牛丼の貴公子
このところ牛男爵アイスという私のハンドルネームもすっかり定着したようで、どこの掲示板でも普通に「牛男爵殿」「男爵さん」と呼ばれるようになった。中には「牛さん」などと呼ぶ人もいて、果たしてこれが良いことなのかどうか判断しかねるが、私の知人には「あいちゅん」と呼んでくれる人もいるので、それにくらべれば遥かにマシであるようには思う。
言うまでもなく私の正式な(?)ハンドルネームはアイスであって、牛男爵の部分はいわゆる通り名である。通り名というのは普通、本人がつけるものではないが、そのあたりは個性と思ってもらいたい。
さて、ここで私が言いたいのは通名と本名をしっかり区分して呼んでもらいたいということである。たとえば、私に向かって「牛男爵さん」と呼ぶ人がいる。あなたに訊きたいのだが、周富徳のことを「炎の料理人さん」と呼ぶだろうか。セナのことを「音速の貴公子さん」と呼ぶだろうか。これがいかにおかしいことか、説明するまでもないだろう。つまり、通り名に敬称をつけるな、ということである。
世の中にはさまざまな通り名が存在する。歴史上を見ると、たとえば”獅子心王”リチャード一世や”砂漠の狐”ロンメル、”串刺し公”ヴラド・ツェペシュなどは多くの人々に知られたところだろう。この他にも”鉄血宰相”ビスマルク、”鋼鉄の処女”エリザベス、”怪僧”ラスプーチンなど、例をあげればキリがない。これらの通り名に「さん」を付けて呼ぶ人がいるだろうか。
「獅子心王さん」
早口言葉のようである。
「砂漠の狐さん」
なんだかすごく可愛らしい動物になってしまったではないか。
「串刺し公さん」
恐ろしさのカケラも感じられない。
私たちは本来、通り名に敬称を付けるのはおかしいことだと理解しているのである。にも関わらず「牛男爵さん」と呼んでしまう人が後を絶たないのは、私たちの生活に通り名というものが定着していないからだ。そこで今回、私は通り名の素晴らしさについて語り、全ての日本人がそれぞれの通り名を持つよう、提言したいと思う。
さきほど例に出した”音速の貴公子”について考えてみよう。この通り名がいかに素晴らしいものか、それはF1にまったく興味のない私でも知っているという事実が証明している。なにしろセナのファースト・ネームがアイルトンだかハミルトンだかわからず検索エンジンで確認してしまった私である。それでも”音速の貴公子”という通り名は知っているのだ。これこそ通り名の存在意義と言って良い。
”音速の貴公子”を構成するのは二つの語である。「音速」と「貴公子」だ。どちらも非常にインパクトのある言葉と言えるだろう。なんといっても音速なのである。世の中に音よりも速く動ける人間など、そうそういるものではない。ましてや貴公子なのだ。普通の貴公子は音速では動かない。よって、このたった二つだけの語をもって”音速の貴公子”はすなわちアイルトン・セナであるという結論に落ちつくのだ。
「音速」という語がどれだけのインパクトを生み出すか、ためしに近くの人物すべてに「音速」と付けてみると良い。音速の後につなげるのは身分ないし職業名が良いだろう。
「音速の水呑み百姓」
なんだか凄いぞ。
「音速の豆腐売り」
買えないって。
「音速のバス運転手」
バスが音速なのか運転手が音速なのか、はたまたその両方なのか。
「音速ギタリスト」
光速ギタリストを見たあとではアクビが出そうである。
「音速のホームレス」
音の速さで段ボールを集め、音の速さで段ボールハウスを作る。
「音速のバスガイド」
音速バス運転手とセットで。
「音速の光速宇宙船パイロット」
何かのパラドックスが発生するのではなかろうか。
また逆に、”貴公子”のほうを固定するのも一つの方法である。小作農業の貴公子、ゴミ収集の貴公子、編み物の貴公子、部落出身の貴公子、カメムシ研究の貴公子、大食いの貴公子、核燃料融合炉の貴公子、磯野家の婿養子……etc。このうちのいくつかは実在するのが恐ろしいところである。
さぁ、そろそろあなたも素敵な通り名を名乗りたくなってきたのではないか。だが、ちょっと待ってほしい。あなたがサラリーマンだからといって、安易に”音速のサラリーマン”とか”砂漠のサラリーマン”などと名乗ってはいけない。”音速の専業主婦”、”砂漠の専業主婦”なども駄目だ。あなたが何か特殊な職業だったとしても、”串刺し教師”とか”炎の死刑囚”などというのは安易だ。串刺し教師はちょっと素敵な感じもしないではないが。
通り名というものは、ある人物をたった一言で表現するための知恵である。音速で動けもしないのに”音速のサラリーマン”などと名乗ってはいけない。処女でもないのに”鉄血の処女”と名乗ったりするのも人道に反している。それだったらとばかりに”やりまくりの非処女”などと名乗るのは、いくらなんでも開きなおりすぎである。というより、それは通り名ではない。
素敵な通り名をつけるには、まず手法を学ばなければならない。その絶好の勉強場が、プロレスだ。プロレスラーたちには、例外なく通り名がつけられている。そのバリエーションたるや想像を絶するほどで、これを学ばずに通り名をつけるのは愚かを通り越して哀れですらある。
それでは、プロレス式通り名の数々をあげてみよう。
パターン1.○○の○○
例.
