縄梯子の謎


 その部屋には、縄梯子があるのだった。

 いきなり何を言っているのかと思うかもしれないが、私も最初は意味がわからなかった。なぜか、その部屋の壁には一つの縄梯子がかけられているのだった。漢字で書くと読めない人がいるだろうか。なわばしごである。ナワバシゴ。英語で言うとrope ladder。……いや、これはまちがっているかもしれない。英語は苦手だ。推理とちがって。ともかく、ロープで板切れを何枚も吊るした、ごく一般的な梯子である。泥棒や脱獄犯が使うものだ。それ以外の用途はないと思う。その縄梯子が、彼女の部屋の壁にかけられているのであった。

 ちょっと訊きたいのだが、あなたの部屋の壁には何がかけられているだろうか。ふつう、そこにはポスターやカレンダー、絵画や鏡、あるいは先祖の遺影とか藁人形とかが飾られているはずだ。しかるに、彼女の部屋の壁には縄梯子がかけられていたのである。めったに存在しない光景といえるだろう。

 縄梯子の使いかたは誰でも知っている。高いところに上ったり、低いところに降りたりするのに使う。ほかに使い道があったら教えてほしい。ところが、その部屋の縄梯子はただただ壁に吊り下げられているだけなのであった。上ろうにも縄梯子の上は天井だし、下りようにも床をつきやぶるしかないのだ。さて、いったいこの縄梯子は何のために壁にかけられているのだろうか。

 魯鈍な人間は、こういうとき愚かにも「この縄梯子は何に使うの?」などと質問してしまう。だが私は違う。名探偵が、殺人現場を目の前にして「誰が殺したの?」などと訊くだろうか。それは名もない登場人物Aの役割である。あるいは犯人の役割だ。一見なんの変哲もない女性の部屋にかけられた、一本の縄梯子。しかし、そこには何らかの意図があるはずだ。そして、推理の材料はすべてそろっている。私はこのミステリーの謎を解かねばならない。名探偵として。

 まず考えるべきは、なぜ縄梯子なのかということだ。通常の梯子でなく縄梯子でなければならない理由。考えつくのは、携帯して使うというものだ。つまり、彼女は日常的に縄梯子を使っている職業の人である可能性が高い。──そう、すなわち彼女は泥棒ないし脱獄囚だったのだ。泥棒かつ脱獄囚かもしれない。

「なるほど。それでキミはどこの刑務所にいたんだい?」
「……は?」
「隠さなくてもいい。私にはわかるんだ。名探偵ゆえに」
「なにを言ってるのか意味がわからないんだけど」
「そうか。あくまでシラを切ろうというのか。それなら説明せねばなるまい。ふっふっふ。これこそ名探偵の見せ場だよ、キミ」
「もしかすると、この縄梯子を見て素っ頓狂な推理でもしたのかしら」
「隠しても無駄だ。私にはキミの正体がわかっている」
「へぇ。言ってごらんなさいよ」
「キミは家宅侵入の常習犯にちがいない」
「あのねぇ。私が泥棒だったらこんなふうに縄梯子なんか出しておくわけがないでしょう」
「ふ……。そんな論理はとおらない。たとえば『私が狼だったら彼は食わない』などという主張があったとして、その主張には何の効力もない。キミが実際に泥棒であったとしても、縄梯子を隠す理由はないね。むしろ、隠してある縄梯子を見つけられてしまったときのほうが言い逃れしにくいはずだ。ちがうかね?」
「言ってることは正しいけれど、残念ながら私は泥棒でも脱獄犯でもないの。推理しなおしてくれる?」
「ほう。どうしても違うと言い張るのか。だが、それならなぜ……」

 あやうく、「なぜ縄梯子がここにあるのか」と訊いてしまうところだった。それだけは避けねばならない。その発言をした瞬間、私は登場人物Aになってしまう。いや、ヘタをすると被害者Aだ。私は探偵でなければならない。しかもただの探偵ではない。名探偵だ。なぜなら私はそのように生まれついているのだから──。推理をつづけよう。

