重力式涙滴型眼精疲労解消剤射出装置(目薬)


 現在、天才的な深慮遠謀による戦略的無職を演じている私であるが、最近この優秀な頭脳をもってしても解決できぬ一つの問題に悩まされている。それは、疲れ目──すなわち眼精疲労である。というのも、やることがないので一日中パソコンに向かっているのが原因だ。フランクに言うと、引きこもってパソコンやってっから目が痛ぇのである。
 目が疲れたときの対策として、睡眠をとるという行動がある。誰にでも簡単にできる行為だ。誰にでもできるので、もちろん天才の私には容易なことだ。そういうわけで一日十時間ほど寝ているのだが、なにしろ起きている間ずっとディスプレイに付きっ切りなので、疲労回復が追いつかない。
 さてそうなると、次には目薬の出番である。──はずなのだが、なぜか私の手元には一個の目薬も存在しないのであった。なぜならば買ってないからである。はっきり言うと、私は生まれてこのかた一度も目薬というものを買ったことがないのだ。目が疲れたら寝るという生活をしてきた私にとって、目薬など必要なかったのだ。しかし、さすがに眠くもないのに寝るというのは無理がある。そうした経緯でもって、私はドラッグストアで目薬を購入するという初体験を済ませることにしたのであった。グッバイ、マイチェリー。

 30年間生きてきて初めて目薬の販売コーナーに足を止めた私は、そこで驚愕の光景をまのあたりにした。なんと、そこには一つの陳列棚をまるまる占拠する巨大な目薬帝国が栄えていたのである。比喩表現抜きにわかりやすく言うと、つまりモノ凄ぇ数の目薬があったのだ。それはまさに、目薬の楽園、点眼液のヴァルハラであった。

 私は、ためしにひとつの商品を手に取ってみた。パッケージには、こう書いてある。
 清涼感タイプ。効能──目の疲れ、目のかすみ。
 別のものを見てみると、こうだ。
 爽快感タイプ。効能──目の疲れ、目のかわき。

 さて、ここで一つの重大なクエスチョンだ。はたして「清涼感タイプ」と「爽快感タイプ」は、一体なにがどう違うのだろう。私の語彙感覚によると、両者にはあまり違いがないような気がするのだが。それともこれは初心者であるがゆえの無知なのだろうか。もしやすると、目薬マニアであれば点眼した瞬間に「これは清涼感タイプに違いない!」と体感できるのかもしれない。「この、春の野原を吹き渡る優しいそよ風のような射し心地。なんと麗しき爽快感よ」とか、そういう風に。後者の人はちょっと電波が来てるようだが。
「目のかすみ」と「目のかわき」の違いもなにやら微妙だ。しかし、これも目薬道を究めれば「俺の目はかすんでいる!」とか「現在、私の目は平時と比較して10パーセントの水分を喪失していると断言する!」などと判断できるようになるのかもしれない。問題は、目のかすみとかわきを同時に感じている場合どちらを買えばいいのかわからないということではあるが。(そして、それは普通に起こり得ることなのだ)

 そんな目薬帝国の威容に戦慄さえ覚えながらも、私はまた別の製品を手に取ってみた。「ビタミン配合」と記されている。──ビタミン。これもよく理解できない。そもそも、目にはビタミンが必要なのだろうか。ビタミンが足りないとヤバイことになったりするのだろうか。たとえば怒りっぽくなったり骨折しやすくなったりするとか。仮にそうだとして、平均的な成人男子には一日にレモン何個分のビタミンCが必要なのだろう。見当もつかない。
「塩化リゾチーム配合」という製品もある。これまた意味不明だ。塩化リゾチームは目薬に入っていたほうがいいのか。それとも気にするほどではないのか。ビタミンと比べた場合どちらがより重要なのか。両方入っているのがベストなのか。そして、平均的な成人男子には一日にレモン何個分の塩化リゾチームが必要なのか。もはや、さっぱりわからない。

 商品名もすごい。アルファベットとアラビア数字の揃い踏みだ。「マイティアOA」「TM−Cアイリス」という目薬がある。まるでパソコンのOSのような製品名だ。TM−Cとは何の頭文字をとったものだろう。小室哲哉プロデュースの音楽ユニットみたいだ。きっと、一発ヒットを飛ばして二年後には誰も覚えていないようなユニットだな、うん。
「新ロートV40」「アイルックE40」という商品もある。どちらも40という共通項を持っている。よく見ると、目薬にはこの「40」というナンバーを振られたものが多い。「サンテ40」「サンテ40NE」などだ。この両者の違いは、いくら初心者の私にでも理解できる。「サンテ40NE」のほうが偉いのだ。そうに決まっている。もっと偉いのは「ロートV40タウ」である。間違いない。
 それにしてもわからないのは40という謎の数字だ。不可解きわまるミスティックナンバーである。どことなく獣の数字を思い起こさせる不気味さがある。どの商品も40という数字についてまったく説明しないところが、さらにその怪奇性を際立たせている。おそらく、口に出してはいけない数字なのだ。その数字を口にした者には、すみやかに、かつ残酷に、不幸が訪れるのだ。割り箸が斜めに割れてしまうとか、そういう不幸が。
 一方、数値では負けるものの「サンテザイオンV3」はかなり格好良い。ハリウッド映画か特撮ヒーローものに登場する兵器のようだ。特に「V3」のあたりが良い。ネオナチスが計画している大陸間弾道弾を思わせる。これが「V40」になってしまうと格好良さも半減だ。3という控えめでリアリティのある数字を選んだのは正解である。その数字に何の意味があるのかはサッパリだけども。いや、それよりなにより、なぜ「サンテザイオンVレボリューションズ」にしなかったのだろう。ちなみに、このメーカーからは「サンテFXネオ」という商品も出ている。目薬帝国にマトリックス空間を作り出したいのだろうか、この製薬会社は。
「ロートCキューブモイスチャージ」という目薬もある。キューブモイスをチャージしてくれるのかモイスをチャージしてくれるキューブ型目薬なのか、はっきりしてほしい。「ロートCキューブクールチャージ」というのもある。これはクールをチャージしてくれるのだろう。私は既に十分クールなので、これは必要なさそうだ。できればモイスやクールではなく職をチャージしてほしいのだが、適切な製品はあいにく見つからなかった。目薬にそういう成分を求めてはいけないようである。
 派手なカタカナ文字が乱舞する中で、「眼涼」「養潤水」「久遠水」など古式ゆかしい名前も散見される。ネオやザイオンと比べると、じつに風情あふれるネーミングではないか。惜しむらくは、なんとなく効き目が弱そうな印象を受けるところである。破壊力に乏しいと言ってもいいかもしれない。いっそ「AX−3養潤水」「久遠水VX99」などとやってくれると、どことなく異様な迫力が生まれるのだが。やはり眼の疲労や眼病を取り除くものなのだから、より効きそうな(強そうな)名前を選びたくなるのが一般消費者の思考だろう。もし「九十八式重力点眼液・改」などという目薬があったなら、私は迷わずそれを買い求めるに違いない。どうだろう、製薬会社の人。一度検討してはくれまいか。

