混ぜる人


 掻き混ぜて食べる人というのがいる。
 一年近くもホームページを更新せずにおいていきなり何をワケのわからないこと言っているのかと思われるかもしれないが、重要な問題なので黙って聞いてほしい。これは、いつあなたを襲うやもしれない恐怖なのだ。

 先日のことである。私は一人の女性と共に第二の聖地(松屋)を訪れた。私は大盛りを、彼女は並をオーダーし、それぞれツユダクという真言を付け加えた。彼女は更にギョクをオーダーし、ゴボウサラダも追加した。ここまでは良かった。
 問題は、我々の前に牛丼が置かれた直後に起こった。牛丼を目の前にして彼女が最初にとった行動。それはまず牛丼を掻き混ぜるというものだった。べつに普通じゃん、と思われた人もいるかもしれない。だが、忘れてはいないだろうか、彼女はまだ牛丼の中に何も入れてはいないのだ。そう、ギョクも紅生姜も、なにひとつ投入してはいないのだ。にも関わらず、彼女はさも当然の行動であるかのように何も入っていない(いや何も入ってないワケではないが)牛丼を掻き混ぜたのであった。

 あなたがたのまわりにも、こういう人が一人や二人はいるはずである。彼らは掻き混ぜることができる料理を掻き混ぜずに食べることができない。牛丼やカレー、ラーメンはもちろんのこと、酢豚や野菜炒めなど掻き混ぜることに何の意味もない料理でさえ掻き混ぜずにいられない。天津飯やフルーツパフェなど、掻き混ぜることで悪い結果を生むものでさえ掻き混ぜてしまうのだ。
 私はつねづね、彼らの生態行動に興味を持っていた。なぜ掻き混ぜるのか、なぜ掻き混ぜずに食べられないのか、掻き混ぜるものと掻き混ぜないものの線引きはどこにあるのか、掻き混ぜる人は掻き混ぜない人のことをどう考えているのか──。それらの疑問をぶつける、良い機会だった。

「なぜキミは牛丼を掻き混ぜたのか」
 私は単刀直入に訊ねた。
「え? なぜって訊かれても困るけど……。混ぜちゃダメだった?」
 牛丼を掻き混ぜる彼女の手がピタリと止まった。
「ダメかダメでないかということで言えばダメだと思うが、私が訊きたいのはそういうことではない。訊きたいのはキミが牛丼を掻き混ぜたことの理由だ」
「だって、そのほうがおいしくなるでしょ」
「ならない」
 私は言下に否定した。掻き混ぜることで牛丼がおいしくなるのなら、それこそ吉野家は最初から掻き混ぜた状態の牛丼を提供するだろう。だが実際そのような牛丼は提供されていない。つまり掻き混ぜたからといって牛丼がおいしくなるようなことは金輪際ありえない。
「えー、おいしくなるよー、絶対」
「絶対にならない」
「なるったらなりますぅー」
「……」
 頭の悪いやりとりになりそうだったので、私はこの質問をとりやめた。かわりに、彼女の次の行動に対して質問を投げかけることにした。
「なぜキミは卵をかけた牛丼を掻き混ぜるのか」
「だって、そのほうがおいしくなるでしょ」
「ならない」
「えー、おいしくなるよー、絶対」
「絶対にならない」
「なるったらなりますぅー」
「……」
 デジャヴだろうか、これは。このままでは何の進展もないと判断し、私は更に質問を変えた。
「キミはカレーライスを食べるとき、どうするかね? やはり掻き混ぜて食べるのかね?」
「うん。だってそのほうがおいしくなるじゃん」
「ならない……いやちょっと待て。わかった、カレーライスを掻き混ぜるとおいしくなるかもしれないことを認めよう。だが世の中にはカレーライスを掻き混ぜずに食べる人も大勢いる。このことについて、キミはどう思うかね?」
「そんな人、見たことないけど?」
「……マジで?」
「マジで。っていうか、アイス君は掻き混ぜないの?」
「イエス」
「ウソだぁー。掻き混ぜないでカレー食べる人なんて、いるわけないじゃん」
「ここにいるんだが」
「じゃあ食べてみせてよ、今ここで」
「いま牛丼を食っているんだが……」
「それぐらい平気でしょ」
 そういうやりとりの結果、私は牛丼の直後にチキンカレーを食べることとなった。

