最速の生物


 地球上を最も速く走る生物は何か。
 答えは小学生でも知っている。ネコ科の動物チーターである。彼らは時速100キロで地上を疾走することができ、訓練されたものは時速120キロを超える。またその速度に達するのに要する時間はわずか2秒であり、この爆発的な瞬発力は他に類を見ない。
 チーターに次ぐ速度の持ち主であるガゼルやレイヨウが時速90キロ前後でしか走れないことから、地上最速の生物がチーターであることには議論の余地がないだろう。

 では次に、空を最も速く飛ぶ生物は何か。
 世の中には、ギネスブック(現在はギネスワールドレコード)というものがある。もともとこの本はギネス社の社長ヒュー・ビーバーがハンティングに赴いた折り、仲間との間で「最も速い鳥は何だろう」という議論がなされたところから「世界一のものをすべて集めよう」との発案で生み出されたものであり、当然ながら世界一速い鳥も載っている。
 それによれば、この問いの回答はハヤブサである。その時速は約300キロであり、近年おこなわれたナショナルジオグラフィック誌の実験によると最高記録は時速390キロに達したという。これは、鉛玉を落下させたときの終端速度をはるかに超える数値である。
 このような速度を得るためには、無論ただ落下するだけでは不可能だ。ハヤブサはこの速度を得るために急降下中には背面飛行をする。これによって翼には下向きの揚力(ダウンフォース)が働き、自由落下する物体を上回る速度で加速、降下できる。こうした方法で飛行する鳥は他におらず、ハヤブサが最も速く飛ぶ鳥であることの論拠となっている。

 さて、次に本題。水中を最も速く泳ぐ生物は何か。
 チーターもハヤブサもギネスレコードに登録されている。が、「水中を最も速く泳ぐ生物」という項目はギネスレコードに存在していない。それは何故か。最も速く泳ぐ生物の記録が明確にされていないためである。
 クロマグロやバショウカジキは時速100キロ近い速度で泳ぐことができる。たいていの学者は、これらの魚類が最も速く泳ぐ生物だと認めている。しかし、実際は違う。水中を最も速く泳ぐ生物はハマグリである。
 貝類のハマグリが時速100キロを超えるなどと言われても、にわかには信じられないかもしれない。実際に潮干狩りでハマグリをつかまえたり食べたりしたことのある人にとっては、なおさらだろう。しかし、事実なのである。それどころか、ハマグリの最高速度は時速440キロにも達するのだ。(ハヤブサの降下速度よりも速い!)
 ハマグリの移動には、三つの手段がある。一つは腹足と呼ばれる脚による移動。もう一つは出水管からの噴出による移動。そしてもう一つは磁力による移動である。
 ハマグリが磁力を利用して移動することは、一般的にほとんど知られていない。というのも、彼らがこの方法で移動するのは一生に一度(産卵時)だけであり、目撃されることが少ないためである。
 彼らは産卵が近づくと吸水管から海水を吸い込み、ごく微量に含まれた砂鉄をエラで漉し取り、内臓に貯め込む。そして砂鉄の磁力線を一定方向にそろえ、地球の持つ磁場を利用することによって驚異的な速度を得るのである。二枚貝の仲間にはこうした行動をとる類が少なくないが、ハマグリほど効果的に地球の磁力線をとらえる貝類は他にいない。
 しかし、なぜこれらの事実が記録として残されないのだろうか。最大の理由は、ハマグリの産卵がたった一晩の間におこなわれること。そしてその時期が明確にできないことがあげられる。また、ハマグリの産卵/移動にともなって大きな波(ハマグリ波)が発生することも確認されており、その移動を現場で確認することは困難を極める。
 しかし、こうした現状もあと数ヶ月で打ち破られるかもしれない。昨年、ハマグリの磁性運動についての研究グループがオーストラリアで結成され、昨日その一団が瀬戸内を訪れたのである。おそらく、年内には彼らの研究報告がしかるべき機関に提出され、認められるはずだ。
 そうなると、ハマグリの市場価格が高騰することは火を見るより明らかである。今のうちにハマグリを食べておくべきだと忠告して本文を終わることとしよう。



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