花見作戦実行部隊員の手記


 我が国には伝統的な行事として伝わる風習が無数にあるが、わけても花見は必要欠くべからざる行事のひとつである。花見をしたことがない人はいないと思うが念のために説明しておくと、花見とは桜の花をながめながら酒を飲み、うまいものを食うという神聖な行事である。ここで重要なのは「酒を飲み、うまいものを食う」という部分であって、「花をながめながら」というくだりは比較的どうでもいい。もっと言えば、花などなくても酒と食いものがあれば良いのである。
 これは考えてみれば自明のことで、桜は満開で手元に酒も食いものもない状態と、桜は咲いていないが酒と食いものは豊富にそろっている状態とを比較してみれば良い。おそらくすべての人は後者の状態を選択するにちがいない。人は桜がなくても生きていけるが、酒と食いものがなければ生きていけないのである。
 昔の人も「花より団子」と教えている。これは「花を見ているひまがあれば団子を食べなさい」という教えで、その起源は旧約聖書にまでさかのぼる。この教えからわかるとおり、私たちは花に気を奪われることなく酒を飲み肴を食わねばならないのだ。

 そういう点で、先日の花見はじつに有意義であった。なにしろ「花見」であるにもかかわらず、花などまるで咲いていないのだ。簡単に言えば、時期的に早すぎたのである。桜並木の中で花をつけているものは皆無と言って良い状態だった。
 だが、これでこそ正しい「花見」が実行できるというものである。我々は花見のために選りすぐられた花見エリートであり、花見実行部隊なのだ。任務の内容は、言うまでもないことだが「酒を飲み、うまいものを食う」ことである。我々に与えられた作戦任務の中に「花を見る」などという指令は断じてなかった。咲いていない花を見ることは我々のような特殊任務につく人間といえども不可能である。よって、我々は花に気を奪われることなく任務を遂行することができた。
 蛇足ながら、当該作戦は「402外濠公園花見作戦」と(私の中で)呼ばれている。

 花見の席では隊員たちの有志によって酒肴がそろえられるのが常である。我々の作戦でもまた経験豊富な隊員たちによって、さまざまな酒肴が集まることとなった。たとえば、麒麟端麗生、ギネス、黒牛(日本酒)、怪しいリキュール、巻き寿司、鶏のカラ揚げ、アサリの佃煮、カール梅味(沖縄限定版)などである。
 なかでも花見にかけては天下随一との呼び声も高い某隊員の手によって持ち込まれたちらし寿司は端倪すべからざる出来であり、多くの隊員たちから賞賛の喝采を浴びた。何人かの隊員はこのちらし寿司をおかわりしたのだが、隊員の中には一口も食べられなかった者がいたことは決して忘れてはならない悲劇であろう。ちなみに私はきっちり二杯食べた。すまん。だってうまかったんだもん。この世には「早いもの勝ち」という基本ルールが存在することも、我々は念頭に置いておく必要がある。
 早いもの勝ちといえば私は焼きハマグリをひとつも食べられなかったのだが、これは敗北したということなのだろうか。たしか、最後に残った焼きハマグリを「これで二つめなんだけど」と言いながらうまそうに食べていた隊員がいたような気もするのだが。気のせいか。そういうことにしておこう。

 ところで、多くの花見実行部隊が集まる花見作戦ポイントでは、飲食物の供給を担当する者たちも多く現れる。彼らはいったいどこから我々のような者たちの作戦を聞きつけてくるのか、ビールやツマミなどをたずさえて売り歩きにくるのである。我々の部隊にもそうした売り子たちが何人かおとずれたのだが、その中に一風変わった売り子グループがあった。
 彼らが売っているのはヤキソバだった。カタヤキソバではない。軟弱なほうのヤキソバである。気合いの入っていないほうのヤキソバだ。これが気合いの入ったカタヤキソバなら問答無用で購入したであろうが、ただのヤキソバでは駄目だ。我々は彼らにお引き取り願った。
 すると、彼らは言ったのである。「今ならコレをオマケしますよ」と。そう言いながら、緑色の箱を取り出したのである。見れば、それはPolo clubの靴用クリームだった。いわゆる靴墨である。
 わけがわからなかった。なぜ、ヤキソバに靴墨なのか。まさか、これでヤキソバの皿を磨けとでもいうのだろうか。紙皿なのに。いや、あるいはヤキソバそのものを磨けというのか。それは、いくらなんでもあんまりではないのか。それとも、ヤキソバを食べたあとには靴を磨くのが常識なのだろうか。どこの世界の常識なのだ、それは。