テキサスの荒馬(テリー・ファンク)
関節技の妖術師(ヴォルク・ハン)
狂乱の問題児(キラー・ブルックス)
北の最終兵器(イゴール・ボブチャンチン)
二十世紀最後の暴君(ピーター・アーツ)
もっともポピュラーで、かつ本人を言い表しやすい方法である。後ろのほうの○○にインパクトのある語を入れるのがセオリーだ。セコイ言葉を入れてしまうと”二十世紀最後の専業主婦”のように情けない通り名ができあがってしまうので注意しなければならない。
前半の○○に地名を入れるときも要注意だ。プロレスラーによく使われるのは”オクラホマの”とか”メキシコの”などといった比較的メジャーかつ語感の良い言葉であるが、これをマネして日本の地名にすることだけは避けたほうが良い。”田園調布の問題児”、”茨城の専業主婦”などとやっても、まったくインパクトがないのは明白である。
パターン2.人間○○
例.
人間風車(ビル・ロビンソン)
人間魚雷(テリー・ゴディ)
人間発電所(ブルーノ・サンマルチノ)
人間摩天楼(スカイハイ・リー)
とにかく何でもいいから「人間」をつけてしまえ、という少々荒っぽい方法である。しかし、その効果は絶大で、”人間発電所”などという通り名を聞かされた人は一生その強烈な言葉を忘れることができないほどである。
この方法では”人間”の部分は固定されているので、問題はそのあとに何をつなげるかという一点だけである。当然、これもインパクトの強い語であることが望ましい。巨大な建築物や機関、兵器などが一般的だ。”人間溶鉱炉”、”人間バルカン砲”などは、なかなか素晴らしい通名であると言えよう。”人間サランラップ”、”人間椅子”などは、あまりよろしくない。
パターン3.殺人○○
例.
殺人医師(スティーブ・ウイリアムス)
殺人風車(ゲイリー・オブライト)
殺人用心棒(ザ・バウンサー)
「殺人」という語の持つインパクトは非常に強力である。それが最初から用意されているのだから、これはもうインパクトのない通り名を考えるほうが不可能だ。”殺人会計士”、”殺人ピアニスト”、”殺人肛門科医”など、好きなようにアレンジすると良い。
パターン4.形容詞/動詞+名詞
例.
黒い呪術師(アブドーラ・ザ・ブッチャー)
燃える闘魂(アントニオ猪木)
最も危険な男(ケン・シャムロック)
千の技を持つ悪魔(ボビー・リー)
ブレーキの壊れたダンプカー(スタン・ハンセン)
このパターンで多く見られるのが「色+名詞」である。”赤い○○”や”青い○○”から”黄金○○”、”銀色の○○”まで、まさに多種多彩。”銀髪鬼”フレッド・ブラッシーも、ここに入れてしまって良いだろう。色というのは個性を主張するのに最も手軽なものの一つである。さしずめ私なら”青黒い雑文書き”とでも称するところか。(他にも何人かいそうだが)
形容詞や動詞に名詞を組み合わせることによって得られる結果は、あなたの語彙の数だけ存在する。工夫によっては素晴らしい通名を得ることができるだろう。”十の離婚歴を持つ女”とか”ブレーキの壊れたママチャリ”といった具合に。
パターン5.強烈な一語
例.
恐竜(ルーク・グラハム)
鉄人(ルー・テーズ)
超人(ハルク・ホーガン)
神様(カール・ゴッチ)
バカ(剛竜馬)
説明の必要はないだろう。問題は、あまりにも普遍的な語を選ぶとそれが通り名であることに気付いてもらえないことがあるという点だ。”バカ”という通名に至っては、もはや「それがどうした」といった感じである。そういえばアホの坂田という人もいたな。どうでもいい話だけど。
さて、ここまで来ればもうあなたも自分にピッタリの素敵な通り名を考えついたことであろう。もし考えついていないというのであれば、とりあえずあなたは”無能者”とでも名乗っておくと良い。その際、せめて”南南西の無能者”とか”千の技を持つ無能者”ぐらいの工夫はしてほしいものだ。
それにしてもたったこれだけの文章を書くのに三日間も費やしている私は、やはり”アクセルの壊れた雑文書き”と名乗るべきであろうか。いやそれとも”永遠のオチなし男”か。