羊頭を懸けて狗肉を売る


 私はチーズが好きである。どれぐらい好きかというと、牛丼ぐらい好きである。もっと正確に言うと、チーズを食べながら酒を飲むのが好きである。
 酒のほうは何でも良い。ワインでもウォッカでも、なんでもござれだ。チーズのほうもまた何でも良いが、基本的に小分けされているものが良い。6Pチーズとか3Pチーズとか、そういうヤツである。3Pはないか。失礼。
 で、さきほど私はチーズとワインを買ってきた。チーズは、いわゆる「切れてるチーズ」というヤツである。説明は不要だと思うが、まぁようするに切れてるチーズのことだ。……って、説明になっていないのが悲しいところだが、これ以上説明のしようがないので勘弁してほしい。

 切れてるチーズが切れてないチーズに対して保有するアドバンテージは、まさにその「切れてる」という部分に由来する。すなわち切れてるチーズは食べるときに切る必要がないのだ。ワインを開け、チーズを用意して、さぁこれから飲むぞというときにわざわざナイフを持ってきてチーズを切断し、おまけにナイフに貼り付いてしまったチーズをはがすという作業に手をわずらわせる必要がないのである。(ついでにナイフを洗う必要もない)
 これは画期的発明だ。コロンブスの卵的発見ともいえよう。なにしろ、最初から切れているチーズを切る必要はないのだ。これは当たり前のことのように見えて、なかなか気が付かない部分である。それが証拠に、切れてるチーズが商品化されたのはごく近年のことだ。それまでは切れてないチーズだけが世界を席巻していたのである。今から考えれば信じられないような事態が、公然とまかりとおっていたのだ。

 切れてるチーズは、とにかく便利である。切れているというその一事だけで、切れていないチーズたちとは一線を画する。しゃぶしゃぶ屋でロース肉をブロックごと出されたら、だれだって困るだろう。切れてるチーズとは、つまりスライスされた一片の牛肉と同じことなのである。
 だから、私は切れてるチーズを買うのだ。牛丼を作るのに牛をまるごと買ってくる人はいないだろう。私が切れてないチーズを買わないのは、そういった理由にほかならない。

 さて、そうして私はさきほど購入してきたばかりの切れてるチーズを開封したのだが――。
 切れていないのだ、これが。──そう。どういうワケか知らないが、そのチーズにはまったく切れ目が入っていなかったのである。切れてるとか切れてないとかいう問題以前に、そのチーズには切ろうとした形跡すらなかった。やる気ゼロというかなんというか、とにかくそれはまったく完全に一個のチーズだったのである。そのみごとなまでの直方体ぶりには、敬意の念すら抱くほどだった。

 切れてるチーズなのに切れてない。これはいったい、どうしたことか。この自己矛盾ぶりは「私はウソツキです」という言葉にも匹敵する。まさに羊頭狗肉。切れていないチーズを「切れてる」と称して売っているのである。このような欺瞞を看過して良いものか。
 いやそれともこの「切れてる」というのは、今まさに切れている最中であることの宣言なのだろうか。つまり「cutting」現在進行形である。ほうっておくと自然に切れてゆくのかもしれない。なんだかホラー映画のワンシーンのようだが、それ以外には考えられない。とりあえず某メーカーに言いたいのは、このチーズの商品名を「切れゆくチーズ」にしてほしいということである。なんだかスティーブン・キングの小説のようだが。無論、できれば「切れたチーズ」にしてほしいのだが、そこまでぜいたくは言うまい。

 さて、切れているはずのチーズが切れていなかったとき、人としてどう対処すべきか。
 まず最初にだれもが思いつくのは、手でアゴをなでながら「切れてなーい」とやることである。これは重要だ。重要だが、しかし目の前の事態を解決するための役に立たないことは論じるまでもない。やってみればわかるだろう。これはむなしいばかりで何の意味もない行動なのだ。いや、意味がないばかりかあなたの前にだれか他の人がいた場合には「寒い」「おもしろくない」「バカじゃないの?」といった批判を受けることもあろう。
 次に思いつくのは、そのチーズを製造元に送り返すことだ。「てめぇンとこの会社じゃ、切れてねぇチーズを切れてるとか言って売っとんのかい! ええかげんにせぇよ、ワレ!」とかの一文を添えるのも良い手である。かならずや、数日以内にちゃんと切れているチーズが送られてくることだろう。
 だが、この方法は時間がかかるという問題がある。私は今すぐ、チーズを食べ、ワインを飲みたいのだ。――となると、そのチーズを自分で切る以外ない。これは屈辱だ。なにしろ、本来切れているはずのチーズを自分で切らなければならないのである。これを屈辱と言わずして何と言おうか。チーズより先に自分のほうがキレそうだ。

 しかし、結局のところ私はナイフを持ち出してチーズを切ることになった。それ以外の選択肢は存在しなかったといっても良いだろう。「切れてるチーズ」を自らの手で切らねばならないという、この屈辱。カノッサでのハインリヒ4世でさえ、これほどの屈辱は味わわなかったであろう。勝ち負けでいえば、完全な負けである。それも、筆舌に尽くしがたいまでの敗北だ。宣戦布告した3秒後に核爆弾を落とされた気分である。なにしろ「切れてなーい」のだ。おねがいだから切れてくれ。
 切れてない「切れてるチーズ」を切ったことのある人は世界中さがしてもそうそういないと思われるので忠告しておこう。切れてるチーズは切りにくい、と。ただ、切れてない「切れてるバター」よりはすこしだけマシなのも事実である。また、これもどうでもいい忠告であろうが、最後にひとつだけ言わせてほしい。シックプロテクター3Dは切れる、と。



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