 カレーライスを掻き混ぜる人には二つのタイプがある。一つは、口に入れる分だけの米とルーを掻き混ぜるタイプだ。このタイプは非常に数が多く、どこででも見かけることができる。スプーンのフチを使って刻むように掻き混ぜるのがほとんどで、基本的に咀嚼しながら次の一口分を掻き混ぜるようにして食べ進む。
 もう一方のタイプは、いきなり全体を掻き混ぜてしまうタイプだ。育ちの悪い児童に多く見られるタイプで、周囲の目などおかまいなく一気にルーと米を掻き混ぜてそのまま野獣のように食べ進むのが基本スタイルである。私はこの食べ方を蛮族食いと呼んでいる。

「あ、じゃあアタシ蛮族食いだ」
 彼女の告白は恐るべきものだった。
「それはちょっと、どうにかしたほうがいいと思うぞ」
「どうにかって?」
「掻き混ぜずに食べなさい」
「やだよ、ムリだよ」
「無理ではない」
 そこへ、丁度良いタイミングでチキンカレーがやってきた。私はスプーンを取り、いつもやるようにしてカレールーとライスの自然に重なり合う中間ゾーンに手をつけた。この地点ならばルーとライスを掻き混ぜる必要はまったくない。スプーンにすくいとったルーとライスは完璧な黄金率を保っている。
「見ろ、この美しさを。グチャグチャに掻き混ぜたカレーでは、この美しさは表現できまい」
「でも、おいしくないでしょ」
「いや、おいしいって」
「まずいってば、絶対」
「おいしい」
「まずいですぅー」
 どうして、こう頭の悪くなりそうな会話になるのか。
「絶対にヘンだよ、その食べかた。混ぜたほうがおいしいって。ちょっと貸してよ、ほら」
 彼女の手が伸びて、私のチキンカレーを奪い取った。
「あたしが混ぜてあげるから。絶対このほうがおいしいよ」
 見る見るうちに掻き混ぜられてゆくルーとライス。整然と保たれていた均衡と秩序が野蛮な力によって崩壊し、混沌の淵へと崩落してゆく。その無残なありさま。
「ほら、食べてみなよ」
 彼女の手から解放された哀れなチキンカレーは、もはや先刻までの姿を微塵もとどめていなかった。暴虐の覇王によって蹂躙されたその皿の上にあるのはチキンカレーではなく、かつてチキンカレーだった何らかの物体であった。
「これを、食えと言うのか」
「おいしそうじゃん」
 彼女はそう言って、自らの牛丼にギョクとゴボウサラダを投入し、掻き混ぜはじめた。──ゴボウサラダ! そう、彼女は牛丼にゴボウサラダを混ぜ込んだのだ! なんという悪逆! なんという背徳!

「ひとつ訊きたいのだが」
「なに?」
「それは本当においしいのか?」
「おいしいよ」
「いや、おいしくないだろ絶対」
「おいしいってば」
「絶対にまずい」
「おいしいですぅー」
「……」
 私はあきらめた。しょせん、知性や理論などといったものは暴圧の前には無力だ。私は彼女との討論に終止符を打ち、目の前のチキンカレー(だったもの)にスプーンを伸ばした。
「どう? おいしいでしょ?」
 彼女が言い、私は首を横に振った。
 たしかに、それは決してまずいものではなかった。それは当然だ。カレーを掻き混ぜたところで味の変化などあろうはずがない。私が首を横に振ったのは、その中に福神漬けが一緒に混ぜ込まれていたという、たった一つの事実ゆえに他ならなかった。
「えー、絶対においしいって」
「いや、まずい」
「おいしい」
「まずい」
「絶対おいしいですぅー」
「……」

 この場を借りて言いたい。
 他人のカレーを勝手に掻き混ぜるな、と。



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