「そうか。すると、この縄梯子は何らかの暗号、サインかもしれないな」
「ふぅん」
「梯子を意味する暗号。それはつまり……キミがエシュロンの構成員だという意味だ!」
「なにそれ」
「またシラを切ろうというのか」
「だからエシュロンって何よ。タイヤのメーカーか何か?」
「それはミシュランだ。エシュロンとは『梯子』を意味する隠語で、米国がひたかくしに隠してきた世界的傍聴ネットワークをさす。一説には北半球で交わされているすべての無線通信を傍受しているともいわれる、闇の機関だ。そして、いまキミにはそのメンバー、つまりスパイとしての疑いがかけられている」
「私は日本人なんだけど」
「国籍は米国かもしれないだろう」
「住民票見せようか? いまここにあるから」
「なぜそんなものが部屋にあるのかね? 一般的な市民は日常的に住民票を自宅にそなえてはいないものだ。それこそ、キミがエシュロンとして疑われたときのための、」
「このまえ引っ越してきたばかりで、いろいろと証明やなんかに使ったの」
「なるほど。キミが転居した事実は私も知っている。主張は認めよう」
「ほかの推理はないの? 探偵さん」

 彼女が溜め息まじりに失笑を浮かべ、そして私は気付いた。どうやら私は試されている。ややもすると、遊ばれているのかもしれないということに。そうだ。まちがいない。この壁にかけられた縄梯子は、私への謎かけ、ひいては挑戦状なのだ。
 実際のところ、意味もなく自室の壁に縄梯子をかける人間はいない。縄梯子は絵画やポスターとは違う。鑑賞してたのしむとかいう性質のものではないのだ。縄梯子は実用品である。しかし、実用品を本来の用途とは異なる場面に用いたとき、そこには意味が生じる。この縄梯子には何らかの意味がなくてはならないのだ。そうでなければ、この梯子が実用されるのだという解釈でもいい。どちらかだ。

 そういえば──。古い記憶が電光のように蘇った。私は、この風景を他の場所で見たことがあるのだ。それは、横山えいじの作品中のことであった。その作品には、縄梯子が登場するのだ。時間を越える装置──タイムマシンとして。梯子を上ると未来へ、下りると過去へつながっているのである。天井や床は関係ない。梯子を上り下りした瞬間、異空間を通じて時間を飛び越えるのだ。
 そうだ、今度こそまちがいない。これはタイムマシンだ! 実在したのだ! そして、日常的にタイムマシンを使う職にある彼女こそ、タイムパトロール員にちがいない! ドラえもんとかにも出てきたあれだ!

「そうか、そうだったのか……。ようやくわかったよ。日々の任務ご苦労様」
「任務?」
「あぁ、服務規程で正体を明かせないのだろうな。安心してくれ。私は追求したりしないから大丈夫さ。しかし、そのタイムマ……いや縄梯子は隠しておいたほうがいいと忠告しよう」
「たいむま?」
「いや待て。私はキミの職務については何も知らない。だから記憶を消したりしないでくれよな。ははは」
「ていうか、どうしてこの縄梯子について訊こうとしないの?」
「それは私の役目ではないからだ」
「あなたの役目は、推理をはずしまくって笑われる探偵ってところね」
「あえてそのように見せることも必要なのさ。名探偵には」
「じゃあこの縄梯子については、もういいのね?」
「あぁ、私の中でキッチリと説明がついた。もう満足だ」
「そう。それならいいけど」
「ふ……」

 クールに笑ってみせるだけで十分だった。謎を解明した探偵にふさわしい行動だ。
 こうして、壁にかけられた縄梯子のミステリーは暴かれた。病人を哀れむような表情を彼女が浮かべていたとしても、もはや関係ない。これは確実にタイムマシンなのだから。たとえ東急ハンズのシールが貼ってあったとしても。



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