捕まえる。背中にタッチすればOK。
・泥棒は警察に捕まらないよう逃げる。または逃げまどう。
・捕まった泥棒は、牢獄に入れられる。
・逮捕現場から牢獄に連行中の泥棒は、おとなしくしなければならない。
・牢獄の泥棒は、そうでない泥棒にタッチされることで出獄できる。
・警察は泥棒をすべて捕まえれば勝利となる。
・泥棒は制限時間まで逃げ続ければ勝利。制限時間とは授業間の休み時間のこと。


3.プレイ方法

 まずムチとロープを用意し……でなくて。
 まず、4〜20人ほどの人間を集める。偶数であることが望ましい。100人でも60億人でも可能なゲームだが、多すぎると収拾がつかなくなるので10人前後が理想的。2人でやることも可能だが、その場合には別のゲームをやることをおすすめする。缶蹴りとか。

 次に警察と泥棒の2チームに参加者を二等分する。だいたい10人ぐらいの人数が集まれば、「オレは死んでもコイツとだけは同じチームになりたくねぇ」という2人が現れるはずなので、その2人にジャンケンをさせ、勝ったほうから有望なメンバーを獲得してゆくというやりかたが一般的。この際、いちばん最後に残った人間は自殺を考えるほどの劣等感と絶望感に襲われる。私のことではない。しくしく。

 参加者が二等分されたら、牢獄の場所を決める。使われていない教室や砂場、ジャングルジムなどが一般的。おすすめはジャングルジムである。視覚的にも牢獄感が味わえ、気分はパピヨンである。山本陽子ではない。――あぁ、だれもわからないネタだった。
 そういえばジャングルジムなんて言葉を使うのは何十年ぶりだろうか。改めて考えてみると、なんだかすごい響きの言葉のような気がする。ジムだもんなぁ、なにしろ。ジム。さて、ジムといったら何を連想するだろうか。
・体を鍛える場所。
・事務。
・ジム・キャリー。
・ジム・モリスン。♪ハートに火をつけて。(北斗柔破斬は不可)
・ズゴックに腹を突き刺されるモビルスーツ。
・ハイドライドの主人公。人っ子ひとりいない世界を救う勇者。

 話がずれた。
 牢獄の場所を決めたら、泥棒は逃げる。警察は10〜100ぐらいの数をカウントする。中には0.5秒で1から10までカウントする人間もいるが、そういう能力はもっと別のところに生かすべきだ。ファンカーゴのCMとか。そもそも何のためにカウントするのか、それを忘れてはならない。
 カウントが終わったら、警察は泥棒を捕まえに行く。あとは基本ルールどおり。


4.追加ルール

・逮捕の際、警察は泥棒を屈服させる必要がある。このとき、暴力の行使もやむをえない。
・逮捕現場から牢獄へ連行中の泥棒は、いかなる行動をとってもかまわない。
・女子の参加者に手加減してはならない。無論、暴力行為も可。
・学校の外へ逃げても良い。
・負けたチームはジュースをおごらなければならない。


5.スペシャル・ルール

・負けたチームは酒をおごらなければならない。畜生。



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