Gの悲劇


 本来、ここには小説がUPされるはずだった。しかし、ついさきほど発生した事件のために予定を変更し、急遽このレポートを書きとめている次第である。あのおぞましい事件の衝撃と痛ましさを、私は世界に伝えなければならない。この地球上から一人でも犠牲者を減らすために。また、私自身おなじあやまちを繰り返さないように。これは啓示の文章であり、自戒の記録である。

 ほんの十分前のことだ。ベッドで目を覚ました私は、枕元に黒いものを見つけた。抜け毛だとか、食べ残しの都昆布だとかではない。正確には、黒というのも違う。黒に近い褐色のかたまり。それは生きており、かつ動いていた。長い二本の触角。そしてトゲのようなものが生えた六本の足。──そう。それはゴキブリだった。あの、日本人女性の99%に問答無用の悲鳴を上げさせる昆虫。「♪夏がく〜れば思い出す〜」という、あの歌でも歌われている生物である。

 無論、私は女性ではない。ゴキブリ相手に悲鳴を上げるほど軟弱でもない。なにしろ私は名探偵であり、世間ではハードボイルドの申し子として知られる人物である。とはいえ、さすがに寝起き直後にゴキブリを目の当たりにしたとき、多少動揺してしまうぐらいのことは仕方ないと言えるだろう。
 しかし、今回ばかりはその動揺が致命的な遅れを生んだ。ゴキブリを叩きつぶすべくティッシュペーパーを手に取る私の前で、ヤツは猛然と走りだしたのだ。その先には、私の愛しいしろたん(ゴマフアザラシのぬいぐるみ)が寝ていた。ゴキブリは、それを避けようともしなかった。さも当然のごとくしろたんの背中に駆け上がり、あざわらうようにその場で立ち止まったのだ。

 私ののどから、声にならない悲鳴が漏れた。ひきこもり生活を長くつづけている私にとって、ほとんど唯一の話し相手がしろたんだったのである。私としろたんの間で築き上げた、ごくささやかな幸せと安寧は、たった一匹のゴキブリによって無残にも破壊された。
 あの無垢で純粋だったしろたん。その姿は、もはや汚辱と腐敗に汚されてしまったのだ。取り返しのつかないほどに。なんということだろう。かつて、これほどの喪失感にさいなまれたことはなかった。──嗚呼、さらば幼き日々よ。善なるものはすべて失われた。復讐よ、汝こそ我が伴侶となるのだ!

 しかし、激昂する私を前にして、ゴキブリはいたって冷静であった。私のことなどまるで気にしてもいないように、すずしげな表情を浮かべているだけである。それどころか、「ここは私の家なんですが。アナタどちらさまですか?」とでも言わんばかりの態度を見せつけるのであった。その、おそるべき厚顔無恥ぶりを一体どう非難すればいいだろう。おまえはこれまでどういう教育を受けてきたのか。羞恥心のカケラもないのか。心底あきれたやつである。親の顔が見てみたい。いや見たくないけど。
 だが、いくら罵倒してもゴキブリはまったくこたえないのであった。まるで私の言葉を理解していないようである。そもそも聞こえているのかどうかも怪しい。馬耳東風。猫の耳に念仏。釈迦に聖書。
 話してわからない相手には力をもって当たるほかなし。私は伝家の愛刀”百足丸”を抜き放ち、右手に構えた。これこそは、かつて我が家を襲った巨大なムカデを一刀のもとに切り伏せた銘刀であり、そのとき浴びたムカデの呪詛によってかたく押入れに封印されていた業物である。斬れぬものはない。別の名を読売新聞。

 しかし、抜き放った愛刀を手にして私は動けなかった。なんとなれば、ゴキブリは愛しいしろたんの背中に陣取っているのである。このまま刀を振り下ろせば、ゴキブリもろともしろたんを斬ってしまう。ならばゴキブリだけを斬るよう水平に刀を振ればどうか。──いや、それでも万が一ということがある。失敗のリスクは冒せない。
 いかに私が優れた正義のヒーローであろうと、人質をとられてはどうしようもなかった。なんの抵抗もできないぬいぐるみを人質にとるとは、なんと卑劣な輩であろうか。おまえには良心のカケラもないのか。すこしは人間らしい心というものを持ち合わせてはいないのか。おまえの母親は泣いているぞ。