 話をもどそう。キリがないので、名称は考えないことにする。効能だけを見ることにして話を進めよう。並べられている目薬の主な効能はこんなところだ。──目の疲れ、目のかすみ、目のかわき、目のかゆみ、眼病予防、目の充血、結膜充血、角膜充血……等々。
 私も頻繁に目が充血するので充血に効くものを買いたいのだが、さて私の目は結膜充血なのか角膜充血なのか。どうやって区別するのかわからない。こういうときは「目の充血」と効能書きされている商品を買うのが無難なのだろうか。しかし、これはちょっと不安が残る。たとえば定食屋に入ってメニューを見たとする。そこに「牛丼」「豚丼」「チキン丼」などと並ぶ中に「肉丼」とあったらどう思うだろうか。それ何の肉だよと、誰もが思うに違いない。(この定食屋は実在する)。「結膜充血」「角膜充血」と具体的な言葉が挙げられる中に漠然と「目の充血」と書かれた商品は、そういう理由でちょっと怖い。
 では、いっそのこと全ての効果をそなえた目薬はないものだろうか。そう思って探したのだが、ないのである。どういうわけか、どこのメーカーも示し合わせたように二つだけの効能を謳っているのだ。あたかも三つ以上の効能を持たせてはならないという法律でも存在するかのように。──いや本当に存在するのかもしれないが。

 まるで歯ブラシ業界のようだと私は思った。あれもまた「山切りカット」「毛先が球」「しなるネック」「アーチ型ネック」など、一体どれが一番いいんだよと発狂しそうになる売り文句の嵐である。歯ブラシの場合、それにプラスして歯磨き粉の壁も存在する。これもまた「歯を白く」したり「知覚神経過敏症の人に適して」いたり、「歯周病を予防」したり、「口臭を抑え」たり、じつに大変なことになっているのだ。健康な歯を保つためにはこれら全ての組み合わせを毎日実行しなければならない。そのように、メーカー側がそれぞれ宣伝しているのだ。いったい私達は一日に何千回歯磨きをしなければならないのかと気が遠くなる。これでは我々人類は歯を磨くために生きているようなものだ。げに恐るべきは歯磨き業界である。
 これに比べれば目薬のほうはまだラクかもしれない。幸いなことに、目は磨かなくても良いのだ。といっても、やはり目薬を選ぶのは簡単なことではない。なにしろこれほどの山のような数の製品が売られているのだ。何の知識もなしに選択するのは無謀である。コンパスもなしに嵐の雪山を登るようなものだ。

 かくしてインターネット上に目薬の情報を求めた私は、そこで様々なことを知った。ビタミン配合の目薬にビタミンCは使われていないこと、ロートVの「V」が「Victory」の意味であること、サンテFXネオのCMにキアヌ・リーブスが出演して疾風怒濤のワイヤーアクション点眼を演じていたことなど。特に衝撃的なのがミスティックナンバー40の正体であった。なんと、これは40歳の意味だというのだ。つまり、40歳以上のオッサンオバサン向け商品というわけである。獣の数字ではなくオヤジの数字だったのだ。
 この事実を知った私は少し悲しくなった。憧れの女性が実は水虫だったとか、そういう知らなくてもいいことを知ってしまったような気分だった。プロレスラー天龍源一郎の決め技「53歳」を連想したのは私だけではないはずだ。嗚呼、なんということだろう。あの謎と神秘に覆われた数字の意味が40歳だったなんて。ショックである。──ありがとう、40。今まで私に夢を見させてくれて。そして、おわかれだ、40。私はまだ31なのだ。キミとの出会いは早すぎたようだ。私がもう少し大人だったら、キミとの関係もうまくいっていたかもしれないのに。とても残念だ。──さようなら、40。

 だが、別れの後には新しい出会いがある。人は、そうして大人になってゆくのだ。私は素晴らしい目薬との出会いを確信し、ドラッグストアへと向かった。大丈夫。もう私は初心者ではないのだ。Vの意味も、FXの意味も、40の謎もわかった。アズレンスルホン酸ナトリウムという成分が何に効くのかさえ調べた。そして、思ったとおり目が疲れた。もしかすると、これこそ目薬メーカーの策略なのかもしれない。

 目薬は無事買えた。



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