酢豚はパイナップルの夢を見るか


 たとえば、あなたが酢豚を食べているとき。ニンジンだと思って口に入れたそれが意に反してパイナップルだった場合。あなたはどう対応するだろうか。

 そもそもそんな間違いは犯さない、という回答は不適切だ。人はだれでもニンジンとパイナップルを間違えるし、酢豚にパイナップルが入っていることはこの世界の摂理だ。だから我々はいつでも酢豚のパイナップルを誤って口に入れる可能性があるし、現にそういう体験をしている。
 酢豚のパイナップルを口に入れてしまった場合において最も一般的な対応は、「なにごともなかったかのように平然とふるまう」というものだ。統計によれば、じつに90パーセント以上の人がパイナップルに対してこの方策を講じている。言ってしまえば泣き寝入りということだ。嘆かわしい限りである。このようなことでは、日本の未来は暗い。

 酢豚の中のパイナップル。これこそ我が国を脅かすあらゆる外圧よりも先に、どんな手段をもってしても駆逐すべき敵なのだ。だが、悲しいかな。奴らに対する日本国民の意識は低い。国民たちはときおり酢豚を食べては、その反動分子(パイナップル)の存在に舌打ちする程度で、それを根絶しようという意識を持たないのである。いったい、なぜか。
 その原因として、「酢豚にはパイナップルが入っているものだ」という既成概念の存在が挙げられる。ちょうど「カレーに福神漬」や「牛丼に紅生姜」などという概念と同じものだ。だが、これらの例と酢豚のパイナップルとでは根本的な相違がある。そう、それは「酢豚のパイナップルは決定的にマズイ」という事実だ。
 では、そうした代物が一体どういった理由で酢豚の中に混入されているのか。
 言うまでもなくこれはイヤガラセのためである。ニンジンあるいは他の内容物と取り違えて我々が口の中へ入れてしまうという失策を誘発するための、卑怯きわまる奸計なのだ。酢の代わりに酸味を補うなどという馬鹿げた言に惑わされてはならない。それこそ、このトラップ(パイナップル)を隠蔽するためのカモフラージュなのだ。

 我々は酢豚を食べる際、自らの箸につかんだものを慎重に吟味、検査しなければならない。これほど馬鹿馬鹿しいことがあろうか。たとえば牛丼を食べるとき、あなたはその中にパイナップルが混入されていることを恐れるだろうか。そんな馬鹿げたことをする人間はいない。だが、酢豚という存在は我々にそれを強要するのである。無論、それを怠ればトラップにかかるのは自明の理だ。そして被害者は痛恨の思いに捕らわれながら、口の中のパイナップルの処理に苦慮することになる。これを敗北と言わずして、なんと言おう。

 では、具体的に我々は酢豚を食べる際、どういった点に注意すれば良いのか。
 以下に、注意点を列記しよう。

・ 扇形の物体に注意する
 たいていの場合、奴らは扇形に切られている。酢豚の中ではニンジンが同様の形状に切られていることが多く、じつに混同しやすい。ニンジンだと信じて食べたそれがパイナップルだったときの衝撃は、信頼していた仲間に背後から撃たれたときの衝撃にも匹敵する。

・ ライン模様の入った物体にも注意する
 言うまでもなく、奴らの表面には放射状の繊維模様が走っている。その独特の紋様は、一度でも奴らの洗礼を浴びたことがある者にとっては悪魔の紋様にも見えることだろう。これに近い模様を持つのはタマネギだが、その厚さから判別するのは比較的簡単かつ安全な方法である。

・ 何だかわからない物は食べない
 奴らは、さまざまな形状で姿を現す。ニンジンやタマネギならあきらめもつくが、肉と間違えて奴らを食べてしまったときの衝撃と敗北感は計り知れない。

・ 何だかわかる物しか食べない
 奴らは、いつどこに潜んでいるかわからない。最もエレガントな方法は、あきらかに肉と判別できる物しか食べないことだ。たったこれだけのことで、奴らはほぼ完全に排除される。――ただし、これで奴らを口にしてしまった場合には再起不能なほどのダメージを受けることも忘れてはならない。

 ここまで注意していても、酢豚にパイナップルが含まれている以上、百パーセント安全ということは有り得ない。なにしろ奴らは狡猾だ。裏をかかれないとも限らない。
 というより、ここまでやってなおパイナップルにだまされる私は、もしかすると彼らに愛されているのかもしれない。単にマヌケなのではなく。



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