古舘風牛丼実況中継


 折りからの台風で大荒れの天気の中、ここ千葉県某所の牛丼屋では今宵もまた一つの戦いが繰り広げられようとしております。今夜の挑戦者は牛丼歴16年無職歴10年の男、牛男爵アイスその人であります。

 聞くところによると牛男爵という名の由来は三度の飯より牛丼が好きというところから来ているのだといいます。牛を食うことにかけては誰にも負けないと豪語するこの男、はたして我々の目にいかなるアートを見せつけてくれるのでありましょうか。あるいはそれとも、夜明けすぎのおでん屋さながら、原型をとどめないほどに煮詰まった、タマネギの影も形もない牛丼をつかまされてしまうのか。それだけは避けたいところ。

 さぁー、身長179センチ、体重62キロ、普段は虫も殺さない挑戦者が、まさにこれから戦場へ向かおうとしております。戦場というよりは地獄といったほうがふさわしいのでありましょうか。飢えた男どもが肉を求めて集まる場所、すき家という名の地獄が牛男爵の前に立ちふさがっているのであります。

 思えば21世紀最初の年、2001年は牛丼業界にとって激動の一年でありました。庶民のサイフのヒモとの戦いの一年、こう言い換えてもいいでしょう。まず先手を切ったのが松屋でありました。それまで400円だった牛丼並盛を290円という驚くべき価格で提供したのであります。正しくは牛めしですが、ここはわかりやすくいきましょう。この松屋の攻撃に対して牛丼の老舗吉野家は並盛一杯280円という、これまた驚愕すべき値段で対抗したのであります。中卯、らんぷ亭といった中堅どころも、この戦いを黙って見てはおりませんでした。牛丼業界はまさに群雄割拠、十円玉一枚をめぐる熾烈な領土争いが今もなお続けられているのであります。

 こうした混迷の時代を今夜の挑戦者はどうとらえているのか。今月今夜のこの夜にすき家へ討ち入りをかけるのは、はたしていかなる主義思想のもとにおこなわれたものなのでありましょうか。牛丼教の経典にはこうあります。『さまよえる私達は最後に安息の地を見つけた。そこにはオレンジ色の看板があった』。オレンジ色が吉野家を示していることは周知の事実。にもかかわらず赤の看板をめざした今夜の挑戦者、いったい何を狙っているのでありましょうか。どう見ますか、山本さん。

「挑戦者ブキミですね。十年間無職のひきこもりですから、何をするかわかりませんよ」

 なるほど、今夜の戦いは外の暴風雨さながら大荒れの内容になりそうな気配であります。今宵もまた白いカウンターは血で染まることとなるのでありましょうか。挑戦者、今ゆっくりとカウンター席に腰を下ろしました。非常に落ち着いております、挑戦者。このあたり、さすが十六年の蓄積を誇るだけのことはあります。

 さぁ、注目の一瞬。おしながきには目もくれず、はたして彼はいかなる注文をその口から発するのでありましょうか。庶民丸出しの並か、それともブルジョワ気取りの大盛りなのか。特盛りという可能性はまったくもって考えられません。なんとなれば、ここはすき家なのであります。並か大盛りか、はたまたキムチ牛丼という異端に走るのか。あるいはまたハーブチーズ牛丼というとんでもない代物も存在しますが、とにかく特盛りはありえないと、こういうことになっているのであります。そもそも特盛りを食うぐらいなら並を二丁食えと、この男はいつも口うるさいまでに言っておるわけであります。

 ここで店員が現れた。その手に麦茶の入ったグラスを持って、足取り軽く挑戦者に向かってまいります。店員が麦茶を置いた。さぁ今夜の御注文はなんだ。並か大盛りか。はたまた牛丼界の畸形児、ハーブチーズ牛丼なのか。

 あぁーっと! カレー! カレーだ! なんということでありましょうか。牛を食うために産まれてきたというこの男、あろうことかカレーを注文してしまったぁー! なんという大番狂わせ。牛丼教という名の神を、この男は捨ててしまったのでありましょうか。まさかここでカレーとは、ノストラダムスでも予言できなかったに違いありません。なんという暴挙! なんという反逆! このような行為が許されるのでありましょうか。牛丼教の開祖も天国で泣いております! これは一体どういうことなんでしょうか、山本さん。

「なにかやると思ってましたよ。しかし、これはいけませんね」

 挑戦者、なにごともなかったかのように麦茶を飲んでおります。あくまで冷静です、挑戦者。ついさきほどカレー教に魂を売った男とは、とても考えられません。もしやこの男、最初からカレーを食うつもりだったのでしょうか。カレーを食うために牛丼屋を訪れたのでありましょうか。かつて、これほどの冒涜的、屈辱的行為があったでしょうか。この、江戸前に百年店をかまえる寿司屋でスパゲティアラビアータを注文するがごとき行為。まさにカレー原理主義的自爆テロ。第三世界からの報復であります。

「牛丼教は信者を一人失いましたね」

 牛丼教対カレー教の、これはもう全面的宗教戦争なのか。この戦いを止める者はどこにもいないのでありましょうか。カツ丼教は、この両者の抗争をどう思っているのか。

 え、あぁっと! ここでゴングが鳴らされました。反則、反則負けです! なんという結末でありましょうか。牛丼屋でカレーを注文するという暴挙に出た挑戦者に対して、たったいま反則による不戦敗が言い渡されました。挑戦者牛男爵敗れる! 牛男爵敗れる!

「挑戦者には正々堂々と勝負してもらいたかったですね」

 とんでもないことになってしまいました、ここ千葉県某所のすき家。まさかこの男がこのような行動に出るとは、誰一人として予想しなかったに違いありません。それにしてもまったく動じたところを見せない挑戦者、おまえは、おまえは自分が負けたことを理解しているのかぁー! 場内は異様な雰囲気に包まれております。牛男爵、カレーを注文! 前代未聞のできごとに、場内騒然となっております。牛男爵不戦敗!

 あっと! ここで時間です。また来週、お会いしましょう。解説は山本小鉄さん。実況は私、古舘伊知郎がお送りしました。暴動寸前のすき家から失礼します。さようなら。




 要約:すき家でカレーを食べました。



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