職業欄


 先日、ディスクユニオンに行ってきた。無論、CDを買うためではない。売るためである。だいいち、ここ最近というものCDを買った覚えがない。若いころは二十万円の給料をもらって十五万円分のCDを買うという生活をしていたのだが、さすがにそれは改めた。一ヶ月に十五万円のCDを買うのは人間として間違っている。そのことに気付いた私はCDに費やす金額をゼロにまで削減することに成功した。ついでに給料そのものもゼロになった。悲しい過去だ。

 そんなことはどうでもよかった。(よくはないが考えないことにしよう)
 CDを売るときには、買取申込書というものを書かされる。記入欄には、住所、氏名、年齢、電話番号、血液型、病歴などを書き込む箇所があって、それらは正確に真実を書かねばならない。そういうことになっている。アラスカの住所やエスキモーの名前などウソっぱちを書くのは当人の自由だが、身分証を出せば一発でウソと露見してしまうだろう。もしかすると、それより先に顔だけでバレてしまうかもしれない。いや、多分バレる。

 そういうわけで、記入欄は正しく書かなければならない。だが、一箇所だけテキトーなことを書くことが許される場所がある。それは「職業」の欄だ。多くの人にとって、ここは「会社員」「公務員」「自営業」あるいは「学生」などと書き込むところだろう。私の場合は「無職」だ。

 しかし、考えてみてほしい。こんなところでわざわざ、おもしろくもない真実を明らかにする必要があるのかと。たしかに、「無職」と書けばウソはつかずにすむ。だが、ただそれだけだ。そこには何のおもしろみもない。だからといって「会社員」と見栄を張ってみても別段おもしろくはない。それぐらいなら「会社経営」とでも書いておいたほうがマシというものだ。問題は、会社を経営しているような人間が平日の昼間にCDを売りに来るかどうかというところだが。いずれにせよ早晩つぶれそうな会社だと思われるのがオチである。これでは結局「無職」と変わりない。

 私はこの手の職業欄に書き込む際、何も考えていないときは「芸術家」と書くことにしている。これは実に便利な言葉で、かつインパクトもある。「職業:芸術家」と書かれた買取申込書を見た店員は、ちょっと驚く。場合によっては、私が店を立ち去ったあとでバイト仲間に「今の人、芸術家だってさー」などと話しているかもしれない。そのことに何の価値があるのかは、さておき。

 さて、今回だが「芸術家」には少々飽きていた。かといって「無職」と書くのはゴメンだ。そんなのは書き飽きた。犯罪者が逮捕されて新聞やテレビで「無職○○容疑者」と報道されるたびに親近感を覚えてしまうほど、慣れ親しんだ言葉なのだ。せめてCDを売るときぐらい、無職でなくなってもいいと思わないだろうか。まぁ、無職だからこそCDを売るようなハメになっているのだという指摘はあるかもしれない。だが、それはそれだ。(現実逃避)

 今回、私は「歌手」と書いてみようかと思いついた。その数日前、無理やりカラオケにつきあわされたのが尾を引いていたのである。だが、ひとつ問題があった。「本当に歌手ですか? じゃあ歌ってみてください」とか言われたら困るということである。自慢ではないが歌はヘタだ。ウソだとバレる可能性のある職業を詐称してはならない。そこで次に私は「ヴァイオリニスト」というものを思いついた。これは紳士でスマートな私のイメージにぴったりだ。「ためしにヴァイオリンをひいてみてください」と言われることもない。

 だが、そこで気が付いた。職業を記入する欄は、ひどく小さいのだ。ふつう「会社員」あたりの言葉を書き込む箇所なのだから当然である。それに、ヴァイオリニストだったら「音楽家」と書けば良いだけだ。実際、そう書いて済ませようかとも思った。だが、これではおもしろくないのだ。「音楽家」でなく「ヴァイオリニスト」がいい。それも、できれば「天才ヴァイオリニスト」だ。それがダメなら「天才ピアニスト」でもいい。しかし、それだけの文字を書くスペースがないのだ。無念きわまる。

 もう少し考えた。自分の好きな職業を書けばいいのだ。話はカンタンである。ただし、ウソとバレないものでなければならない。いくら好きでも「メイド」とか書いてはいけないのだ。それは、住所欄に「アラスカ」と書くより先にウソと知れる。
 では「執事」と書くのはどうだろう。これはヴァイオリニストより更に私のイメージとしてピッタリだ。だが、やはり執事は平日の昼間にディスクユニオンには来ないだろう。しかも、TシャツGパン姿で。自己イメージを破綻なく職業に投影するのは、なかなか難しいものである。

「詩人」というのはどうだろう。……いやこれは書いたことがあった。
「格闘家」というのも悪くない。……が、やはり外見でバレそうだ。
「政治家」というのは少し無理があるだろうか。もう十年ぐらい温存しよう。
「奇術師」……は実演してくれと言われると困る。
「占い師」……は信用してもらえないと人狼に食われそうだ。
「遊び人」……は真実そのものだな。
 ならばいっそ、「勇者」というのはどうだろう。これは悪くないかもしれない。……いや待て。勇者なんて職業が現実に存在するのか。どうなんだ、エニックス。

 そこへ、店員の言葉が投げかけられた。
「ご職業欄は空白でも結構ですよ」
 なんだと。空白イコール無職じゃないか。無職はイヤだああああっ!

 やむなく、私は「冒険家」と書き込んだ。
 何を冒険しているのか、自分でもさっぱりわからない。だが、とにかくそういう気分だったのだ。


 CDは無事に売れた。



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