 そういえば私が子供だったころ(今でも子供かもしれないが)縁日の屋台でアンズ飴を買ったらタワシをもらったことがあった。それも、トイレ掃除に使うような柄付きのタワシである。今から考えてもアンズ飴とトイレ掃除用のタワシに何の関連があるのかわからないが、今回のヤキソバと靴墨もそれに近いものであった。どう考えてみても、両者に共通点があるとは思えない。
 あるいは、その靴墨には「そのヤキソバを食ったらオレたちの靴を磨け」という意味が込められていたのだろうか。その可能性は十分にありえる。売り子たちはどれほど長い時間を売り歩いているのか、靴もズボンも砂埃まみれなのであった。
 しかし、我々の部隊は彼らの要求を拒否した。当然のことである。食料は潤沢にそろっていたし、だいいち見も知らぬ他人の靴を磨いてやるほどヒマでもなかった。かくして彼らは我々のもとを去っていったのである。

 さて、5時間も6時間も花見を続けていると(かさねて言うが花は咲いてない)いいかげん酔っぱらってくるものだ。どれぐらい酔っぱらっているかというと、たとえば赤の他人の子供(幼女)を肩にかついだまま周囲を練り歩く隊員が出現したり、キックボードに乗ったまま縦に一回転する隊員が現れたりといった具合である。一部誇張した部分もあるが、私にはかかわりのないことなのでどうでもいいだろう。念のために言っておくが、幼女趣味の隊員とは私のことではない。うたがわないように。
 隊員たち全員がそれぐらい酔っぱらってくると、たいがい花見も終了である。そして、正しい花見のあるべき姿として当然のごとく二次会が催される。二次会に参加せずして花見を語ってはいけない。このことは論語にも書かれている。なかには二次会の会場へ移動する際にはぐれてしまうような愚か者もいるが、こういう輩は相当に酔っぱらっているので厳重な注意が必要である。ちなみに四谷駅で反対方面のホームに下りたのは秘密だ。そう、私のことである。すまん。なんだか謝ってばかりだが。

 花見の二次会というのは、じつに良いものである。なにが良いかといって、ちゃんとしたイスに座れるのが良い。これさえあれば、もう二度とゴザを敷いた地面に座らなくて良いのだ。――そう、花見作戦最大の敵。それは地面だ。冷たく湿った地面は隊員たちの体温を奪い、着衣を汚す。しかもこの地面が斜面であったりすると最悪である。いちど開けた缶ビールはどこにも置くことができない。かくして、なにかの拍子にひっくりかえしてしまうのである。すまん。
 その点、居酒屋のイスとテーブルは便利である。テーブルに置かれたビールは簡単にはひっくりかえらない。斜めにかたむいた地面とは、ひとあじ違うのである。グッバイ地面。
 ところで、いま「ゴザ」と書いたが、最近ではこれらの物品を「レジャーシート」と呼ぶらしい。かっこいいんだか悪いんだかサッパリわからないネーミングである。なにしろレジャー・シートなのである。娯楽紙。なんだそれは。そもそも花見は神聖なる儀式であって、娯楽などではない。このあたり、レジャーシート販売各社には猛省を促したい。

 話を二次会にもどす。
 花見の二次会でもっとも重要なこと。それは、決して寝ないということだ。二次会で入滅(睡眠)してしまった者の末路は、あわれである。ほかの隊員たちにからかわれ、勝手に飲み食いされたあげく、身に覚えのない割り勘料金を支払わされるハメになる。最悪の場合、イスに座っただけで5000円などということも十分にありえる。この現象を我々は二次会トラップと呼んでいる。これと同種の現象としては、三次会トラップ、四次会トラップといったものが挙げられよう。あとに行くほど、これらの現象は発生率が高まる。数年前の花見作戦における四次会では、隊員全員がこのトラップに落ちたことがあった。二度と繰り返してはならない悲劇である。

 二次会が終われば、隊員たちは三次会を執行しなければならない。
 ここでの注意点は、終電を逃がさないということだ。これを怠ると、地獄を見るハメになる。桜が咲いているとはいえ、4月の夜風は冷たいのだ。駅のホームや公園のベンチで夜を明かすような事態に陥るようでは、立派な花見隊員とは言えない。花見最後の敵、それは終電である。どうでもいいことかもしれないが、ここ数年の私の対戦成績は2勝5敗だ。べつに公園のベンチで寝るのが好きなわけではないのだが、なぜだろうか。ふしぎなことである。
 この終電トラップに引っかかってしまった場合、公園のベンチで寝るのも良いが、有志の者(終電を逃した愚か者)を集めて四次会を決行するのも悪くない解決案であると言えよう。有志の者がそろわないような気配を察知したときには、うまく三次会を引き伸ばすのがコツである。酔いつぶれて吐いているフリでもすればオーケーだ。なんなら本当に吐いてもかまわない。喉の奥に指をつっこめば簡単である。

「402外濠公園花見作戦」における私の最大の失敗は、この引き延ばしを失敗した点にあろう。電車のシートで寝てしまったという事実は、このさい問題ではない。4月の夜は寒いと、身をもって実感した次第である。
 そして、翌朝自宅に帰るとズボンも靴も泥だらけであった。そうかこのための靴墨であったかと深く納得した私なのであった。



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