 すると、ゴキブリもさすがに反省したのか、それとも観念したのか。突如として人質を手放し、畳の上を走りだしたのである。それは恐ろしい速度であった。体感速度ではマッハ1を超えている。およそ人間には成し得ない敏捷性。
 私は持ち前の反射神経で百足丸を振り下ろしたが、ゴキブリは華麗に回避した。私は目を疑った。この天才剣士たる私の剣撃を避けるとは。かなりの達人と言えよう。しかし私はひるまなかった。再び武器を振り上げ、今度こそゴキブリを天に帰らせるべく渾身の一撃を放った。──が、ゴキブリはそれさえもかわしてみせたのである。愕然とした。このゴキブリはただものではない。ヤツには未来を予知する能力があるのだろうか。さもなければ、全身を反重力シールドで防御しているとしか思えない。

 いや、落ち着け。反重力装置など、この世に存在しない。そんなものが実在するなら、ゴキブリは天井を歩くことさえも可能になってしまう。──だが、よく考えれば天井を歩くゴキブリを見たことはある。
 まさか。私は慄然とした。ヤツらは、人知れず重力制御装置を手にしているのだろうか。そんなわけはない。ヤツは、ただちょっと未来が予知できるだけだ。さもなければ、勘がいいだけだ。──いや、そんなことはどうでもいい。ともかくヤツの存在を抹消することが最優先だ。

 気がつくと、いつのまにかヤツは消えていた。ほんの2秒程度、目を離した隙だった。なんてことだ。ヤツらは光学迷彩まで備えているのか。科学が進歩するにしたがって人は心を失っていったというが、まさにそのとおりだ。罪のない一般市民の寝込みを襲い、人質をとって逃走するなど、悪魔の所業と呼ぶほかない。
 よかろう。科学の力には科学でもって対抗するのみである。ゴキブリの知能など、人類の叡智の前には所詮ゴミクズである。近代科学の結晶たるフマキラーの出番だ。ちょっと待っていろ。キッチンから取ってきてやる。おまえの命はあと20秒といったところだ。辞世の句でも詠んでおくがいい。
 正義のヒーローらしくさわやかに笑い、私は自室を出た。スリッパをはいてキッチンへ向かおうとしたそのとき。足の親指に何かが触れ、ぷちっという音がした。

 そのときの感覚を、一体どう表現すればいいだろう。時が止まった、というのが適切だろうか。理想を絵に描いたような女の子が目の前に現れて、一目惚れしたときのような感覚。だが、現実は正反対だった。
 私の右足に生じた悲劇の正体。それが何なのか、考えるまでもなかった。今すぐ世界が滅亡してくれないだろうか。そう思った。しかし、世界が滅亡してもゴキブリだけは生き残るという説を思い出し、私は完全なる絶望の淵に叩き落とされた。



 今こうして文章を書いている間も、私の魂は抜け殻のようである。自分でも、何を書いているのかよくわからない。いつでもそうだろという意見があるかもしれないが、すくなくともゴキブリを裸足で踏んづけたあとに文章を書いたことは一度もない。というより、裸足でゴキブリを踏んだのは三十年間の人生で初めてである。
 えらい人たちは「人生なにごとも経験だよ」などとよく言うが、ならばおまえたちは裸足でゴキブリを踏んだことがあるのかと言いたい。こんな体験が、今後の人生で何かの役に立つとでもいうのか。
 私は、ひとつの名言を思い出した。
『人間は二種類に分けられる。犬の糞を踏んだことがある人間と、犬の糞を裸足で踏んだことがある人間である』というものだ。どこで聞いたか忘れたが、ゴキブリを踏むよりはマシだと今なら言える。なぜそんなことが断言できるのかとは訊かないでくれ。私は犬の糞を裸足で踏んだこともあるのだから。



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